第二百六十二話 歪んだ愛【ハリス】
ニルス様もステラ様もいた上での敗走・・・気に入らない。
自分の思い通りにならないことが、ここまで感情を揺らしたのは初めてだ。
『私は一人・・・なので、あなたたちが従うように先手を打っただけです。だがギリギリだった・・・ふふ、ここに来るのがあと一日・・・たったの一日早ければ防げたのですが・・・残念でしたね』
私は計画を阻止できた・・・。
『戦場・・・これから行くの?』
『いえ、ニルス様が必要なので今日は行きませんよ。それに、一度メルダ様に報告を入れてからにするつもりです』
気が緩んでいた。
きのう行っていれば・・・。
・・・落ち着かなければいけない。
友の子が壊れてしまわないように・・・。
私の中で、幸福でいなければならない存在・・・。
◆
「ミランダ様・・・起きてください」
私は暗い部屋の中で彼女を揺すった。
精霊の目のおかげで、大きな口を開けている顔がよく見える。
「ん・・・ハリス・・・戻ったの?」
「お話があります・・・ルージュ様を起こさぬようにベッドを出てください」
「なんか・・・暗いね」
「部屋が暗いだけですよ。・・・さあ、行きましょう」
私はミランダ様の手を引いて部屋を出た。
もう一つあるかわいらしい寝顔は、まだこのままにしておくつもりだ。
「会議室で・・・みなさんが待っています」
「・・・」
ミランダ様はなにも言わない。
私の雰囲気で、事態が進展していないことを察してくれたのだろう。
◆
「・・・お待たせしました。全員カゲロウ様から記憶は受け取りましたか?」
室内を見渡しながら、そこにいたすべての者に問いかけた。
だが・・・答える者はいない。
「受け取ったようですね・・・」
誰も声を出さないつもりか・・・。
「・・・そいつだけにはやってない」
ニルス様が気怠そうにジナスを指さした。
声を出してくれたのはいいが・・・態度が悪すぎる。
「剣を手放すのは・・・珍しいですね」
「縮んでいた時はずっとそうだったよ・・・」
椅子には浅く座り、背もたれに大きく体を預けていた。
「それに・・・コトノハの椅子になってるしな」
「暖かい愛を感じますので・・・。ニルス様も触れていた方が・・・」
「武器・・・今は触りたくない」
大切な剣たちはテーブルの上に置かれている。
コトノハが上に乗っていることも気にしていない・・・。
「なにが・・・あったの?・・・ジェイスは?」
ミランダ様が声を出した。
沈黙が辛かったのだろう。
「・・・カゲロウ様、ミランダ様にも記憶を」
「はい・・・」
すべて知ってもらおう。
語るのは疲れる・・・。
◆
ミランダ様にも記憶を渡し、空いている椅子に座らせた。
全員黙っているので、私が進めるしかないようだ。
「さて・・・話をまとめなければいけません。まず、人間の王には報告をする必要があります」
苛立った顔が多いが、それはこちらも同じだ。
そろそろ声くらい出していただきたい。
「・・・ハリス、状況がわからない。誰か私にも記憶をよこせ」
ジナスが目を細めた。
「・・・話してくれる分、ジナス様の方が前向きですね。知恵を貸していただけるのであれば渡しますよ」
「いいだろう。ここにいる精霊よりは役に立つ自信がある。・・・オーゼ、よこせ」
「・・・」
オーゼ様は無表情で立ち上がり、ジナスに触れた。
知識に関しては信頼しているようだ。
私も・・・頼ることにしよう。
◆
「ふふふ・・・いいな。その場で見たかったぞ」
ジナス様は記憶を受け取ると笑い出した。
私もその立場がいい・・・。
「カゲロウ、よく育てた。いい戦士だ」
「育てたのは私ではありません・・・」
「ああそうだったな。・・・どうしたお前たち、楽しくなってきたんだぞ?」
「・・・」
シロ様の手が動いた。
煽り過ぎだ・・・。
「それ以上笑ったら・・・消す」
室内に凍てつく冷気が集まり、無数のつららがジナス様を囲んだ。
口には出せないがやめていただきたい・・・。
「なら解決策を言ってみろ。黙っていてなにか変わるのか?」
「・・・」
「祈っているだけの愚か者たちと同じだな。王なら導けよ・・・」
「・・・」
冷気が強まっていく・・・。
これでは話し合いにならない。
「シロ、消してくれ・・・寒いよ・・・」
「ニルス・・・ごめん・・・」
「・・・」
静かにしてはいたが、一番心が乱れているのはやはりニルス様のようだ。
ステラ様が隣で安らぎの魔法をかけてはいるが、まだ嵐は続いているらしい。
「お前たちは何を悩んでいる?あの状態ならジェイスを連れてくることができただろ」
それでもジナス様は煽るのをやめない。
記憶を渡すべきではなかったか・・・。
「・・・オーゼ、記憶は全部渡したのか?」
ニルス様が呟いた。
そろそろ危険だ・・・。
「渡したわ・・・」
「そうか・・・狂ってんのかお前は?」
「それはお前だろ?奴をここに運んでいれば、今ごろアリシアは解放されていたぞ」
ジナス様はこの場を楽しんでいる。
これ以上ニルス様を刺激しないでいただきたい・・・。
「ジナス様、彼にはたくさんの命が握られています。従うしかなかったのです」
「命か・・・流してしまえ。アリシアを解放したのちにカゲロウが黒煙を払っていき、降り注いだ黒煙の蛇を精霊が消して回ればいいだろう。ああ・・・胎動の剣でもできるな。ニルスも旅をしながらそうすればいい」
「できるわけがないだろ!!これ以上ふざけたことを抜かすな!!」
ニルス様がテーブルを殴った。
さすがに無理だったか・・・。
「・・・ニルス、私はふざけていない。早く解決したいのであればそれが最善だったのだ」
ジナス様の言いたいことはわかる。
黒煙の元であるジェイスが存在する限りは戦わなければならない。
ここで多くの犠牲を出してでも・・・それも一つの方法ではあるのだ。
「どうせ誰も話さないのだ。もっと私の考えを述べてもいいのだぞ」
「・・・犠牲は出せない」
「甘いなニルス、無理だ。あそこまで命を作っている以上、女神への相談はできない。ふふ、怒り狂うだろうからな。また世界が沈めば、今言った以上の犠牲が出る・・・どっちが少ないかはわかるだろ?」
私もジナス様の考えは頭をよぎったが・・・そこまでの命を背負う覚悟は無い・・・。
「お前には聞いてない・・・。みんな、なにかいい方法はないか?」
ニルス様の問いは全員聞こえてはいるが、答えを持つ者はいないだろう。
◆
声は生まれず、どのくらい経ったか・・・。
困ってしまった・・・。
「・・・他に方法は無いようだな。今から戦場に戻れ、眠っているのなら簡単だろ?」
ジナス様が話を進めてくれた。
だが・・・それ以外がいいのだ。
「ジナス様・・・ニルス様の仰るように犠牲が出ないようにはできませんか?」
「お前は私と同じ意見だと思っていたが違うのか?リラとの子、そのために世界を沈めた。なんとも思っていないじゃないか」
そう、なんとも思ってはいない・・・。
あの時はリラさん以外に興味は無かった。
だが今は違う、大切な存在が多くいるこの世界に意味がある。
「あの頃に後悔はありませんが、今は失いたくないのです」
「ならお前も進行で逃げずに意見を出せ。上から見られているようで不快だ」
「厳しい方ですね・・・」
「私を悪者にしても解決しないぞ。生ぬるい考えを捨てろ、すべては救えないのだ」
他に方法が見つからない。
誰も口にしないのは、それを背負う覚悟が無いだけ・・・。
ただ、それだけ・・・。
「私は真実しか言わないぞ。ジェイスは戦場にしか興味が無い。すなわち、なにか他のものでの交渉は聞き入れないだろう。・・・なあニルス、対峙してわかっただろ?」
「・・・その通りだよジナス。あいつは・・・欲しいものなんて無いんだ・・・」
「以前のカゲロウに執着はあったようだが、アリシアに負け・・・私に還ってしまったからな」
「・・・」
カゲロウは目を伏せた。
自分ではないのに責任を感じているのだろうか?
「あのー・・・黒煙は上空にあるんですよね?」
リラさんが手を挙げた。
なんとか雰囲気を変えようと精一杯明るい声を出してくれている。
「蛇が降ってきても、みんなで守護を張ればいいんじゃないですか?大きな傘を作るんです」
「そっか、弾かれたのをみんなで消していけばいい。じゃあチルが結界を張ってあげる」
いい案ではある。
しかし、それは実現できない。
「リラさん、二十の地域をすべて守れますか?」
「う・・・それは無理・・・」
「そうなのです。精霊の数が多ければとてもいい案なのですが、七名では守り切れません」
「あんたが悪いんだよ・・・」
チル様は口を尖らせてジナスを睨んだ。
今の策ができない原因だ。
「・・・問題をすり替えるな。だが、今のように浮かんだことを全員口に出せ。話が進むだろ?」
ジナス様のねらいがわかった気がした。
ただ煽っていただけではないようだ。
「はいはーい、なんもできないように氷の棺は?で、その隙にカゲロウ連れて一つずつ黒煙を消していこう」
今度はミランダ様が手を挙げた。
「ジナス様、どうでしょう?私はいい考えだと思います」
そう、なんでもいいのだ。
どこかに解決の糸口がある。
「黒煙とジェイスが繋がっているのは真実なんだろ?だから念じれば蛇を降らせることができる」
「で?」
「氷の棺はすべてを止める。黒煙への意識が止まった時にどうなるかはわからない。つまり、賭けだな」
「ちっ・・・」
ミランダ様は腕を組んで目を閉じた。
安全が保証されないのであればできない。
ただ、記憶はしておこう。
◆
いくつか意見が出たが、これだというものは無く・・・また誰も声を出さなくなった。
この沈黙が辛い・・・。
「ニルス、なにか考えはないのか?」
ジナス様はすかさずお気に入りをからかいだした。
たしかにニルス様はまだ意見を出していない。
「・・・ずいぶん楽しそうだな。お前にオレの気持ちがわかるか?」
「他の者は知らないがお前の考えはわかる。共にいたからな」
「ジナス、これ以上ニルスを刺激しないでちょうだい。ここは争うのではなく、策を考える場でしょう?」
ステラ様が止めてくれた。
いつもの笑顔はどこかへ行ってしまったようだ。
「・・・勝ち続けるしか無い・・・戦えばいいだけだ」
ニルス様が目を閉じた。
いい案が無い中、一人で考えていたのか・・・。
「ニルス・・・」
「オレに他の策は思い浮かばない。ジェイスは勝てば黒煙を減らすと言った。数は二十・・・半年に一度なら十年・・・こっちがずっと勝てばいい」
「だけど・・・」
「黒煙が無くなった時に捕らえる・・・そうするしかないだろ」
ニルス様の考えは、時間はかかるが最善の策。
しかし、それはあなたがやりたくないことでもある。
だから他の方法を探さなければならないのだ。
「ハリス、王に伝えてくれ。心配は・・・無いって・・・」
「ニルス様・・・」
希望が無いと諦めるのは早い。
だが、それを裏付けるものが無い・・・。
「他の九人は・・・数合わせでいい。守りはするけど、死んでもいい犯罪者とかを連れて行く・・・」
「・・・本気ですか?」
「いいから伝えてくれ・・・オレが一人でやる・・・」
ニルス様は泣いていた。
以前に見た悔し涙とは違う。
感情が複雑に絡まり、もうどうしようもないのだ。
そして、自分にできることをやるしかないという諦めも含んでいる。
「まだ・・・旅はできそうもないな・・・。ステラ、ミランダ、シロ・・・十年・・・待っててくれ・・・」
「・・・」「・・・」「・・・」
かける言葉は誰も持っていない。
ここで必要なのは慰めではないと誰もがわかっている。
そして他に打開策がない以上、これしか方法がないのだ。
「泣くなよニルス、そんなこと欠片も思っていないだろ?」
「・・・」
ニルス様は立ち上がり、ジナス様に近付いた。
・・・今ので線が切れたようだ。
「そうだ!!なんでまた生き死にの戦いをしなきゃならないんだ!!」
溜まっていたものを吐き出す相手・・・それは元凶しかいなかった。
言ったからどうにかなるわけではない。
だが、心を保つためにそうするしかないのだろう。
「お前を倒して戦場は終わりじゃなかったのか!!もうおかしくなってしまいそうだよ!!!」
「大丈夫だニルス、仲間やルージュがいるだろ?まだ誰も欠けていない・・・それだけでお前は戦えるはずだ」
「・・・」
ニルス様の熱が一気に冷めていくのがわかった。
おそらく妹の名前・・・ずっと心を見てきただけはある。
「ルージュ・・・ルージュには・・・なんて言えばいいんだ・・・。あの子は・・・関係無いじゃないか・・・」
その存在があるから心を保てていた。
だが、今回は少しだけ様子が違うようだ。
「・・・お前もそうだったな。なんで・・・巻き込むんだよ・・・」
「その方が強くなれるだろ?戦う理由があってよかったじゃないか」
ジナス様は何を考えているのだろう?
これ以上ニルス様の胸を打てば、壊れてしまう・・・。
「ニルス・・・まだ時間はある」
「そうだよ、だからもっとみんなで考えようよ」
シロ様とミランダ様が立ち上がった。
・・・抑えられるだろうか。
「悲しみはオレが飛ばす・・・もう決めたんだ。誰も口出しするな・・・」
ダメだったか。
今は仲間の言葉でさえも聞きたくないのだろう。
おそらく、嫌々戦場に出ていた頃と同じ状態だ。
違うのは、逃げる場所が無いこと・・・。
「オレの意見は出した。あとは・・・好きにすればいい」
「ニルス・・・」
「ステラ・・・ごめん」
駆け寄ったステラ様を精一杯優しく振りほどき、ニルス様は扉へ向かった。剣・・・父も置いていくのか・・・。
◆
「・・・ルージュ」
「・・・」
部屋の中全体が凍り付いたようだった。
薬を薄くし過ぎたのか、それとも女神の血はそういうものに抵抗があるのか・・・。
いずれにしてもミランダ様がいないことで不安になり、起き出してここまで来た・・・そんなところだ。
「あの・・・わたしは・・・」
「君はなにも心配するな・・・何とかするって約束しただろ?・・・明日はテーゼに帰って・・・ヴィクターや友達と出かけるといい・・・」
ニルス様は風のように走り去った。
「・・・」「・・・」「・・・」
同時にミランダ様、シロ様、ステラ様の三人が風を追い、無言で部屋を飛び出していく。
かける言葉は無い・・・だから、ただ寄り添ってあげるのだろう。
誰でもいいわけではない、あなたたちにしかできないことだ。
任せるしかないですね・・・。
「・・・」
ルージュ様は追いかけなかった。
頼れる方が涙を流していたことが衝撃だったのだろう。
◆
「・・・」
ルージュ様はニルス様のいた椅子に座った。
そこには兄の温もりが残っている。
「・・・ルージュ、いつ起きたの?」
オーゼ様は手を握ってあげている。
安らぎの魔法・・・なんとか落ち着いていただければいい。
「ミランダさんが部屋の扉を閉めた時に・・・」
「最初から聞いていたのね・・・」
「はい・・・」
私も隣へ行こう。
できるかはわからないが、支えなければならない。
「カゲロウ、ルージュにも記憶を渡せ。もう隠すことはないだろう」
イナズマ様が腕を組み直した。
・・・その通りだ。
「はい・・・」
もう知ってもらうしかない。
今のやり取りを聞いていたのであれば、ニルス様へ負担をかけないように努めてくれるだろう。
◆
「剣の手入れも、輝石の紐も、あのお薬も・・・そのためだったんですね・・・」
ルージュ様はすべてを知った。
だが怒っている様子は無い。
「ごめんねルージュ・・・あなたが寝ている間にすべて終わらせようとしていたの・・・」
「謝らないでください・・・。わたしは・・・行っても役には立てませんし・・・」
ルージュ様は拳を強く握った。
・・・出発の前に知っていたら「自分も行く」と騒いだだろう。
まあ、あのニルス様を見れば不満など出てくるはずが無い。
「ジナスさん・・・どうしてニルス様を追い込んだんですか・・・」
ルージュ様はジナス様を見つめた。
感情的になっているわけではない・・・単純な疑問だ。
「好きだからだ」
「よくわからないです・・・。それは・・・愛ですか?」
「そういうことだな」
「歪んでいます・・・」
歪んだ愛・・・好きだから傷付けたいということなのだろうか?
「お前が扉の外にいたのは愉快だったぞ。さらに絶望の底へ落とす・・・見たかった顔だ」
「ジナス、それ以上ニルスを侮辱するならその口を切り裂く・・・」
オーゼ様の目には怒りが滲んでいた。
「・・・」「・・・」「・・・」
イナズマ様、チル様、メピル様も動きは無いが静かに怒っているようだ。
「侮辱?救おうとしているんだ」
「救うですって・・・あなたは逆のことしている」
誰が見てもそうだ。
ニルス様の言ったように狂っているとしか思えない。
「出て行くのは予想外だった。まだ大丈夫だと思ったんだがな」
「・・・なにが言いたいの?」
「もう一つ見たかった顔がある。・・・ここにいる全員がそう思うものだ」
「言ってごらんなさい。私が不快に思ったら言った通りに口を切り裂く」
オーゼ様は指先をジナス様へ向けた。
この空気は耐えがたい。
本当は手を取り合っていただきたいのに・・・。
「絶望が希望に変わる・・・見たいだろ?」
ジナス様は、今日見た中で一番邪悪な顔をした。
だが、口にした言葉は・・・。
「あなた・・・希望を持っているの?」
「追い込んだのはその顔が見たかったからだ」
「はっきり答えろ。お前はあいつを救えるのか?」
「ちゃんと言いなさい!」
室内の全員がジナス様の答えを待っている。
早くこの空気を換えていただきたい・・・。
「・・・持っている。お前たちが承諾するかどうかだがな」
光を放つような言葉・・・。
凍りついたニルス様の心は、どうにかできるようだ。




