第三百五十四話 その痛みは【アリシア】
本戦に出る闘士、三十二人が全員決まった。
そして明日には組み合わせもわかる。
ああ・・・滾るな。
全員が私と同じ気持ちなら、どれだけ幸せなんだろう・・・。
◆
「父上!なぜ黙っていたのですか!」
説明も終わりみんなが散り出すと、ユウナギが父親に詰め寄った。
たしかに出るのなら伝えておけばよかったとは思う。
「出る出ないをお前に話す必要があるか?」
「それは・・・でも、黙っていたのは意図的でしょう!ニルスさんたちに口止めもしていたんじゃないですか?」
「相手が誰であってもルージュ殿を守らなければならん。これくらいで狼狽えるとは思わなかったぞ」
「・・・」
息子は負けたみたいだ。
・・・少しかわいそうだな。
「おじいちゃん、ナツメさんも来てるの?」
ルージュが助けに入った。
そうだな、この方がいいだろう。
「来とるよ。あの家で庭の手入れをしてくれている」
「じゃあ・・・」
「そうじゃな」
二人は揃って私に顔を向けてきた。
「アリシア殿、儂の妻・・・いや、ユウナギの母親を紹介したい」
「あ・・・はい。私も会いたいと思っていました。髪留めも・・・使っています」
気に入って毎日つけている。
激しく動いても外れない。
「では、いつがいいかのう?」
「すぐにでも場を設けたいが・・・少し込み入った用がある。だが、大会前には必ず会います」
「お母さん?」
ルージュが不安そうな顔になった。
今日は・・・ダメだ。
『私では・・・抱えきれないことが・・・』
説明の前にティアナと話した。
『子どもたちのことか?』
『・・・』
『ティムか?』
『両方・・・です』
彼女は先に戻って私を待っている。
何が起こっているのか、解決できるのか・・・話によるが先に片付けておきたい。
「ティアナからティムのことでな・・・。母さんが相談に乗るから、ルージュは心配しなくていい」
「ティムさん・・・。わかった」
「スウェード家の話は大体聞かせてもらった。ナツメも悪くは思わんじゃろ」
「すみません」
よかった。二人もティムのことを想ってくれているからな。
そういえば、あの子はまだ残っているだろうか・・・。
◆
ティムを見つけた。
ミランダと何かを話しているようだ。
「伝えたからね?あんたんちに裸の女が押し掛けてきてもいいなら無視しても問題無いよ」
「ちっ・・・わかったよ」
ティムはすぐに走り去っていった。
今は離れていてくれた方が助かるが、少しだけ声をかけてから行きたかったな・・・。
「アリシアさん、俺たちはティムさんに・・・」
ユウナギたちが後ろにいた。
いや・・・心配はいらない。
「大丈夫だよ。ティムにはエリィがいる。ユウナギは母親に会ってこい」
「わかりました。力になれるかはわかりませんが、必要ならなんでもします」
「わたしもそうだよ」
「儂もなにかあればな」
ティムにも聞かせてあげたいが・・・そうもいかない。
でも・・・あとでちゃんと話してやろう。
あの子はああ見えて、ニルスと同じで寂しがりなところがあるからな。
「そういえば、カザハナになってから会うのは初めてじゃったな」
「ああ、そうでしたね。あまり・・・変わりはないようで」
普通にいたから忘れていたが、最後の戦場以来会っていなかった。
皺は増えたが、そこまで見た目が変わっていないからか?
「雷神とは遊びでやったことしかなかったのう」
「ええ、楽しみにしています」
「では・・・握手を」
「はい」
繋がった手からとても熱いものを感じた。
これで八十・・・。
滾る滾る・・・。
◆
「母さん、これからどうするの?」
闘技場を離れたところで、背中にニルスの声が当たった。
追いかけてきたのか・・・。
この子にも説明していかなければいけなかったな。
「ティアナだ」
「ふーん・・・じゃあ夕方まではオレがみんなを見よう」
「ああ、頼むよ。ユウナギはルージュと一緒に母親に会いに行くと思う」
「そう・・・イザベラとシェリル、ティムが本名で出ている理由を聞いてきた。教えていいかな?」
あの二人も気になって当然か。
エリィも伝えていなかったようだ。
「問題無いだろう」
「わかった。それと、関係あるかはわからないけど・・・」
ニルスの声が低くなった。
「ティムとハンナさんの再会、ティアナも見ていた。話は聞こえてないと思うけど・・・」
なるほど、関係ありそうだ。
再会の話はルージュから聞いたが、近くにティアナもいたとはな・・・。
◆
「あ、お母さんだ。遊びにきたの?」
スウェード家の別荘に入ると、シロと三人の女の子が出迎えてくれた。
使用人たちは買い出しにでも行ったのだろうか?
「今ね、アメリアとイリアがお菓子を作ってるんだ。僕たちは食べる係だから待ってるの」
奥にいるようだ。
ティアナもお菓子を作れるのだろうか・・・。
「こんにちは・・・」
「いらっしゃいませ・・・」
「ゆっくりしていってください」
女の子たちがシロの横に並んだ。
堅い顔もあるが、話してくれて嬉しい。
「こんにちは、ええと・・・ミスティに、シンディにテスだったね。お母さんとお話しをしに来たんだが、どこにいるかな?」
「中庭です。今はベルクと一緒に剣を振ってるの」
テスは少しだけ明るい。
「ありがとう。じゃあ邪魔できないな。ハンナはいるか?」
「うん・・・一緒に呼んでこよう?」
シンディが言うと、みんなが頷いた。
「シロ、頼んだよ」
「大丈夫だよ。少しずつだけど、みんな顔を上げ始めている」
四人は奥の廊下へ歩いて行った。
背はあの中で一番低いが、今日は大人っぽいな。
◆
「よろしいのですか?すぐにお呼びすることもできますよ」
ハンナが紅茶を淹れてくれた。
少し明るく見えるのは、ティムと再会したからなんだろう。
「待つさ、ベルクを優先してほしい」
「次の時の鐘までですね」
「ハンナとも話したかったんだ。ルージュから聞いたが、ティムと再会できたんだろう?」
「はい。抱きしめると・・・抱きしめ返してくれました」
ハンナはより明るく笑った。
これ以上ない幸せだったんだろう。
「他の三人にも話したのか?」
「もちろんです。ティム様からお呼びいただける日を楽しみにしていますよ。明日になれば・・・そんな気持ちです」
「組み合わせがその明日に決まる。もちろん、ティムも予選を突破したぞ」
「当然です。信じていましたから驚きはありません」
そうだな、私も信じていた。
・・・抱きしめただけで気持ちよかったな。
実際に戦えばもっと・・・。
「明日は似顔絵も描かれるんだ。呼ばれるのはそのあとになると思うよ」
「似顔絵・・・」
欲しそうな顔だ・・・。
◆
「立派に成長されていました。声は低くなりましたが、それでも優しさは含んでいましたね」
時の鐘が鳴るまで時間があった。
そのおかげでハンナの楽しい話をたくさん聞くことができている。
「ですが・・・話し方が少し荒っぽくなっていました。見ていた方たちが冷やかしてきた時、とても粗暴な言葉を・・・」
「粗暴・・・話し方は私が初めて会った時から変わりない。昔は違ったのか?」
「はい、陰で私たちと言葉を交わす時は・・・シロ様に近かったですね」
そうなのか、なにかきっかけでもあったんだろうが・・・。
「男の子だ。強気な方がいいだろう」
「そうですね。私たちはどんなティム様でも愛しています」
「それに、また会う時に聞けばいい。ハンナたちになら教えてくれるだろう」
「・・・はい」
彼女たちに意地を張ったりはしなそうだ。
家を出て、テーゼに来るまでの間のこともきっと教えてくれる。
◆
「鐘が鳴りましたね。すぐにお呼びします」
ハンナの顔が引き締まった。
ティアナにはこの顔しか見せたことがなさそうだ。
「待ってくれ。一つ教えておきたいことがある」
振り向きかけたハンナを止めた。
「ニルスから聞いたが、再会の時にティアナも近くにいたらしい」
それについて、なにか話はあったのだろうか・・・。
「そうですか・・・。ティアナ様は何も仰っていませんでしたよ」
「そうか・・・」
「浮気の現場を見られていた・・・そんな気分ですね。なにも言わないのであれば、黙認するということでしょう」
ハンナはとても冷たい目をしていた。
幼いティムの前にいたのが今の彼女なら、何を言われても連れて逃げたように思える。
・・・これが浮気だとすれば、ハンナは相手の心を完全に奪っている状態だな。
だから余裕で溢れている。主に何を言われても、跳ね返すほどの強さを手に入れたみたいだ。
◆
「お待たせしてしまい・・・申し訳ありません」
ティアナはすぐに来てくれた。
「急いで来たように見える。ベルクは大丈夫か?」
「はい。シロと遊びたいらしく、すぐにみんなを探しに行きました」
シロは人気者だ。
最近見せてもらった手帳には、何日も先の予定がたくさん書きこまれていた。
あれがあるから、誰かとの約束を破ることも無いんだろう。
「・・・今は二人きりだ。話してみてくれ」
「・・・はい」
随分深刻な顔だ。
私も気を張らなければいけないかもな。
◆
「それで・・・どうしようかと・・・」
ティアナの悩みを聞かせてもらった。
ティムがスウェードの名を使っていることで、子どもたちに何か聞かれる恐れがある。
その時にどう説明をすればいいのか・・・悩んだが一人ではどうしようもなくなったらしい。
「お前たちは顔立ちが似ている。似顔絵もあるし、どう考えても聞かれるだろう」
「似ていることは・・・自覚しています。親子だと・・・隠し通せるものなのか・・・」
ティアナは大きな溜め息をついた。
ティムとの関係は秘めておくこと。
あの子の苦しみを理解させるためと、引き取った子どもたちのためだった。
打ち明ければ、子どもたちと築いた信頼が崩れる恐れもある・・・と思い、私がそうさせたが・・・無理があったのだろうか。
「子どもたちの前では、不安な顔も隠しています・・・。ですが・・・苦しい」
ティアナは追い詰められているな。
うちとは状況がまったく違う。
方法は色々あるが、どうするのが一番いいのだろうか・・・。
「誤魔化す、嘘をつく・・・アリシア様との約束もありますが、それが無くてもしたくないのです」
気持ちはよくわかる。
『・・・わたしね、お兄ちゃんがほしい』
私も・・・ニルスのためにそうしていた。
『母さんが・・・先に男の子を産んでいればよかったな』
ルージュに嘘をつくたびに心が痛んだ。
そしてその痛みはずっと憶えている。
取り戻せた今でも、思い返すと辛いこと・・・。
「すみません・・・」
ティアナは「本当に申し訳ない」といった顔だ。
解決策が無いわけではない。ただ、また別のしたくないことをするというだけ。
元母親にその選択肢は無いらしいが・・・。
◆
「失礼いたします。・・・紅茶とご一緒にどうぞ」
ハンナが焼き菓子を持って入ってきた。
アメリアとイリアが作ったものか・・・。
「今は・・・邪魔をするな」
ティアナはハンナを見なかった。
思うところは色々ありそうだが、言えないのだろうな。
「・・・アメリア様とイリア様が、おいしく焼けたのでティアナ様とアリシア様にも食べてほしいと・・・」
「そうか・・・すまなかった」
「いえ、では失礼いたします」
ハンナは・・・どう思うんだろう?
「待ってくれ、共にいてくれないか」
引き留めた。
必要な存在に感じる。
「アリシア様、この話は・・・」
ティアナは弱々しく呟いた。
「意見を聞くくらいはいいだろう。長年仕えてくれている彼女が信用ならないか?」
「そういうわけではありませんが・・・」
ここで「信用ならない」と言えないということは、ハンナとティムの関係について問い詰める気は無いんだな。
「ハンナ、共に考えてほしいことがある」
「はい・・・」
それならなんの心配も無い。
彼女はティムの視点からの意見をくれるはずだ。
◆
「そうでしたか・・・。申し訳ありませんが、私には何も浮かびません」
ハンナが主に目を向けた。
助言はしたくないといった様子だ。
「たとえば・・・たとえばだ。子どもたちに、あの男は実は息子だと伝えること・・・ティムはどう思うだろう・・・」
ティアナが踏み込んだ。
・・・たしかにそうだな。
ティムの中で訣別はもう済んでいるらしい。
勝手に息子ということにされて、なにを思うか・・・。
「私はあのオス・・・と言葉を交わしたことはありませんので・・・」
ハンナは拳を握っていた。
これだけは思いを打ち明ける気は無いみたいだ。
「・・・そうか」
「ティアナ様とシャルメル様のご命令でしたので・・・」
「・・・」
引き留めはしたがこれでは話が進まないな。
ステラも連れてくるべきだった。
いればうまくこの場を動かしてくれそうだ・・・。
「ですが・・・。なぜ勝手に出て行った者の心を気にする必要があるのですか?ティアナ様はいなくなったその日・・・笑っていた記憶があります」
今度はハンナが踏み込んだ。
「お前なら・・・わかると思ったんだ」
「わかりません。ですが・・・想像することはできます」
「それでいい・・・聞かせてほしい」
ティアナは俯きながら答えた。
ずいぶんと弱々しい、ここまで悩んだことは今まで無かったんだろう。
「あのオスは・・・」
「ハンナ、ティムでいい。その言葉・・・あまり聞きたくないんだ」
どうせバレている。
だからそんな呼び方をしてほしくない。
「アリシア様・・・。では、ティム様と呼ばせていただきます」
「ティアナ、構わないか?」
「・・・」
元母親は頷いてくれた。
これでハンナも話しやすくなるだろう。
「ティム様はいつも泣いていました。物陰で・・・声を出さずに」
「・・・見ていたのか?」
「はい、見ているだけでした。ティアナ様は、ティム様の泣き声が嫌いでしたね。泣いても声を出さぬように、痛みで教えるほど・・・」
ハンナの声は冷たく、それだけで室内に寒気を感じるほどだ。
「イザベラ様とシェリル様にもティム様を殴るようにさせていましたね。私が見て記憶しているのは・・・痛くても、うめき声を上げなくなるまで鍛えてやれ・・・だったかと」
ハンナの感情が痛いほど伝わってくる。
ずっと・・・ずっとこういう機会を待っていたんだろう。
「見ているだけ・・・私は見ているだけでした・・・。仕事は山ほどあります。なので、あえて報告はしていませんでした」
「・・・」
「ティアナ様、どういう扱いをしてきたのかを考えるべきです。あの男は、実は私の息子だ・・・口にできますか?あなたは苦しそうな顔をされていますが、ティム様はもっと辛かったのではありませんか?」
「・・・」
これ以上ティアナを責めても仕方がないな・・・。
「ハンナ、それくらいで・・・」
「わかっています。私は・・・相手の気持ちをよく考えた方がいいと思っただけです。失礼な言い方でしたら申し訳ありません・・・」
「そうか。ティアナ、わかったか?」
「はい・・・。許すはずが・・・ないでしょう」
ティアナは顔を手で覆った。
当然だが何もわかっていない。
今のでハンナの気は済んだのだろうか?
ティムの本質を知っているはずなのにそれを教えない。
もちろん今の話は間違っていない・・・許すはずが無いのだ。
それでもあの子は・・・。
「今のが私の想像です。本当の気持ちは、お付き合いの長いアリシア様ならわかるのではないでしょうか」
ハンナは私を見て微笑んだ。
自分で最後まで話せばいいのに・・・。
「まあ・・・お前たちの想像ではそこまでのようだな」
纏めるのは相談された私がいいのだろう。
「ティムへの仕打ちを話すことは許さないが、親子だということは打ち明ければいい」
「アリシア様・・・」
「他に方法が無いだろう」
「しかし・・・今の話では・・・」
そこがわかっていないところだ。
「そうですね。たとえば・・・ティム様は分家という扱いにしてはどうでしょうか」
やはりハンナもわかっている。
知っている優越感が口を開かせたんだろう。
「しきたり・・・スウェード家は男子禁制。男性が生まれた場合は、テーゼで暮らすことになっていた。お父様は、また別の土地へ・・・それで子どもたちは納得するのではありませんか?」
「いい考えだ。それくらいの嘘は我慢しろ」
「違います!ティムの心・・・それを考えればできるはずがない」
ティアナは胸を強く押さえた。
本当に一切選択肢には無かったようだ。
「本人に頼めばいい。お前はティムに頭を下げなければいけない」
「・・・」
「お前はあの子をわかっていない。今の話・・・嘘ではなく、本当にしてくれるはずだ」
私の周りの人たちもそうだった。
ルージュに兄はいない・・・真実にしてくれていたからな。
「バカな・・・。私のためにそこまでするわけがない」
「そこもわかっていないところだ。お前のためだけならそうだろうが・・・」
そう、みんなが協力してくれたのはニルスとルージュのためだった。
本当は私を責めたい者もいたはず・・・。
「子どもたちのためなら協力してくれるはずだ」
「あの子たちも、お兄様なら受け入れられるのではないでしょうか」
「シロなら気配を探ってどこにいるかわかるはずだ。今から行くぞ」
立ち上がってティアナの腕を引いた。
一人では門前払いだろうからな。
そして私は・・・殴られる覚悟が必要だ。
◆
ティムの居場所をシロに教えてもらって、二人で屋敷を出た。
「ティアナ・・・お前の悩みが解決したら、その顔をやめろ」
「アリシア様・・・」
今の弱々しい顔では滾らない。
この女にも熱くなってもらわなければ・・・。
「走るぞ。私にも先送りにさせた予定があるのだ」
今日でこの話がうまくまとまれば、明日にはユウナギの両親と会える。
あちらの幸せそうな顔も見れれば、もっと・・・もっと血が滾るだろう。




