第百七十話 負けん気【ニルス】
「朝早いのにもう畑に出ている人たちがいますね。それに・・・ちょっと潮の香りがします」
「海が近いからね。・・・手を離さないようにしないとまた連れ去られるかもよ」
「・・・離しません」
ルージュが繋いでいた手をしっかりと握り直してくれた。
「あちこちに小屋がありますね」
「畑仕事に使う道具をしまってるんだろうね」
「あ・・・牛がたくさんいます」
「牧草地で放し飼いにしてるんだよ。・・・乳牛だね」
「わあ・・・ミルク・・・」
この子はテーゼから出たことが無かった。
だから、農村の景色は新鮮なんだろう。
「シロの話では、ここで暮らす人が増えたらしい」
「そうなんですね。お花のお世話はありますけど、農作業なんてしたことないです。楽しいのでしょうか?」
「あとで見せてもらおう。今は少し急ぐよ」
「はい」
ゆっくり見せてあげたいけど、この体でいられる時間はそんなに無い。
早くヴィクターさんに会わなければ・・・。
「あれ、ニルス様・・・なんで泣いてるんですか?」
ルージュが心配そうな声で手を引いてきた。
・・・その通りだ。
さっきから目の前がぼやけている。
「なんでもない・・・ここの風景に胸を打たれただけだよ・・・」
「そうですか・・・」
「走ろう。もっと人が出てくると呼び留められるかもしれない」
「はい」
君へと続く道・・・だからかな。
◆
「ニルス殿・・・」
聖女の屋敷のすぐそば、騎士の家を訪ねるとすぐに懐かしい顔が現れた。
皺は増えたみたいだけど、纏っている空気はそのままだ。
「お久しぶりです・・・変わりないようですね」
「そんなことはない、動きは前よりも鈍っている」
あんまりそうは見えないけど・・・。
「あの・・・わたしのこと憶えていますか?遊んでもらったり、昔話をよく聞かせていただきました」
ルージュも再会を喜んでいる。
「もちろんじゃルージュ殿。可愛らしい子どもじゃったが・・・大人になったのう」
「私もシロ君からお話を聞いていたわ。お人形さんみたいに綺麗ね」
「へ・・・いえ、奥様もお綺麗です・・・」
奥さんも一緒にいた。
前に聞いていたけど、かなり歳が離れた夫婦だ。
「いやーしかし・・・成長したのう・・・」
「そ、そうですか?」
「儂も娘が欲しかったのう・・・」
ヴィクターさんは、ルージュの胸やお尻を見ている気がする。
あんまりミランダと同じように扱ってほしくはないな・・・。
「うちに女の子が来たのは初めてなのよ。ヴィクターはもう屋敷に行っているから会ってあげてね」
奥さんとは初めて会ったけど、とても感じのいい人だ。
シロも優しい人だって言ってたっけ。
「ええと、ナツメさん・・・ですよね?」
記憶の隅の方にあった名前で呼んでみた。
・・・たぶん合ってたはず。
「そうです。初めましてニルスさん」
「ご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした」
「事情は知っています。お気になさらないでください」
お互いに頭を下げた。
そうは言われても気を遣ってしまうな。
「あれ・・・ナツメさんもそれを身に付けているんですね」
腰には、ヴィクターさんの胸にあるものと似た意匠の短剣が下げられていた。
「はい、いつも持っています」
「二つは対になっているように見えます。騎士の妻だからですか?」
「そうですね。ふふ・・・これ以上は内緒です」
とても幸福な意味があるんだろう。
まあ・・・深く聞くのはよそう。
「あの、ちょっといいですか・・・おじいちゃんもヴィクターですよね?」
ルージュが首を傾けた。
この子が知らないことだ。
「もう違うんじゃ。本当の名前はカザハナという」
「え?え?どういうことですか?」
「掟で代替わりするまでは本当の名を教えられんのじゃ。歴代の騎士は、男も女もヴィクターじゃよ」
おかしな掟はどのくらいあるんだろう・・・。
「そうなんですね・・・なんの意味があるんですか?」
「儂もわからん、ただ続いているだけじゃよ」
意味無いのかよ・・・。
「そういえば、家族の名前も知りません」
「メイプルじゃ」
「メイプル・・・え?」
ルージュの顔が固まった。
まあ、そこまで関係は無いみたいだけど・・・。
◆
「・・・じゃあ、王族というわけではないんですね?」
「うむ、じゃから気にすることは無い。ただ、あまり言いふらさないでおくれ」
「わかりました」
ルージュに、騎士の先祖について説明した。
オレも忘れてたからそんなに気にすることじゃない。
「まあ、騎士の話はこれくらいにしておこう。それよりも・・・ここに来たのはどういうわけじゃ?まだステラ様は目覚めておらん」
カザハナさんの目付きが変わった。
驚いてたからな・・・。
「はい、知っています」
「・・・ハリス殿とミランダ殿からふた月前に事情は聞いている。怪しい者どころか挑戦者も来ていない」
「そうですか、安心しました」
カザハナさんたちは精霊じゃないから、呼びかけで伝えておくことができなかった。
・・・一から話さないといけない。
「早く教えてほしい、なぜ二人は動いているんじゃ?火山で身を隠していると聞いていたぞ」
「そうですね・・・今の状態では信じてもらえないかもしれませんが・・・」
どう思われるかな・・・。
◆
「気の毒じゃが・・・儂にはわからん」
カザハナさんが難しい顔をした。
そりゃそうだよな。
あまり期待はしてなかったけど・・・。
「・・・これからはどうする気じゃ?」
「鳥たちの報告を待ちます。待っているその間は、ルージュを鍛えてあげようかと・・・」
というか、それしかやることがない・・・。
「ほう、雷神の娘なら期待できそうじゃ」
「えへへ・・・」
ルージュが照れ笑いを浮かべた。
まだ基礎も途中なのに・・・。
「そこでなんですが、カザハナさんに協力してもらいたいんです。オレは昼過ぎにはこの体でいられなくなるので・・・ルージュを鍛えていただけませんか?」
「構わんよ」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
「うむ・・・」
まあ、断る理由も無さそうだしな。
じゃあ宿を取らなければ・・・。
「それと・・・ニルス殿、ステラ様の顔は見ていくか?」
「いえ・・・やめておきます」
「そうか・・・」
近くにいる・・・本当はそうしたい・・・。
でも、それは違うよな。
目覚めたら迎えに行くよ・・・。
「それなら、お部屋が空いてるからここで過ごしたらいいんじゃない?」
ナツメさんがニッコリと微笑んだ。
「二人がいれば、食事の時間も楽しくなると思うの。ヴィクターはあんまり話してくれなくなったから・・・」
ありがたいけど・・・。
「すみません、宿を取ろうと思います」
「あら・・・どうして?」
「ここは・・・近いので・・・」
「・・・わかったわ」
ナツメさんはすぐに察してくれた。
たぶん・・・落ち着かない。
「わたしも・・・ご迷惑をかけるかもしれないので宿の方がいいですね・・・」
ルージュも気を遣ってしまいそうだからな。
「じゃあ、まずは宿を取りに行こうか」
「はい」
「待て待て、ニルス殿が小さくなってからなら一人分の金額で済むはずじゃ。せっかく来たんじゃから、それまで儂が村を案内してやろう」
カザハナさんも立ち上がった。
お金・・・そこまで考えてなかったな。
「ルージュちゃん、また来てね。美容水もたくさんあるから、無くなったら言ってちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
よし、出よう。
◆
「あの・・・これからはカザハナ様とお呼びしてもいいでしょうか?それとも師匠?」
家を出たところで、ルージュが立ち止まった。
おかしなことを考えていたんだな・・・。
「昔と同じおじいちゃんでいい。そう呼ばれたいんじゃ」
「はい、わかりました」
呼び方はなんでもいいと思うけど・・・オレも「お兄ちゃん」って呼ばれたいな・・・。
あれ・・・待てよ。
『では・・・なんと呼べばいいですか?』
あの時、カザハナさんみたいに「前と同じお兄ちゃんでいい」って言っておけばよかったのか?
いや・・・あの時は言える感じじゃなかったな・・・。
◆
「おじいちゃんの息子さんが今の騎士なんですよね?」
「そうじゃよ」
ルージュはカザハナさんと楽しそうに話し始めた。
「おじいちゃん」でいいってわかって安心したんだろうな。
「どのくらい強いのでしょうか?ニルス様と同じくらい?」
「ニルス殿と・・・程遠いのう。まだまだ未熟じゃよ」
自分で鍛えたんだからそんなこと言ってやるなよ・・・。
「それにおなごが苦手じゃ。自分から近寄りもせん」
「わたしも知らない男の人は・・・苦手です」
待てよ・・・それもなんとかしなければいけない。
「儂は平気なのか?」
「はい、おじいちゃんですから」
騎士と・・・修行してもらうか。
「カザハナさん、目標は騎士に認めてもらうことにしましょう」
「え・・・ちょっとニルス様?騎士ってとても強いって教わりましたよ・・・」
「その騎士に認めてもらえるくらいになれば自信が付くだろ?」
「でも・・・男の人・・・ですよね?」
ルージュがもじもじしながら体を縮めた。
だからやるんだよ・・・。
ていうか、この子があの家に泊まるのを断ったのはそれもあったからか?
「敵は男だっただろ?慣れるためでもある」
「あ・・・わかりました」
「大丈夫じゃよ。胸元を少し開ければ隙を作りそうじゃ」
「そんなはしたないこと・・・できません」
ルージュが襟を直した。
オレもそんなことはしてほしくない。
◆
「・・・ニルス殿?」
村を一周して昼になる頃だった。
「もう・・・保てないみたいです」
体から薄い煙のようなものが立ち上っていく・・・。
「ああ・・・小さくなっちゃった・・・服を・・・」
「そうだな・・・」
気付いたらルージュを見上げていた。
本当に一日だけだったな。
・・・果実はあと五つ、よく考えて使わなければ。
「疑っていた・・・すまなかった」
カザハナさんはオレを持ち上げて頭を下げた。
「いえ、信じられないのは仕方ありません」
「すまんな、では宿に案内しよう」
いいことは宿代が一人分で済むってだけか・・・。
◆
「いいお部屋ですね。風も入ってきます」
早速宿を取った。
カザハナさんの口利きもあって、少しだけ安くしてくれるらしい。
「少し古いが、気に入ってもらえてよかった」
「はい、落ち着きます」
たぶんうちと似ているからなんだろう。
それに静かだ。
「一人で眠れそうか?」
「ニルス様が近くにいれば・・・」
「それも治さないとな」
「・・・頑張ります。ちょっと待ってくださいね」
ルージュは鞄から着替えや下着、裁縫箱を取り出してテーブルと棚に綺麗に並べた。
・・・ミランダは宿でこんなことしなかったな。
たしかいつもしまいっぱなしだった。
「洗濯物は晩鐘までに出してほしいらしい」
「わかりました」
洗濯・・・。
『あたしはまだやられたこと無いけど、担当が男だと下着が消えることあんのよ』
ミランダに教わったことを思い出した。
「カザハナさん、洗濯をしてくれるのは女性ですよね?」
「そのはずじゃ」
なら・・・よかった。
「客用の風呂は、晩鐘が鳴る頃に沸かし始めるそうじゃ。今はルージュ殿しか客はいないからのんびりできそうじゃな」
「え・・・わたしのためだけに沸かしていただけるんですか?」
「客じゃからな。なにも気にすることはない」
「・・・はい」
スナフに観光客が増えるのは秋、収穫の時期らしい。
獲れたての野菜を食べられる時期でもある。
「他に客が入っていないのは幸いじゃったな。若い男は、気付かぬふりをして女の風呂に入ってくることもあるらしい」
「そ、それは困ります・・・」
「じゃから安心するといい」
「・・・そうですね」
ああ・・・それは安心だ。
でも、他にも危険がある・・・。
「カザハナさん、村の男たちが覗きに来たりはしませんか?それと・・・夜に襲いに来るとか・・・絶対に許しませんよ」
「え・・・そんなことあるんですか・・・」
「心配性じゃの、スナフに夜這いの風習は無い・・・まあ、一応儂からここの者たちに伝えておく。・・・命が惜しければやめておけとな」
「お、お願いします・・・」
騎士は村のみんなに顔が利くらしい。
たぶん、これで大丈夫だろう。
「それと修行についてじゃが、儂に任せるということかの?」
「そうですね。カザハナさんはどう考えていますか?」
「基礎は続けるべきじゃが、強くなるには戦うしかない。・・・そこで、毎日ヴィクターに挑戦しに行ってもらおう。そして午後からは反省と・・・儂が相手をする」
「いいでしょう」
昔のアリシアと同じだ。
オレもそれで鍛えられたからな・・・。
「毎日・・・ですね?わかりました」
ルージュは不安そうに俯いた。
「ルージュ殿、ヴィクターは悪い男ではない。まあ・・・抵抗があるのなら別のやり方に変える」
「・・・やってみます。覚悟は・・・できていますから、厳しくでかまいません」
向こうが好意的なら慣れるのも早いらしいからな。
それにまずは挨拶もするし・・・。
「では行きましょう。ルージュのことを紹介してください」
オレも一緒に行って姿を見せれば付き合ってもらいやすいはずだ。
「いや、正体は明かさずに挑んでもらう」
「え・・・なぜですか?」
「儂は・・・息子にも成長してほしいんじゃ。ルージュ殿、構わないか?」
「・・・はい、お任せします」
我が子のためか・・・仕方ないな。
まあ似た者同士みたいなもんだし、お互いに成長してくれればいい。
「あ・・・だとしたら頼まれていた剣はどうしましょう?ルージュ、出してくれ」
「はい・・・重いです」
ルージュが鞄から騎士のために打った剣を取り出した。
「持ってきてくれたのか。・・・素晴らしい刃じゃ」
「鉄はイナズマに頼んで、質のいいものを集めてもらいました」
「ならば・・・ルージュ殿に使ってもらおうかの。胎動の剣は勘付かれる」
「この剣を・・・大丈夫かな・・・」
あれはルージュにとってかなり重い。
でも自在に操れるようになる頃には、相当な力が付いてそうだ。
「君を守る力・・・」
ルージュが刻まれた言葉に気付いた。
父さんと同じで、自信作には入れているものだ。
「騎士のための剣だからな」
「なるほど・・・なんだか素敵です」
本当はオレが守るつもりだったけど、こんな身体になってしまった。
だから、今のヴィクターに託そう・・・。
「それと髪の毛も隠さんとな。女神様に繋がる者だとすぐにバレる」
「バレてはいけないんですね?」
「剣を納めて、戦ってくれなくなるじゃろうな」
「まずは買い物か・・・」
けっこう面倒だな・・・。
修行にここまで準備が必要だとは思わなかった。
全部、この身体のせいだけど・・・。
◆
三人で商店通りの雑貨屋に入った。
あるとしたらここだけらしい。
「赤毛だけならあるよ」
「ルージュ殿、よろしいか?」
「はい・・・なんでも・・・」
ルージュがミランダと同じ赤毛になった。
・・・いい。
「・・・どうですか?」
「似合っているよ、君以上に赤毛が似合う子はいない」
「え・・・ありがとうございます」
「なぜ赤くなっているんだ?」
「もう・・・なんでもありませんよ・・・」
雰囲気が変わっていいな。
テーゼならたくさんありそうだし、今度別の色も付けてもらいたい。
「カザハナ・・・どこの子だい?・・・隠し子がバレたか?」
「ナツメを裏切るわけないじゃろ・・・。説明するから村の者たちにも伝えてほしい・・・」
ヴィクターさんは店主のお婆さんと話し始めた。
こうやって伝えてもらうのか・・・。
◆
カザハナさんは先にステラの屋敷に戻った。
「はあ・・・」
「どうした?」
オレたちは、少し遅れて屋敷の門の前に着いた。
なんだかルージュの顔が暗い・・・。
「・・・あの人、わたしよりもずっと強いと思います。・・・年上で背も高いですよ?」
「心配するな、殺されはしないよ」
「・・・殺される寸前まではあるってことですか?」
「どうだろうな」
幼かった頃とは見違えた。
でも見た感じ、まだまだカザハナさんの域にまでは達していない。
「早く入ろう、あの男は恐くないから大丈夫だ。挑戦しに来ましたってちゃんと言うんだぞ?」
「わたしから・・・知らない男の人には、こちらから話しかけてはいけないと教わっているんです・・・」
「強くなりたいんだろ?それにオレが肩にいるじゃないか。言葉に困ったら耳元で教えるから、その通りに話せばいい」
「ニルス様・・・はい、行きます」
ルージュは覚悟を決めた顔で歩き出した。
オレは身を隠しながら見守ることにしよう。
◆
「うう・・・」
宿に戻ってきた。
「く・・・うう・・・」
ルージュはずっと泣いていた。
まさか顔まで殴られるとは思わなかったな・・・。
『遠慮させるな。もっと煽れ・・・腰抜けとか・・・』
『腰抜け・・・』
オレがやらせたようなもんだけど・・・。
実力差は相当あった。
重い剣なこともあったけど、構えも踏み込みも甘すぎたからな。
でも・・・そこを受け止め、前に進むのが修行だ。
「そんなに気にするなよ・・・もう痛くないだろ?」
「・・・そんなんじゃ・・・ないです」
「勝てるとでも思ってたのか?」
「違います・・・」
ならなんで泣いてるんだ?
「恐かったのか?」
「・・・手を抜いたって言われました。わたしは全力だったのに・・・」
「・・・傷一つも付けられなかったな」
「自分が弱いのが・・・悔しいです・・・」
なるほどね・・・そんなのオレも母さんも通った道だ。
だからルージュも乗り越えられる。
「オレはアリシアに何度も刺されたし、骨を何本も折られてる。まあ、オレもやり返してたけどな」
「・・・お母さんが?」
「お互いを信用していたからだ。まだお前たちにはそれが無いだけ・・・強くなれば手抜きなんかされなくなる」
「強く・・・やります!」
負けん気はあるな。
たぶん、昔の母さんもそうだったんだろう。
さて・・・認められるまで、あとどのくらいかかるか・・・。




