第百七十八話 口づけ【ニルス】
不安な夜は何度もあった。
寂しい朝も同じくらい・・・。
もし君が隣にいたら・・・。
アリシアのことがあってから思う時が多くなっていた。
それでもルージュが暗い顔をしないようにと、この子が起きている間は不安を出さないように・・・。
ねえステラ・・・それは今日から変わるのかな?
◆
「あ・・・そういえば、目覚めたらハリスが伝えに来るって話でしたが・・・」
屋敷に入った所で思い出した。
なんか食い違ってるな・・・。
「そ、そうじゃな・・・儂しか聞いていなかったからのう・・・ステラ様の顔を見たら真実はまだ伝えない方がいいと思ったんじゃ。本当は・・・儂がハリス殿を呼び、ニルス殿たちが来たら目覚めさせてもらう・・・そういうことじゃ。つまり・・・ニルス殿には必ず来てもらわなければならなかった・・・」
「動揺・・・していますか?」
「と、当然じゃ・・・儂だってまだ落ち着いておらん・・・」
カザハナさんの様子がおかしい気がする。
・・・この人も八年ぶりに話すわけだし、緊張してるんだな。
「あ・・・ちょっと待ってください」
大事なことがあった。
嬉しいんだけど・・・。
「ミランダとシロがいません。・・・一緒に迎えに来てほしいと聞いていたのですが・・・いいのでしょうか?」
「・・・ステラ様はニルス殿の顔を早く見たいはずじゃ。老い先短い儂のためにも、今目覚めさせてはもらえないじゃろうか」
「・・・わかりました。二人には・・・あとで謝ります」
「すまんな・・・」
誰かが傷付くようなことでもないし、あの二人もそんなことは気にしないだろう。
なにより・・・オレが早く会いたい・・・。
「ステラさんは変わっていないですよね?」
ルージュがカザハナさんの腕を掴んだ。
「眠っていただけじゃからな。なにも変わっておらんよ」
「わたし・・・ステラさんみたいな女性になりたいなって思ってました」
「ルージュ殿ならなれる。早く行ってやろう」
そういえば、彼女の部屋に行ったことは無かった。
初めて来た時は客間だったし、次の日にはすぐ出発したからな・・・。
「・・・ニルス殿、その身体のことは・・・自分で伝えてもらいたい」
「・・・はい、そうします。みんなからは言いづらいでしょうし」
最初からそのつもりだ。
誰かから伝えてもらうんじゃなくて、直接オレが話す。
・・・アリシアのこともだな。
◆
屋敷の二階、一番奥の部屋・・・。
「ステラ様、失礼いたします」
カザハナさんは部屋の前で丁寧に挨拶をして扉を叩いた。
「眠っているのに声をかけるんですね」
「そうじゃよ、どんな時でもこうする。仕えている者として当然のことじゃ。それに・・・女性じゃからな」
「なるほど・・・ニルス様もおじいちゃんを見習ってください」
「ルージュ・・・なんの話だ?」
「静かにせんか・・・」
扉が開かれた。
君は・・・もうすぐそこだ。
◆
「ステラ・・・」
大きくて柔らかそうなベッドの上、あの頃のままの君がいた。
手にはしっかりと栄光の剣が握られていて、その顔は穏やかだ。
「ニルス殿、説明した通りじゃ」
「はい」
「ルージュ殿、ヴィクター、儂らは動かずに見守ろう」
「・・・ありがとうございます」
オレはゆっくりと彼女のそばへと近付いた。
口づけ・・・ステラが目覚める・・・。
「やっと・・・話ができるね」
「・・・」
「・・・伝えたいこと、たくさんあるんだ」
「・・・」
語りかけても反応は無い。
八年前、ステラはここに戻る前に、オレとミランダに声をかけてくれたらしい。
答えが返ってこないのをわかっていても・・・こんな気持ちだったのかな。
「ステラ・・・今・・・」
栄光の剣を優しく手から離し、体をゆっくりと起こしてあげた。
この香り・・・この柔らかさ・・・夢にまで見ていたんだよ・・・。
「・・・起きたらさ、君からも抱いてほしいな」
「・・・」
「やっと・・・会えたんだから・・・」
「・・・」
彼女の閉じた瞼から、ひと粒の雫が流れた。
「ステラ・・・聞こえているの?」
「・・・」
「起きるまで・・・」
顔を近付け、ステラの唇に触れた。
暖かい・・・。
恋しくて、恋しくてたまらなかった。
君をずっと待っていたんだ・・・。
早く・・・声が聞きたい。
「ん・・・」
力の抜けていた彼女の唇が動き、背中に手が回された。
ああ・・・本当だった。
愛する者からの口づけ・・・。
もっとずっとこのままでいたい・・・。
「ニルス・・・」
ほんの少しだけ唇が離れて、名前を呼ばれた。
「おはよう・・・ステラ・・・」
彼女の顔にある二つの宝石は涙で色付き、それでもオレを映していた。
オレの視界はぼやけ始めている。
・・・きっと君と同じ状態なんだろう。
「ふふ・・・あなたはそんなに泣き虫だったかな?・・・しょっぱい」
変わらない声、ずっと聞きたかった。
「違うよ・・・忘れないためだ。涙で色付けたものはずっと残るんだよ・・・」
「うん・・・じゃあ・・・もっと濃くしよう・・・」
ステラが、今度は自分から唇を重ねてくれた。
迷い、戸惑い、焦り、不安・・・全部溶けて、君への愛に変わっていく気がする。
君がいるだけでなんだってできるよ。
だから、これからは離れずにいてほしい・・・。
「長いですね・・・」
「静かにしていろ・・・八年分じゃ」
後ろの声が少しだけ聞こえる。
外してもらえばよかった・・・。
◆
「怒って・・・ない?」
湿った唇が離れ、今度は不安そうな声が聞こえた。
そんなわけ・・・。
「悲しくて・・・寂しかったよ」
オレはすぐに抱きしめた。
君にはそんな思いをしてほしくない。
「・・・うん・・・ごめんね」
夢じゃない、ステラはちゃんと目覚めて自分で話している。
だから・・・こんなに強く抱けるんだろう。
「ありがとうニルス・・・これからはずっと一緒だよ」
「・・・一つ約束をしてほしい。これからは・・・全部話して」
「・・・うん、あなたもね。ふふ・・・みんなが待ってるわ。先に色々お話をしましょう」
「・・・そうだね」
オレはステラの手を引いてベッドから下ろした。
今夜は・・・一緒に寝たいな。
◆
屋敷の談話室に移動した。
これまでのこと、そしてこれからのことを話さなくてはならない・・・と思ったんだけど・・・。
「起きてた・・・」
「そうよ、きのうにね。シロとミランダにはもう会ってきたの」
ステラはずっと幸福な微笑みを浮かべている。
「それと、アリシアのことはもう知ってる」
「へー・・・」
全部話してくれって言ったけど・・・。
「すまんニルス殿・・・儂はステラ様には逆らえん。・・・許していただきたい」
カザハナさんは申し訳なさそうな顔だ。
じゃあ、全部知ってるのか?
「えっと・・・オレの身体のことは・・・」
「・・・それだけはまだじゃ」
そうか・・・まあ仕方がない。
できれば、目覚めて最初に君の目に映るのが俺でありたかっただけ・・・。
それに誰も怒る気にはならない。
再会できた・・・それだけで、心が満たされている。
「・・・身体?」
「うん・・・誰も教えていないとは思わなかったよ・・・」
これだけ残してくれたのは、本当に言いづらかったからなんだろうな・・・。
◆
「小さくって・・・そんなことある?」
「本当のことだ・・・」
オレは自分に起きた異変をすべて話した。
そのために今動いていることも。
「すべて本当です・・・ニルス様は明日にはまた・・・」
「ルージュ・・・。カザハナ、なぜ教えなかったの?」
「・・・無理を言わんでください」
ちょっとかわいそう・・・。
「ステラ、みんなを責めないでくれ。君を気遣ってだよ」
「うん・・・わかった。なら・・・まずはあなたの身体ね。私も一緒に動きます」
「君も狙われているかもしれない・・・できれば危険なことは・・・」
「いやよ、もう離れないつもりだから」
誰にも文句は言わせないって感じだ。
困った・・・いや、嬉しい。
「それに・・・ヴィクターも一緒に来てくれるんでしょ?」
「俺も・・・」
なるほど、聖女が動くなら騎士も同行するのは当然か。
それならオレの身体が小さくても何とかなるかもな。
・・・本当の危機なら果実を使えばいい。
「え・・・ヴィクターさんも?本当ですか?」
「あら・・・嬉しそうねルージュ」
「歳も近いですし、もう友達ですから」
ルージュも大丈夫みたいだし・・・こっちも守れるな。
「ルージュ・・・あの、俺もお供します」
「ニルス、いい?」
「来てほしい、頼んだよヴィクター」
「はい!」
でも、まだ実力のすべてを見たわけじゃない。
その辺の奴なら問題ないだろうけど・・・。
「ヴィクター、外に出よう。力を見たい」
「わかりました!」
ヴィクターが剣を持って立ち上がった。
嬉しそうだな、そんなに楽しみにしてくれていたのか。
「私も見たーい」
「いいでしょう。お茶も淹れましょうか」
「わたしもお願いします!」
「よし、まずはヴィクターから。次にルージュだ」
昼間はこの二人の相手をしよう。
そして夜は、ステラと一緒に過ごす・・・。
◆
「遠慮しなくていい、おもいきり来てくれ」
庭園に出て、ヴィクターと向き合った。
「・・・行きますよ」
構えと顔付きを見ればわかる。
ルージュには相当手を抜いていたみたいだ。
「何をしてきてもいいよ」
「はい!」
ヴィクターは返事と同時にクロガネを振り上げた。
さて・・・どのくらいかな・・・。
◆
しばらく反撃をしないで守りに徹していた。
ルージュの時には見せなかった動きもたくさん出してくれている。
「いい当たりだ。戦士なら即千人に選ばれる」
「ありがとうございます!」
「剣を変えたばかりで慣れないか?」
「そんなことはありません!」
悪くはないけど、まだ力の込め方にばらつきがある。
強がってるけど、クロガネは今まで使っていた剣よりも重いんだろう。
でも・・・いい。もっと強くなるぞ。
「攻めるぞ・・・」
オレはヴィクターの腹を半分くらいの力で蹴った。
ああ思い出す・・・ティムの時と同じくらいだ。
「重・・・」
ヴィクターは、後ずさりはしたけど倒れなかった。
相当鍛えたな、ルージュなら・・・気を失っていたかもしれない。
「抜かなくてもいいですよ!!」
持ちこたえてすぐに反撃もできるか・・・楽しいな。
◆
「ここまでだ。君は体以上に精神面を鍛えた方がいい、顔に出過ぎだからな」
ヴィクターの動きが悪くなってきたから止めた。
あの蹴りを耐えられるなら大丈夫だ。
「それは・・・父上にも言われていました」
「そう、儂が何度も指摘した。・・・中々抜けんがな」
「自覚はあるので・・・なんとかします」
「わかっているならいい。じゃあ次・・・」
そうだ・・・忘れてた。
「君にはルージュも守ってほしい。頼めるか?」
オレはヴィクターにだけ聞こえるように近付いた。
「はい!」
「いい顔だ。小さくなっても知識は教える」
「感謝します!」
技術はかなり教わってるから問題ない。
鍛えなければいけないのは、戦いの時に揺れない心・・・。
あと、甘さはどうやって抜くかな・・・。
カザハナさんも教えていたみたいだけど、この平穏が崩れることはないと思ってそこまで強くは言ってこなかったんだろう。
オレがやれればいいんだけど、この身体じゃな・・・。
容赦無くなんでもやってくるような人とやらせていけば早いんだけど、スナフに元戦士はいない・・・。
「ニルス様、わたしもお願いします」
考えていると、ルージュがオレの前に立った。
「・・・そうだな、五回だ」
「はい!」
まあいい、あとで考えよう。
この体で動ける・・・それを噛みしめておきたい・・・。
「ニルスー、頑張ってねー」
ステラが笑顔で手を振ってくれた。
あとで「ありがとう」って抱きしめてあげないとな・・・。
アリシアの呪い、ルージュの安全、自分の身体、もう何も心配は無い気がした。
君がオレのそばに戻ってきてくれたからなんだろう。




