第三百八十九話 強がり【ニルス】
「ニルス、セイラの所には行きたくないと言ってくれ」
悲しそうな顔の母さんに抱きしめられた。
力が強い・・・。
「あのさ、消えるわけじゃないんだから・・・」
もう会えないみたいな雰囲気出すなよ・・・。
『ニルス、母さんも・・・取り戻したいな』
まあ・・・仕方ないよな。
『・・・お前と息子が言葉を交わす日は来るかもしれない』
ティアナには希望ができた。
自分は・・・なんて考えてしまったんだろう。
いくら悔いても取り戻せない・・・って感じかな。
そういう状態なら、迎えが来るまでは抱きしめられていよう。
◆
「ちょっとお姉ちゃん、早くニルス貸してよ」
セイラさんがオレを取り返しに来た。
正直、もう自由にさせてほしい・・・。
「ジナスに頼んで、魔法陣を作ってもらったよ。これでティアナと話したい時に会える」
でも話すことはあった。
これで「じゃあ、またね」って言えたらいいんだけど・・・。
「おー、早いね。ありがとうニルス。・・・お姉ちゃん、早く離れて」
そっちよりもオレなのか・・・。
「セイラ・・・ニルスは母さんとずっと一緒がいいと言っていた」
「そんなはずないよ。お昼前にわたしを送り出してくれるって約束したもんねー」
「ニルスはお前に気を遣っただけだ。・・・母親の私にはわかる」
「ふーん・・・本人に聞きましょ」
二人に見つめられた。
・・・めんどうだな。
「母さん、ちゃんと順番決めただろ?」
「・・・」
「拳を握るな・・・」
「私は・・・ティムの応援に行ってしまうぞ?ニルスよりもかわいい子だ」
母さんは口を尖らせた。
そんなんでオレが嫉妬すると思ってるのか?
「あら、それなら次の順番はもう無しでいいのね?」
「・・・ダメだ」
母さんの手から力が抜けた。
・・・負けを認めたみたいだ。
「あ、いたいたー。お母さーん」
シロが奥から走ってきた。
ちょうどいい・・・。
「シロ・・・母さんと一緒にいてくれるのか?」
「え・・・ごめんね、今から子どもたちを迎えに行くの」
「そうなのか・・・」
「でも、聞きたいことがあったから」
シロは自分から母さんに抱きついた。
顔を見て寂しそうなのを察したんだろう。
でも・・・すぐにいなくなるのか。
◆
「ケルトの・・・」
「うん、お母さんに必要なら・・・探してくるよ」
シロは母さんのためにできることを教えてくれた。
・・・父さんの記憶ね。
母さんはなんて答えるだろう?
「いや・・・探してこなくていい」
「え・・・」
「記憶があってもケルトはいない・・・。幸福な気持ちにはなれるかもしれないが、あとから虚しさや悲しさがやってくるだろう。その幸せ、悲しみ・・・一人では持ちきれない」
ふーん・・・。
「それは一人で暮らすようになるからだよ。火山に行かないでみんなと一緒にいれば・・・」
「もう決めたんだ。・・・気を遣わせてしまったな」
母さんはシロを強く抱きしめた。
悲しくはあるわけか・・・。
「自分の中にある思い出だけでいいってこと?」
オレも聞いてみた。
もう少しだけ知りたい。
「そうだ。そしてケルトの家・・・それだけでいい。それ以上は持てない」
「まあ・・・誰かに迷惑をかけるわけじゃないし。母さんがそれでいいならオレは何も言えない」
もう少しなんだけど・・・無理があったか?
よく考えたら危ないことがたくさんあるな。
一緒に住んでた方がよかったかも・・・。
「そんな顔しないでよ。明日はオレと戦うんでしょ?」
「ニルス・・・。ああそうだ、楽しみにしているよ」
「そんな感じで来たら一撃で終わらせる」
「一撃か・・・やってみろ」
母さんは雷神の顔を見せてくれた。
持ち直したか・・・この感じなら大丈夫だ。
「あ、お母さーん。見てー、衣装直ったんだよー」
ルージュ・・・とユウナギも現れた。
これで心配無いな。
「じゃあ、僕もう行くね。でも、やっぱり欲しいって思ったら言ってほしい」
「大丈夫だよ。子どもたちを頼むぞ」
「うん、またね」
シロは母さんの気持ちを汲んでくれたみたいだ。
言葉に偽りを感じなかったからなんだろう。
「あ・・・待ってシロ君、お願いがあるの」
「え・・・なに?」
「簡単なことなんだけど・・・」
セイラさんがシロの腕を掴んだ。
「ニルスとシロ君の二人で、わたしをぎゅっとしてほしいの」
「え・・・まあいいけど」
「ありがと」
セイラさんは膝を付いて、オレたちと目線を合わせた。
この状態でか・・・。
「・・・こんな感じ?」
「うん、ほらニルスも」
「・・・オレいる?」
「早く」
「うん・・・」
シロの反対側からセイラさんを抱きしめた。
恩人だし・・・これくらいなら。
「お・・・おおおおお!!!」
セイラさんが野太い声を上げた。
・・・怖い。
「な・・・なに?」
「漲る・・・漲ってきた・・・」
大丈夫かこの人・・・。
「勝てる・・・ティムの首を開始と同時に掻っ切って・・・」
セイラさんは不気味な笑みを浮かべている。
ティムがそんな簡単に急所を取られるとは思えないけど、セイラさんもそれができそうな雰囲気はあるんだよな・・・。
◆
セイラさんと一緒に東の入場口に来た。
繋いでいる手はとても熱い・・・。
「間もなくお昼も終わりです。残り六試合、最後まで声援よろしくお願いします!」
なんだか不思議な気分だ。
ルルさんに会って、そのあとルコウまで行って・・・長く感じたな。
「セイラさん、ティムさんは本当に強いですからね」
ルージュが自分のことのように胸を張った。
三人とも付いてきたけど、あっちじゃなくてよかったのか?
「わたしよりもティムのこと心配してあげなよ」
「今から行くんです」
「じゃああっちでは、セイラさんは本当に強いからねって言ってあげて」
「まあ・・・わかりました。お母さん、ユウナギ、早くティムさんの所に行こう」
ルージュは二人の手を引いて走り去った。
「ニルス、あとで迎えに行くからな!!!!!」
遠ざかる母さんの声が響いた。
脅しかよ・・・いちいち叫ぶな。
◆
「セイラ、お父さんの分も頑張ってくれ」
待っているとテッドさんが来てくれた。
さすがに娘の時には顔を出そうと思ったみたいだ。
「ニルスがいるから平気だよ」
「そう言うな。いくつになってもかわいいのさ」
「確認も取らないで勝手に仕事入れたよね?しかもタダ・・・わたし色々忙しいんだけど」
「アリシアの希望だ。少しだけ付き合ってくれ」
二人は母さんを火山まで送っていくことになっている。
テッドさんが負けたから代金は取らないらしい。
「まあ・・・しばらくお父さんと一緒に仕事って無かったから別にいいけどさ」
「街道の盗賊団は一緒に行ったはずだ」
「運び屋の方だよ」
「そうだな・・・」
テッドさんは遠い目をした。
たしかに一緒に出てるところを見たことは無いな。
「お前が小さい時は二人で色んな所に行った・・・」
「あ・・・思い出させるのは卑怯だよね。・・・仕方ないなあ。たまには外でお父さんとお喋りしながら寝るのも悪くないか・・・」
「久しぶりみたいな言い方だな。家にいる時は毎晩一緒に寝てるだろ」
「ちょっと!ニルスの前で言わないでよ!」
まだ一緒に寝てるのか・・・。
「ニルス、わたしはルージュとは違うからね。いつもそうだったからなんとなく続いてるだけ」
聞いてもいない言い訳が始まった・・・。
まあ・・・オレが口を出すことでもないか。
◆
「ねえニルス。妹のルージュみたいに、お姉ちゃんとも一緒に戦ってくれたりする?」
試合間近、セイラさんはこれから向かう闘技場を見つめた。
相手はティム・・・面白いかも。
「できるけど・・・セイラさんの戦いには口出ししないよ」
「いいってことね。でも・・・危なかったら言ってほしいな」
「漲ってるなら必要無いでしょ。でも、なんで急に?」
「まあまあそれは気にしないで。じゃあ、ちょっとだけ陰に行こうか。あ・・・お父さんも一緒に来て」
やるなら急がなければならない。
でも、理由はなんだったんだろう?
◆
「え・・・。なんで子どものままじゃないのよ!」
セイラさんは小さくなったオレを見て不機嫌になった。
ああ、そういうことか・・・。
「子どものまま小さくなるんじゃないの?」
「そんなこと言われても・・・」
「あ・・・せめて声だけはって思ったのに・・・」
嫌ならやめてもいいんだぞ・・・。
「セイラ、文句を言うな。ニルス、着替えは俺が預かっておくぞ」
「よろしくお願いします。あと・・・運営の人には言わないでくださいね」
「心配するな・・・もう時間だ。セイラ、嫌なら置いていけ」
「嫌とは言ってないもん。行くよニルス」
自分が戦うわけじゃないのに胸が高鳴ってきた。
相手がティムだからかな。
◆
闘技盤中央でセイラさんとティムが向かい合った。
・・・落とされないように襟をしっかり掴んでおこう。
「みなさん、一番悪いのはこの二人です!!あなたたちが試合を一瞬で終わらせたから、あとの闘士もそれに乗っかってしまった!!長いお昼休みは退屈でしたよ!!!」
ヘインは本当に怒っている。
まあ・・・予定がずいぶん早まったからな・・・。
「・・・だってさティム、あんたのせいだからね」
「俺はそんなつもりでやってねーよ」
「結果はそうなっちゃったわけだし、試合終わったあとで観客に謝っときなよ。・・・闘技盤舐めながらさ」
「ふーん・・・勝つ気でいんのか」
ティムは挑発に乗らなかった。
初めて会った時と比べるとかなり成長したけど・・・流すのはできないか。
「ティム君に追えるかなー。わたし・・・ニルスよりも速いよ?」
「そうかよ。なにが言いて―んだ?」
「瞬くその時には、もう終わりってこと」
「口だけじゃわかんねーよ。まあ、俺が勝つけどな」
「・・・」
セイラさんのうなじが逆立った気がした。
この人もけっこう熱くなりやすいみたいだ。
「ずいぶん自信があるみたいね」
「別に・・・ずっと待たしてんのがいるだけだ」
「残念だけど、もうちょっと待っててもらうことになるわね」
「言ってろ・・・」
ティムが背を向けた。
あとは実力で示すってことだな。
◆
「お二人とも、一瞬ではやめてくださいよ。それでは・・・試合開始です!!!」
鐘と共にセイラさんの脚が動き、腰に付けていた二つの短剣が抜かれた。
・・・一気に決める気だ。
「さっきとっても心が満たされた。なんでもできそうなんだよ」
オレに言葉を贈る余裕もある。
「ティムも向かってきてる。正面からじゃ弾かれるよ」
「平気平気、すぐ終わるよ・・・」
セイラさんは大きく息を吸い込み、空気を溜め切った所で踏み込んだ。
「すげー・・・さすがニルスの師匠だな」
ティムの余裕はまだ消えない・・・抜かれた剣は突きの構えに入っている。
こっちの動き・・・見えてるのか?
「落ちないでね・・・」
とても小さな声が聞こえた瞬間、目の前の世界が回った。
短剣とシロガネが触れ合った音・・・。
踏み込みに回転の力も加わり、訳がわからなくなってくる。
あーあ、後ろから見たかったな・・・。
「セイラの短剣はここからでも見えません!!それくらい速い!!武器は違えど、その動きは風神と似ているように思えます!!」
離れてても目で追えないのか・・・。
「しかし、ティムの剣からその軌道は見えてきます!」
ティムはそれをすべて捌いていた。
反撃は許されていないけど・・・大したもんだ。
「おめーもやべー女だな・・・」
「舐めんじゃないってこと!!」
僅かな会話・・・その隙間にセイラさんの脚がティムの腹にめり込み、鈍い音が鳴った。
「まだだよティム!」
吹き飛び、宙を舞ったティムにセイラさんは追いついていた。
「そこじゃ躱せないよね!!」
そして体をひねり、渾身の蹴りで叩き落とした。
この一瞬の中でいつやったのか、太ももに短剣が一つ刺さってもいる。
すご・・・たぶん、まだ影踏みは勝てそうにないな。
◆
「うそ・・・やば・・・」
セイラさんが腰を落として構えた。
かなりの痛みと衝撃、起き上がれたとしても時間がかかる・・・誰が見てもそう思うはずだ。
「まあ、打たれ強いからね・・・」
でもティムは叩きつけられたその直後には立ち上がっていた。
「いてー・・・たしかにニルスよりも速いな・・・」
そして、脚に突き刺さった短剣を他人事のように抜いている。
「効いてない」って言われたら信じてしまいそうなほどの余裕だ。
「ねえニルス、ティムの奴・・・見えてるよね?」
「そうだろうけど・・・」
「攻め、受け・・・どっち?」
「様子を見てるような余裕は無いよ」
「だよね・・・」
セイラさんの気配が変わった・・・というより、薄くなっている。
直接触れているオレも、気を張らなければ見失って置いていかれてしまいそうだ。
「これ、オレはできないかも」
「教えないけどね」
「別にいいよ」
「ごめん・・・ここからは何言われても相手できないと思う」
か細い囁きと共に、完全に気配が消えた。
◆
「お前・・・テッドより強くね?」
「・・・」
「戦士になってりゃよかったかもな。・・・なんか言えよ」
「・・・」
さっきよりも速い攻防、聞こえるのはティムの声だけだ。
・・・ここまで速いとは思わなかった。
追えてるの何人いるかな・・・。
「切り刻んでくれやがって・・・」
ティムの体に傷が増えていく。
見切れてはいるみたいだけど、体が反応しきれていない。
「はあ・・・鬱陶しーんだよ!」
纏わりつく風・・・今のセイラさんはそんな感じだ。
弾かれても、当たらなくても、ティムに向かう風。
狙っているのは首、もうバレてはいるけどこの速さではそんなもの関係無いみたいだ。
「そろそろ息継ぎしねーと倒れるぞ?」
「・・・」
「まだ余裕か・・・」
「・・・」
風はより勢いを増していく。
『それと真正面からなら、オレはセイラさんに負けない』
前に言っちゃったけど、とんでもないな・・・。
負けは・・・しないと思うけど、かなり厳しい戦いにはなる。
よく考えたら、風の始まりはこの人だ。
オレが教わったのはほんの少しだけ、例えるならそよ風くらいだったんだろう。
◆
「はあ・・・はあ・・・」
セイラさんが息継ぎに入った。
消えていた気配が戻ってきている。
「ティムが再び闘技盤に沈みました!!また立ち上がるのか、それともこれで決着なのか!!」
今度はどうだろう・・・。
「今のは鮮やかでした!!みなさんも魅せられたのではないでしょうか!!」
セイラさんの力強い払いが剣を弾き、守りを崩した。
「恐ろしい女性ではありますが、動きは美しいの一言です!!」
すかさず伸びた手が胸ぐらを掴み、一気に背負い投げ、背中から思い切り叩きつけた。
「しかも片手だけですよ!!見た目からは想像もつかない怪力です!!」
違う、腕じゃなくて腰だ。
「そして自分で踏み砕いた闘技盤の破片へ叩きつけることができました!!」
これは運が良かった。
より痛手を与えられたからな。
「どうニルス?お姉ちゃんは強いでしょ?」
「・・・余裕あるなら追撃」
「わかってるよ・・・」
セイラさんはまだ荒い息のままティムへ近づいた。
両脚を潰してしまえば・・・。
「あーあ・・・手袋と靴、脱いどきゃよかった・・・」
ティムが寝起きって感じで体を起こした。
そう・・・なんかそんな気はしてたんだよな・・・。
「えー・・・もうやだ・・・なにあいつ・・・」
「あいつは全力の時、素手素足になる。これで終わりじゃないっては思ってたよ」
「わたし・・・殺すつもりでやったんだけど・・・」
セイラさんは呆れた声で足を止めてしまった。
「どこで修業してきたんだろうね」
「めんどくさ・・・毒使いたいんだけど・・・」
戦意が消えかけてる・・・。
◆
「テッドはわかるけど、お前おかしーぞ」
ティムは立ち上がって、こっちに歩み寄ってきた。
痛みは・・・耐えてんのかな?
「危ねーことあるっつっても、運び屋がこんなつえーわけねーだろ」
「色々あるんだよ」
「戦い方も妙だ。お前殺しやってねーか?」
「失礼ね・・・」
正解・・・。
バカなのに変にカンはいい。
「・・・で、息上がってっけどまだやんの?」
ティムが剣を納めた。
気配の変化を感じたみたいだ。
「・・・疲れたから今回はやめとく」
セイラさんは短剣を納めて、両手を挙げた。
残念、もっと見たかったんだけどな。
胸が、心が熱くなっていた。
オレも戦いたい・・・。
◆
「な、なんとセイラが敗北を認めるようです!!まだまだできそうな雰囲気ではあるのですが・・・」
ヘインは名残惜しそうに観客たちに伝えた。
このまま続けたらどうなるか。
それはやってみないとわからないけど、確実にどっちか死ぬだろうな。
「あはは、一発も入れてねーのに勝っちまったよ」
ティムが薄ら笑いで煽ってきた。
あいつもまだ続けたそうだ。
「あんた・・・わたしを怒らせたからね。常に背後に気を張ってなよ?」
「は?」
「・・・真正面からじゃなきゃ、確実に殺せるからね?」
やめろよ・・・。
「それに、わたしよりもあんたの勝ちを願ってる人の方が多い。だから譲ってあげるだけだよ」
「ふーん・・・」
「何年待たす気?普通は愛想尽かされてるからね?」
「誰の話だよ・・・」
エリィさんに決まってるだろ・・・。
本当に何年待たしてんだよ。
「闘士セイラ、運営はあなたの宣言を受け入れますが・・・理由を聞かせていただきたいです」
ヘインは困り顔だ。
見た感じ、どっちもまだ戦えるからな。
◆
「観客の皆さんに説明してください」
運営の男が上がってきて、セイラさんに魔法をかけた。
「なんか言え!!」「まだできんだろ!!」「ティムを殺せ!!!」
納得のいかない観客たち、あれの後始末をしろってことだ。
「わたしを応援してくれている人にはとても申し訳ないのですが・・・」
セイラさんが話し出した。
大勢の前なのに、かなり媚びた声だ。
「後ろで見ている父が、もうやめろと合図を出してきたのでここまでにしようと思います」
なるほど・・・。
「わたしはまだできるのですが・・・父には逆らえないのです。どうかお許しください」
観客の憤りを全部父親に向けようとしてるのか・・・。
「それでもわたしになにかある方は、明日の朝に似顔絵の売り子をしますのでそこで仰ってください。誠実に対応させていただきます。ただ・・・文句のある方は拳で来てくれた方が助かりますね」
最後の一言だけ重く冷たい声・・・それだけで観客席が静まり返った。
この人はまずい、そう思わせるには充分な圧だったんだろう。
「承知しました・・・。勝者ティム、一撃も入れずに勝利です」
ヘインもちゃんと察している。
まあ・・・逆らうと恐い人ではある。
オレも暗闇で後ろからってなれば厳しい・・・。
◆
「こうやって、底が知れない感じで終わった方がいいでしょ?」
セイラさんが入場口に向かいながら笑った。
・・・みんなはそう思っただろうな。
「最後までやったら勝てた?」
「今の感じなら半々かな。素手素足も残ってるし・・・どうかわかんない」
「まあ本業ではないしね」
「そういうこと、真っ向勝負とかわたしの趣味じゃないのよね」
じゃあなんで出てきたんだろう・・・。
◆
「倒れるまでやれよ」
戻るとジナスが姿を現して、セイラさんに触れた。
「あ・・・ちょ、何触ってんのよ!」
「なるほど・・・勝てないと悟ったか」
「・・・」
セイラさんが奥歯を噛みしめた。
さっきのは強がりだったか・・・。
「今の決着で満足いかなかったのかしら?」
「闘技盤から下りたら負け・・・それを無くしたのにこんなことをされては興ざめだ」
「残りの連中はそんなことないでしょ」
「そうだな・・・これ以上は我慢ならん・・・」
ジナスはセイラさんから視線を外した。
その先には、次の試合に出る男・・・。
「なあ、お前はそんなことしないよな?」
「・・・」
戦場以来の再会・・・ジェイスは何を思っているんだろう?
「どうした?言葉はカゲロウから教わったはずだ。戦場でも話していただろ?」
「僕は・・・お前とはあまり関わりたくないんだ」
「戦場はもうやらないのか?」
「もう・・・飽きたのさ。戦い以外にやりたいこともあるからな」
ジェイスは自分の手を見つめた。
医者のことだろう。
「戦いだけをしていろよ。カゲロウが悲しむぞ?」
「・・・悲しまないさ」
「・・・まあいい、お前は倒れるまでやれ。二度と折れるなよ?」
ジナスは背を向け、闘技盤の修理に向かった。
もっとからかいたいけど、闘志が薄れるから諦めたって感じかな。
「ジェイス、なにも気にすることは無い。戻ったら今度は・・・抱きしめてやろう」
イザベラが慰めるように肩を叩いてあげた。
二人の心の距離はとても近いみたいだ。
きのうも一緒に祭りを楽しんだらしいけど、ティアナは知ってるのかな?
「大丈夫だイザベラさん・・・もう折れないさ」
「折れてもいい。私が直してやる」
「・・・ありがとう」
ジェイスの全身に力が入った。
とびきりの戦士の気配。ティムと同じ、オレの心を燃やすもの。
どうして・・・こんなに熱くさせてくれるんだろう。
このままじゃまずいな。
冷やさなければ・・・。




