第四百十三話 踏み台【ルージュ】
勝てるなんてほんの少しも思ってない。
・・・わたしは、自分ができることをするだけだ。
お兄ちゃんと一緒に・・・。
◆
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
小さくなったお兄ちゃんの頭に触れた。
一緒にいてはほしいけど、疲れてるなら休んでもほしい。
「大丈夫だよ、これが終わったらまた寝る。それに気に食わないけど、疲労はジナスが取ってくれるってさ」
「そうなんだ・・・」
「だから心配無い。一緒に戦うよ」
「うん・・・ありがとうお兄ちゃん」
ジナスさんって、優しいのかどうかわかんないんだよね・・・。
いや・・・精霊さんたちを消したから優しくはない・・・。
今はなにも悪さをしていないけど、絶対に気を許してはいけない存在だ。
「どうした?恐い顔して」
ユウナギがわたしの肩を抱いてくれた。
そっか、そんな顔してたんだ・・・。
「もっと力抜いてった方がいいぞ」
「うん・・・ありがとう」
まだ闘技盤は直らない。
でも気持ちはできているからいつでもいける。
◆
「さあ、そろそろ闘技盤も元通りですね。ティムとルージュは、それぞれの入場口で待機をお願いします」
・・・もうじきだ。
わたしはずっと入場口にいるから、遅れたりなんかしない。
「あなたの方が知ってると思うけど、彼はとても強い。今から気を張っておくことをお勧めするわ」
ケイトさんが来てくれた。
「はい、わかっています」
「いい試合を見せてね」
「はい」
嬉しい・・・。
「あなたが勝てるとは思えないけど、情けない負け方はしないでちょうだい」
シェリルさんにおでこをつつかれた。
・・・まだ一人だと勝てなさそうだ。
「せめて一撃くらいは入れなさい」
「頑張ります」
「やるのよ」
お尻を叩かれた。
気持ちいい・・・。
「はい!やります!」
わたしもすぐに負ける気は無い、勝てなくても誇れる試合をしよう。
「ルージュ、ここで見守っているからな」
お母さんも来てくれた。
・・・さっきのこと、ちょっと聞きたかったんだよね。
「ねえ、お母さん。お兄ちゃんとは・・・どのくらいよかったの?」
「・・・気を失うほどだ」
「やめろ・・・」
とっても低い声がわたしの耳に入り込んできた。
そんな怒らなくても・・・。
「ティムはすぐ終わらせに来るかもね」
ステラさんが恐いことを言ってきた。
・・・それはちょっとやだな。
「話してきたんですか?」
「頑張ってねって言ってきただけよ」
「じゃあなんでわかるんですか?」
「素手素足だったから」
そっか、わたしに対しても本気で来てくれるんだ・・・。
「ふふ、熱くなってきたのね。気持ちよくなりたいんだ?」
「そ、そんなことないです・・・」
なんでわかったんだろ・・・。
変な顔してたかな?
「お姉様、ティアナさんとイザベラさんはあっちにいるんですか?」
ユウナギが一歩前に出た。
背中で指を立てたのを気付いてくれたみたいだ。
「ティアナは子どもたちと闘士の観戦席にいるわ。近くで見せてあげたいんでしょうね。イザベラはジェイスと一緒にティムを送り出すみたいよ」
「あっちの方が人は多そうですね」
「そうね。元戦士とおじいちゃんもいたわ」
みんなに声をかけてもらえて嬉しいだろうな。
・・・きっとすごくいい顔で出て来てくれるはずだ。
◆
「それでは、二人に入場していただきましょう!!!」
ついにこの時が来た。
みんな励ましてはくれたけど、ちょっと足りない。
ティムさんに胸を叩かれてないから・・・。
「堂々とな」
「・・・はい、ニルス様」
勇気をくれる声を合図に歩き出した。
◆
「ルージュの登場だーーー!!!!みなさん、もっと声を!!!!!」
光の下に出たと同時に、めまいがしそうなほどの歓声がわたしにぶつかってきた。
みんななにを言っているのかよくわからない。
かろうじて聞こえるのは、わたしの名前くらいだ。
・・・わたしが勝ち上がったのは、運が良かったのもある。
それでも、応援してくれる人たちには応えてあげたいな。
「ティムも姿を見せました!!女の子をいじめたら許しませんからね!!!」
わたしよりも堂々と歩いてくる人影が見えた。
さっきのお母さんたちみたいな強い殺気は無い。
でも「油断なんか絶対に許さない」って雰囲気を纏っている。
「飲まれないようにな。鐘が鳴ったら一瞬で目の前に来ると思え」
「はい」
「どうしても勝ちたいなら・・・泣き落としくらいか」
「そんなことしません」
しても、今のティムさんには通用しなそうだし・・・。
◆
「気の組はぬるい奴ばっかで退屈だったろ?」
向かい合うと、いつものティムさんが顔を出した。
自然体なのに臨戦態勢・・・すごいな。
わたしの最速で剣を抜いても、絶対に間に合わせてくる。
「ぬるくなんかなかったです。やっと勝てたんですから」
「まあ、ここで終わりだけどな。悪いけど踏み台って奴だ」
その通りではあるけど、ただじゃ終わらない。
「いいですよ。わたしを踏み台にしてお兄ちゃんの所に行ってください」
「あ?勝つ気で来いよ。そんなんじゃおもしろくねーだろ」
「安定した踏み台だと思わないでください。うまく乗らないと転んじゃいますよ」
「なら・・・動かなくすりゃいいな」
とっても物騒な言葉に聞こえる。
でも、熱が上がってきた。
「その顔さ・・・ユウナギ以外には見せんな」
「へ・・・」
「メスの顔っつーのかな・・・。変態じゃねーんだからさ」
「そ、そんな顔してません!」
言い返したけど自信はあんまりない。
これは仕方ないんだと思う。
でも・・・あとでユウナギには聞いておこう。
「両者、開始位置についてください!!」
・・・認めたくはないけど、気持ちと身体が今までにないくらいに期待している。
でも、始めるためには・・・。
「じゃあティムさん、よろしくお願いします!!」
わたしは胸を突き出した。
これが無いとね・・・。
「ふざけんな・・・」
「お願いします!!」
「誰かにやってもらってねーのか・・・」
「ティムさんのが無いとダメです!!」
これから戦う相手でも関係ない。
殺し合うわけじゃないし・・・。
「はあ・・・全力で来いよ?」
ティムさんの拳が胸を打ってくれた。
心臓が大きく震え出して、血が熱く滾ってくる。
「は?おいティム!!!なにしてんだ!!!!」
ヘインさんの怒鳴り声が響き渡った。
あんな喋り方の人じゃないのに・・・。
「絶対に許さねー!!今すぐ棄権しろ!!!いや、失格だ!!!すぐに闘技盤下りろ!!!!」
はっきり聞こえるのはヘインさんの声だけ・・・。
でも似たような怒号が観客席から飛ばされてきている。
「お前・・・俺をハメたな?」
「違います。なので何を言われても気にしないでください」
「してねーよ。・・・どうせ口だけだからな」
ティムさんはたくさんの悪口を受け流せるくらい強い。
たぶん・・・子どもの時で慣れてしまったんだろうな。
「ああそうだ・・・。おいニルス、ルージュが恥かかねーようにしっかり指示しろよ」
振り返ったティムさんが、からかうように言った。
嘘・・・。
「なんでバレたんだ・・・」
ニルス様も驚いている。
「に、ニルス様はここにはいません!!」
「ずっと二人がかりだったろ?匂いでわかんだよ」
ティムさんが離れていく。
匂いって・・・そこまで好きなんだ・・・。
「まあ・・・気付いてて黙ってくれてるんだ。お前の味方ってことだな」
「匂いを憶えられてるんですね。石鹸ですか?」
「余計なことを考えるな。早く移動しろ」
たぶん、そうだよね・・・。
◆
わたしは胸を張って開始位置に立った。
まだかな・・・。
「取り乱して申し訳ありませんでした・・・」
ヘインさんは少しだけムっとした声になっていた。
・・・ミランダさんにぶたれたみたい。
でも、これで始まる・・・。
「いい状態だな。どっちも抜いて構えろ」
「はい」
左手に胎動の剣を、右手に栄光の剣を持った。
「では準決勝第二試合・・・開始です!!!」
鐘が打ち鳴らされて、周りの音が消えた。
これはしっかり集中できているってことらしい。
◆
「跳べ、右だ!」
ティムさんは本当に速かった。
ニルス様が言っていたように、鐘が鳴った直後には目の前まで迫っていた気がする。
「払いが来る!足が付いたらすぐ流せるようにしろ!」
宙に浮いていたほんの少しの瞬間に、すぐ次の指示がきた。
・・・返事をする暇も無い。
「く・・・」
払いを受け止めてしまった。
・・・力が強すぎる。
これ・・・まずいかも。
「無理だ・・・。気を失わないように、受け身だけは絶対に忘れるな」
打つ手は無いみたいだ。
これから来る攻撃は耐えなきゃいけない・・・。
「あ・・・」
受け止めた剣が弾かれて、わたしの体が大きくのけぞっていく。
ああ・・・もっと腰を落としておけばよかったな。
考えている間に首を掴まれた。
すぐに景色が変わって、目に映ったのは空・・・。
叩きつけられるのか・・・。
でも耐えたら気持ちいいのがきそうだ・・・。
「なんてな・・・」
予想していた痛みや衝撃、期待していた快感は無かった。
あれ・・・。
「早すぎんだろ。立てよ」
首を掴まれていた手が離れた。
・・・もう少しだったのに。
「・・・舐められてるな」
ニルス様の声は嬉しそうだ。
おあずけされたわたしは、ちょっと気分が悪い・・・。
「ティムはまだ終わらせない気だ!!いたぶる気だったら絶対に許さないぞ!!!」
ヘインさんの声と同時にすぐ体を起こした。
「わたしを・・・いたぶるんですか?」
「んなことしねーよ。お前の全力、引き出してやろーと思ったんだ」
「全力?」
「いいから来いよ」
ティムさんが剣を構えた。
・・・なにを考えてるんだろう?
「なるほどな・・・。攻めろ、殺されはしない」
「はい!」
ニルス様はティムさんの意図がわかったみたいだ。
なんか気になるけど、今は指示に従うしかない。
◆
「すごいぞルージュ!今度は互角に打ち合っています!!」
不思議な気持ちになってきた。
欲しいところに攻撃が来るし、流したあとの反撃も綺麗に決まる。
もちろん、わたしも斬られたり打たれたりはする。だけどそれも「ここで受けよう」と思った場所に吸い込まれるように来てくれる。
ティムさん相手では理想と現実に大きな差がある。
その隙間をすり抜けていくしかなかったはずなのに、思い描いた通りに繋がっていた。
すごくいい、実力差はそんなに無いんじゃ・・・。
前向きな気持ちが強くなってきて、どんどん体温が上がっていく。
「まるで演武を見ているようです!これが水神ルージュの戦い!!舞うように!!流れるように!!とても美しい動きです!!!」
そう、それができている。
思った通りになっているから気持ちいい。
「だいぶ良くなってきたな。じゃあ・・・こいつはどうだ!」
思わせぶりな踏み込みから、鋭い突きが放たれた。
「できますよ!」
左手の胎動の剣が、シロガネの切っ先に触れた。
擦れ合う二つの刃が鳴き声を上げ、空へと突き抜けていく。
「ここです!」
シロガネを弾いて踏み込んだ。
擦れ違い・・・相手を舐めるように・・・。
「ああ・・・」
すごい、こんなにうまくいった。
ここまで気持ちいいのは・・・初めてかも。
◆
「おい、顔緩み過ぎだ。直せ」
ティムさんが距離を取った。
緩んでたかな・・・。
「・・・よだれもだ」
「はっ・・・」
口元から垂れてもいた。
なんてはしたないことを・・・。
「・・・そんなによかったか?」
「・・・はい」
「まだできるな?」
「できます!」
もっと・・・もっとティムさんが欲しい。
「しばらく口は出さない。思った通りにやってみろ」
「はい!」
ニルス様がわたしを信用してくれている。
勝てちゃうかも・・・。
「さあ、もっと来てください!!」
「嬉しそうな顔しやがって・・・」
ティムさんが消えた。
あれ・・・さっきまでよりも速い・・・。
「少しずつ速くしてきたんだ。見えるようにはなったな」
お腹に脚が撃ち込まれて、わたしの体が浮いた。
嘘・・・全部ティムさんの思ってた通りになってただけ・・・。
「体・・・ちゃんと付いてくるみてーだな」
追撃は遅めだったからなんとか凌げた。
「あとは痛みか・・・。めんどくせー身体だ・・・」
「何を・・・ぐ・・・」
お腹に肘が入り込んできた。
痛みと気持ちいいので全身が痺れる・・・。
「はああ!!!」
だからすぐに反撃ができた。
胎動の剣はティムさんの太ももを切り裂き、見惚れるほど真っ赤な血が流れている。
「調子出てきたな。もっとやるぞ踏み台!」
「まだなりません!!!」
叫びはやっぱり効かない。
それでも熱い体が、全身を巡る血が、思ったようにやれって言っている。
◆
長いような、短いような、時の流れがわからなくなっていた。
もう何度打ち合ったのか、何度殴られたのか、何度気持ちよくなったのか・・・よくわからないや・・・。
「最初と同じ攻撃だ!やってみろ!」
ニルス様の声も久々に聞いたような気がする。
「いいな・・・追いついてきやがった」
初撃と同じように右へ跳んだ。
そして今度は余裕で流せる。
「遅くなってますよ!!」
踊り・・・滑るように・・・。
身体に沁み込ませた動きは自分でも美しいと思う。
「はあ・・・はあ・・・」
決まったのはいいけど、呼吸が辛くなってきた。
こんなに長く戦えたのは初めてだからかな・・・。
それに、なんだか喉も渇いてきてる。
水を・・・出し過ぎたから?
「・・・大丈夫か?俺はまだ遊んでやれるぞ」
「遊ぶ・・・ふー・・・ふー・・・」
「あはは、遊び疲れた仔猫だ」
ティムさんは息一つ切らしていない。
なんだこれ・・・。
「お前、こういうの気持ちいいんだろ?」
「え・・・えっと・・・」
「せっかくここまで勝ち上がってきたんだ。アリシアみてーに意識飛ぶまでやってやろうと思ったんだよ」
う・・・なんか弄ばれていたって感じだ。
つまり・・・お兄ちゃんも気付いてたってことか。
でもティムさんなら・・・『お兄ちゃん』なら・・・許せちゃうな。
「あの・・・もっと・・・欲しいです・・・」
「ふーん、まだできんだ?」
「最後は・・・一番強いのをください。そしたら・・・安定した踏み台になれます・・・」
「お前も変態だな・・・」
罵られてるのにそんなに嫌じゃない。
わたしって、どんな女の子なんだろう・・・。
「ニルス様・・・わたしって変態なんですか?」
「オレは家族とそういう話はしない。ステラかミランダに聞いてくれ」
どっちにも聞きたくないな・・・。
◆
「・・・お前のおかげで決勝まで行けるよ」
胎動の剣が弾かれた。
「最高級踏み台ですから!!」
栄光の剣も・・・。
それでも・・・まだこの人は全力じゃない・・・。
「壁まで飛ばすぞ・・・。知らねーからな?」
ティムさんの腰が大きくひねられた。
来る・・・すごいの・・・。
「これ以上は・・・ユウナギにしてもらえ。そっちだと俺は踏み台にしかなれねー」
全身を駆け巡る快感に包まれて、わたしは目を閉じた。
ユウナギ・・・もっとすごいのをくれるのか。
ああ、早く・・・欲しいな・・・。




