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買い物から帰ると女は二つある内の一つのベッドに腰かけていた。俺が出ていった時のまんまだ。
「これに着替えろ」
町で買ってきた平民の娘が着るような古着を渡して俺は廊下に出た。
暫くすると女がドアから顔をのぞかせた。
「あの……背中のボタンが外せなくて……」
はっ!? お貴族様ってやつは自分で脱ぎ着出来ねえ服を着ているのか!
渋面で部屋に入った俺は女の肩を掴んで後ろを向かせた。
女の肩の薄さに動揺したりなんかしねえ。ボタンを外すために髪を掻き上げた時に見えたうなじの白さや背中のすべらかなしっとりした肌なんか目に入らねえ。そうだ、こんな時はぶっ殺してえ奴を思い浮かべよう。
物心ついたときに居た旅芸人一座の座長だったクソジジイ。気に入らねえことがあると俺を殴ったり蹴ったりしやがった。二つ前の盗賊団の首領の右腕とかいう髭面。俺を手籠めにしようとしやがった。床に金貨を投げて俺に這いつくばって拾わせ「お前を囲ってやってもいいわ」なんて言った厚化粧の貴族の年増女もいたな。
目の前の女は必死に胸元で服を押さえてなんか色々とくっちゃべっている。
「わ、私は本当は一人で着替えが出来るのです。私付きのメイドは仕事をあまりしてくれませんでしたから。髪も簡単になら結えるのですよ。ただこのドレスが自分で脱げないだけなのです」とか
「いつもなら殿方にこんなことをさせるような女ではないのです。へ、部屋に二人きりなのも初めての経験で、あの、だから、そういうつもりならお門違いというか、あの――」
「出来たぜ。後は自分で着替えな」
俺は女の言葉を遮ってもう一度廊下に出た。
「着替えました」
女がドアから顔をのぞかせたので部屋に入った。麻のシャツに簡素なスカートとベストが違和感半端ねえ。特に豪華な金色の髪がこの女が町娘なんかじゃねえと主張している。
「とりあえず飯にしようぜ」
紙包みを一つ女に渡す。屋台で売っていた、パンに切れ端の肉や野菜を甘辛く味付けして挟んだものだ。
俺はどっかりとベッドに座り紙包みを開いた。
別の袋からエールを取り出しふと気が付いて女に「飲むか?」と聞くと意外にもこっくりと頷いたので一本渡してやった。
俺と同じように紙包みを開いた女は固まっている。俺がパンにかぶりつくと女も俺を見て同じようにパンにかぶりついた。ちいせえ口を一生懸命に開いてパンにかじりついている。俺が瓶に口をつけてエールを飲むと女も同じように口をつけてエールを飲んだ。
「! 美味しいです! カトラリーを使わない食事もこのような飲み物も初めてですがとっても美味しいし楽しいですね」
カトラリーが何かは知らねーけど、飯が楽しいっていうのもわからねえ。屋台で売っている食い物ややたら薄いエールは庶民の食事だ。まあこの国には庶民の食いもんでさえ手に入らない奴らも沢山いるけどな。お貴族様はもっともっと見たこともないような豪勢な食いもんを食っているんだろう。だけどこういうのも悪かねえ。女が楽しそうにはむはむ食っているのを見ていたら俺もなんだか楽しくなった。
俺の三倍以上の時間をかけて女は食べ終わり「ご馳走様でした、ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。あの馬車の中に積まれていたお宝の中から足がつきそうにない物を売っ払った金で買った食いもんだ。元はこの女の金だろう。お礼なんか言われると調子狂うぜ。
「あの、貴方のお名前は?」
唐突に聞かれてそう言えば俺もこいつの名前を知らねえなと気が付いた。
「ルカだ」
「ルカ様ですね」
「様なんかつけるんじゃねえ。ルカだルカ」
「はいルカ。私はクラウディア・ローザ・アルタウスと申します。アルタウス辺境伯領までよろしくお願いいたします」
俺ははーっとため息をついた。
「お前なあ……簡単に本当の名前なんか言うんじゃねえ。俺とお前は会ったばっかりなんだ、こういう時は適当な名前を言うんだよ。アルタウスってえことはお前は領主の娘なんだろう?」
「ええそうです。お父様には五歳の時から会っていませんけど」
「はあ? そりゃまた……いや、聞かねえ。お貴族様の事情なんて知らねえほうがいいに決まってらあ。それよりな、お前、俺がお前を誘拐してご領主様に身代金とか要求したらどうするんだ?」
女は、いや、なんだっけクラウ……なんたらアルタウスはきょとんとした後ふふっと笑った。
「次からは気を付けます。でもルカはいい人だから」
「おま……何言ってんだ! 俺がいい人なら王国のほとんどの奴はいい人になっちまうぞ! お前は考えが甘すぎるんじゃねえか?」
「ふふっそうかもしれません。でも私はルカを信頼するって決めたんです」
どうしたんだこの女は……最初馬車で会った時はもっと警戒心丸出しで噛みついて来たよな。命令口調だったし。それなのに今はこの女は、いやクラウ……なんたらアルタウスは……ああもうめんどくせえ!!
「名前、何だっけ」
「クラウディア・ローザ・アルタウスですわ」
「ローザ……ロージー……お前の名前はロージーだ。それから〝ですわ〟とか丁寧な言葉使いも止めろ。俺が連れて行くんならお前は平民のロージーだ。お貴族様として旅をしたいんなら俺とはここでお別れだ。自分で護衛でも何でも雇うんだな」
「わかりましたわルカ。ではなくって……わかったわルカ。私はあなたと旅がしたいの。だからよろしくね。ふふふっ」
女はじゃねえロージーはやけに上機嫌だ。ん? 顔が赤いか?
「お前、もしかしてあれくらいのエールで酔ったのか?」
「うふふ、お前じゃないわ、ロージーよ。自由なロージー。嫌いな人に微笑まなくてもいいロージー。無視されても馬鹿にされても平気なふりをしなくてもいいロージーよ。ふふふっ」
はーっ……俺はもう一度ため息をついてロージーをベッドに押し込んだ。
「わかったからもう寝ろ」
かなり疲れていた筈だ。ロージーはベッドに入るとすぐに寝息を立て始めた。
なんでこんな面倒な奴と関わっちまったんだろう。これからの苦労を考えて俺はげんなりした気持ちになった。げんなりしている筈なのに不思議と気持ちは軽かった。なんか少し温かかった。
ロージーを連れて旅をして五日ほど過ぎていた。
王都からアルタウス辺境伯領までは馬車で二十日ほどかかる。馬車では。騎馬じゃもう少し早いが馬に乗り慣れた奴限定だ。貴族や大金持ちの商人、行商を生業としている奴らは自前の馬車を持っているが、一般の平民はもちろんそんなものを持っていない。そもそも平民はそんなに遠くまで出かけることがない。隣町ぐらいまでなら歩いていくし、荷馬車に乗せてもらうこともある。峠や大きな森を越える時だけ乗合馬車に乗ったりする。
俺とロージーは馬に荷物を括り付け二人乗りしたり、ロージーだけ乗せて俺が馬を引いて歩いたりしながらアルタウス辺境伯領を目指していた。馬はそんなに足が速くなくても馬力のあるやつに変えた。
多分アルタウス辺境伯領までひと月、いやもう少しかかるかもしれねえ。アルタウス辺境伯領はこの王国の北の端だ。俺たち盗賊が街道を走る馬車に襲い掛かったのは王都の西南の山道だ。ロージーはアルタウス辺境伯領に帰る途中だったと言ったがどうして真逆の場所に居たのかはわからねえ。ともかく北に向かうことにしたが俺の元の盗賊仲間が探してるかもしれねえ。そこで王都を大きく西に迂回してなるべく山間を通り、野宿をしながらここまで来た。
もう仲間に見つかる心配は少なくなっただろう。俺はやっと確信して今日は少し大きな町の宿に泊まることにした。これから先どっかで鉢合わせするかもしれねえがそん時はそん時だ、返り討ちにしてやる。
何よりロージーが限界だった。
不平も不満も言わなかった。見るものすべてに興味を示し楽しそうにしていた。だけど手づかみでものを食べたことも無い、身の回りの世話は沢山の使用人がしてくれるお貴族様のお嬢様だ。身体にどんどん疲れが溜まっていくのがわかった。
そうしてある町に着き宿を探している時だった。
「クラウディア嬢?」
すれ違いざまに声を掛けられた。声を掛けたのは高そうな服を着た若い男。俺と同じくらいか? なまっちろいひょろモヤシだ。
ロージーはビクッとして振り返っちまった。
「ああやっぱりクラウディア嬢だ! 生きていたんだな! その恰好は? ああ、いやそれは後でいい。私と一緒に――」
ひょろモヤシはロージーに駆け寄る。ロージーの正体に確信を持っていた。
まあそりゃそうだな、町娘の格好も少しは馴染んできたがちょっと注意して見りゃ肌の白さなんか全然違う。腰まである黄金の髪は三つ編みとやらに纏めて大きなスカーフを被っちゃいるが隠しきれていねえ。何より近くで顔を見られたら金の瞳でロージーの正体は容易にわかっちまうだろう。
これだけ綺麗な金の髪も珍しいが金の瞳なんて俺は今まで見たことがねえからな。
ロージーは俺の後ろに身を隠した。俺の手に縋りながら震える声で言う。
「……人違いですわ」
ロージーの固い顔を見て俺はバックレることに決めた。
「ロージー、行くぞ」
俺はロージーの肩をグイッと押して背を向けようとした。
「ちょっと待ってくれ、陛下が外遊中だから正式発表はまだだけど君は死んだことになっているんだよ」
「死んだこと?」
俺が呟くとひょろモヤシはちらっとこっちを見たが無視をしてロージーに話しかけた。俺の事は平民の使用人とでも思っているんだろう。平民は同じ人間だと思わないお貴族様らしいヤツだ。
「クラウディア嬢、エドゥアール殿下が私たちに言ったんだ。『クラウディアが南の離宮に向かう途中で盗賊に襲われ亡くなってしまったんだ。クラウディアは私に婚約破棄を突き付け離宮に出かけてしまった。恋人がいたのかもしれない。ああ、こんなことになるなんて』って。殿下はとても悲しそうだった。今王宮中その話で持ち切りだよ。もちろん私はそんな事信じていない。さあ、私と一緒に帰ろう。私が貴方の力になってやろう」
親切そうな口ぶりだけどロージーの事を嘗め回すように見ている奴の好色そうな目つきが気に入らねえ。それにこいつはロージーの事を蔑んでいやがる。言葉の端端でわかるんだ。
「本当に人違いです。失礼しますわ」
ロージーはひょろモヤシを見てきっぱり言った。今度こそロージーは俺の腕を掴んだままひょろモヤシに背を向けた。
「あっ! おい! そんな噓通じると思うなよ! 私を頼らなかったこと後で後悔することになるぞ!」
ひょろモヤシがロージーの手を掴もうとしたから俺はナイフをちらつかせてガンを飛ばしてやった。
「野良犬風情が騎士気取りか! 身の程をわきまえるんだな」
ひょろモヤシは悪態をついたけど追っては来なかった。
「後で後悔ですって。後でするから後悔なのでしょう。笑っちゃいますわ」
ひょろモヤシから十分離れるとロージーがそう言って笑った。カラ元気で平気そうに振舞っているけど声が震えてるぞ。俺の腕を掴んだ手がびっくりするほど冷てえ。
「お前、『ですわ』口調で喋ってんぞ」
ロージーの目がまん丸になった。