第三百六十七話 おもいきり【アリシア】
胸を焦がすほど熱い気持ち、抑えなければどんどん温度が上がっていく気がする。
抑えきれず溢れたものは身体の熱に変わり、戦闘への欲求が高まっていた。
怖いな・・・私は明日、どうなってしまうんだろう・・・。
ケルト・・・あなたにはそんな私も見てほしかった・・・。
◆
「おおー!雷神だー!!!」
一人が叫び、瞬く間に囲まれてしまった。
はあ・・・やはりこうなるんだな・・・。
「本当に美人だ!」「握手してください」「二人も産んでるとは思えないです」「顔をひっぱたいてください」
観光客の群れに飲み込まれてしまった。
きのうまで家に近付けさせないようにしてもらっていた代償か・・・。
『うちの近くに観光客が来ないようにできたら嬉しいんだが・・・』
『容易いですね。・・・前日にただ街を歩いていただく。それだけしていただければ、アリシア様の望み通りにしましょう』
ハリスと交わした約束・・・。
『握手には笑顔で応じ、祭りを楽しむようにも伝えてくださいね』
知り合い以外に愛想よくするのは苦手なんだが・・・。
『できれば、二日目夜の競売にも出席してください。あなたの剣を競り落とした方たちに手渡ししていただきたいです』
『余裕があればな・・・』
面倒なことは避けたい。
『とりあえず・・・前日はよろしくお願いします』
『・・・わかった』
だが・・・今日は仕方ない。
適当に相手をしていれば、その内いなくなるかな・・・。
「今からどこへ行くんですか?」
「友人の店だ。今日は昼間もやっているから食べていけ」
「下着は今日も二枚ですか?」
「・・・ふざけたことを聞くな」
「聖戦の剣はいつから使っているんですか?」
「十三からだ」
「娘さんはどのくらい強いんですか?」
「その首を一瞬で跳ねられるくらいだ」
私目当ての者がどんどん増えていく。
終わらないぞ・・・。
「風神は本当に息子さんなんですか?」
「間違いない、十四で産んだ」
「功労者になった回数を教えてください」
「悪いが憶えていない」
「育った孤児院を見に行きたいのですがどこにありますか?」
「迷惑になるから教えん」
「うちの子も恥ずかしがり屋なんですが、どうしたらいいでしょうか?」
「・・・まず子どもにどうしたいのかを聞け。親の考えを押し付けるようなことはするな」
早くルルのところに行きたいのに・・・。
◆
「あらあら、お客さんをいっぱい連れて来てくれたのね」
やっとルルの店に着いた。
「アリシアはこっち」
私だけ中に引き入れられ、ルルだけが外に残った。
はあ・・・これくらいでハリスは納得してくれるだろうか・・・。
「うちは雷神一家がよく来るお店だけど、お客さん以外は迷惑だから遠慮してちょうだい」
外からルルのわざとらしい声が聞こえた。
「次の時の鐘で開けるから並んでてね。食事だけでも歓迎するわ。あ・・・本日のおすすめは、雲鹿肉のシチューでーす」
店の前には大きく「雷神一家の通う酒場」と看板が出されていた。
どれだけ稼ぐ気なんだろう・・・。
◆
「アリシア、ありがとね」
ルルが嬉しそうな顔で戻ってきた。
かなりの人数が並んでくれたみたいだ。
「昼間開けるのは今日までだから助かるわ。今グレンが、買い付けたお酒が届かないから引き取りに行ってるの。たくさん注文したけど、お祭りで全部無くなるかも」
ルルも大会を見に来るから、祭りの時はいつも通り夜だけになる。
そして、最終日は知り合いだけの貸しきりにしてくれた。
「で、このままお手伝い?女給やってくれるなら嬉しいんだけど」
「いや・・・フラニーという人に挨拶をしたくて来たんだ。今どこに・・・」
「ああ・・・事務所にいるよ。ここが開いたら裏から出てもらうつもり」
「ありがとう。たくさん稼いでくれ・・・」
身を縮めて、カウンターの裏に紛れ込んだ。
中は中で女給たちが慌ただしくしている。
みんなの給金もはずんでやってほしい。
◆
「あー、アリシアだー!」
「チル、アリシアさんでしょ?」
事務所にはチルとリラもいた。
みんなでルルの家に泊まっていたのだろう。
「ほえー・・・あなたが雷神・・・ほんとに絵と一緒だ・・・」
「フ、フラニーさんですか?」
「え・・・そ、そうよ。ごめんなさい」
想像していたよりも柔らかそうな女性だ。
盛りの付いたメスネコ・・・たしかにいやらしい色気はあるが、そこまでには見えない。
・・・ミランダの話はあてにならないな。
◆
「夫のノックスと、娘のミントです。バニラは・・・知ってますよね」
フラニーが家族と並んで、二人の背中を押した。
幸せそうな一家だ・・・。
「お出かけ前にすみません・・・。ニルスがお世話になったのに、一度も挨拶ができていなかったので・・・」
まだバニラにしか会ったことがなかったから、この機会にお礼を言いたかった。
というか、習い事で来ていた時に挨拶しておけばよかったな・・・。
「お世話に・・・もしかして、十年も前のことを言ってるんですか?」
「そうです・・・」
チルの輝石を探す時に協力してくれたと聞いている。
「私はお客の相手をしただけですよ。それに、代金も貰いましたし・・・」
「いや、シロもよくしていただいたと聞いています。それに・・・雲鹿の手袋はとてもいい」
ニルスに貰ってからずっと使っているがまだ現役だ。
ケルトの指輪と同じくらい大切なもの・・・。
「雲鹿の・・・懐かしいですね。ニルスがアリシアさんのために注文してくれたんですよ」
「はい、まだ・・・愚かだった頃の私ですね」
あれでニルスの思いがわかった。
とても感謝している。
「まあ・・・私のことはいいので。・・・ほらノックス、雷神と握手したいって言ってたでしょ?」
フラニーは夫の背中を押した。
「おい・・・あ・・・えっと・・・い、一撃入れなくても・・・」
「あの・・・その噂は間違いです。キビナに戻ったら広めてください」
「わ、わかりました!」
体格はいいのに腰が低いな・・・。
「この人酔った時に、雷神でも女なら腕相撲で勝てるかもって言ってたんですよ」
「バカ!やめろ!」
この家族は奥さんの方が上らしい。
・・・ルルと一緒だな。
「握手だけでわかったよ・・・。絶対に勝てない・・・」
「試してみますか?」
「え・・・いいんですか?」
「いいですよ」
小さなテーブルに肘を置いた。
「よ、よろしくお願いします」
「雪降ろしで鍛えてるんだからきっと勝てるよ」
「お父さん頑張って」
体格がいいのは仕事のおかげらしい。
どれくらいか・・・。
◆
「お父さん、元気出してね」
ミントがノックスの頭を優しく撫でた。
負けた方がよかっただろうか・・・。
「ミント・・・アリシアさんは人間の中で一番強いんだ。誰も勝てないよ」
だが、ノックスは傷ついていない。
・・・むしろ嬉しそうだ。
「力だけで言うなら、同じ闘士のイライザという人の方が私よりありますよ」
「え・・・」
「あ・・・気にしないでください。それ以上はいませんので」
「さ、さすが元戦士ですね・・・」
言わなければよかったかもしれないな・・・。
◆
「いやー、本当に年上には見えないですね。羨ましい・・・」
「そうですか・・・」
出て行く機会を見失ってしまった。
「きのうもルルさんからアリシアさんのお話たくさん聞いたんですよ」
フラニーはお喋りが好きみたいだ。
そろそろ店が開くはずだが、出かけなくていいのだろうか?
「お父さんは、本当は力もちなんだよ。こーんな大きい雪の家も作ってくれるの」
「リリもみたーい」
「ハリスに連れてってもらえばいいんだよ」
子どもたちはまだ飽きていないようだが・・・。
「下着の話って本当なんですか?」
フラニーが私の顔を覗き込んできた。
「ほ、本当のわけがないでしょう・・・」
「じゃあルージュもですか?」
「え・・・そ、そうです。ちゃんと訂正と謝罪が発表されたでしょう?」
あの子はどうなのか知らない・・・。
だが、成人前の女の子ということで直してもらった。
『私は色んな噂を立てられているからもう慣れているが、ルージュはかわいそうだ。ミランダには言い負かされてしまったようだが、どうにかできないか?』
『すでに記者と話を付けてきました。数日お待ちください』
というか、ハリスが動いてくれていた。
『・・・脅したのか?』
『最初はそのつもりで自宅に乗り込みましたが・・・穏便に済ませましたよ』
『話のわかる者だったんだな』
『足が悪く歩けないお子さんがいました。・・・それだけです』
その状況なら、私も強くは出れないだろう。
なんなら「なんでもない」と言ってすぐに帰ったかもしれない・・・。
「・・・あ、そうだ。アリシアさんが、最初の功労者になった時に着てた服も見せてもらったんですよ」
「え・・・」
体が固まった。
苦い思い出が・・・。
『よし、これがいい。戦場の乙女って感じね』
ジーナさんの悪ふざけ・・・。
『問題ありません。それと・・・ふふ、お召し物を持参された方はあなたが初めてです』
身体検査の担当にも笑われた・・・。
ずっと心の奥にしまっていたのに・・・。
「あの服、凛とした女性って感じでいいと思いますけどね」
まだ言うか・・・。
『その服いいと思うよ。ビシッとして見えるから、普段でも着れるんじゃない?』
『悪いけど・・・もう着ることはないよ。欲しいならルルにやる』
『もったいないわね・・・。じゃあ、記念にあたしが取っといてあげる』
本当に取っているとは思わなかった。
友達を甘く見ていたな・・・。
「さすがにアリシアさんはもう無理でしょうけど、ルージュならちょうどいいかもって話してたんですよ」
「ルージュに・・・」
「大会で着せてもいいよねーって盛り上がりました」
たしかにルージュは好きそうだが・・・。
「スカートはダメです。下着が見えてしまえば、集中もできなくなる」
そんな辱めをあの子に受けさせるわけにはいかない。
ミランダなら・・・気にしなさそうだが。
「下になにか穿かせればいいんですよ。そうだ、それくらいなら今日と明日でできるのでやらせてください」
「いや・・・あの子は動きやすい恰好で・・・」
「動きやすくですね・・・できます」
なんだこの女は・・・。
「ルージュに、大会の衣装は用意してあるって伝えてくださいね」
「待ってくれ。着てみなければ似合うかもわからない」
似合う・・・きっと似合うが、私が恥ずかしい・・・。
「大丈夫ですよ。これで・・・わかります」
リラがルージュの人形を出した。
諦めろということか・・・。
「・・・一応伝えはするが、あの子が着ないと言ったらそれまでだからな?」
「はい、あの服・・・才能のある方が作ったものだと思います。手を加えるのは恐れ多いですけど、私に任せてください」
フラニーは折れなそうだ。
もう面倒だから好きにさせておこう・・・。
「お姉ちゃんの服作るの?」
「そうよリリちゃん、遊んで帰ったら仕立屋さんを見せてあげる」
「お母さんすごいんだよ」
未来の子どもたちの教育・・・そう思うことにしよう。
そして・・・そろそろ出るか。
◆
酒場を裏口から出て、一気に駆け抜けた。
せっかく思い出したし、ジーナさんの所に行こう。
すまないハリス・・・。
やはり愛想を振りまくのは難しい。
◆
「あはは、そんなことあったわね」
さっきの話をすると、ジーナさんは懐かしそうに笑った。
今日は外へ出ずにいたみたいだ。
「たしかにそれは恥ずかしいかも・・・」
「アリシアさんもよく怒らなかったですね」
ダリスさんとドリスさんも共に話を聞いてくれた。
二人とも血色が良く、肌がつやつやだ。
ここの生活は・・・そんなにいいのだろうか?
◆
「結局私の隊で戦ったのは一度だけだったわね」
話題が戦場のことに変わった。
これも懐かしい話だ。
「合流して共に戦ったことは何度もありましたよ」
「そうだけどね・・・。あんたが欲しかったのよ」
妖しい目で見つめられた。
部下という意味ではない気がする。
「あんたに男ができたってわかった時はちょっと残念だったの・・・」
「私の勝手でしょう・・・」
「ニルスもかわいがってたのに来なくなっちゃうし・・・。ルージュには、ここには大人と一緒じゃなきゃダメって教えてたんですってね?」
「色々・・・危なそうなので」
ニルスはスコットも一緒だから認めていた。
手籠めにされていたら・・・考えると恐ろしいな。
「ここはいい場所なのにね」
「そうだね、私たちは気に入っていますよ」
「できれば帰りたくないのよね・・・」
「ずっとここで暮らしたいくらいですよ」
ダリスさんたちは少しおかしくなっているのかもしれない。
だから早く帰った方がいい・・・。
◆
「それでは・・・私はそろそろ」
三杯目の紅茶を飲んで立ち上がった。
あと一人会ったら・・・帰ろう。
「一度でも私の部下だったんだから、応援はしてあげるわ」
「・・・努力します」
「ふふ・・・」
ジーナさんは、背中を優しく撫でてくれた。
気持ち悪い触れ方だ・・・。
「ルージュに応援していると伝えてください」
「さすがに優勝には賭けれませんでしたけど。気の組の勝ち上がりには賭けました」
ダリスさんとドリスさんが娘への言葉を預けてくれた。
「わかりました。重圧にならない程度に伝えます」
・・・二人は、ルージュのことを話す時はまともに見える。
「アリシア様・・・風の組の勝ち上がりと優勝はティム様に賭けました。期待しているとお伝えください」
エディも出てきてくれた。
「わかった。ちゃんと伝えるよ」
「お願いしますね。それと、地の組はアリシア様に賭けましたので」
「その通りにしてやろう」
・・・前に見た時よりも元気そうだ。
最近は充分に休めているんだろう。
さて、会う予定はあと一人・・・花嫁と花婿の恩人だ。
それでなくても、話してみたいと思った人・・・。
◆
「顔見て心臓が止まるかと思ったよ・・・。わざわざ来なくていいのに・・・ゴホ・・・」
「今日しかないと思いまして・・・」
「悪いがなにも出せない」
「迷惑をかけに来たわけではありません」
リトリーさんは、初対面の私を家に入れてくれた。
まあ、断られても諦めなかったが・・・。
「二人の衣装・・・感謝しています」
「まあ・・・その話だよな。けど、感謝してるのは俺だ。今じゃ珍しい利他的な薬師を紹介してくれた。それも・・・大陸一のだ」
「ルージュはあなたの作品を楽しみにしています」
「・・・期待以上のものを作ろう」
出逢ったいきさつと、リトリーさんの事情もルージュは教えてくれた。
この人以外には頼みたくないとも言っていたな。
「それよりその剣・・・とても美しい」
リトリーさんは聖戦の剣を指さした。
芸術家ならケルトの作品になにか感じてもおかしくはない。
「・・・私の夫が作り上げたものです」
「そうか・・・そういえば、出逢った闘士たちが持っていた剣も美しかったな」
「シェリルとユウナギの剣は息子のニルスが作りました。ルージュのは、夫とニルスの二人で・・・師弟の関係でもあったのです」
「なるほどな。だが・・・それが一番だ」
ケルトが褒められてとても嬉しい・・・。
「惜しい奴だと思う・・・。その男がいたら、共に作品を作ってみたかった」
「あ・・・すみません・・・」
「なんで謝る?」
「それは・・・」
この人には話したいと思っていた。
共通点・・・欠けた者同士・・・。
だから会いたかった。
だから最後がよかった・・・。
◆
「お互い、選択を間違って失った者ってことか・・・」
ケルトのこと、失ってしまった原因、そのすべてをリトリーさんに話した。
「今、隣にいたら・・・そんなことをよく考えるだろ?」
「はい・・・」
「辛いよな・・・わかるよ。・・・きのう、仕事部屋の掃除をしたんだ。そういえば、一緒に笑いながら掃除をしてたなって考えたら涙が止まらなくなった・・・そういうことあるか?」
「・・・はい。子どもたちには見せないようにしていますが・・・」
リトリーさんは私の痛みがわかる。
ケルトはなぜか夢に出てきてくれない。
だからわかる人に慰めてほしかった。
「けど、俺よりもアリシアさんの方が辛いと思う」
「・・・なぜそう思うのですか?」
「俺は最期までパルナと手を繋ぎ、看取ることができた。俺と出逢えてよかった・・・自分の人生に後悔は無い・・・シングは絶対に幸せに・・・。想いも・・・全部伝え合えたんだ」
リトリーさんは目を潤ませながら教えてくれた。
たしかにそこは私と違うところだ。
「・・・私がケルトの死を知ったのは数ヶ月あとだったんです。死に目に会えていたら・・・違ったのでしょうか?」
「心持ちは変わっただろう。パルナと同じで、子どもたちのこれからを託してくれたと思う」
それがあれば・・・うん、違ったかもしれない。
「パルナは俺にすべてを託すと・・・ずっとシングと話していた。最期は笑っていたよ・・・」
「ケルトも最期は笑っていたと聞きました。今まで出逢った人の中で、最も幸福なものだったと当時のニルスは思ったようです」
「そうか・・・家族一緒で看取れたらよかったのにな・・・」
いや・・・それができる状態であれば、ケルトは死ななかっただろう・・・。
「俺はその笑顔を焼き付けることができた。だから・・・それを思い出せば救われる。たまに泣くことはあるが、あなたのように悲しい涙じゃない」
「それが・・・違いですか・・・」
「ああそうだ。俺の中でパルナの笑顔は滲まないし、ぼやけない。きっと・・・シングの中のパルナもそうだろう」
今もそうだ。
あなたの顔はぼやけて滲んでいる・・・。
「親としては最高だが、夫としては・・・ダメだったみたいだな」
そんなことは無い・・・指輪を作ってくれていた。
だが私は・・・妻としてはダメだろう。
「いえ・・・悪いのは私なので・・・」
「シングたちは晩鐘まで戻らない。・・・落ち着くまでここにいていい。そんな顔じゃ帰れないだろ?」
「ありがとう・・・ございます」
「テーゼを離れるらしいが、たまに戻ってきたら酒でも付き合うよ」
「はい・・・お願いしたい・・・」
リトリーさんには悪いが、溜まっていた涙がすべて流れるまでいさせてもらおう。
「からかうつもりじゃないんだが・・・泣きたくて来たのか?」
「・・・すみません」
「・・・別にいいさ」
そう・・・ここに来たのはおもいきり泣くため。
熱が冷めないように。
全力で戦えるように。
戦いの時に、あなたの顔がぼやけてしまわないように・・・。




