第八十二話 分かれ道【ルージュ】
『明日は広場に連れていってあげるね』
優しい声が聞こえる。
男の人・・・誰だろ・・・。
『早くお喋りできるようになるといいね』
知ってる人な気がする。
・・・でも、思い浮かぶ誰とも違う。
『ルージュ、赤にしてよかったね。兄さんに似合うのは・・・どんな色だろ?』
・・・お兄ちゃん?
『今日は風が気持ちいいね。ルージュもそう思う?』
きっとそうだ。
なんだ・・・わたしにはお兄ちゃんがいたんだね・・・。
『ルージュ、君はオレのかわりにやりたいことをしないとダメだよ?』『君が危ない時は兄さんが助けてあげるからね』
お兄ちゃんはずっとわたしに話しかけてくれている。
どんな顔をしているのか見たいのに、感じるのは声だけだ。
『ルージュ、早くお兄ちゃんて呼んでほしいな・・・』
急に寂しそうな感じに変わった。
答えてあげなきゃ・・・。
◆
「ルージュ、もう起きる時間だよ」
わたしの体が優しく揺らされてる。
・・・お母さんの声だ。
じゃあ・・・さっきのは夢か・・・。
「どうしたルージュ・・・泣きながら寝ていたのか?」
目を開けると、お母さんの顔がぼやけていた。
「具合が悪いのか?」
「ううん・・・大丈夫。おはようお母さん」
心配そうな声だってわかったからすぐに涙を拭いた。
夢のせいかな?
でも、恐いのでも悲しいのでもなかったのにどうして泣いちゃったんだろ・・・。
「本当に大丈夫か?」
「うん、早くぎゅっとして」
「ああそうだな。おはようルージュ、愛しているよ」
朝起きた時と、夜寝る前は必ずこれがある。
愛っていうのがどういうものなのかはよくわかんないけど「大好きだよ」って気持ちはわかる。
だから、わたしもお母さんを愛しているんだろうな。
「母さんはパンの様子を見ないといけない。ルージュは顔と手を洗ってからくるんだよ」
「はーい」
開いた扉からいい匂いが入ってきてる。
お母さんが捏ねたパンは、むちむちしててとってもおいしい。早く顔を洗ってしまおう。
今日は、わたしにとって特別な日だ。
お母さん・・・喜んでくれるかな?
◆
「なんだと・・・」
お母さんの目が細くなった。
ちょっと恐いけど、ちゃんと言わなきゃ。
「一人でお留守番をしてみたい」
「・・・」
「もう五歳だもん。立派なお姉さんだよ」
「・・・」
本当は、一緒に家を出てルルさんの所に行くってことになっていた。
だけど、今日だけは許してほしい。
「まだお留守番は早い・・・」
「夕方まででいいの」
「夕方・・・」
「セレシュだって、一人でお留守番したことあるって言ってたから大丈夫だよ」
セレシュの話は嘘じゃない。おばさんがお魚を買いに行ったほんのちょっとの時間だって聞いた。
「一人ぼっちになるんだぞ?」
「それがお留守番でしょ?」
「寂しくなったらどうするんだ?」
「ならないよ」
「きっと泣いてしまう・・・」
「泣かないもん」
お母さんはわたしを諦めさせたいみたい。
でも、なにを言われても今日だけは絶対にお留守番をするんだ。
「お母さん、そろそろ出ないといけないんじゃないの?」
だから朝を食べ終わって、あんまり時間がない時に話した。
たぶんうまくいく・・・。
「そうだが・・・お前を残してはいけない」
「明日は戦場があるんでしょ?早く訓練場に行かないと」
戦いの前の日、わたしは朝からルルさんの所に預けられる。
お母さんが迎えに来るのは次の日の朝だ。
「やってみたいの。お願いお母さん・・・」
「ルージュ・・・」
「わたしはらいじんの娘だから大丈夫だよ。一人でお留守番させて」
夢のお兄ちゃんもやりたいことをしていいって言ってた。
だからお母さんが「いいよ」って言ってくれるまでお願いする。
◆
「・・・いいか。誰が呼んでも、誰が扉を叩いても絶対に出てはいけない。すぐ近くに家も無いから、誘拐されても誰にも気付いてもらえないからな」
やっとお留守番を許してもらえた。
でも、約束をしないといけないみたい。
「絶対に出ない、アリシア隊長は訓練場に行ってください」
わたしは胸を張って答えた。
隊長さんなのに遅れて行ったら笑われるんじゃないかな?
「それと・・・退屈だからといって外に出てはダメだ」
「だ、大丈夫だよ」
う・・・お母さん、なにかわかったのかな?
「ルージュくらいの子を連れ去ろうとした者がいるらしい。遠いところに売られてしまったら嫌だろう?」
「やだ」
「外に出なければ大丈夫だ」
む・・・でもわたしはかけっこも速いし大丈夫だもん。
「約束通り夕方までだ。夜はルルのところに行くから着替えを用意しておくんだよ」
「わかった」
「いや・・・着替えは服だけじゃないぞ、前に下着を忘れていたな。・・・あとは櫛と髪留めと・・・枕も用意して・・・」
「全部できるよ!ほら、いってらっしゃーい」
わたしはお母さんのお尻を押した。
こっちだって急がないといけないんだから・・・。
「ルージュ、母さんはお前のやりたいことはできる限りさせてあげたい。でも、心配だけはさせないでほしいんだ」
「大丈夫だよ」
「じゃあ、母さんが扉を閉めたらすぐに鍵をかけるんだよ」
「はーい」
扉が閉まった。
言われた通り、ちゃんと鍵をかけないとね。
「ふー、やっと行ってくれた」
「絶対に開けてはダメだぞ。刃物も触らないように」
「わあ!!」
「じゃあ行ってくるからな・・・」
お母さんの走り出す音が聞こえた。
・・・もう大丈夫かな。
◆
「ふっふーん。これで夜の準備は終わり」
急いでお泊まりの支度を済ませた。
あとは・・・お出かけの支度だ。
わたしはこれからお花を買いに行く。
『お父さんにお花をあげるの?』
『ルージュも・・・お母さんに・・・お花贈ったらいいよ』
セレシュが教えてくれたこと・・・。
『どうして?』
『戦いとか、旅とか行った人が・・・帰ってきてくれるおまじないって・・・絵本のお話であった・・・』
お母さんの行く戦場っていう所は強い人しか出られない。それでも死んじゃう人がたくさんいる。
『お母さんは死んじゃったりしない?』
『母さんは・・・ルージュを残して死んだりしないさ』
『本当?』
『本当だ。それに・・・母さんは戦場を終わらせないといけないからな』
去年に聞いた時はそう言って笑ってたけど、この前の戦場から帰ったあとは元気がなかった。
『どうしたの?』って聞いたら『大切な人が死んでしまった』って、初めてお母さんの涙を見た。
戦士の人かはわからないけど、その人のお墓に行ってくるって出かけたときもあったな。
わたしも大好きなお母さんが死んじゃったらずっと泣いちゃう。だからセレシュから聞いたおまじないを試してみようと思った。
でも一緒にお出かけしてる時に買ってもおもしろくない。喜んだり、褒めたりしてほしい。
「ルージュは立派なお姉さんだな」なんて言ってもらったりして・・・。
「えーとお金は・・・たぶん足りるよね」
お手伝いをするとたまにお駄賃がもらえる。おまじないを知らなければお菓子を買うつもりだった。
「百・・・二百・・・三百エール」
たしかりんご一つが百五十エールだから、お花くらい買えるはずだよね。
「あとは着替えないと・・・」
知っている人に会ったらお母さんに告げ口される。
顔・・・というか髪の毛が見えないようにしないとダメだ。
◆
「これで・・・いいよね」
大きな帽子の付いたケープを着て、鏡の前に立ってみた。
あったかい赤、お気に入りだ。
「ちょっと前が見えづらいけど・・・これなら誰にもわたしだってわからないな」
髪の毛はわたしの目印だってみんなから言われてる。
お母さんと同じプラチナの髪の毛、似たような色の人はたくさんいるけど、太陽に当たった時の光り方が違うってセレシュが言ってた。
わたしが迷子になっても、お母さんは髪の毛を頼りにすぐ見つけてくれる。わたしもお母さんの髪は遠くからでもわかる。
「でも今日は隠さないと・・・。あ、前髪が出たらダメだから留めないと・・・。うーん・・・もっと深く被ろう。ふふふ、お話の魔法使いみたい」
もう一度鏡で見た。
顔に影ができて鼻から下しか見えない・・・これで大丈夫だ。
前が見えない時はちょっとだけ帽子を持ち上げればいいよね。
「あ・・・これはどうしよう」
お化粧台には、綺麗なブローチが置かれている。わたしが生まれる前に、病気で死んじゃったお父さんが残してくれたもの。
付けてると、お父さんが一緒にいてくれてるような気持ちになって安心する。
『実は、お父さんがお前のために作ってくれていたものがあるんだ』
突然渡されたっけ・・・。
『お父さんの友達だった人が預かってくれていたんだよ』
『あ・・・お母さんの指輪も?』
『・・・そうだよ』
あの時のお母さんはちょっと寂しそうだったな・・・。
『あら綺麗ね。・・・買ったらかなり高いわよ』
ルルさんに見せたら言われたこと・・・。
「失くしたら嫌だからおいていこう」
お母さんと一緒の時は付けるけど今日は一人だ。
もし落としたり、盗まれたりしたらって考えたら持っていけない。
「ごめんねお父さん、今日はお留守番してて」
顔も知らないけど、きっと優しい人だったんだと思う。
・・・会ってみたかったな。
◆
「お母さん喜んでくれるかな」
大通りのお花屋さんは他のお店よりも開くのが遅い、それに合わせて外に出た。
明日からなぎの月・・・だっけ?もうすっかり秋、鼻から吸い込んだ空気も不思議な香りがする。
「きゃっ」
急に強い風が吹いて、帽子とスカートがふわりと持ち上がった。
「いけない、いけない」
ちょっとだけドキドキした。
・・・どうしてだろ?
「でも・・・なんかいいことありそうだな」
お母さんが帰ってきたらお花を渡して・・・セレシュにも教えてあげよう。
よし、行くぞー。
◆
まっすぐ行って、赤い屋根の家を右に曲がる・・・。そこから・・・服屋さんがあって・・・。
お花屋さんは大通りの奥の方にある。
お買い物の時に何度も見てるからきっと大丈夫だ。
それに、憶えていた通りに角を曲がるとちゃんと見たことある場所に出る。
「なんだ・・・一人でお出かけも簡単だね」
もうわたしはちゃんとお姉さんになれてる。
嬉しくて、なんだか足も軽い。
◆
「えっと・・・この看板は右だったかな?左だったかな?」
わたしの足が止まってしまった。
分かれ道・・・赤い柱があって明るい右か、青い柱があってちょっと影のある左か・・・。
暗い道を通ったような気もするし、ずっと明るかったような気もする。
あと何回か曲がれば大通りに出るはず・・・。じゃあ、どこからでも行けるんじゃないかな?人も増えてきたし、どっちかに行けば大丈夫だよね・・・。
「よし、右に行こう」
なんとなく赤い柱の道を選んだ。走っていって、間違ってたら戻ればいいからもう考えないようにしよう。
◆
「きゃっ」
選んだ道の角を曲がったところで、誰かにぶつかってしまった。
あ・・・これ転ぶ・・・。
「うう・・・」
わたしの体は跳ね返されて尻もちをついた。
お尻・・・痛い・・・。
「大丈夫?ほら、掴まって・・・」
目の前に手が現れた。
・・・掴んでいいのかな?
「ケガはしてない?」
「・・・はい、ごめんなさい」
あったかい手だ。それに、寝る前のお母さんみたいに優しい声の男の人。
あれ・・・どこかで聞いたことあるような・・・。
わたしは顔を上げた。
帽子のせいでどんな人か見えない。
「あ・・・」
「どうしたの?道を曲がるときは走っちゃダメだよ」
いつか・・・お母さんに話したこと・・・。
『かっこよくって』
かっこいい・・・。
『背も高くて』
お母さんよりも高い・・・。
『髪の毛は?』
わたしと同じプラチナの髪色、目の前にいたのはそんな男の人だった。




