第百五十七話 あの日と同じ【シロ】
お母さんはとっても穏やかな顔で凍っている。
こっちの方が僕も安心するな・・・。
みんなに相談しなかったことは、今思えばどうかしていた。
一人だったから・・・なのかな?
だとしたら今は大丈夫だ。
メピルとニコルさんがいる。
本当はニルスにもいてほしかったけど・・・。
◆
「雷神にも毒は効くんだね・・・」
ニコルさんが、お母さんを見て目を細めた。
たぶん、みんな同じことを思うだろうな。
「・・・あのさシロ君、ボクだって相談に乗ることくらいはできるよ。なのにこの数日間で一度も来なかったね」
「あ・・・ごめんなさい」
「それにシロ君たちが消えたら、室温が変わって虫たちが死んでしまう。あの子たちも生きてるんだよ?声をかけてくれたら話を聞くからさ」
ニコルさんは僕を許してくれた。
虫たちのために・・・。
「アリシアさんは、ボクの分の食事も作ってくれたんだ。細すぎるからたくさん食べろって。・・・恩を感じてる」
「・・・あんまりあなたとお母さんを会わせたくは無かったんだけどね」
メピルが口元を緩めた。
お母さんは、ニルスの所に行ったあと毎回ここにも来ていた。
メピルにとっては楽しい時間だったんだと思う。
「でもアリシアさんは、ボクの研究の話を嫌がらずに聞いてくれたよ?」
「お母さんは優しいだけだよ」
メピルはお母さんが来たら、ずっとお喋りしていたらしい。
『お母さんがいる時シロは来ないで』
何度か言われていた。
ここから動けないこの子にとって、何よりも幸福なことだったんだろう。
「それで・・・どのくらい強い毒なの?」
「手の平に一刺しで即倒れたんなら・・・かなり濃い。器官を壊すものじゃなくて、筋肉を緩ませるやつだと思うよ。まあ、中身はもう調べようが無いけど・・・」
二人が僕を置いてきぼりにするようなことを話し始めた。
「ちょっと待って。ニコルさんて、そういうの詳しいの?」
「え・・・まあ・・・」
「あら、シロは知らなかったのね」
「聞いてないよ・・・」
でも意外ってほどでもないか・・・。
毒蜘蛛なんかの扱い方もわかってるし、そっちもついでに覚えてしまったって感じなのかな?
「もうずっと前だけど、魔女みたいな薬師さんの弟子だったんだ。森の奥に一人で住んでた変わり者で、虫とか蜘蛛とかたくさん飼ってたんだよ」
「薬師・・・そしたらお薬作れるの?」
「うん、薬師の資格も持ってるからね。あと、言われるまま医者の資格も取らされた。特級以外はぶっ殺すって、師匠がお尻を叩くんだよ・・・。でもボク、あんまり興味無かったんだよね・・・人を診るのも、材料集めも面倒だし・・・」
「へー・・・」
出逢った時はあんまりお金持ってなさそうだったけど、診療所とかやってお薬を作って売ればよかったんじゃ・・・。
あ・・・そしたら蜘蛛の研究ができなくなるのか・・・。
「森の奥からあの町に引っ越したのはいつだったの?」
「え・・・師匠が死んだあとかな。もう二十年くらいは前だね」
「お金無かったんだよね?」
「まったくってわけじゃないよ。どこで聞いたか知らないけど、セイラが毒の調合をしてくれって通ってた時期があったんだ。・・・お金いっぱいくれたから調合書とかも書き写してあげてた」
・・・三本目だ。たまに使う薬は、ニコルさんから教わったものだったみたい。
よく考えたら、僕みたいに虫が好きでもなければ寄っていく人はいないよね。
それに毒を誰かに教えたとか、絶対に喋らなそう・・・。
「その魔女さんは家族?」
「違うよ。本当の家族には、とっくに縁を切られてる・・・いや、ボクから切ったのかな?虫が苦手な人って困るよね」
「・・・なにがあったの?」
「子どもの頃から、観察のために毒虫を飼ってたんだ。その子たちは大丈夫って何度も説明したんだけど聞いてくれなくて・・・。アカデミーを出たその日に、虫たちを捨てるか・・・家族の縁を切るか選べって言われてさ。まあ・・・わかるでしょ?」
ニコルさんの口元が持ち上がった。
即答したんだろうな・・・。
「荷物まとめて家を出る時・・・家族みんなが、やっと解放されたって顔してたんだ。本当に嬉しかったんだろうね。たぶんだけどさ、僕の姉に当たる人が身籠ってたからなんだと思う」
「お母さんも呆れてたのよ。お前に家族への愛は無いのか?って聞かれててさ」
「ボクの家族は虫だけだから・・・。あ・・・でもシロ君とメピルさんは家族だと思ってるよ。あの子たちを嫌がらないからね・・・じゃあ、ボク食堂で待ってるから・・・」
ニコルさんはニヤニヤしながら出ていった。
どこかおかしい人だとは思ってたけど、本物だったんだな・・・。
「・・・ニルスたちはもう戻ったかな?」
メピルが寂しそうな顔をした。
僕と一緒みたいだ。
「ハリスは速いからとっくに着いてるよ」
「そうだ・・・あの人なんなの?私の記憶には無い」
「あ・・・そうだよね。メピルは精霊だし知っててもいいか・・・」
僕は、ハリスに関する記憶をメピルに渡した。
人間には教えられないけど、この子には大丈夫だ。
たぶんだけど、ハリスはメピルも知ってるもんだと思ってたから話さなかったんだろう。
「ああ・・・そういうことね。・・・大丈夫なの?」
「うん、いい人だよ。でもみんなには内緒ね。女神様から口止めされてるし、ハリスも今は話すつもり無いんだって」
「・・・対価は、精霊銀を見つけろってこと?」
「どうだろうね・・・。とりあえずなにもすること無いし、僕はその記憶を探ってみようと思うんだ」
「誰か残ってくれてもよかったのにね。・・・寂しいでしょ?」
たしかにそうしてほしかったんだけど・・・。
『ニルス、ここに残った方がいいんじゃない?』
『ごめんシロ・・・ツキヨに協力してもらうから、ここよりもあっちの方がいい。それに・・・あの状態の母さんが近くにいると、ルージュが落ち着かないと思うんだ』
『ツキヨ・・・うん、そうして』
雷神が襲われたわけだし、説明すれば王様も動いてくれるはずだ。
問題はこっちに割ける人がいるのかってことだけかな。
◆
「ほら、シロも食べてみて。あなたに作ったことはなかったけど、お母さんのとおんなじ味のはずだよ」
僕の前にメピルのシチューが置かれた。
・・・香りは本当に一緒だ。たぶん味も・・・。
「シロ君、メピルさんの料理はとってもおいしいんだよ」
「当たり前です。ニコルは感謝して食べなさい」
いつもニコルさんに作ってあげてたみたい。
お母さんに教えてもらったのが嬉しかったんだろう。
「あーあ・・・みんなにも食べてもらえばよかったな」
「また来るよ。その時にごちそうしてあげよう」
「そうね、ニコル以外の感想を聞きたいし」
じゃあ、まずは僕の感想を・・・。
「シーくーん!!!!」
シチューを口に入れようとした時、お城中に響くほどの大声が聞こえた。え・・・え?
嘘・・・。
「誰か来たみたいだね」
「シロ・・・今の声って・・・」
メピルが声の主に気付いた。
おかしい・・・キビナにいるはずなのに・・・。
◆
「あ・・・どうして・・・」
入り口の広間に出ると、ミランダとハリス・・・そしてバニラがいた。
なんで・・・。
「どうしてじゃないでしょ。・・・わたしに黙って消えようとしたってほんと?」
「えっと・・・ごめんなさい」
「謝ってほしくない。今回のことは・・・許せないです」
近付くと叱られた。
顔も怒ってる・・・。
「わたし、今日からここに住むね」
「え・・・」
「シー君が一人で思い詰めたりしないように」
バニラは僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。
なんだ・・・どうしてそんな話になってるんだ・・・。
「ミランダ、ハリス、どういうことなの?なんで連れてきたの・・・」
「ちゃんと説明するって。・・・なんかいい匂いするね」
「メピルが作ったシチューだよ。そんなことより・・・」
「ちょうどいいですね。メピル様たちにもお話は必要でしょう」
二人は階段に向かった。
「シー君、早く行こう?」
「うん・・・」
なんなんだよ。
・・・巻き込みたくなかったのに。
◆
四人でメピルたちが待つ部屋に戻ってきた。
「ニルス様の提案だったのです」
ハリスがいきさつを教えてくれた。
「ニルスの・・・」
「あなたをよくわかっていらっしゃいますからね」
そうか・・・。
「バニラ様が良ければというお話でしたが・・・即答していただけました」
「当然です!」
「あんたを支えてあげたいんだってさ」
「はい!」
バニラは僕の隣に座って、ずっと手を握ってくれている。
正直・・・安心する。
「私もバニラがいてくれた方が嬉しいな」
「メピルさん・・・」
「ボクも構わないよ。行商さんが来る時に買い出し行ってほしいし」
「はい、わたしが行きます」
二人ともすぐに受け入れてくれた。
何度か連れてきてて、もう顔見知りだからな。
「まあ、この城の主はシロ様です。ダメだと仰るのなら帰しますよ」
「わたしは一緒にいたい・・・だってシー君は、わたしが辛い時に一緒にいてくれたでしょ?」
バニラの手に、より力が入った。
『じゃあ、ちょっとだけ一緒にいてあげるよ』
あの時か・・・。
「でも・・・お仕事もあるでしょ?」
嬉しいけど気になった。
どのくらいの期間になるかわからない・・・。
「ここでできる。それに、お父さんもお母さんも許してくれたよ。もう大人だから自分で決めなさいって言ってくれたの」
「ここは・・・何も無いよ?」
「シー君がいるよ」
バニラは幸せそうに笑った。
僕より背が伸びて大人になったのに、接し方はあの日から少しも変わらない。
だから僕もバニラのことが大好きなんだろう。
もう素直になろうかな・・・。
「バニラ・・・一緒にいてほしい・・・」
「うん、一緒にいようね」
もし、あの時にバニラを放っておいたらどうなっていたんだろう?
・・・気になるけど考えたくない。
それくらい今が幸せだ。
「これでシロ様は心配無いですね」
ハリスが上着の襟を直した。
「あんたもなんだかんだシロのこと気にかけてるんだね」
「当然でしょう・・・」
ハリスの話し方は柔らかいけど、ちょっと雰囲気が重い。
僕はもう大丈夫なんだけどな。
「・・・なにかのはずみで、解呪をしようと勝手に決められても困りますからね」
「もう大丈夫ってなったじゃん」
「申し訳ありませんが、私はそこまで信用できません。ベルは渡しましたが、シロ様が決めればメピル様は従うでしょう。なので必ず止められるバニラ様をお連れしたのです」
「たしかに・・・シロが決めたら私は逆らえない・・・」
なるほど・・・厳しい意見だけど間違っていない。
自分を冷静に見つめ直せばわかる。
なかなか解決しなかったら、また焦ってしまうことがあるかもしれない。
危うさ・・・たしかにある・・・。
「バニラ様、何があってもシロ様を止めてください。無理ならベルで私を呼ぶ・・・いいですね?」
「わかっています。消えるなんて許しません」
「それでは・・・バニラ様のお部屋はどちらですか?お荷物を出さなければいけません」
ハリスが僕の鞄を取り出した。
・・・今は君が持っていたのか。
「それなら二階に部屋を作りましょう。一階はニコルと虫がいて危ないしね」
メピルが立ち上がった。
「ボクもその方がいいと思う。あの子たちも恐がるだろうしね」
「行きましょうバニラ、お后の部屋を作ってあげる。ハリス、鞄を貸しなさい」
「え・・・わたしがお后・・・」
二人は手を繋いで部屋を出ていった。
メピル・・・なんか僕と話す時より楽しそうだな・・・。
◆
「・・・あんたと食事って初めてね」
「言われてみればそうだね。・・・食用蜘蛛って食べたことある?」
「・・・それ以上言ったらぶん殴るから。もっと楽しい話して」
ミランダはニコルさんと一緒にシチューを食べ始めた。
僕も食べよ・・・。
「シロ様、あの鞄・・・まだお借りしていたいのですがよろしいでしょうか?」
ハリスも自分のをよそい出した。
みんなお腹減ってたんだな。
「いいよ、でも全部終わったら返してね」
「ありがとうございます」
解決に一番早く近付けるのはハリスだ。
うまく使ってくれるだろう。
「じゃあ、僕もお願いがある。このあとミランダとネルズに行って、メルダに協力をお願いしてほしい」
小声で喋った。
ミランダはニコルさんと話してるから大丈夫だと思うけど・・・。
「私もそうするつもりでした。カゲウソ様からの伝達では遅すぎますので」
ちゃんと考えてたか。
たしかに一人だと限界があるもんね。
「ただ・・・ミランダ様を連れて行くつもりはありませんでした」
「一緒に行った方がいいよ。ミランダからもお願いすれば、頑張ってくれると思う」
「まあ・・・娘には甘いですからね」
「そうしてあげて。あと、手紙書くから待ってて」
僕からもお願いしますをしないとな。
シチューは・・・いつでも食べられるから先に手紙を書いてしまおう。
うーん・・・「協力してほしい」ってだけだと寂しいよね。
たくさん書いて下まで埋めてあげよう。
◆
「ねえねえ、糸どんくらいあるか見せてよ。三部屋埋まったって言ってたよね?」
「ああ・・・じゃあ行こうか」
ミランダとニコルさんが二人で出ていった。
僕もあとで見せてもらおう。
さて・・・。
「じゃあ、これお願いね」
書き上がった手紙は、しっかりと封をしてハリスに渡した。
「たしかに・・・」
「ハリスもメルダにお手紙書いたことある?」
「・・・ありません」
書けばいいのに・・・。
「では、ミランダ様が戻りましたら出ますね」
「うん。あ・・・これも君に預けようと思う。敵に近付くために動くなら必要だ」
僕は首から自分の輝石を外した。
この先は君が持った方がいい。
「女神の作ったものは・・・」
ハリスは手を出してくれなかった。
あんまり持ちたくないみたいだ。
「守護は無理だけど、封印や探知なんかの結界を受け付けないし、呪いも効かない。ここでじっとしてる僕よりも、君が持つべきものだ」
「・・・シロ様のお気持ちということでお預かりします。・・・不要になればすぐにお返ししますので」
そんなに嫌な顔しないでよ・・・。
「たしかに女神様が作ったものだけど、僕だと思ってね。・・・僕は気の精霊、気は魂、そして愛する暖かさ。精霊銀は、愛のある場所を好むんだよ」
「それであれば・・・あなたたちは見つけやすいでしょうね」
「あの・・・」
そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな。
・・・そうだ、女神様に関係無い話ならいいよね。
「ハリス、僕はここにいる間、精霊銀の記憶を探す。必ず手がかりを見つけてみせるよ」
「シロ様・・・旅に出てからで構いませんよ。あなたやニルス様には期待していますが、本当は私が一人で見つけなければならないものなので・・・」
「ちょっと、卑屈にならないでよ・・・」
今は何を言ってもダメなのかな?
「ふ・・・冗談です。ありがとうございます」
「なんだ・・・任せて。えっと・・・リラは君と一緒にいるんだよね?」
「はい・・・なにも変わりありません」
ハリスは強張った顔を少しだけ緩めてくれた。
君たちも助けてあげたい。
女神様は僕が手を貸しても怒らないだろうしね。
◆
「鞄は大切に使わせていただきます」
「絶対に壊れないから荒くしても大丈夫だよ」
「じゃあシー君、お后と仲良くね。美容水は毎日塗ってあげるのよ?」
「く・・・ミランダも気を付けてね」
バニラの荷物がすべて出し終わり、ハリスとミランダはすぐにネルズへ向かった。
本当は僕も動きたいけどな・・・。
◆
「この人が・・・アリシア様・・・」
バニラが「挨拶をしたい」って言うから、お母さんのいる部屋に連れてきた。凍ったままでお話しはできないけど、姿だけでいいらしい。
「こんなに綺麗で優しそうな人だったんだね。・・・お母さんより年上なんて信じられない」
「どんなのを想像してたの?」
「うーん・・・男の人みたいにゴツゴツしてると思ってた。あ・・・でもニルスさんもルージュちゃんもそんなことないよね」
ミランダも初めて見た時、熊みたいな人を想像してたって言ってたな。
戦場が終わって八年も経ったのに、まだ顔を知らない人がたくさんいる。
お母さんも勘違いされてて困るって言ってたっけ・・・。
「アリシア様・・・シー君はわたしが見てます。ご安心ください」
「バニラ・・・」
「じゃあ次はわたしの部屋に行こ。そうだ、ニコルさんにも見てもらわないと」
バニラはアリシアに頭を下げて、楽しそうに僕の手を引いた。
「何度か連れてきてはもらってたけど、住むことになるとは思わなかったよ」
「・・・嫌じゃない?」
「さっきも言ったでしょ。シー君がいるからだよ」
バニラが笑うだけでなんだか心が楽になる。
連れてきた二人にもっとお礼を言っておけばよかったな。
ニルスにも・・・。
◆
「どう?二人とも感想を言ってほしいな」
バニラはかわいく胸を張った。
自分の過ごしやすいように作ったって感じだ。
「天井がキラキラしてて綺麗だね」
「バニラの注文通りにしたのよ」
「ベッドも大きい」
「シロと一緒に寝るためよ」
お城のお后って感じではない。
なんていうか、雰囲気はキビナの部屋と似ている。
「ねえ・・・あれって機織りだよね?」
ニコルさんが部屋の隅を指さした。
部屋よりもそっちが気になったのか・・・。
「そうです。ミランダさんが、とてもいい糸があるから生地をたくさん作っておいてと。ちゃんとお給金もくれるんですよ」
「ああ・・・だからさっき見ていったのか。本当にたくさんあるんだよ。一階の客間に詰め込んであるから、どんどん使ってね」
「はい」
ミランダ・・・こんな時でも商売のことは忘れてないんだね・・・。
「じゃあ王様、今夜は一緒にいてくれるよね?」
「もちろんだよ。明日は少しだけ外に出ようか。離れ過ぎなければ問題無いんだ」
「うん、楽しみだね。・・・憂鬱になったらわたしに言うんだよ?元気になるまでこうしてるからね」
バニラがまた手を握ってくれた。
これもあの日と同じで、とても暖かい・・・。




