第二十八話 日記【アリシア】
あれからニルスとあまり話ができていない。
食事も一緒に取っているのに、なにも言えずに終わってしまう。
そして・・・いつの間にか水の月。
明日、ニルスは十五歳になってしまう。
そして・・・いなくなる・・・。
なにか・・・なにか言わないといけない。
あの子に渡したい気持ちはたくさんあるけど、私が言葉にしてはいけないものだけ浮かんでくる。
本当に伝えたいこと・・・。
またやり直したい・・・だから行かないでほしい。
◆
「・・・明日か」
「はい」
鍛錬が終わり、私はべモンドさんの部屋に来ていた。
なにか深い意味があったわけじゃない。
あの子の旅立ち、ただ伝えたかっただけ・・・。
「ならお前はどうしてここにいるんだ?・・・早く帰ってやれ」
「はい・・・」
その通りだ。
あの子がいるのは明日の朝まで・・・。
どうして、なにもできなかったんだろう・・・。
「・・・この四ヶ月、あいつは知り合い全員の所を周っていた」
部屋を出ようとした時に、べモンドさんがひとり言のように呟いた。
なにか話したいことがあるみたいだ。
「たしかにあの子は、ほとんど家を空けていました・・・」
「・・・私の所にも来てくれた。・・・約束をしたんだ」
「約束・・・それはいったい・・・」
「・・・直接聞け。話すかどうかは・・・わからない」
自信が無くなってくる。
私が聞いても、きっと教えてくれないだろうな・・・。
「それと・・・すまなかった」
「なぜ謝るのですか?」
「ニルスの逃げ場を奪ったのは・・・私だ。勝手だが・・・息子のように思っていたのに・・・」
べモンドさんは初めて弱い顔を見せてくれた。
この人がなにかしたとは思えないが・・・。
「責任はすべて私にあります。べモンドさんはなにもしていない」
「いや・・・元凶だ。そして・・・謝れていない」
「必要ありませんよ。では・・・また・・・」
気まずくて部屋を出てしまった。
あの人がなにを思っていようと、悪いのは私だ。
帰ろう・・・子どもたちに夕食を作ってあげないと・・・。
◆
「・・・ただいま。ほら、ルージュも・・・」
「・・・」
食事の支度が終わったと同時に、ニルスとルージュが帰ってきた。
誰かのところに行っていたのだろうか・・・。
「二人ともおかえり・・・。あの・・・一緒に食べよう」
「・・・」
ニルスは私の顔を見てくれなかった。
なにを話せばいいんだろう・・・。
◆
「もう・・・支度はできているのか?」
なんとか思い浮かんだ言葉をかけてみた。
もっと・・・もっと声を聞きたい。
「できてる・・・」
「そうか・・・」
終わってしまった。
前はどうしていたんだろう?
そういえば、この子の声が低くなったのはいつから?
思っているだけで、なにも言えない・・・。
『今さらなに?』
『それを聞いてどうしたいの?』
冷たい言葉が恐くて・・・。
だから今日まで何も言えなかったんだと思う。
◆
夕食は静かなまま終わった。
ニルスが部屋に戻ってしまう・・・。
「・・・アリシア、話がある」
動けずにいると、ニルスから声をかけてくれた。
顔は少しだけ穏やかに見える。
「なんだ?なんでも話してくれ」
とても嬉しかった。
もう遅いことは知っている。でも全部を真剣に聞こう。
「ルージュのこと・・・。正直、あなたに任せるのはとても不安だ。まだ喋れないし・・・」
ニルスは、妹を膝の上に座らせた。
『そう思うならルージュがもっと大きくなるまではここにいてほしい』
・・・これが言えたらどんなに楽だろう。
だが、私からそれを言うことは絶対にできない。ずっと我慢してきたこの子をまた縛り付けることになる。
「信じてほしい・・・一番に考える」
「信じて・・・」
ニルスは目を閉じた。
不安なのは当然だ。この子の幸せを勝手に決めつけて、自分の思う通りにしてきたんだから・・・。
◆
「・・・ルージュをオレと同じにはしないでほしい」
ニルスが目を開けた。
「約束・・・してほしい。たしか一騎打ちで負けた方は言うことを聞くって話だった。・・・できないなら、この子も連れて旅に出る」
ニルスは、まっすぐに私の顔を見つめてくれた。
「約束しよう。ルージュは必ず幸せにする。お前は何も心配しなくていい」
「そう・・・頼んだよ」
ニルスは、一瞬だけ寂しそうな顔をした。
やっぱり、私の言葉が信じられないんだろう。
だが絶対に破るわけにはいかない約束だ。
他の何を犠牲にしてでも守らなければならない。
もう二度とニルスを裏切るわけにはいかないんだ。
「・・・してほしいこと、もう一つある」
「・・・なんだ?」
全部言う通りにしよう。
たとえばこれが「引き留めてほしい」だったら嬉しいな・・・。
「どうせ戦士はまだ続けるんでしょ?毎日訓練場に通ってるみたいだし・・・」
期待していた言葉では無かった。
たしかに続けるつもりだ・・・。
でも、やめろと言われたら・・・そうする。
「見てればわかるけど、戦ってると楽しいんでしょ?」
「・・・そうだ」
正直に・・・嘘はつかない。
「本当はルージュのためにやめてほしいけど、あなたにはそれしかないっていうのは知ってる」
「私にしてほしいことは・・・それか?」
「オレは・・・あなたから戦場を奪うつもりは無い。だから・・・勝ち続けて、終わらせてほしい・・・」
「ニルス・・・」
胸を貫かれたような気がした。
この子は私のことをちゃんとわかっていて、続けさせてくれる。
私は・・・夢を奪おうとしたのに・・・。
「でも・・・絶対に死なないで。ルージュが一人にならないように」
「死なない。ニルスと・・・ルージュの二人に誓う」
これだけは自信がある。
ニルスの時もそうだったからだ。
「悪いけど、もう一つある・・・他のみんなには話してきたんだけど、オレが・・・兄がいたこと、ルージュには教えないでほしい」
「え・・・」
ニルスの言葉は、すぐに飲み込めなかった。
兄・・・教えるな・・・。
「なぜだ?」
「ルージュがかわいそうだから・・・たぶん、まだお喋りもできないから記憶も曖昧だと思うんだ」
「ニルス・・・」
「初めからいないってことにしておけば、寂しくないと思うし・・・」
胸が痛んだ。
・・・聞いたことがある。
『・・・この子に父は死んだと伝えて、もうここには連れてこないでほしい』
ケルトも同じことを言っていた。
この子はあなたに似たらしい。
でも違うのは、私に愛想を尽かしているところだ・・・。
「それに・・・もう戻る気はないし・・・」
ニルスはぽつんと言った。
悲しい・・・寂しい・・・恋しい・・・。
私の心の中はそれで溢れている。
「ニルス・・・あの・・・」
言いたい・・・。たった一言・・・。
「・・・なに?」
「あの・・・すまなかった。私は戦いしか教えてあげられなかった」
言えなかった。
いや、私が言ってはいけないんだ・・・。
「前にも言ったけど、別に恨んでたりとかないよ。・・・約束通り、強くしてくれた」
ニルスは寂しそうに笑っていた。
今のが本心なのかどうか、私にはわからない。
聞けばいいのに・・・できない。
「でも・・・もっとお前の話を聞いていれば・・・今さらだけど、考えてしまう・・・」
「・・・父親もいないし、一人じゃ大変だったと思う。・・・だからなんとも思ってない」
「あ・・・」
また罪悪感が湧いた。
私は・・・この子やルージュから父親も奪っていたんだ・・・。
こんな時にケルトがいたら・・・。
この子の冷え切った心を、私にしてくれたように愛で満たしてくれるのではないか?
私では・・・もうどうしようもないんだ・・・。。
「ニルス、私からも話がある。旅の目的は決まっているのか?」
だからケルトとの約束を破ることにした。
「いや、なにも決まってないよ。風と一緒に流れる。とわにさすらい・・・色んな所に行くんだ」
「また信用を失うかもしれないが、まだ隠していたことがあるんだ」
「そう・・・」
ニルスは呆れたり怒ったりはしなかった。
本当に私には、なにも期待するものはないのかもしれない。
「お前とルージュの父親はまだ生きているんだ。旅に出たら会いに行ってほしい」
「・・・」
ニルスの無表情が驚きに変わった。
さすがに衝撃だったようだ。
「・・・死んだんじゃなかったの?」
「・・・たまに家を空けていた時に・・・会いに行っていた。ルージュが生まれてからは無かったが・・・」
「ああ・・・寂しがりか。全然気にならなくなってたけど、そういえば行ってなかったな」
会う度にニルスの話をしてきていた。
「なにも問題ない」と、ケルトにも嘘をついてしまっていたな・・・。
「オレとルージュの父親は一緒・・・間違いないの?」
「間違いない・・・黙っていてすまなかった」
一度もそれを聞かれたことは無かった。
妹がいる喜びとたくさんの苦悩が、その疑問を生じさせなかったのかもしれない。
だとすれば、それほどこの子に余裕が無かったということ・・・。
「・・・なんで一緒に暮らしてないの?オレはもう大人だけど、この子には必要だ」
・・・もっともだ。これもちゃんと話さなければいけないな。
「・・・ケルトは火山の精霊と契約している。そのせいでよそに行くことができないんだ。」
「精霊・・・何者?」
「ケルトは普通の人間だ。精霊には、私も会ったことは無いが・・・聖戦の剣と栄光の剣に使われた鉱石は、その精霊と契約をしなければ手に入らないものだ」
「・・・信じるしかないな。でも、離れて暮らす理由にはならない」
思って当然のこと・・・。私のわがままも伝えなければ・・・。
「本当は一緒に住もうと言われたが・・・私は戦場で戦いたかった」
「・・・なるほど、そいつはあなたの気持ちを汲んであげたのか。・・・なんで死んだことにしたの?」
「共に暮らせないのであれば、知っていても寂しい思いをさせるだろうと・・・」
「ああ、オレがルージュにすることと一緒か・・・。わかった、顔を見るだけはするよ」
ニルスは眠るルージュを抱きしめた。
ごめんなさいケルト・・・。
私では・・・もう無理なんだ・・・。
◆
私は一人で自分のベッドに寝転がった。
ルージュはずっとニルスと一緒だ。
最後の夜だから、本当は一緒に寝たかったな・・・。
『おめでとうアリシア。ほら見て、男の子だよ』
暗闇の中で、あの子との記憶が顔を出した。
『母さんの腕は硬いかもしれないがお前を抱いていたいんだ。しばらく我慢するんだぞ』
ああそうだ・・・ずっと抱いていた。
そして、今よりもあの子の顔を見ていた・・・。
『なあニルス、お前はどんな大人になるんだ?母さんはとても楽しみだ』
自分のことだけだったな・・・。
・・・思い出すのはもうやめよう。
明日の朝は・・・シチューがいいな・・・。
あの子が・・・食べられるように・・・。
◆
太陽が昇る前に目が覚めた。
最後の朝・・・色々やることがある・・・。
◆
「おはよう・・・」
「・・・」
兄妹が起きてきた。
ルージュは眠いのか半目だ。
「ニルス、誕生日おめでとう。・・・今日から大人だな」
「・・・ありがとう」
「パンがもうすぐ焼けるんだ。座って待っていてくれ」
ずっと明るく振る舞おうと決めた。
私にできるのは、旅立つニルスをしっかりと送り出すことだけだ。
「ルージュは座っててね。・・・アリシア、これは置いていこうと思う」
「え・・・」
私の手に、栄光の剣が渡された。
なんだ・・・どういうことだ・・・。
「ニルス・・・これはお前のために作られたものだ。持っていってほしい」
「この剣はたしかに一番手になじむ。それに今まで持ったどの武器よりも軽くて扱いやすい」
「なら置いていく理由がないだろう」
・・・私から貰ったから?
嫌な想像をしてしまう・・・。
「・・・なんか寂しそうな顔してるからさ。オレと同じ名前・・・だから置いていく。できればでいいんだけど・・・大切に持っていてほしい」
「ニルス・・・」
「それに父親は鍛冶屋なんでしょ?作ってもらうよ」
きのうの夜も思ったが、この子は本当に私のことをわかっている。
寂しくて、恋しくて、本当は行かないでほしい。それを隠そうと明るく振舞ったが、全部見透かされていたんだ。
「大切に・・・する」
嫌われているかもしれないと思っていた自分が情けない・・・。
◆
「おはようアリシア、ニルス」
パンが焼き上がると同時に、ルルが来てくれた。
「おはようルルさん」
「おはよう。十五歳だね」
「うん・・・ありがとう」
「あら・・・あたしの分も用意してくれたのね」
ニルスのために呼んでいた。
私にとっても必要だ。
◆
四人でテーブルについた。
ルージュは、ニルスの膝の上だ。
「ニルス、お母さんのシチューはおいしいでしょ?このパンも上手に焼けているわ」
ルルがいると少しだけ食卓が明るくなる。
こういう何気ない会話をもっとしてあげればよかったんだろう・・・。
「オレはこの家で出てくるものは全部好きだよ・・・」
「え・・・あ、ありがとう・・・ニルス」
この子に出す料理はどんな時でも手を抜いていない。
それだけは伝わっていてよかった。
「でも、この朝食で最後だ。・・・今まで作ってくれてありがとう」
「・・・そうだな」
本当は「いつでも食べに戻ってきていい」って言いたかった。
でもダメだ・・・。
全部飲み込まなければいけない。
「ニルス、どこに行くかは決まってるの?」
「まず・・・父親の所・・・」
「え・・・」
ルルが私を見てきた。
そうだ・・・みんなもニルスに嘘をついていたことになる。
「きのうの夜に聞いたんだ。・・・行先は決めてなかったけど、セイラさんに馬車を頼んである」
「そう・・・ごめんね」
「気にしなくていいよ」
「・・・」
ルルに睨まれた。
あとで謝ろう・・・。
「食べたら出るの?」
「少し休んだら・・・。街を出るのは・・・昼くらいかな」
「お父さんは・・・話しか聞いたことないけど、とてもいい人だと思う」
「・・・会って自分で確かめるよ」
きっと・・・大丈夫だ。
◆
「もっと本を読んであげればよかったね。・・・今日からはアリシアに読んでもらうんだよ」
「・・・」
食事も食べ終わり、ニルスはルージュと最後の会話を始めた。
「ルージュ、一緒にいれない兄さんを許してね。でも、君の幸せをずっと祈っているよ・・・」
私には出さないとても優しい声だ。
『ニルス君、一緒にいれない父さんを許してね。でも、君の幸せをずっと祈っているよ・・・』
そしてケルトと同じことを言った。
記憶の中にあったのだろうか・・・。
「アリシア、オレの部屋はルージュの部屋にしてあげて。必要なものは全部持った。・・・あとは捨ててもいい。これは・・・机のだ」
ニルスはテーブルに鍵を置いた。
「ニルス・・・私にはお前の部屋を片付けることはできない。それだけは許してくれ」
「・・・好きにすればいい」
「ありがとう」
私はそれを絶対にしない。
ずっと・・・ずっとお前の部屋のままだ。
◆
時の鐘が鳴った。
八つ目・・・。
「・・・じゃあ、オレはそろそろ行くよ。ルルさん、今までありがとう」
ニルスが立ち上がった。
・・・元気に送り出す。
「ええ、アリシアとルージュのことは任せなさい」
ルルがニルスを抱きしめた。
「お願い・・・」
「信じてちょうだい」
「うん・・・」
私も抱いてあげたい。最後だから・・・。
「じゃあ・・・お母さんにも抱いてもらいなさい」
ルルは離れて、ニルスの背中を押した。
拒まれたり・・・しないかな?
「ニルス・・・」
そっと背中に手を回した。
「アリシア・・・ありがとう」
ニルスは拒まなかった。
また疑ってしまったな・・・。
「ニルス・・・私の・・・母さんのこと・・・忘れないでくれ」
「・・・うん」
暖かい・・・このままずっと・・・。
行かないで・・・行かないで・・・。
◆
「そろそろ・・・」
抱きしめてどれくらい経ったか、ニルスが囁いた。
終わり・・・これで終わり・・・。
「ああ・・・すまない。そうだ・・・」
私はニルスから離れて、戸棚から封筒を取り出した。
「この手紙を父親に渡してほしい。中身は・・・」
朝起きてすぐに、ケルトに宛てて書いたもの。
全部託すしかなかった・・・。
「・・・人の手紙を勝手に見たりしない」
ニルスは受け取ると鞄にしまってくれた。
あなたは怒るかもしれない。私に呆れるかもしれない。
でも・・・頼んだよケルト。
◆
「晴れててよかった・・・」
ニルスが静かに扉を開けた。
「見送りはここまででいい。・・・さよなら」
静かに扉が閉められた。
まだ現実感がない・・・ニルスがいなくなってしまったのに・・・。
「行っちゃったわね・・・。アリシア、ニルスに鍵を貰ってたけど、どこの?」
「これは・・・あの子の机の鍵だ」
「机・・・直接渡したってことは、見てほしいものがあるんだと思う。行ってみましょう」
私の手が引っ張られた。
必要なものはすべて持ったと言っていたが・・・。
◆
「自分の馬車に船・・・精霊の城に・・・仲間・・・」
机の引き出しを開けると、そこにはあの子の夢が詰まっていた。
旅に必要なもの、行ってみたい場所、未知の世界という新聞の切り抜き・・・。
鍵をかけていたということは、私には見られたくなかったんだろう。
無言の訴え・・・。
これを見て気付くのではなく、思い出してほしかったんだ。
ニルスの夢を忘れて、強くなっていく姿に魅せられて戦場に立たせた。
栄光を与えること、そして共に戦場に立つのが私の夢だったが、あの子にとっては辛い思いをしただけ・・・。
様子が少し変だと感じた時、無理矢理この引き出しを開けていれば違った今があったんだろうか・・・。
◆
「旅人になるなら強い方がいいって母さんが言った。明日から鍛えてくれるみたいだし・・・」
ルルが一冊の本を取り出して読み始めた。
「それは・・・」
「あの子のね。・・・たまにしか書いていないけど」
日記帳だ・・・。
◆
『アカデミーのみんなは母さんの話しかしてこない。たまに嫌になるけど、オレは旅人になってこの街を出て行くから今は我慢してよう。母さんは許してくれるかな?』
まだ、私に夢を話さずに温めていた頃・・・。
◆
『旅人になるなら強い方がいいって母さんが言った。明日から鍛えてくれるみたいだし、話してよかった。戦場に出るための鍛錬もあるのに、オレのために時間を使ってくれて嬉しい。それに頑張った夜は大好きな卵のスープを作ってくれるっても言ってた』
私に夢を話してくれた日・・・。
◆
『母さんから「戦場では」って言葉が増えてきて心配だ。ちゃんとオレの夢を憶えててくれてるのかな?たぶん大丈夫だと思うけど』
たぶん・・・この辺りから見失った・・・。
◆
『オレに妹ができた。名前はルージュだ。かわいくてずっと見ていても飽きない。オレはお兄ちゃんなんだからしっかりと妹を見てやらないといけない。早く大きくなって一緒に手を繋いでお喋りをしたいな』
お兄ちゃんになった時・・・。
◆
『臆病者は必要ないと母さんが言った。戦場に出て戦うのが恐いと言ったらどう思うんだろう。雷神の息子は臆病じゃダメみたいだ。戦場は恐いけど、母さんに見捨てられるのはもっと恐い』
私がぶつけた悲しい言葉・・・。
これであの子を苦しめてしまった・・・。
◆
『ルルさんがまた抱きしめてくれた。オレの味方だとも言ってくれた。そして本当にオレのことは誰にも話していない。ルルさんが本当の母さんならよかったな』
こう思って当然だ・・・。
◆
『ルージュだけは幸せにしないと、アリシアにだけは絶対に任せられない。オレが十五になったら自分の家を買ってアリシアからは離れて暮らそう。そしてこの子がやりたいことは全部やらせてあげよう。悲しみも苦しみもこの子には必要ない、全部からオレが守るんだ』
文字に必死さが見える・・・。
本当に余裕が無かったんだ・・・。
◆
次で・・・最後みたいだ。
日付は・・・きのう・・・。
『明日、オレは旅人になる。あんなになりたかったのにあんまり嬉しくない。旅立ちはもっと楽しいはずだったんだけどな。オレが旅に出ると言ってもアリシアは一度も止めてくれなかった。認めてくれたのは嬉しかったけど、一度くらいは「行かないで」とか言ってほしかったな。もしかしたら本当に見捨てられたのかも、そんな気持ちが湧いてくる。ルージュは本当に大丈夫なのかな?お喋りできなくてもいい、せめて最後にお兄ちゃんって呼んでほしいな』
心臓が大きく跳ねた。
「行こう・・・」
私はルージュを抱き上げた。
「アリシア・・・お昼くらいって言ってたわね」
「セイラのところ・・・今行けば・・・」
まだ・・・まだ間に合うかもしれない・・・。
◆
「ルージュ、お兄ちゃん・・・お兄ちゃんだ。言ってあげないとダメだ」
「・・・」
戦場と同じ速さで走った。
「母さんも・・・ちゃんと言うから・・・」
このまま行かせてはいけない・・・。
◆
運び屋が見えてきた。
人だかりも・・・。
あれは・・・戦士たちだ。
みんな見送りに来てくれたらしい。
まだ昼には遠い、間に合ったんだ・・・。
◆
「・・・もうとっくに出た。見送りは・・・いらないんだってよ」
あの子は、すでに街を出ていた。
「悪いな。・・・聞いてたのは俺とセイラだけだったんだ」
テッドさんは気まずそうに教えてくれた。
足から力が抜けていく・・・。
「早く帰れ。セイラにはしばらく一緒にいてもいいって言ってある。なんも心配いらない」
「全員ニルスに騙されたわけか・・・」
べモンドさんの声だ。
みんなの溜め息が聞こえる・・・。
◆
戦士たちは鼻をすすりながら帰っていった。
私はまだ動けない・・・。
「ルージュ、裏にお馬さんがいるんだ。見てみたいか?」
「・・・」
「お菓子食うか?」
「・・・」
テッドさんは、ルージュを抱いて話しかけてくれている。
もう・・・折れてしまいそうだ。
「はあ・・・はあ・・・追いつけるわけないじゃん・・・」
ルルが息を切らしながら話しかけてきた。
・・・置いてきてしまったな。
◆
「出た・・・今から馬車を出して追いつけないんですか?」
ルルがテッドさんに詰め寄った。
「セイラには、説得してみろっても頼んだ。うまくいけば戻ってくる」
「いかなかったら?」
「好きにさせればいい。男なんだからさ。それに・・・父親のとこ行くんだろ?任せてみていいだろ」
「・・・」
ルルが黙った。
足音が近づいてくる。
「未練がある・・・そんな顔だったぞ」
私の肩が叩かれた。
それを痛いほど思い知ったから来たんだ・・・。
「だからいつになるかは言えないが、戻ってくると思う」
「そう・・・でしょうか・・・」
「何百って人間を運んできたからわかる。・・・このまま行かせてやれ」
戻って・・・。
「・・・間に入ってやろうかって言ったんだけどさ。しないでくれって止められたんだ。たぶん、他の奴もおんなじこと言われたんだろうな」
「え・・・」
私は顔を上げた。
「テッドさん!!言わないでって・・・」
「もう出てった。これくらい教えてもいいだろ。・・・アリシア、この四ヶ月・・・何してた?」
なにも・・・できなかった。
「さっきも言ったが、あいつは戻ってくると思う。その時にちゃんとやれ」
「はい・・・」
「父親と話して、少し旅をして・・・そのあとかもな」
涙が溢れてきた。
「アリシア、大丈夫よ。あの子は優しいからその内顔を見せに来てくれる。そしたらちゃんと話しなさい」
ルルが肩を抱いてくれた。
「あの子は・・・ずっと待っていたのに・・・」
「そうだね・・・だから本当は、さっき愛してるよとか、なにがあっても母さんは見捨てないよとか言ってあげればよかったのに・・・」
ああ、そうだな・・・もっとあの子が喜ぶ言葉をかけてあげればよかった。
「そして・・・行かないで。これが言えたら・・・あの子は残ってくれたと思う・・・」
その通りだ・・・。
ずっと言葉にできなかったこと。
その一言で今が変わっていたのに・・・。
「ルル・・・今日は一緒にいてほしい・・・」
「ふふ、そのつもりで来たのよ。・・・不器用なお母さん」
ルルがいてくれて本当によかった。
私はルージュを立派に育てよう。
そしてあの子が帰ってきたら・・・勇気を出してしっかりと抱きしめてやるんだ。
戦場も・・・絶対に勝ち続ける。
私が終わらせるんだ。




