第百七十一話 知らない感情【ヴィクター】
『完全にわたしの負けです・・・どうあがいても無理なことがわかりました』
『まあ気にするなよ』
『わたしを・・・ヴィクターさんのそばにいさせてください。なんでもしますから・・・』
ルーンが俺に抱きついてきた。
・・・なんだこれ?
あれ・・・目の前が暗くなっていく・・・。
「・・・夢・・・ふざけんな」
目が覚めたらまだ真夜中だった。
鼓動が早い・・・。
◆
「月夜・・・綺麗だな・・・」
体が火照っているような気がして外に出てきた。
もうすっかり夏・・・夜なのに蒸し暑い。
ルーン・・・あいつが来てからひと月、もう深の月になる。
毎朝挑みに来ては負けて帰って・・・。
そういや、いつの間にか泣きそうな顔はしなくなってたな。
『今日もありがとうございました。あと・・・これ、きのう買ったお菓子なんです。おいしいから食べてください』
少しだけ、本当に少しだけ何気ない会話をしてくれるようになった。
『どうですか?もう剣に振り回されなくなりましたよ』
『あ・・・それ雲鹿革の手袋ですよね?見てください、お揃いですね』
思い出すと勝手に胸を押さえてしまう。
どうしちまったんだ・・・。
◆
最近は、屋敷に来るのが早くなっていた。
よくわかんないけど、ルーンが現れるのを待っている自分がいる。
「おはようございます。挑戦しに来ました」
「ああ・・・おはよう」
初めは鬱陶しいと思っていた。
でも今は、顔を見ると安らぐ。
「お願いします」
「・・・仕方ねーな」
ステラ様に危険が迫っているかもしれないのに・・・なんなんだよ・・・。
◆
「ありがとうございました」
「残念だったな」
今日も勝った。
当然だけど、ルーンには一撃も入れられたことがない。
「まだまだだけど、日ごとに強くなってるな」
女の子だからってのと、動きに無駄が多いから手は抜いている。
それでも、剣に込める力を強めなければいけない時も出てきていた。
「え・・・えへへ・・・」
「どんな鍛え方してんだ?」
「あー・・・えっと・・・秘密です」
「・・・時間があればだけど・・・少し話さないか?」
言葉が勝手に口から出てきた。
なんで・・・しかも女の子に・・・。
俺は・・・ルーンに帰ってほしくないのか?
「えっと・・・大丈夫だそうです」
「誰かに確認したみたいな言い方だな」
「あ・・・いえ、いいですよ。時間はあります」
ルーンが答えたと同時に、オレの手はまた胸を押さえていた。
なんか・・・苦しい・・・。
◆
二人で庭園の東屋にある椅子に座った。
なんか緊張する・・・誘ったのはいいけど、何を話そう・・・。
ていうか、いい匂いがする・・・。
「お前は・・・」
「あの・・・ルーンです」
ルーンが上目遣いで見つめてきた。
なんでこんな目すんだよ・・・。
それに名前で呼んでいいのか?そんなに親しくない女・・・いや、毎日顔を合わせてるから親しいのか?
「る、ルーンは・・・」
「・・・どうして赤くなってるんですか?」
「なんでもない・・・」
そうなっていることは自分では気が付かない。
なんか恥ずかしいな・・・。
「・・・歳はいくつだ?」
こういう話はまだだった。
ていうか、他に思い浮かばない・・・。
「十三です」
「十三・・・十三?ならアカデミーはどうした?水の月まであるだろ」
「ええと・・・わたしの通っていた所は、他よりも半年早く終わるんです」
いいな・・・俺もそこに通いたかった。
・・・違う、もっとなんか喋んないと・・・。
「アカデミーにもいろんなとこがあるんだな。・・・オレは十七だ」
「・・・はい」
静かになってしまった。
・・・他に何を話せばいいんだ?
「えっと・・・剣・・・剣はいつからだ?」
「殖の月からです・・・」
まだ三か月?
本当かよ・・・だとしたら成長が早すぎる。
「師匠はどんな奴なんだ?男か?」
「男性で・・・えっと・・・とても強いです」
男か・・・。
聞きたくなかったかも・・・。
「俺と比べたら・・・どっちが強い?」
「ごめんなさい・・・師匠です」
「謝るなよ・・・」
まあ、そりゃそうだろうな・・・。
短い期間でここまで鍛えられるんだから・・・。
「師匠は、やっぱり連れてこれないのか?」
「すみません・・・でもヴィクターさんがわたしを認めてくれたら会ってくれると思います」
「弟子が戦ってるところをなんで見に来ない?」
「え・・・なんでですかね・・・」
ルーンが焦り出した。
俺には言えないわけね・・・。
「まあいいや・・・変な話だけどさ。その・・・師匠ってどんな奴?」
「あー・・・師匠は・・・かっこいいです」
ルーンが微笑んだ。
・・・なんかムカつく。
その師匠は、ルーンの顔を毎日好きな時に見れるってことだよな?
宿に泊まってるらしいけど・・・まさかおんなじ部屋か?
「ヴィクターさんの師匠のお話も聞きたいです」
ルーンがまた俺の顔を見つめてくれた。
今は・・・余計なこと考えんのやめよ。
「俺の師匠は父親だ。・・・まだまだ敵わないんだよね」
「まだまだですか・・・わたしと一緒ですね」
「けどさ・・・父上よりも憧れた人がいるんだ」
戦場から戻った父上に、ニルスさんの話を何度も聞かせてもらった。
『間違いなく戦士の中で一番強かった』
『雷神よりもですか?』
『そうじゃな。ステラ様を迎えに来る日を楽しみしておくといい』
父上も認めている。
早くややこしいことが終わって、ステラ様が目覚めれば・・・あの人に剣を教えてもらえるんだ。
「・・・ヴィクターさん?」
「あ・・・悪いな」
ルーンとの話に集中しようって思ったばっかりなのに・・・。
「いえ、憧れたってどんな人だったんですか?」
「知りたいのか?」
「はい、教えてほしいです」
ルーンは興味がありそうな顔をしてくれた。
なんか話が広がりそうだ。
こういうのが好きなのかな?
「父上が認めた人だ。戦士で一番強かったって聞いてる」
「あ・・・ええと・・・強いって雷神さん・・・ですか?」
ルーンの話し方が急にぎこちなくなった。
あれ・・・興味無かったかな?
「風神って呼ばれていた人なんだ。ここで父上がその人に負けるのを見た」
「風神さん・・・」
「悪いけど、ルーンの師匠よりも強いと思う。それにカッコよかったんだ・・・父上ももちろん強いけど、俺はあの人みたいになりたい」
「そうなんですね。お願いすれば教えてくれると思いますよ」
今度は嬉しそうな顔になった。
・・・どっちなんだ?
「その人は今大変なんだよ。でもいずれ必ず来てくれる。その日が楽しみなんだ」
「ふふ、なんだ、もう来て・・・いたっ!!」
ルーンが急に大声を出した。
「どうした?」
「いえ・・・あ・・・わたしそろそろ戻ります・・・失礼します・・・」
ルーンは首筋を押さえながら立ち上がり、急いで庭園を出て行った。
わからない・・・俺はなにか気に障るようなことをしたのかな・・・。
やっぱり、あいつの師匠を落とすような言い方はよくなかったか?
◆
「おなごに時間を割いている暇なんぞあったんじゃな」
父上がまた俺をからかいに来た。
・・・陰で見てやがったな。
「雷神と風神の話もしておったのう・・・間違っても親子だったなどと口外するなよ?」
「わかってますよ・・・」
「戦士たちは全員隠し通してきた。ニルス殿からルージュ殿に語るまで、どこからも漏れないように徹しろ」
「はい・・・」
盗み聞きしてんじゃねーよ・・・。
あの子から漏れるとは思えないけど・・・ニルスさんのためにもルーンには言えないな。
「あの娘は特別か?」
父上が俺の背中を叩いてきた。
うるせーな・・・。
「・・・そういうのじゃありません」
「気になっておるんじゃろ?美しい娘じゃからな」
「だから・・・そういうわけでは・・・」
「儂もこの間少し話した。スナフにいるおなごとは違って新鮮じゃったぞ」
父上はいやらしい顔で笑った。
いつの間にルーンと話を・・・。
「おかしなことはしてないでしょうね?」
「どうした?お前はあの子のなんじゃ?」
「なんでもないですけど・・・」
たしかに、俺はなにも言えないな・・・。
「情けない空気を出すな。・・・話した時に聞いたが、甘酸っぱい果実を絞った飲み物が好きらしいぞ」
「え・・・」
「楽しいと思ってもらえるような話をしろ。・・・釣りに行ってくる」
俺の胸が叩かれた。
甘酸っぱいか・・・明日・・・。
◆
「きゃっ!」
俺の反撃に押し返されたルーンが背中から倒れた。
危ね・・・もらうとこだった・・・。
「・・・惜しかったな。今のはいい攻撃だったぜ」
「いえ・・・二の手が甘かったです」
「謙虚だな・・・ほら・・・」
「ありがとうございます・・・」
ルーンは、俺が出した手を掴んでくれた。
普通に触れたのは初めてだ。
よし・・・ここで・・・。
「あのさ・・・今日は・・・飲み物を用意したんだ」
「え!どうしたんですか・・・」
「・・・気まぐれだよ。きのう話した東屋に行こうぜ」
「やったー、行きます」
ルーンは嬉しそうな顔で付いてきてくれた。
・・・俺も嬉しいな。
◆
「わあ、これヴィクターさんが作ったんですか?」
「母上が買ってきた果物が余っていただけだ・・・この前菓子を貰ったからな・・・」
用意していたものを出した。
まあ・・・朝に市場まで行って買ってきたんだけど・・・。
「わあ、冷たくておいしいです」
ルーンが顔いっぱいで笑ってくれた。
鼓動がまた早い・・・
「こういうの好きなのか?」
「はい、暑いので余計おいしく感じます」
この感情は一体なんだろう?
苦しい時もあれば、心地いい時もある。
正体はわからないけど、原因はこの子だ。
「ルーンはどこの生まれだ?この辺なのか?」
名前を言ってみた。
今日は自然にできたかな?
「わたしはテーゼですよ」
「テーゼ・・・戦士に知り合いはいるか?」
「えっと・・・何人か」
あぶねー・・・雷神と風神にけっこう近かったんだな。
口滑らしたりしなくてよかった・・・。
「じゃあ・・・ルーンの親も戦士だったとか?」
「えーと・・・んー・・・」
ルーンは困った顔になった。
聞いちゃダメな話だったのかな?
「話したくないならいいよ」
「ご、ごめんなさい」
困らせるつもりは無かったんだけど・・・。
なら、他の話にするか。
「精霊や妖精には会ったことあるか?」
たぶん、女の子なら好きそうな話だよな。
「・・・ええと、ある・・・いや、ない・・・かな」
「あんまり興味無いのか?」
「いえ・・・そういうわけじゃないです。友達の二人が精霊学を勉強しているので・・・」
勉強か、それだけじゃ精霊のことはそんなに知らなそうだ。
「内緒の話、教えてやろうか」
「え・・・どんな話ですか?」
「誰にも言わないか?」
「はい、言いません。教えてください」
きっと驚くだろうな。
シロ・・・許してくれよ。
「俺には精霊の友達がいるんだ」
「え・・・」
「しかも精霊の王様なんだよ。でも、こんなちっちゃいんだ」
「・・・そう・・・なんですね」
あれ?驚かない。
・・・それどころか困った顔だ。
え・・・変な奴って思われたのか?
「信じないなら・・・別にいいけど」
「いえ、信じます。い、いいなあ・・・精霊の友達・・・」
女ってよくわかんないな。
じゃあどんな話ならいんだろう?
・・・そういえば、風神の話はちょっとだけ反応がよかったな。
雷神との関係を言わなければいいから・・・。
「飲み終わったら、ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
「はい、わかりました」
「あ・・・ゆっくりで・・・いいのに」
ルーンは残りを一気に飲み干した。
急がせるつもりなかったんだけど・・・。
まあいいや、ニルスさんがどのくらいすごい人か見せてあげよう。
◆
二人で東屋から移動した。
いつも戦っている場所だけど、ルーンはたぶん気付いていなかったもの・・・。
「これ見てくれよ」
「石畳・・・割れてますね。なにか重いものを落としたんですか?」
「いや・・・」
当然の発想だな。
でも違う・・・。
「これは踏み込んだ跡だ」
「え・・・ヴィクターさんのですか?」
「きのう話した風神がやったんだよ」
「えー!!!」
ルーンはシロの話よりも驚いてくれた。
感情を表に出す反応の一つ一つが新鮮で、それが俺の心の中を優しく揺らしてくれる。
「あ・・・たしかに、土の地面にも・・・くっきりと・・・」
「なんだ?」
「あ・・・いえ・・・こんなことできる人がいるなんて信じられなくて・・・」
「だから憧れてるんだよ」
いったいどれくらい鍛えればここまでできるようになるのか。
遠いってことだけはわかるけど、いつかは俺もそこに行くんだ。
「しかも今の俺と同い歳の時にだ」
「・・・本当ですか?」
ルーンは真顔だ。
そりゃ信じられないよな。
「本当だよ」
「あ・・・いえ、ヴィクターさんじゃなくって・・・」
「は?」
「あ、な、なんでもないです。わたしたちも頑張りましょう」
たまに変なとこもあるけど、それも含めてルーンが気になる。
どうしてこうなったんだろう・・・。
今日は、門の外まで見送ろうかな・・・。
◆
「今日はごちそうさまでした。これからの鍛錬も頑張れそうです」
ルーンが深く頭を下げてくれた。
喜んでもらえるのって幸せな気持ちになるな。
それに、もっとこの子の笑顔が見たい・・・うん、見たい。
「まだ・・・どうやったらルーンを認めるか話してなかったな」
「え・・・教えてくれるんですか?」
初夏の涼しい風がルーンの赤毛を揺らした。
どんな顔をしてくれるだろう・・・。
「俺に・・・一撃でも入れられたら認めてやる」
「・・・」
目の前には、今までで一番の笑顔があった。
俺だけに向けてくれたもの・・・。
◆
「お優しいのう、一撃くらいなら偶然でも貰うことはあるぞ?」
父上が釣竿を持って現れた。
・・・また遊びに行くのか。
「気は抜きませんよ・・・ていうか、盗み聞きしないでください」
「格下だと思って驕るなよ?」
「わかっていますよ・・・」
父上がなにを言おうと今の騎士は俺だ。
それに手は抜かない、戦いに関しては本気でやる。
「・・・取り消しておいた方がいいと思うぞ。あの子は素質がある。それもとびっきりのな」
「・・・それはわかっています。ですが条件は変えません。がっかりするでしょうし、嫌われてしまいます」
「ほう・・・嫌われたくないのか」
「え・・・」
無意識に出た言葉だった。
そうか、俺はルーンに嫌われたくない・・・。
『約束ですよ。じゃあ、また明日よろしくお願いします』
さっきの帰り際・・・あの笑顔を見た瞬間、俺の胸になにかが突き刺さり、深いところまで入っていった。
早く・・・明日にならないかな。
名前も知らない感情は、日ごとに大きくなっていく・・・。




