第二百二十五話 わかる人【ニルス】
「ああ・・・もっと声を・・・」
「ハリス・・・ハリス・・・」
二人は、オレたちの目も気にせずに長い間泣いていた。
・・・父さん、精霊銀を見つけたのはオレじゃなかったよ。
ハリスが最初から持っていた愛・・・それを精霊銀が見つけた。
そういうことなんだと思う。
「一度家を出ようか」
「・・・はい」「そうね」
オレたちは二人のために家を出た。
しばらくはあのままにしてあげたい。
◆
「リラはあの状態でも意識はあったみたいね。見えてもいたし、聞こえてもいた・・・」
オーゼが水路を見下ろした。
「そうなのか?」
「石の時の顔を見たでしょ?なにもかもに絶望して、表情を作れなくなった・・・リラへの罰ね」
罰を与えられたのはハリスだけではない。
自分のために精霊銀を探す姿を見せられること。
それがリラに与えられた罰・・・。
「そうでなければ、石化が解けてすぐにあそこまで感情が揺れることは無いと思うの。ごめんねって言っていたのも、全部知っていたからなんじゃないかな」
「きっとそうですよ。あとで聞いてみましょう」
いったいどれくらいの苦痛なんだろう?
ハリスは動ける分、何かで気を紛らわせることができたはずだけどリラはそれができない。
だとすると、今回のことはかなり苦しかっただろうな。
毎日必ず一度は帰っていたハリスが長い間戻ってこない。
どうしようもない不安、それでも動けない自分・・・想像したくもないな。
◆
「ルージュ、ずっと起きていたけど平気か?」
太陽の姿がすべて現れた。
でも、ハリスたちはまだみたいだ。
「大丈夫です。それよりも・・・お腹が空きました・・・」
「そろそろ朝食を出す店が開く頃だし、なにか食べに行こうか。オーゼ、チルに呼びかけを」
「私も少しこの街を見たいから連れてくるわ。あなたたちはここで待ってて」
オーゼは目の前の大きな水路に飛び込んだ。
夜に輝いていた街明かりは消え、美しい水路は朝日を反射して真っ白に光っている。
「仕方ないな。・・・ルージュ、この街は歩くよりも水路を舟で移動した方が早いらしい」
オレはルージュの頭に登った。
せっかく妹と二人きり、お喋りがしたくなる。
「はい、お母さんも言ってました。だからたくさんの舟があるんですね。・・・乗ってみたいです」
「そうだな、だけどまだ船頭さんたちが起きてくる時間じゃないみたいだ。次の時の鐘くらいかな」
「夜も素敵ですけど、朝も同じくらい素敵な街ですね」
ルージュは水路に落ちないための柵に寄りかかり、流れる水を安心した顔で見ている。
今、この子の心はとても穏やかなんだろう。
「今度来るときはヴィクターも一緒に連れてきた方がいいな」
「へ・・・な、なんでですか?」
「ごまかし方が未熟だな。恋をしているんじゃないのか?・・・師匠に嘘はつかないように」
「えと・・・あの・・・まあ・・・」
ルージュが頬を赤らめた。
・・・隠してるつもりだったのか。
「恥ずかしがることじゃない、オレにとってのステラもそうだ」
「きのうの夜・・・思ったんです。夜の綺麗なこの街をユウ・・・ヴィクターと歩いてみたいなって」
「想うとなんでもできそうだろ?」
「はい・・・大切にしたい気持ちです」
アリシアが今の状態になって、悪いことだけが起きているわけじゃない。
ルージュが成長して恋を知った・・・とても大事なことだ。
「もっと強くなる方法を教える。技術ではなく心構えだ」
「・・・知りたいです」
これからわかってくると思うけど、先に伝えておいた方がいいからな。
「剣を振る時は、ヴィクターや大切な人を思うことだ。オレもそうだった」
「え・・・それだけですか?」
「そうだ、それだけで強くなれる」
「はい」
ルージュは力強く頷いた。
『ルージュのことだ。・・・うまくは言えないが、嫌なものを感じた』
母さん、もうその心配はない。
それに危ない戦いはさせない。
「ニルス様もステラさんとここに来たいですか?」
ルージュがオレを柵に乗せてくれた。
「ステラもそうだけど・・・シロやミランダ、みんなで来たい。仲間も同じくらい大切だ」
「あ・・・ずるーい。わたしはセレシュたちもお母さんもルルさんも連れて来ます!」
「あはは、ムキになるなよ」
今の内にもっと話しておきたい。
闘技大会に夜会・・・ルージュとゆっくり話す時間、あんまり無かったからな。
「ロレッタっていう街がある。ここから北西で、師匠の家から近いな。聞いたことある?」
「えっと・・・温泉でしたっけ?」
「そう、街の中にたくさんの宿と温泉がある。みんな湯浴みで通りを歩いてて、好きな時に湯に浸かれるんだ」
「わあ、すごいですね。行ってみたいなあ」
ルージュはオレの話す場所に思いを馳せてくれている。
本当は・・・もっと早くにこの顔を見たかった。
「そこも夜は綺麗なんだ。街明かりが湯煙でぼやけて・・・ミランダとひと晩中浸かっていたこともあった」
「ひと晩中・・・全身ふやけちゃいそうですね」
そんなルージュも見てみたい・・・。
もしのぼせてしまったら、ヴィクターには悪いけどオレが背負わせてもらおう。
◆
時の鐘が鳴り、水路の舟が動き出した。
「この中で食事が必要なのはルージュだけなのよね」
「チルも必要だよ」
「あなたは違うでしょ」
オーゼがチルを連れて戻ってきた。
「とりあえず早めに済ませましょ。ハリスたちが出てきて、私たちがいなかったら困るだろうし」
たしかにそうだな。
でも・・・。
「移動の前に、一つ話がある」
大事なこと・・・。
「オーゼ、服を厚手のものに変えろ。胸も股も透けてる・・・人間の前でそれだとただの変態だ」
「構わないわ」
「ダメだ。一緒にいるルージュまでそうだと見られるだろ。色町ならまだしも、この近くでそれだと衛兵も呼ばれるぞ」
「めんどうね・・・みんなが合わせればいいのよ」
オーゼは譲らないみたいだ。
けどこれはしてもらわないと困る。
「チルはどっちでもいいよ」
「わたしは・・・変態に見られるのはいやです」
「ここは人間の街だ。無理なら一緒に行動できない。それとハリスとリラの前でも隠すこと」
「・・・仕方ないわね」
勝った・・・。
◆
「みなさんにも・・・謝らなければいけません・・・許されないことをしました・・・」
戻ると、リラがオレたちに深く頭を下げてきた。
世界が沈んだ直後でもないし、誰も気にしてないんだけどな。
「子どもは作れないと女神様からは言われていました。だけど・・・ジナスさんが命を分けてくれると・・・夢に・・・いえ、欲に負けました・・・」
「甘言に乗ったあなたも悪いけど、もう済んだことよ」
「ですが・・・世界やたくさんの精霊たちが・・・女神様も大変なことに・・・」
落ち込んでる・・・。
やっと元に戻れたんだから今はこれからを考えればいいのに。
「リラのせいじゃないよ。全部ジナスが悪いんだもん。で・・・そのジナスをやっつけたのがこのニルスだよ」
チルがオレを指さしてきた。
「ニルス・・・さん」
仕方ないな・・・オレからの言葉が響くかはわからないけど。
「もう罰は終わったんだ。痛む胸はそのままでもいいけど、もし償いをしたいならハリスと共にオレたちに協力してほしい」
「リラさん、そうしましょう。悲しみがもう繰り返さないように」
「ハリス・・・うん・・・」
リラは真剣な顔で真っ直ぐに背筋を伸ばした。
「わたしも協力させていただきます。なんでも仰ってください」
「事情はどこまで知っている?」
「すべて知っています。動けなくともずっと意識はありました。答えることができないわたしに、ハリスはいつも話しかけてくれましたから・・・」
オーゼの言った通り、動けないまま五百年以上過ごしてたのか・・・よく心が保てたな。
・・・精霊だから?
「なら話は早いわね。まずハリスは休まなければならないの。あなたは精のつくものでも用意してあげなさい」
「はい」
「あ・・・チルはどうしたらいいの?リラがいるからチルはいらない?」
「あなたも一緒にいなさい。二人に・・・必要でしょうから」
子どもだからか・・・適任だな。
「それと、ルージュもうとうとしているわね。休ませてもらったら?」
「いえ・・・ミランダさんと合流しなければ・・・」
たしかにルージュは半目だ。
無理はさせたくない・・・。
「ルージュ、別に危険のある場所に行くわけじゃない。少し休んだところで問題は無いよ」
「あ・・・すみません・・・」
ミランダはもうスワロに向けて出発しているだろうけど、オーゼが一緒ならすぐに追いつける。
それにテッドさんも一緒だからなんの心配もいらない。
「それなら・・・ハリスさんと一緒に寝てもいいですか?」
ルージュがハリスに近付いた。
・・・襲われる心配は無いだろうし、別に構わないか。
それよりも一人で寝れないのが問題だな。
最近はミランダかエストと寝ていたから忘れてた・・・。
「私は構いませんが・・・」
ハリスがリラに視線を向けた。
まあ・・・だよね。
「ふふ、じゃあわたしは二人に毛布を掛けてあげる。起きたらなにかおいしいものを作りましょう」
リラも抵抗は無いみたいだ。
ああ、ルージュがどんな子かはハリスから聞いて知ってたのか。
「チル、あなたは二人に安らぎの魔法をかけてあげて」
「わかった。チルに任せて、しっかり休ませてあげる」
「あの・・・ベッドを汚すわけにはいかないので、まずお風呂に・・・」
「お湯ね、わたしに任せて。ハリスはちょっと待っててね」
女の子たちは談話室を出て行った。
オレはどうするかな・・・時間があるなら街を見ておきたい。
みんなで来た時に案内できるように・・・。
「オーゼ、街に出たい。一緒に行こう」
「え・・・あんまり見た目を変えたくないんだけど・・・」
「オレ一人じゃ扉も開けられない」
「リラと行ってきたら?」
初対面と・・・あんまり気が乗らないな。
「私は構いませんよ。リラさんを連れ出してあげてください。・・・私の財布です」
「お前夫みたいなもんだろ・・・」
「食材がありません。それに、小人がどうやって浮気をするのですか?」
ハリスはいつもの調子に戻っていた。
・・・ツケのあるなしはやっぱり関係ないみたいだ。
◆
「二人ともすぐに眠ってしまったの。チルもいて・・・なんだか親子みたいに見えた」
リラだけが談話室に戻ってきた。
外に出るなら・・・。
「よかったわね。ねえリラ、ニルスが街を見たいんだって。少し出かけてきたらどう?」
オーゼはオレを見てにやけた。
自分で言うつもりだったけど、まあいいか。
「ニルスさんと・・・いいんですか?」
「食材も無いんでしょ?買い物が必要じゃないかしら」
オレの鞄を持たせて出ればいいな。
「旦那様のためにお買い物してきなさい・・・奥様」
「あ・・・ニルスさん、わたしが一緒でいいんですか?」
「構わない。外に出たかったし」
「わかりました。じゃあ、出ましょうか」
リラはオレを肩に乗せてくれた。
掴まれた手には精霊銀の指輪がつけられている。
「指輪・・・無くさないように?」
「ハリスの愛ですから・・・。以前の持ち主も許してくれると思います」
「そうだな、オレも祝福を贈るよ。元に戻ったら美しい首飾りを作ろうと思う」
「え・・・ああ・・・わたしにはもったいないです・・・」
リラは遠慮してるのかな?
まあ、どんなのにするかは考えおくか。
とりあえず、まずは市場を探さないと。
◆
「ああ・・・本当にわたしの姿はみんなに見えてるのね」
リラが自分を躱していく人を目で追った。
当たり前のことだけど嬉しいんだろう。
「境界があるからそうなっているらしい。だからオレはシロと出逢うことができた」
「シロ・・・王様だけどかわいい男の子だった・・・」
「君に会いたいって言ってた。ハリスが回復したら行ってみるといい」
「怒って・・・ないかな?」
いらない心配・・・。
リラはどんどん丁寧な話し方が抜けてきている。これが本来の彼女なんだろう。
話しててわかってきた。
中身はまだルージュと同じくらいの少女・・・いや、少しは歳上か。
「怒ってないよ。・・・水路を舟で移動してみたい。財布を出しておこう」
「舟・・・なんて言って乗せてもらえば・・・」
「市場に行きたいって」
たぶん・・・合ってるはず。
◆
「船頭さん、市場に行きたいの」
リラは迷わずに話しかけた。
あんまり緊張はしない性格らしい。
「いいよ、七百・・・いや、かわいいから六百エールだ。あとから揉めないように先払いね」
「えへへ・・・はい、お願いします」
「じゃあ行くよー」
船頭さんが舟を漕ぎだした。
でも、正面から別の舟が来る・・・ぶつかるんじゃ・・・。
「わあすごーい、狭いのにすれ違った」
「お客さんかわいいからね、かっこいいとこ見せたくなったのさ」
「ふふ、ありがとう」
知らない人間とも物怖じしないで話せる明るさ、ちょっと暗めのハリスにぴったりだな。
「観光で来たの?お客さんのためなら、今日は仕事をやめて街を案内してもいいよ」
船頭さんはリラを気に入ったみたいだ。
ていうか慣れてるな、同じようなことを何度もやってそう。
そして、成功もしてるっぽい。
「街を・・・どうしよう・・・」
「暇なら断る理由はないだろ?色んなとこ連れてってあげるよ」
「うーん・・・」
リラが困った声を出した。
断り方が思い浮かばないのか?
「旦那と一緒の時にお願いするって言えばいい」
「あ・・・旦那さんと一緒の時でもいい?」
「え・・・あはは、じゃあまたの機会だね。さあ、市場まで最速で行くよ」
「はい、お願いします」
うまく断れた。
そこまで悪い奴じゃなかったみたいだ。
◆
市場に着いた。
賑わいはどこの街も一緒だ。
「一番甘いとこください」「この貝はどうやって食べるとおいしいですか?」「この塊で二千エール・・・安い気がする」「このお鍋かわいー」
リラは元気に買い物を楽しんでいる。
動ける、話せる、相手をしてもらえる・・・それだけで嬉しいんだろう。
◆
「この鞄すごいですね」
買い物が終わり、やっとリラが話しかけてくれた。
かなり楽しかったみたいだ。
「オーゼがくれたんだ。女神を解放したご褒美ってとこかな」
「ああ・・・そういえば、ジナスさんってまだいる可能性があるんですよね?」
「なんとも言えないけどね・・・」
そうだったな・・・。
ハリスが話していたんだろう。
「・・・他の精霊にはまだ知られたくない」
「大丈夫、ハリスと同じでわたしもちゃんとわかってる」
「助かるよ」
「ジナスさんは、一番女神様に近いから安心してたんだけどな・・・」
それは女神も一緒だったんだろう。
・・・だから封印されてしまった。
ていうか、自分が負けるくらいの力を持たせるなよ・・・。
◆
「ハリスはね、あなたたちの事をとっても好きみたい」「ケルトさんが亡くなってからは・・・しばらく寂しそうだったの」「ミランダさんからの呼び出しは、グチグチ言いながらだけど嬉しそうに出て行くんだよ」
リラは歩きながら色々話してくれた。
話のほとんどはオレの知らないハリスの顔だ。
嫌味な奴だと思ってたけど。陰ではそうでもないらしい。
「ニルスさんが作った物は笑いながら見せてくれて・・・誰が買うんだって、お腹抑えて止まらなかったのよ」
そこだけは一緒か・・・許さん。
「ん?あれ・・・ねえニルスさん、あの人の付けてる腕輪見て」
リラが前を歩く人の左腕を指さした。
「え・・・あ!」
知ってる・・・あれはオレの作品だ!
『・・・あの趣味の悪いものが売れました』
ハリスが言っていた。
買ってくれた人のことはなにも聞けてなかったけど・・・。
「リラ!どんな人か見たい、話しかけて」
「え・・・待ってニルスさん、なにを話すの?あなたは人前に出れないでしょ?」
「耳元で何を言うかは伝える。その通りに喋ってくれればいい」
後ろ姿だけど身なりはそれなりにいいからおかしな人間ではないはずだ。
なにより芸術のわかる人・・・偶然会えるなんて。
◆
「あの・・・ちょっとよろしいですか?」
リラはおどおどしながら話しかけた。
さっきまでの明るい感じでいけよ・・・。
「はい・・・なにか?」
あ・・・この人・・・。
振り返った男には憶えがあった。
『・・・このご恩は一生忘れません。家族全員であなたへ感謝して暮らすことにします。私はゴーシュに住んでいます。必ず・・・必ず恩返ししますので、ぜひ訪ねてください』
記憶の彼方にいた人・・・これは偶然か?
「ロイド・クリスマス・・・」
「えっと・・・ロイド・クリスマス」
「え・・・どこかでお会いしたことがありましたか?」
「ちょっと・・・待って・・・お願い、動かないでね」
リラが焦り、ロイドさんに背を向けた。
「ちょっとニルスさん・・・黙ってないでなにか言って・・・あの人を知ってるの?」
「あ、ああ・・・」
ロイドさんだったのか・・・。
なら、見られても黙っていてくれるはず。
「リラ、オレの名前を出してくれ。そしてそこの橋の下に来るように言ってほしい」
「わかった・・・」
懐かしい顔だ。
ちゃんと家族を大切にしているのかな?
「あの、ニルス・クラインさんを知っていますか?」
「え・・・ニルス様!お知り合いですか!」
ロイドさんは目を潤ませながらリラに詰め寄った。
「またお会いしたいと思っていたのです。この街にいらっしゃるのですか?」
「えっと・・・そこの橋の下に行きましょう」
「そ、そうですね。たしかにここは騒がしい」
ロイドさんは素直にリラに付いて来てくれた。
会ったのは一度きりなのに、ずっと憶えててくれたのか。
それにオレの作品も・・・早く話したい。
◆
「ロイドさん、お久しぶりです」
「え・・・は?・・・ニルス様!」
ロイドさんはオレの姿を見て口を大きく開けた。
顔も憶えててくれたのか・・・。
「驚かせてすみません。説明します」
理由は別になんだっていい。
とにかく落ち着いて話ができる状態になってほしい。
◆
「・・・とりあえず気にしないでください」
体が小さくなったことは「呪いのようなもの」とだけ伝えた。
原因がわからないから間違ってはいない。
「・・・事情はわかりました。どんな姿であっても恩人に変わりはありません。どうでしょう、今からうちにいらっしゃいませんか?」
なんか嬉しいな・・・。
それに今、どんな生活をしているのかも知りたい。
「そうだですね・・・リラ、一緒に行こう」
「ご迷惑では・・・」
「迷惑だなんてとんでもないですよ。・・・おーい、こっちだ」
ロイドさんは近くの船頭さんを大声で呼び付けた。
今でも鍛えてるって感じの声量だ。
「おっ、旦那でしたか。どちらへ?」
「私の家だ」
「お任せください」
旦那・・・けっこう有名人なのか?
聞きたいけど、船頭さんもいるからあとだな。
◆
舟は街の奥へと続く水路を走り、大きな屋敷が立ち並ぶ区画へと入って行った。
「へー、こっちは静かでいいね」
「そうだな、喧騒がなくて落ち着いてる。身分の高い者が住んでいるって感じだ」
「そこが今の住まいです」
「え・・・」
舟は一際大きな屋敷の前で停まった。
豪邸だ・・・。
◆
「すごいな・・・」
「なんか美術館みたい・・・」
「あはは・・・ニルス様のおかげですよ。あなたがいたから今の私があります。さあ、どうぞ」
「おかえりなさいませ。お客様でしょうか」
屋敷の中に入ると、数人の使用人が小走りで近付いてきた。
まさに金持ち・・・。
「そうだ、丁重に失礼の無いようにご案内してくれ。それと、メアリとベリンダを連れてきてほしい」
「かしこまりました」
でも・・・あんまり堅いのは苦手だな。
「ロイドさん、上の階の眺めのよさそうな部屋を見せてほしいです」
「構いませんよ、ではそこで話しましょう」
「ありがとうございます」
リラもロイドさんに慣れたらしい。
まあ、いい人だからな。
◆
通されたのは、中と外を分ける壁がない部屋だった。
暖かい時期はいいけど、冬はどうするんだろ・・・。
「ここは昼間もいいですが、夜は街明かりがよく見えます。なにも考えずにくつろげる空間ですね」
「たしかにいい場所ですね。この屋敷は報奨金で買ったんですか?」
「これは功労者の願いです。娘が絵本の挿絵と同じお屋敷に住みたいと言っていたので・・・設計士十五人で悩んでくれたそうです」
ロイドさんは照れくさそうに微笑んだ。
いい親だ、助けてよかったな。
「報奨金の方は、商売を始める資金に使わせていただきました」
ロイドさんは終始腰が低い。
あの時のオレは母さんを助けるためにかわってもらっただけだし、ちょっと悪い気もしてくる。
「じゃあ、衛兵団はもう辞めているんですか?たしか・・・夢水の灯火って・・・」
「そうですね。商売のために身を引きました。まあ・・・指南役として名前は残っているので、たまに教えに行っていますよ」
「どおりで・・・まだいけそうな雰囲気があります」
「夢水の灯火・・・私のいた頃と比べるとまだまだです。本当に実力があるのは数人・・・まあ、衛兵団ならその程度でしょう」
ロイドさんは拳を力強く握った。
自分が「現役の人たちよりも強い」って感じに聞こえる・・・。
「みんなロイドさんよりも下ですか?」
「そんなことはありませんが・・・空気ですね。平和ですから」
「ああ・・・なるほど」
そこまでの緊張感は無いってことか。
・・・いいことだ。
「熱が入っている者もいますよ。アリシア様のように強さを求めている女性ですね。自信も付いてきたようで、次かその次の闘技大会に出たいと言っています」
「そうですか・・・」
「少し変わり者で、なによりも鍛錬を優先しています。寄ってくる男もいるようですが、いつも呆れられて逃げられているんです」
同じような人って、どこにでもいるんだな・・・。
◆
「お客様って・・・どなた?」
「新人さん?」
扉が叩かれて、ロイドさんの奥さんと娘が入ってきた。
『・・・奥さんと娘さんの名前は?言えますか?』
『あ・・・ああ、メアリ・・・ベリンダ・・・生きて・・・帰りたいよ・・・』
たしか・・・そんな名前だったはず。
「ニルス様がいらっしゃっているんだ」
「え・・・女の子・・・」
「男性じゃなかったの?」
二人の視線はリラに向いている。
そうか・・・姿を見せなければいけない。
「初めまして・・・ニルス・クラインです」
入れ替わったことをこの人たちはずっと隠していてくれた。
だからこれも黙っていてくれるだろう。
◆
ロイドさんもいたおかげで、オレの姿はすぐに受け入れてもらえた。
「ずっとお礼をしたいと思っていました。ちょっと腕っぷしが強いからって、調子に乗って戦士になるなんて・・・」
「いや、正直に話すと偶然なんです。だから・・・そこまで・・・」
「でも、お父さんが帰ってきて今の生活があるのはあなたのおかげです」
「オレは・・・母親を助けに行っただけです・・・」
奥さんと娘に予想以上の感謝をされた。
逆に恥ずかしい・・・。
実際ロイドじゃなくてもよかった。ちょうど兜を被った男がいただけ・・・。
「謙虚な人だとも聞いていましたけど、本当にそうなんですね」
「お父さんの言ってた通りです」
オレの話は全部いいように聞こえてるんだな。
まあいいか、理由がどうであってもこの家族は幸せそうだ。
「ちなみに・・・その姿でお食事はできるのですか?」
「ええ、できます」
「今日はお二人で?」
「いや、仲間が何人か・・・」
「・・・」「・・・」
メアリさんとベリンダの顔が変わった。
なんだよ・・・。
「ベリンダ、お休みは別の日になさい。今日は・・・」
「うん、わかってる」
「あなた・・・」
「そのつもりだよ」
三人は顔を見合わせて頷き、メアリさんとベリンダはすぐに部屋を出て行った。
異様な雰囲気・・・。
「私たちはもう少し語らいましょうか」
ロイドさんは顔を緩ませて座った。
今の気になるんだけどな・・・。
それと、早く腕輪の話もしたい。
「そういえば商売ってなにをしているんですか?お店とかなら行ってみたいです」
リラがにっこり笑った。
たしかに知りたい。
「ああ・・・そうでしたね。ちゃんとお話しいたします」
ロイドも「早く話したい」って顔だ。
「大陸中の料理が食べられる店を出しています。この街の各区画に一軒ずつ、おかげさまで不自由のない暮らしができていますよ」
ああ・・・だから船頭さんも「旦那」って呼んでたのか。
ミランダと似たような感じだな。
うまくいってるってことは、戦いよりもそっちの方が向いていたんだろう。
「大陸中の・・・すごいですね」
「今夜ごちそうしますよ。もう決めています」
「え・・・でも・・・ニルスさん、どうしますか?」
「いいと思う、みんなで行こう」
「決まりですね。・・・おい」
ロイドさんが使用人を呼んでなにかを告げた。
「ニルス様、人数をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「六人かな・・・いや、オレはこの身体だし五人だな」
「ああ・・・そうでしたね・・・申し訳ありません。おい、五人だ。一等の個室を空けておけ」
「かしこまりました」
使用人は急ぎ足で部屋を出て行った。
「ありがとうロイドさん」
「いえいえ、これくらいでは足りない恩です」
「そんなにかしこまらなくてください。それよりも、その腕輪のことを聞きたいです」
やっと芸術の話ができる。
料理も楽しみだけど、このために声をかけたんだ。
「おお、お目が高いですね。ひと目見て気に入ったので買ったのです。たしか・・・ハリスという商人でしたね」
「ちょうどいい、ハリスも一緒です」
「あの商人と繋がりがありましたか・・・」
違う・・・話がずれてる。
「まあ、あとで話せます。その腕輪はどこが気に入ったんですか?」
「まず宝石の並びですね。どの方向から見ても飽きません」
「わかってますね・・・何か感じるものはありますか?」
「これは私の感性ですが・・・朝日と波音・・・素晴らしい職人ですよ」
涙が出てくる・・・。
わかってくれていることが嬉しくて仕方がない。
父さん・・・こういうのって嬉しいよね。
芸術はやっぱりわかる人だけで共有するのがいい。
ハリスに砕かれた自信が戻ってきた。
早くみんなにも教えてあげたいな。
どうでもいい話 18
ロイド・クリスマスは、52話55話64話以来なので久しぶりの登場となります。
ネーミングはとある映画から・・・。




