第百六十一話 叫び【ルージュ】
ニルス様の弟子になったのは、悪い人をわたしが捕まえるため・・・。
いや・・・復讐のためだったんだけど・・・。
修行・・・気持ちいい・・・。
剣を持っていると気持ちが昂って、体が熱くなる。
ニルス様に攻撃が当たると全身が甘く痺れるし、体が思った通りに動くと快感もあって、鍛えていくのが・・・楽しい。
強くなれば、もっと・・・。
◆
「う・・・ちょっと待ってくれ・・・」
手合わせの真っ最中に、ニルス様がうずくまった。
あ・・・また脇腹かな?
「だいじょ・・・」
近付いたわたしの顔に切っ先が向けられた。
これは・・・。
「こういうことをする敵もいる」
「う・・・はい・・・」
教えてくれたのか・・・。
「自分の負けだ。降参する・・・言葉で油断を誘う奴もいる。武器を向けてきた相手に、気を遣うことは一切しなくていい」
「わ、わかりました」
わたしはまだまだ甘いみたいだ・・・。
◆
西の空が薄紅色に染まってきている。
そろそろ今日の修行は終わりだ。
太陽の高さや空の色で、なんとなく時間がわかるようになってきていた。
時の鐘が無くてもどうにかなるんだな。
「今日は三回か・・・ケガと痛む場所は?」
「お腹と・・・太ももと腕です」
「腕を上げて・・・」
ニルス様が治癒をかけてくれた。
修行が終わると必ずこうしてくれる。
だからおもいきり戦えるし、遠慮なく剣を振れる。
「斬られたところよりも、蹴られたお腹の方が痛いです・・・」
「そうだな・・・オレに蹴られるなら斬られた方がマシだってみんな言ってたよ」
「でも、わたしには手を抜いてますよね?」
「成長に合わせてるんだ」
ぶつかっていくうちにわかってきた。
ニルス様はかなり手加減をしてくれている。
みんなが強いって言ってた風神、その動きはまだ本当の姿じゃない。
早く見てみたい・・・思うと胸が高鳴る・・・。
◆
お風呂も夕食も済んで、わたしたちはベッドに入った。
安心できて、幸せな時間だ。
「戦場がまだ続いていたら、わたしは戦士になれますか?」
「今のルージュじゃ無理だな。衰えてなければ、まだミランダの方がずっと強いよ」
ニルス様はいつもわたしとお喋りをしてくれる。
旅の話はたくさん教えてくれた。
戦場の話もしてくれるけど、最後の戦い以外のことはあんまり教えてくれない。
「それはそうですよ。シロだって、ミランダさんには敵わないって言ってました」
「それは意味が違うと思う。・・・戦いで言うなら、シロには誰も勝てないよ。一瞬で凍らされるからね」
「お母さんやニルス様でもですか?」
「なんでもありなら絶対に無理だ。優しいけど、一番怒らせちゃダメなのはシロだよ」
たしかに、あのつららと氷はどうしようもない。
敵には逃げられたけど、未知の力だったからだよね・・・。
「じゃあ、わたしとお母さんはどのくらい差がありますか?」
他はどうなのか気になった。
「・・・ここから南部の端まで」
「そうですよね・・・じゃあニルス様とお母さんの差はどれくらいですか?」
「このベッドからそこの扉まで」
すぐそこ・・・わたしには気の遠くなりそうな距離だ。
でも、いつか追いつきたい。
「ニルス様はいつも余裕な感じですけど、恐いものってあるんですか?」
これも気になった。
風神にもそういうのがあるのかどうか・・・。
「どうだろうな・・・昔は戦場が恐かったよ」
「え・・・そんなに強いのにですか?」
意外だ。でもこれは本当のことだと思う。
だから最後の戦場以外の話はあんまりしてくれないんだ。
「・・・簡単に死ぬ仲間、断末魔、大地に喰われる死体、血の匂い・・・それに動じない人たち・・・みんな恐かったよ。今もそうだ・・・思い出すと震える」
わたしも寒気がして、もっとニルス様にしがみついた。
戦場を語る人は英雄譚しか話さない。
セレシュのお父さんもそうだ・・・。
◆
「最後まで慣れなかった・・・。あそこの空気は受け付けない」
ニルス様が話してくれたのは、誰からも・・・お母さんからも聞いたことがない戦場だった。
「戦ってると気が紛れるし、昂るんだ・・・。オレもみんなと一緒なんじゃないかって・・・それも恐かったな」
ニルス様の目には、戦場が異常な場所に見えたらしい。
敵はもちろんだけど、味方もみんないつもと違っていて・・・たしかに恐い・・・。
「どうして・・・そんな思いをしてまで出ていたんですか?」
だから疑問が生まれた。
たしか待機の人たちもいて、直前でも辞退できたって聞いたことある。
「・・・戦場以上に恐いものがあったんだ」
「それはなんですか?」
「・・・大切な人に見捨てられることだ」
見捨てられる・・・誰のことだろう?
お母さん・・・なはずはない。そんなことしないもん。
じゃあ誰?大切な人・・・。
「今だからわかるけど、その人は不器用だっただけ。そんなことはしない・・・でも、あの時はそうなると信じ込んでいた」
「その人に・・・聞いてみたりしなかったんですか?」
「言う通りだよ。聞けばよかったんだ・・・」
「わたしはできますよ。ニルス様・・・わたしを見捨てないでくださいね」
「ふふ・・・」
ニルス様は小さく笑って、わたしをもっとぎゅっとしてくれた。
「オレが君を見捨てることは絶対無いよ。それは心配しなくていい」
どうしてこんなに安心するんだろう・・・。
それに、変な気持ちだ。
「ニルス様は、大切な人からその言葉を聞けなかったんですね」
「確かめることをしなかったオレが悪い。子どもだったんだ・・・ルージュはあの時のオレより素直だね」
「えへへ、師匠から褒められるのは嬉しいです」
この気持ちはなんなんだろう・・・。
『お兄ちゃんのお嫁さんになりたい』
ずっと想っていたはずなのに・・・なにか違う気がする。
弟子になってしまったから?
ニルス様には相談できないし、ミランダさんが来たら話してみようかな・・・。
あと十日位でふた月、ハリスさんと一緒に来てくれるはずだ。
◆
「合格だ。なんとか五回当てたな」
ニルス様が頭を撫でてくれた。
でも・・・あんまり嬉しくない。
「うーん・・・でもニルス様はそれでも倒れないですよね?」
課題は達成できたけど、納得のいく形ではなかった。
致命傷と呼べるものが一つも無かったからだ。
「・・・弟子に負ける師匠がいるわけないだろ」
「それは・・・そうですけど」
「けど約束だ。少しだけ動きを見せてやろう」
あ・・・そうだった。
課題をやってきたのは、風神の動きを見せてもらうためだ。
「まあ、参考にはならないと思うけど・・・」
「ちゃんと見ておきます」
戦いに関すること・・・大体真似できる。
見たら何度も練習するんだ。
「寸前で止める。動くなよ・・・」
ニルス様が距離を取った。
七、八、九・・・あの長い脚で十歩の距離・・・。
「そんなに離れるんですか?」
「・・・一歩で詰める」
ニルス様が体勢を変えた・・・と思った瞬間、姿が消えた。
え・・・来る?
思った時には、目の前に聖戦の剣が突き付けられていた。
「どうだった?」
ニルス様の起こした風が、わたしの髪の毛をなびかせた。
嘘・・・なんにも見えない・・・。
『えっとね・・・風みたいに速いんだ』
シロが言ってた通りだ。
お母さんは、どうやってこの人と戦っていたんだろう・・・。
◆
「下半身・・・全体的にだけど、足の指はかなり鍛えた」
ニルス様は速さの秘密を教えてくれた。
そう言われても・・・どれだけ鍛えればいいんだろう?
ていうか、足運びとかもあるよね・・・。
「お母さんが教えてくれたんですか?」
「いや、これはセイラさんからだ。あの人は、オレより静かで速いよ」
「セイラさん?でも・・・戦士でもないのに」
「運び屋は危ないことも多いからね。テッドさんに鍛えてもらったらしい」
ああ・・・そういえばテッドおじさんは元戦士だったって聞いたことある。じゃあセイラさんもお母さんと同じくらい強いのかな?
「そしてこれは、君には教えてあげられない」
「え・・・どうしてですか?」
「誰にも伝えない、そういう約束をしているんだ」
「そうですか・・・」
本当は教えてほしかった。
だけど、勝手に見て勝手に覚えるのは大丈夫だよね。
全然見えなかったけど・・・。
「ルージュに合ってる戦い方でもない」
「そうなんですか?」
「明日からは・・・受け流しを教える」
「わかりました・・・」
とりあえず、そっちも覚えればいいか・・・。
◆
「じゃあ、カクと遊んできます」
朝を食べて、すぐに外に出た。
今日は空が暗い・・・。
「遊びじゃなくて鍛錬だ。・・・それに雨が降るかもしれない、今日は早めに戻ってくること」
「はい。行くよカク」
「きゅっ」
ニルス様は、いつの間にか付いてこなくなっていた。
ふふふ、心配無いくらい体力が付いたってことだよね。
◆
「カク、今日から内緒で鍛錬したいんだ。いい?」
「きゅう」
森の中でカクに了解を取った。
「ありがとう。もうちょっと広いとこ行こうか」
風が少しだけ強い、だけど森の中はそこまでじゃないな。
『・・・足の指だ。オレは小指一本でどの方向でも跳べる。これ以上は言わない』
きのうの夜、もう一度聞いたら教えてくれた。
『今から鍛えるよりも受け流しを覚えた方がいい』
っても言われたけど・・・風神の動きの方が魅力的だ。
◆
「いたた・・・」
試しに靴を脱いで、足の指で立つことからやってみた。
・・・全然できない、先は長そうだ。
まずは木を支えに少しずつ慣らしていかないとダメか。
「きゅ・・・しゃー!!」
集中していると、カクが変な声を出した。
聞いたことない・・・。
「どうしたのカク・・・え・・・」
振り返ると、剣を下げた知らない男の人が立っていた。
カクの声は威嚇だったみたいだ。
「君は・・・」
誰?それに男の人・・・。
わたしはすぐに靴を履いて、木の陰に隠れた。
「君みたいな女の子がここで何をしている?」
「しゃー!!」
「魔物・・・ちょうどいいな」
何・・・どうしよう。ニルス様・・・。
「この辺には誰も住んでないって聞いてたんだけど、君はどこの子?」
厳しい言い方・・・怒られてるわけじゃないけど、普段からこういう話し方をする人なんだろう。
「・・・教えられません」
なんとか答えた。
早くカクを連れて帰らないと・・・。
「答えてもらわないと困るんだ。調査で来てるんだから」
「・・・なんの・・・調査ですか?」
「俺たちが住むところだよ。お嬢ちゃんのことを教えてくれ」
・・・住むところってなに?
それに「知らない人に自分のことを話すな」ってお母さんに言われてる。
男の人ならなおさらだ。
「もしかして、旅人か冒険者か?」
そうか・・・それなら誤魔化せる。
返事をしてこの場を離れて、ニルス様に教えないと・・・。
「そうです・・・旅人です」
「一人で?」
「・・・そこの森渡りと一緒です」
「魔物と?」
早くどこか行ってよ・・・。
「旅人なら知ってるだろうが、魔物は人を襲う。俺たちは何かある前に保護しているんだ」
「その子は・・・大丈夫です。少し休んでいただけなので・・・もう行きます」
「しゃー!」
わたしは勇気を出して木から離れて、カクを抱き上げた。
「へー・・・綺麗な顔だな」
姿を見せた時に、嫌悪感が湧くような声が聞こえた。
・・・気持ちわるい。
「失礼します・・・」
なんだっていい、少し離れたら全力で走ろう・・・。
一歩、一歩、怪しまれないようにゆっくり・・・。
◆
「お嬢ちゃんも・・・連れて帰りたいな」
「あ・・・」「きゅ・・・」
急に腕が引っ張られてカクを落としてしまった。
嘘・・・触らないで・・・。
「やめて・・・ください・・・」
「旅人なら消えても誰も困らないな」
「いや・・・」
目の前の顔が、昔わたしを騙した男と重なった。
やだ・・・やだ・・・恐いよ・・・。
「まさかこんなところにメスがいるとは思わなかった。かなり若いな・・・」
髪・・・顔・・・肩・・・男の手がわたしの体を這っていく・・・。
気持ちのわるい手つき・・・
それなのに、手も足も動いてくれない・・・。
「しゃー!!」
「く・・・なんだお前・・・」
男の手がわたしの胸に触れようとした時、カクが飛び掛かった。
「やっぱり魔物は魔物か・・・」
違う・・・カクはわたしを助けようとしてくれた・・・。
「殺したのがバレたらゴチャゴチャ言われるんだ。・・・お嬢ちゃんは黙っててね」
男が振り向いて剣を抜いた。
「カク・・・」
「・・・」
カクは牙を剥いて恐い顔で唸っている。
なのに・・・まだわたしは動けない。
「角が小さいな・・・タヌキと間違えたんだ!」
「ぎゃん!!」
「カク!」
また飛び掛かったカクが、男の剣で返り討ちにあい・・・地面に落ちた。
「きゅ・・・」
カクが落ちたところに血だまりができている。
斬られた・・・。
◆
「雨が降ってきたな・・・」
いつの間にか、男がまた目の前にいた。
「まあいい・・・」
「ぐ・・・」
お腹を殴られて、木の下に無理矢理座らされた。
わたしは・・・これからどうなるの?
カクは・・・。
「先に具合を見とかないとな・・・」
お兄ちゃん・・・助けて・・・。
「気に入ったら俺だけで飼ってやる。今いるのは、もう壊れそうだからさ・・・」
男の手がわたしの脚に触れ、少しずつ上ってくる・・・。
「・・・ぐあ!」
男の手が止まり、同時にカクの遠吠えが森中に響いた。
「まだ生きてたのか・・・」
カクが震えながら立ち上がっていた。
この人を角で刺した?なんで・・・あんなに血が出てるのに・・・。
わたしより・・・小さいのに・・・。
『カクは痛いからケンカは嫌いなんだって』
わたしの・・・ため?
「あ・・・」
カクの体から力が抜けた。
どうして立ったの・・・。
「死に際の力か・・・勝手に倒れやがった」
男は倒れたカクに近付いた。
「邪魔されたらムカつくからな・・・」
わかる・・・殺されるんだ・・・。
『自分の身も守れないあなたに何ができるというのですか?』
ハリスさんの言う通りなの?
『勢いで飛び込む世界じゃないんだ』
勢いじゃない・・・わたしはお母さんを助けるために考えた。
カクだって・・・助けるんだ!
◆
「おとなしくしてればかわいがってやるのに・・・痛いのは嫌だろ?」
「ここを・・・離れてください・・・」
わたしは胎動の剣を構えていた。
どうしよう・・・立ち上がれたのに体が震える・・・。
『ニルス君を呼ぶ・・・』
剣から声を感じた。
・・・お父さん?
うん・・・一人じゃない。
「今・・・どこかへ行くなら・・・許してっ・・・」
顔を殴られた。
見えてたのに恐怖で体が反応してくれない。
考えている間に、口の中に血の味が広がっていく・・・。
「唇を切ったみたいだね。・・・お嬢ちゃんはメスなんだからさ・・・無理だよ」
痛い・・・顔を殴られたのなんて初めてだ。
ニルス様は治癒があっても絶対に狙わない・・・。
でも・・・こんなの全然平気だ。
『それは戦いに身を投じた時にまた味わう痛み・・・そして相手に与える痛みだ』
あっちの方が痛かったもん・・・あれ・・・。
『痛みは・・・覚えました。戦いを・・・剣を教えてください』
あの覚悟を思い出した時、体の震えが止まった。
大丈夫・・・お父さんも・・・いるもん。
服の内側に付けているブローチを握った。
立てる・・・。
「今・・・姿を消すなら見逃します!」
男のすぐ後ろを見た。
・・・弱いけど、カクはまだ呼吸をしてる。
ごめんね・・・わたしよりずっと痛いよね・・・。
でも、すぐニルス様の所に連れて行けば・・・。
「こいつが気になるのか・・・」
男は一歩後ろに跳んで、カクを踏みつけた。
「なにを・・・」
「死ねば心残りは無いよな・・・」
男が剣を振り上げた。
させ・・・ない・・・。
全身が熱くなった。
本能とか・・・そういうものが、今どうしたらいいかを教えてくれている。
「させるかあああああ!!!!!!」
おもいきり叫んだ。
体が命じた通りに・・・。
「・・・」
男は目を見開いて動きを止めた。
隙・・・武器を向けてきた相手に気を遣わない!
「・・・同じ痛みを!」
力の限り踏み込み、胎動の剣を振り抜いた。
何度も練習した動きだ。
「ぐあ!!なんだ・・・腕・・・」
男の腕ごと剣を落とした。
全身に甘い痺れが走る・・・。
「すぐに消えろ!!二度とわたしの前に姿を見せるな!!!」
「・・・顔は覚えた。必ずまた見つけてやるからな!」
男が走り去っていく。
また・・・返り討ちにするだけだ。
◆
「はあ・・・はあ・・・カク!」
わたしはすぐに治癒をかけた。
血が出過ぎてる・・・。
「カク・・・カク・・・」
「きゅ・・・」
まだ・・・生きてる。
大丈夫、すぐニルス様のところに。
「・・・ダメだ。これじゃ運べない・・・」
カクのお腹は破れていた。
持ち上げたら中身が出てしまう・・・。
「やだ・・・やだよ・・・カク」
わたしは治癒をかけ続けることにした。
雨で血も流れていく・・・。
帰りが遅ければニルス様が来てくれる。
わたしの力じゃ治せない。
だから少しでも時間を・・・。




