第二十七話 一騎打ち【ニルス】
なんだろう・・・心が軽い。
本当の気持ちを伝えられたからか?
『なら出て行くといい、臆病者は必要ないからな』
『逃げるのか?クライン家の恥だな』
想像していたようなひどい言葉は無かった。
無い・・・そんなこと無いってわかってるのに、どうして想像してしまうんだろう・・・。
あの人はオレのことをどう思っているのか。
全然わからないけど・・・きのうまでより、ずっと心が楽だ。
◆
「・・・」
いつも通りに起きて食卓についた。
「あの・・・ニルス・・・おはよう」
アリシアもいつも通りに支度を済ませていた。
食事・・・戦場の時以外は、欠かさずに用意してくれたな・・・。
◆
食卓はとても静かだ。
特に話すことが無いから・・・。
「私は食べ終わったら訓練場に行く・・・」
アリシアが声をかけてくれた。
なんか、居心地悪いな・・・。
「ニルスも・・・体を動かしたければ来るといい」
オレは答えなかった。
もう「一緒に行こう」は無いらしい・・・。
「ニルスのこと・・・べモンドさんに話しておくよ」
「そう・・・あとで行く」
鍛錬は続けるつもりだった。
戦士の報酬は無くなるけど、日課だったしな。
「明日は・・・功労者の・・・」
「わかってる・・・」
「ルージュは私が見るよ・・・」
「そう・・・」
きのうは自分のことを「母さん」と言っていた。
・・・別にいい、いつも通りだ。
◆
ルージュと一緒に外へ出た。
ゆっくり、二人で歩いていく・・・。
「あの雲なにに見える?」
「・・・」
「なんかお魚みたいに見えない?」
「・・・」
ルージュは少し歩くと地面にお尻を付けた。
・・・仕方ないな。
「はい、ルージュは乳母車が好きだね」
「・・・」
「・・・君は、ちゃんとお母さんって呼んであげるんだよ?」
「・・・」
せめて、この子の声を聞いてから出たいな・・・。
「アリシアには・・・ちゃんと頼んでいくからさ。兄さんは・・・」
暖かい春風が吹いて、オレの頬を撫でた。
「風・・・兄さんはとわにさすらう風になるんだ。・・・かっこいい?」
「・・・」
大丈夫、頼むのはアリシアだけじゃない・・・。
◆
「ニルス・・・」
訓練場の入り口前にイライザさんがいた。
今来た感じじゃない、ずっとここにいたらしい。
「・・・おはようございます」
「おはよう。ルージュも・・・」
イライザさんはルージュのほっぺをつついた。
・・・なんの用だろう。
「私も娘が欲しいんだけどね」
「男の子は・・・いらないってことですか?」
「・・・」
「すみません・・・忘れてください」
言ってしまった。
嫌な気持ちにさせたかもな。
「謝らなくていいよ。あんたがどう思うかを考えずに言ってしまった」
「今のを察するのは無理があると思います」
「そうでもないさ・・・入るんだろ?行こう」
「はい」
背中を優しく叩かれた。
たぶん・・・全部聞いたんだろう。
◆
「ニルス・・・お前と勝負をしたい」
中に入ると、アリシアが近付いてきた。
なにか企んでるのか?
まあ・・・いいや。
「ありがとう・・・」
返事は、声を出さずに頷くだけで答えた。
なんで「ありがとう」なんだろう?
本当になにもわからないや・・・。
「スコット・・・」
「ニルスは受けたんだ。口出しはしない方がいいと思う」
ティララさんとスコットさんの小声が聞こえた。
急な思い付きじゃないってことか。
「受けたぞ・・・」「真剣勝負?」「みんな呼んでくる」
周りからも声が聞こえる。
「アリシアが勝つだろ」「ニルスも強いけどまだ無理じゃないか?」「いや、ニルスはもうアリシアを超えてる」
これから催し事が始まるって感じだな・・・。
好きに言わせておけばいいか。
それにちょうどいい、オレが勝てば戦士をやめることに誰も文句は言えないだろ・・・。
受けたのはなんとなくではあるけど、今は誰にも負ける気がしない・・・。
「・・・栄光の剣を使う」
「構わない、私も聖戦の剣で戦う」
アリシアの顔が変わっていた。
きのうの夜とか、今朝に見た弱そうな感じじゃない。
戦場に立つときの・・・これから戦うときの顔だ。
◆
体を伸ばしていると、いつの間にか他の戦士たちが大勢集まっていた。
みんなの踏んだ土が砂煙を上げて、風で舞い上がっていく・・・。
「誰か・・・ルージュを・・・」
「任せろ」
カーツさんが乳母車の周りに守護の結界を張ってくれた。
これで目や口に砂が入ることはない。
もう始めるか・・・。
◆
オレたちは観戦者たちの中心で向かい合い、武器を構えた。
栄光の剣・・・使いやすいんだけど、重い名前・・・。
「全力で来い。私はそのつもりだ」
「・・・わかった」
本気のアリシアとやるのは初めてだ。
・・・体が震えてくる。
でも恐くはない。自分で・・・本当に自分で決めた。
だから心が軽い・・・。
「スコット、合図を頼む。ニルス、負けた方はなんでも言うことを聞く・・・どうだ?」
「・・・いいよ」
オレが深呼吸を終えたと同時に、スコットさんが二本の剣を掲げ・・・打ち鳴らした。
「ニルスーーー!!!!」
アリシアが叫びを上げ、地面を蹴った。
全力・・・間違いないみたいだ。
オレみたいによっぽど覚悟してないと、気圧されて怯んでしまう。
「よく耐えた!すぐに終わってはつまらないからな!!」
アリシアは剣を抜き、オレの腕を狙って斬り上げた。
何度も見た技だけど、今日は知っている動き以上の速さだ。
「効かないように鍛えただろ・・・」
オレは一歩後ろへ下がり、ギリギリで躱した。
「効くまでやるんだ!!!」
アリシアはすぐにまた踏み込んだ。
・・・脚か。
「どうしたアリシア・・・」
蹴りも躱した。
「いつも通りだ!!」
いつの間にか剣が迫っている。
この人に油断なんて無い、必ず連撃・・・オレもそう教わった。
・・・だから問題ない、準備してある。
二撃目も躱し、片足が上がっているアリシアに体ごとぶつかった。
「やるな!だがそのくらいの当たりで私は飛ばない!!」
「まだ、手はある・・・」
「やってみろ!」
アリシアはオレの体当たりを耐え、すぐさま突きを繰り出した
「・・・見えてるよ」
左手の拳、躱されても二の手を即座に用意している。
次は払いか、低めだな。躱されたらその回転を利用して・・・首だろ?
「まだだ!」
予想通り首を狙ってきたところを栄光の剣で防いだ。
あーあ・・・力、強いな。
「全部・・・わかるよ」
さっきは緩めてしまった。
「耐えられないと思う・・・」
剣を弾かれた一瞬の隙、今度は渾身の蹴りを打ち込んだ。
『教えるのは今日だけ、あとは自分で磨くのよ。これは才能もあるから無理だと思ったら諦めなさいね』
セイラさんに教わった技術は、もう自分のものにできている。
『そうだな・・・わたしはこの石畳割れるよ』
それを人間に・・・。
「ぐ・・・」
だからさすがのアリシアでも耐えられない。
「一撃で終わるわけないだろ・・・」
オレにも油断はない、必ず連撃だ。
・・・あなたより速く動けるよ。
◆
「オレの勝ちだ。アリシアは・・・死んだ」
切っ先を顔の前で止めた。
「予想以上の衝撃だった・・・。少し・・・出遅れてしまったな」
アリシアは受け身のあと、間を置かず反撃に出ようとしていた。
ほんの一瞬だけどオレの方が速かった・・・それだけだ。
「そう・・・遅い・・・」
血が、心が・・・昂っている。
素直に楽しかった。腕試しなら悪くないな。
「アリシアが負けた・・・」「あいつまだ十四だぞ・・・」「やっぱ調子悪かったんじゃないのか?」
ざわめきが増えていく。
・・・そんなことはない、絶好調だったよ。
「みんな静かにしてくれ!!私の負けに変わりはない!!」
アリシアが立ち上がって、戦士たちに敗北を伝えた。
そう、オレの勝ち・・・。
ここまで・・・強くしてくれた。
「気は・・・済んだ?」
「ああ・・・お前は私よりも強い。旅へ出て・・・どこへ行こうと大丈夫だろう」
アリシアは不安そうに笑った。
たぶん、オレに自信を持たせるため・・・。
この戦いはそういうことだったのかな?
「みんな聞いてくれ!ニルスはもう戦士をやめて、十五になったら旅に出るんだ!私に勝った・・・それだけ強いということだ!!」
アリシアが戦士たちに叫び出した。
・・・なんだよ。
「一番・・・そう、一番強い!!この子に・・・文句がある奴はいないな!!」
訓練場が静まり返った。
つまり、誰も文句は無いってことだ。
オレに自信を付けさせるのが目的だと思っていたけど、それだけじゃなかった。
戦士を黙らせるには力を見せればいい、オレに残ってほしいなら腕ずくでやれってこと・・・。
オレも考えていたこと・・・。
不器用だな・・・まあ受け取っておこう。
『お前を世界で一番強い男にしてやろう』
今、アリシアに勝てる人っているのかな?
約束・・・果たしてくれたんだろう。
でも・・・。
『そうなんだ・・・オレも嬉しいと思う。ねえ、約束だよ?』
『ああ、約束だ。毎日鍛えればきっと強くなるだろう』
あれは・・・無いのか・・・。
オレが勝っても、嬉しくはない?
◆
「地図は一番新しいのを持ってけよ」「靴は急に穴が開いたりすることもある。予備は必ず用意しないとダメよ?」「宿場が近くにある時はそっちに泊まった方がいいぞ。疲れの取れ方が違うんだ」
戦士たちは、みんな旅立ちを祝福してくれた。
明日出るわけじゃないんだけどな・・・。
でも、戦場から去るオレを責める人は誰もいなかった。
もっと早く伝えていれば、こんなに心の中が絡まることはなかったのかもしれない。
・・・結局、誰も信じられなかったオレが悪いんだろう。
でも・・・これで戦士から解放されたんだ。
◆
夕方まで戦士たちに捕まっていた。
まったく鍛錬できなかったな・・・。
「ニルス君、今日も酒場に行かない?」
「行こうぜ」
帰ろうとしたらスコットさんとティララさんが誘ってきた。
ありがたいけど・・・。
「ごめんなさい、ルージュが・・・」
「ニルス、行ってきて大丈夫だ。ルージュは・・・私が見る」
アリシアが後ろにいた。
「ちゃんとできる・・・。読み聞かせもする・・・」
「そう・・・」
つまり、一緒には来ないんだな・・・。
「わかった・・・ルージュ、また・・・あとでね」
心配だけど、そうした方がいいと思った。
オレはいなくなってしまうから・・・。
◆
「アリシア様からも頼まれたんだ。祝福してくれって・・・」
「頼まれたからってだけじゃないからね。私たちもそうしたいんだ」
酒場までの道で、二人が思いを教えてくれた。
そんなの顔を見ればわかる。
「あの・・・なんにも・・・できなくて・・・」
「なんとなく・・・わかってたんだけど・・・」
「まあ・・・気付いてるんだろうなっては思ってました」
だからなにも言わなかったオレが悪い。
「ごめんなさい・・・」
「謝ってどうにかなるわけじゃないけど・・・」
「あの・・・気にしないでください。まだテーゼにいるんで、仲良くしてくださいね」
それに、頼みたいことがたくさんある。
オレを知っている人、全員に・・・。
◆
「ニルス・・・」
酒場に入ると、ルルさんが暗い顔で近付いてきた。
たぶん、きのうのことだ。
「あたし・・・アリシアに・・・」
「アリシアはなにも教えてもらえなかったって言ってた。・・・ありがとう」
「ニルス・・・」
ルルさんに抱きしめられた。
戦士をやめて旅人になること、ちゃんと話さないとな。
◆
「水の月・・・」
「うん、色々準備もあるから・・・」
「あと・・・四ヶ月・・・」
ルルさんは潤んだ目で話を聞いてくれた。
なんか・・・切ない。
「アリシアとは・・・」
「別に・・・仲悪くはないよ」
「・・・そう。ニルス、いつでも来なさい」
「そうする。・・・ありがとう」
ルルさんの曇った顔は晴れなかった。
あの人とどうなったわけでもないからなんだと思う・・・。
◆
「ニルス、私たちも混ぜてよ」
「・・・お久しぶりですね」
ジーナさんとエディさんが来て、同じテーブルに座った。
エディさんと最後に会ったのいつだったろう・・・。
「なんていうかさ・・・友達じゃん?だから、抱え込まないで言ってほしかったよ」
「ニルス様のいないお茶会はとても退屈でした」
「そうそう、スコットだけじゃつまんないんだよね。ニルスの楽しそうな顔見たいってのもあったんだ」
未知の世界は、あれからも三人で見ていたらしい。
オレがいないとつまらない・・・嬉しいな。
「お茶会・・・スコット、私とアリシア様に嘘ついてたの?」
「え・・・嘘っていうか・・・」
「なに・・・してたの?」
ティララさんに隠し事が知られてしまった。
・・・黙っとこ。
「楽しかったよねースコット。・・・興奮しちゃってさ」
「ちょ、なに変なこと言ってんですか!」
「あの顔・・・ティララに見せたことないんじゃない?」
「スコット・・・全部話して。場合によっては・・・刺す」
一緒に住んでるんだから教えておけば・・・オレができなかったことだ。
やっぱり黙っておいた方がいい・・・。
◆
「あの変な新聞か・・・」
ティララさんは事情を聞いて呆れた顔をした。
まあ、わからない人を否定はしないけど。
「ニルス様、ルージュ様は・・・どうするのですか?」
エディさんがオレの目を見てきた。
ずっと黙っていたけど、これを聞きたかったんだろう。
「戦う前に、負けた方はなんでも言うことを聞くと取り決めをしました」
もう、なにをしてもらうかは決まっている。
「オレのようにするなって伝えます。ただ・・・様子が変わったらお願いしたいです。たぶん・・・オレは戻らないと思うから・・・」
「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」
みんなが真剣な顔になった。
ルージュを置いて行くのはたしかに心配だ。
でも、アリシアは同じ間違いはしないと思う。
周りには、ルルさんやみんなもいるからきっと大丈夫だろう。
けど、できれば・・・一度だけ「お兄ちゃん」って呼んでほしいな・・・。
いや・・・無い方がいいかもしれない。
・・・どっちがいいんだろう?
「改めて、みんなの所には行きます。色々・・・お願いしたいことがあるので・・・」
でも、とりあえず頼んではおこう。
ルージュのために・・・。
◆
「遅くなっちゃったな・・・」
街の明かりが少しずつ消え、夜の闇が覆っていく。
家に着いたのはそのくらいの時間だった。
「ルージュ・・・」
扉の前まで近づくとルージュの泣き声が聞こえてきた。
夜泣き・・・もう無いと思ってたんだけどな。
でもアリシアが一緒にいるから、起きてあやしてくれるはずだ。
今は・・・なんか会いたくない。
・・・泣き止むまで待つか。
ちゃんとできるのかも確かめないといけないから・・・。
◆
床のきしむ音が聞こえた。
アリシアが抱いて家の中を歩き回っているみたいだ。
・・・出てくるのか?
足音がオレのいる扉の前で止まった。
「ルージュ・・・ニルスはまだ帰らないみたいだ」
扉は開かなかった。
オレの話・・・。
「早く帰ってきてほしいな・・・。ルージュもそう思うだろ?」
スコットさんたちに頼んだのは自分じゃないか。
それなら・・・一緒に来ればよかったんだ・・・。
「・・・今日、私はニルスに負けてしまったんだ。勝ったら・・・ルージュが大きくなるまでは・・・ここで一緒に暮らすように頼もうと思っていたんだけどな・・・」
勝手なことを・・・。
直接・・・言えよ・・・。
「みんなも・・・納得してくれたんだけど・・・勝てなかった」
先に行って説明してたってわけか・・・。
「・・・仕方ないことだ。ルージュ、寂しいだろうが・・・誇りに思え。お前のお兄ちゃんは世界一・・・強い男だ。まだ・・・時間はあるが、その間にたくさん抱いてもらうと・・・いいぞ」
嗚咽が混じっている。
あの人は、今どんな顔をしているんだろう・・・。
「ルージュ、ニルスが旅立つ前に・・・話せるようになればいいな。・・・そうしたら・・・お兄ちゃんと呼んであげてくれないか・・・。ずっとかわいがって・・・もらったんだぞ?」
なに泣いてんだよ・・・。
「すまない・・・ルージュ。お前を泣き・・・やませないとい・・・けないのに」
・・・まったく、これじゃ帰れない。
◆
オレは二人がまた眠るまで街を歩くことにした。
ほんの少し目を離した隙に、街の灯はもうほとんど消えている。
まるで燃え残っていた火に一気に水をかけたみたいだ。
「水の月・・・十五歳・・・」
四ヵ月後・・・この街を出て行く。
だけどもし・・・アリシアが「行かないでくれ」って直接言ってくれたら、少しは考えてやってもいい・・・。
そんなこと・・・あるのかな?




