第百七十四話 大切な人【ミランダ】
うーん・・・今思い返すと、ハリスに押し付けられてしまった気がする。
きのうはよく眠れなかった。
いくら結界があっても、不安なものは不安だ。
・・・一緒に寝てくれたのはノアだけだったな。
ティムとエリィには断られてしまった。
ていうかノアとエストもだけど、直接ジナスと対峙したことがないからどれくらいヤバいかわかってないのよね。
あーあ、ニルスとかシロとか・・・ステラがいればな・・・。
◆
「動いて・・・ないよね?」
あたしはカゲロウの眠っている部屋に入った。
ニルスとステラの寝室・・・勝手に使ってていいのかな・・・。
「お・・・おはよー・・・」
近付いてみた。
たぶん・・・起きたら危ないんだよね・・・。
でも、思ってはいてもやってみたくなる・・・。
「感触は・・・シロと変わらないわね」
ほっぺをつっついてみた。
「起きない・・・よね?」
「・・・」
柔らかくて何度もやってしまったけど、ピクリとも動かない。
じゃあこっちは・・・。
あたしは胸の膨らみに手を伸ばした。
「・・・なに・・・してるんですか?」
「ひゃあああ!!!」
「ちょ・・・大声出さないでくださいよ」
エストが後ろにいた。
「心臓が止まるとこだったわ・・・」
「あの・・・いつまで揉んでるんですか・・・」
「え・・・」
触り心地がよすぎて、ずっと手が動いていた。
変なとこ見られたな・・・。
「正直・・・そんなに危ない感じはしないですよね。眠っているからでしょうか?」
「なんとも言えないよね。とりあえず備えてはいるけど・・・」
眠りながらの結界って疲れんのよね・・・。
それも一時しのぎにしかならない気がする。
もうちょっと・・・しのげるようにしとくか。
◆
「なるほど・・・これがミランダさんの趣味ですか」
「なに変な目で見てんのよ・・・もし起きても時間稼げるでしょ?」
手足を縄で縛って目隠しもさせてもらった。
口もやっておくか・・・。
「裸だからかもしれませんが、なんかいやらしいですね・・・」
「そう?みんなにも聞いてみようかな」
「三人共こっちの趣味は無いと思いますよ・・・」
エストは冷めた目だ。
呆れられてるのかな?
ハリスにやり込まれてる感じだしね・・・。
◆
談話室に戻ってきた。
仕事っていう現実感のあるものに触れてれば、あっちが薄れるもんね。
「セイラんとこは今月受けらんねーってよ。仕方ねーから別なとこに頼んできたからな」
ティムはなんだかんだ動いてくれる。
みんな大変だし、そういうとこはわかってるんだな。
「ちゃんと安いとこ選んだ?」
「四軒・・・見積もり取って何往復かした」
「よろしい。・・・全部あんたが走って届けに行けば、余計なお金かかんないんだけどね」
「・・・無理だ。シロがいねーんだから仕方ねーだろ」
そうなのよね。
・・・あの子は優秀な配達員だった。
「上にいる奴・・・アリシアの話思い出したんだけどさ、戦場にいた敵側で一番強かったって言ってた女だな」
ティムは長椅子に体を預けた。
そっちの話は遠ざけたかったのに・・・。
「・・・余計なことしないでよ?」
「今はな・・・起きたら俺がやる」
頼りにはなる・・・でも、大事なことを忘れてんのよね。
あれは精霊だから、あんたの剣じゃ斬れないっての・・・。
◆
「ずっと上は風が強いんだね・・・」
窓を開けて呟いてみた。
雲が速い・・・天気悪くなるのかな?
「おいエスト、殴り書きやめろ。取り違えんだろーが」
「忙しいんだから仕方ないじゃないですか・・・」
「帳簿も最近汚いよね」
「文句あるならノアがやってよ」
三人は後ろで作業をしている。
引継ぎは、ほぼほぼ終わらせた。
ハリスに言って、あたしも動こうかな・・・いや、カゲロウ引き受けたから無理じゃん。
じゃあ・・・ここでじっとしてるしかないのか・・・。
「あーあ、なんかいいことないかな・・・」
「いいことって、私が起きてここに戻ってくるとか?」
「そうそう、ステラが起きるとかさ」
「ふふ、じゃあ今日はいい日だね」
懐かしくて、柔らかい風が吹き込んできた。
ん?・・・え?
「仕事場に使ってるのね・・・あ、これ私の作った香りだ・・・」
「ちょっ・・・」
振り返った速さは、ニルス以上だと自信を持って言える。
「ステラ・・・」
「おはようミランダ。なんだか綺麗になったね」
目の前で微笑んでいたのは、待っていた大切な人・・・。
「きゃっ・・・」
飛びついた速さも風神よりも上だ。
◆
「ステラ・・・ステラ・・・」
部屋にみんながいるのも忘れて、子どもの頃みたいに泣いた。
「よかった・・・怒ってないのね・・・」
ステラは、優しくあたしを抱いてくれている。
夢じゃない・・・もう絶対に一人にはさせないんだから・・・。
「ミランダ・・・おはようは?」
声が震えている。
泣いてくれてるんだ・・・。
「おはよう・・・ステラ・・・」
あたしはまたステラの胸に顔を埋めた。
ダメだ・・・声を聞くだけで涙が溢れてくる・・・。
「エスト・・・聖女様って騎士を倒さないと会えないんじゃなかったっけ・・・」
「わたしもそう習ったよ・・・でも、ミランダさんがいるからいいんじゃないかな・・・」
いいんだよ・・・ステラはもう自由なんだから・・・。
◆
「落ち着いた?」
「うん、でも離さない・・・」
涙が少し減ってきた。
たぶん、顔を見たくなったんだと思う。
「ふふ、柔らかくて気持ちいい」
あたしはステラの腕をしっかりと抱いている。
しばらくはこうしていよう。
「あれ・・・でも・・・迎えに来てって言ってたのに・・・」
少し冷静になると疑問が浮かんだ。
なんでステラから会いに来たんだろう・・・。
「・・・アリシアが襲われたんでしょ?ハリスの説明がじれったいから動いたの」
「・・・シロ様に説明いただこうと思ったのです。通り道なので、ミランダ様もご一緒していただいた方がいいかと」
「儂もそれが最善だと思った」
ハリスとおじいちゃんも後ろにいた。
頭がどんどん冷静になっていく・・・。
どこまで話した?
アリシア様のことは知ってる。今のニルスの状態は・・・話してない?もしステラが知ったら取り乱すかも・・・。
「じーさんもさすがに老けたな」
ティムがおじいちゃんに声をかけた。
こっちは色々考えなくちゃいけないのに、バカは気楽でいいわね。
「そうじゃの・・・随分鍛えたな。見違えたぞ」
「そうか?まだまだだ」
「驕りも抜けたか・・・」
「そんなもん最初からねーよ」
勝手にやってろ・・・。
「ねえステラ・・・起きたのはいつ?」
状況を整理したい、色々聞かなきゃ・・・。
◆
「なんか暗い顔してるから変だなっては思ったのよね」
ステラは今日の朝に目覚めたみたいだ。
・・・で、ハリスを呼んだけど詳しく話してくれないからシロにってことか。
「・・・私から説明するのは疲れます。あなた方にお任せしますよ」
ハリスは面倒だったんだろうな。
疲れてるのは本当だしね・・・。
「まあ話は精霊の城で聞くわ。それより・・・困り顔の二人を紹介してほしいな。それになんのお仕事?」
ステラはハリスの顔色を見ずに、ノアとエストに微笑んだ。
なんだか緊張感とかが薄くなってく。
ステラの目覚めは、あたしたちの光・・・そんな気がする。
ずっと暗い雰囲気だったからかな。
「あたし、戦場が終わってから商売を始めたんだ。ステラが置いてった調合書・・・勝手に見てさ。あはは・・・石鹸と美容水は大人気なんだよ。えと・・・許してね」
「ふふ、別に見られて困るものじゃないわ。どっちかって言うと嬉しいよ」
ステラは怒ってないみたいだ。
あ・・・そしたら新しい香り作ってくれるんじゃ・・・。
「で、一人だと大変だから、シロとハリスとそこの三人が手伝ってくれてるの」
「ふふ、ティムは大人になったねー」
ステラがティムの頭に手を伸ばした。
「撫でんな。・・・八年だから当たり前だろ」
「そうだね。背も伸びたし、前よりカッコよくなったよ」
この二人が話してるのってけっこう新鮮だな。
ちょっと見てよ・・・。
「俺さ、お前に一つ言いたいことあったんだよね」
「なに?」
「俺も・・・みんなも待ってた。なんも言わねーで勝手にいなくなんじゃねーよ」
「・・・そうだね。ごめんね・・・」
ステラは目を潤ませながらティムを抱きしめた。
おお・・・浮気だ。
「やめろ・・・」
「・・・やだ。嬉しかったんだもん」
「同じ隊だったからな・・・」
「うん、だからあなたも大切なんだよ」
そういや、ミランダ隊での祝杯はまだできてなかったな。
・・・色々解決したらやらないとね。
◆
「じゃあ、ノアとエストも自己紹介なさい」
ステラが落ち着いたところで、待たせてた二人の肩を叩いた。
みんな仲良くなってほしい。
「ノア・シェルフと言います。聖女様とお話しできるなんて光栄です」
「エスト・ステイズです。どうか仲良くしてください」
「ノアとエストね。今日は忙しいけど、また今度お話ししましょ」
仕事場の雰囲気が緩んでいく。
「本当に美人ですね・・・」
「張り合える人いないと思います」
「えー・・・そんなことないよ」
きっとステラのおかげだよね。
「いつまでになるかわかりませんが、もう一人住んでいる女性がいるんですよ」
「女性・・・どんな子?」
「ルージュの教官だった人で、ティムさんのいい人ですね」
「え・・・そうなのティム?」
聖女に俗な話をするわね・・・。
まあ、ステラもそういうの好きだからな。
「関係ねーだろ・・・」
「私も会いたいな」
「・・・」
「紹介してね」
エリィは驚くだろうな。
「せ、聖女様・・・」とか言いそうだ。
「・・・ミランダ様、ついでにカゲロウを見ていただきましょう」
ハリスがあたしの後ろに立った。
あ・・・いいかも、ステラならどんな状態かわかるかもしれない。
「・・・カゲロウってなに?」
「謎の多い存在です。・・・あなたとニルス様の愛の巣にいます」
「へえ・・・行ってみましょ」
ステラの声が低くなった。
やっぱ気分悪いよね・・・。
「ミランダさん・・・僕たちは・・・」
「作業に戻ってて」
ノアたちは仕事もあるから残そう。
悪いけど気を回せないと思うし・・・。
「ティム、少し見てやる。八年の濃さ、儂に教えてほしい」
「やることあるから本当に少しだぞ・・・」
おじいちゃんとティムは外に出て行った。
まあ・・・別にいいか。
◆
「あはは、縛ったのは誰?なんだかいやらしいわね。・・・ふんふん、なるほど・・・」
ステラは笑いながらカゲロウに触れた。
・・・そんなにおかしいかな。
「精霊・・・シロたち以外にいたんだね。・・・どこで見つけたの?」
「戦場の島です。鳥たちが見つけました」
「鳥?ハリスはお友達が多いのね」
「そうですね。長生きなので・・・」
ハリスは「どうでもいい」って顔で流した。
ああ、本当に全部話すのは面倒なんだな。
みんなの伝言板になってるし、同じ話を何度もしてるから鬱陶しいって感じだ。
「私はカゲロウを知らない。でも、もしこの精霊がそうなら・・・ジナスは存在してるってことでしょ?」
ステラは、平気な顔ではっきりと言ってくれた。
そう、この子がカゲロウならね・・・。
「顔を知ってる人に聞けばいいんじゃない?シロは動けなくても、スコットさんとティララさんは見てると思うけど」
「そう簡単な問題ではありません。まあ・・・こちらは先送りですね」
「ふーん、いいんじゃないかな。空っぽだし起きないわ」
え・・・起きない?
「じゃあ、突然目覚めて暴れ出すとかないってこと?」
「ないわね」
「よかった・・・」
ステラに言われると安心する。
危険がないなら、今夜はぐっすり眠れるわね。
「でもジナスが存在しているのなら女神が気付くはずよ。だから違う感じもするのよね・・・」
「女神は境界で手いっぱいだそうです。他に気を回す余裕は無いのでしょう。ただ・・・シロ様は恐怖からか、ジナスの気配を定期的に探っているようです」
「じゃあ存在していないってことよ。つまりこの子の正体は謎のまま・・・でも大丈夫よ、なにかあれば女神に頼ればいいわ。というか、気を遣わずにアリシアを境界まで連れて行けばいい」
「・・・シロ様とも話しましたが、そこは慎重に動かなければなりません」
緊張感を持って話すハリスと緩いステラは対照的だった。
どっちがいいかって言われたら・・・ステラだよね。
「なぜ慎重になる必要があるの?」
「・・・ここでは話せません。シロ様に記憶をいただいてください」
「話せない・・・わかったわ」
ステラは簡単に引いた。
そこまで興味は無いのかな?
「念のためですが、その時にこの精霊の存在は伏せておいてくださいね」
「カゲロウじゃなくても、不安な要素ではあるものね」
「そのとおりです」
ステラもシロのことはわかってるって感じだ。
難しい話で疲れてきたな・・・。
とりあえずこの精霊が動かなければ他はどうでもいいや。
「では精霊の城へ行きましょう。カザハナ様を・・・」
「待って、一つだけ・・・教えて」
ステラがハリスを止めた。
カゲロウの時よりも真剣な顔だ。
「本当は楽しみに待ってようと思ったんだけど・・・ニルスはどこにいるの?この家にはいないの?」
「・・・」
ハリスが固まった。
そりゃそうだよね・・・一番会いたい大切な人だ。
説明はいずれしないといけないし、黙っていても知られてしまう。
「・・・ニルス様は、現在ルージュ様と共にいます」
「ルージュと?ああそっか・・・アリシアのことだもんね。そうだ、再会の時はどんな感じだったの?やっぱり帰ってすぐ?」
「・・・兄妹として共にいるわけでではありません」
「え・・・説明なさい」
「カザハナ様も交えてにしましょう」
そうだね・・・。
◆
「おかしな方です。さっさと再会しておけば今回の事態にはならなかったかもしれません」
ハリスは淡々と兄妹のことを話した。
皮肉もたっぷり詰め込んで・・・。
「・・・でも変よ、ニルスは戦いが終わったら会うって話してくれた・・・どうして今まで離れていたの?」
当然の疑問だ。
これはあたしが教えてあげよう。
「それね・・・ステラのためでもあるんだ」
「私の?」
「色んな事・・・ステラも一緒に分かち合いたいって言ってた。だから寂しがりのくせに、お父さんの家にこもってたんだよ」
「・・・」
ステラの目から涙が零れた。
会えないのに、話せないのに、ずっと自分を想ってくれていたことが何よりも嬉しかったんだね。
「・・・じゃあ、ニルスはルージュと一緒に火山にいるのね?」
もう全部話して会わせてあげればいい。
ステラはニルスの言葉なら何よりも真剣に聞くはずだ。
「実は・・・スナフにいるんだ。おじいちゃんも教えてあげればよかったのに・・・」
「ステラ様が本人から聞くと仰ったんじゃ」
「・・・なにも知らなかったからよ。カザハナ、どういうことなの?」
「はい」
おじいちゃんはしっかりとステラに向き合った。
「今朝、ヴィクターに挑戦しに来ていた少女がルージュ殿です」
「え・・・」
ルージュを見たのか。
気付かなかったってことはステラからしたら変わりすぎてたのかな?
いや、そんなはずは・・・。
「髪の毛でわかんなかった?」
「髪・・・そうよ、赤毛だったわ」
「・・・変装です。ヴィクターに気付かれては修行にならないのでそうさせました」
ルージュは赤毛になってるのか・・・。
髪色でけっこう雰囲気が変わるもんなんだな。
「修行・・・ルージュは戦おうとしているの?そんなのニルスが許すとは思えない」
「・・・ニルス殿は根負けしたようです。ただ、実際に仇と戦わせる気は無いでしょう。今は・・・ヴィクターに認められることを目標に励んでいます」
腕を折られても考えを曲げなかったし、ニルスも聞き入れるしかなかった。
ステラもあの場にいたらどうなってたんだろうな・・・。
「ニルスが教えているのね?」
「まあ・・・儂も手を貸していますね・・・」
「ふーん・・・スナフにいたんだ・・・」
ステラは本当に幸せそうな顔で笑った。
でも・・・。
「あの、ステラ様・・・ニルス殿は今・・・」
「いいわ、まずはシロに会いましょ。兄妹の邪魔しちゃ悪いものね」
「あの・・・まだ・・・」
「ふふ、どんな再会がいいかな・・・」
「・・・」
おじいちゃんは口を閉じてしまった。
・・・どうすんのよ?
「ニルスはどんな顔で私を見てくれるかな・・・」
あたしも無理だ・・・言えない。
「まず抱きしめてもらうの。それでおはようって・・・楽しみだわ」
ていうか言い出しづらい・・・。
「さあハリス、精霊の城に運びなさい。バカな妹の顔を見てあげないと」
目的が変わってる・・・。
説明はもういいのかな?
それにアリシア様のことはまったく心配していない感じだ。
「・・・ミランダ様、もうシロ様に任せましょう」
察してくれたハリスがあたしの肩を叩いた。
そうだね・・・シロに説明してもらおう。




