【03】エンゲージ
「――はあ⁉︎ 結婚って……、アンタいきなり、なに言ってんのよ⁉︎」
初対面の相手に――、しかも真っ暗闇の異常空間で、突然、同性から結婚を申し込まれた私は面食らってしまう。
「アハハッ。そうかそうか。いきなり驚かせちゃってごめんねー。エンゲージっていうのはさ――いわゆる契約って事だよ」
目の前にいる黒い女が、そう言って笑う。
いや、女の子に向かって結婚を口走りながら、アハハで済ますなよ。
だけど――『契約』って?
「君はセーラのせいでこの世界に――、彼女が構築した『物語の世界』に転生させられたんだろ?」
「――――⁉︎」
女が、私の転生の事情を知っている事に息を呑む。
「あ、アンタ、何者なの?」
「フフン。アタシは悪魔さ」
私の当然の質問に、女はニヤリと笑う。
次の瞬間、女の体を覆っていた薄いベールの様な闇が取り払われた。
「悪魔……?」
驚く私の目に、セーラとはまた違った神々しい――まるで女神の様な存在が出現する。
「そう、アタシは堕天した女神――。それを人は悪魔って呼ぶけどね」
女はそう言うと、背中に生えた漆黒の翼を広げる。
「ねえ、アタシと一緒にセーラのやつをぶっ倒さない? 君も、あのアズって子を守りたいんだろ?」
「――――! お前がアズと契約した悪魔か⁉︎」
アズの事を持ち出され、私はまずそこを確認する。
ストーリーでは、アズは母親の胎内にいる時点で、悪魔に見そめられエンゲージ――すなわち結婚という名の『契約』をした事になっている。
それなら、こいつを倒せばアズは解放される事になるはずだ。
「ああ、アタシを倒そうなんて思わない方がいいよー」
「――っ!」
心中を見透かされ、私は動揺する。
「だってアタシは、セーラの物語をちょっと書きかえただけ――。つまり介入しただけの存在だからね」
「そ、それってどういう事よ?」
「そうだなー。まあ簡単に言えば、君がピッチに転生して物語に入り込んだ様に、アタシも強引に悪魔のキャストに成り代わっただけ、って言えば分かるかな?」
「えーっと……、つまり……物語が始まる以前の、基礎設定は変えられないって事?」
「察しがいいねー。そう、仮にアタシが消えたところで、アズの悪魔契約と――、即死魔法の力は消えないって事さ」
女の説明に、ラノベ好きだった私は、瞬時にある結論にたどり着く――。
「それなら――、過去は変えられなくても、未来は書きかえられるって事だよね⁉︎」
「ブラボー! やっぱり君は素晴らしいよ、ピッチ!」
女は宙に浮いた状態で、パチパチと手を叩く。
悪魔に褒められても、なんか複雑な心境だ……。
「さあアタシと契約――」
と女が口にした瞬間、
――パキパキ! パリーン!
という轟音と共に、暗闇の中でガラスを割ったかの様な光が差し込んでくる。
「ちょっとアクア、なに私の作った物語に入り込んでるのよ!」
まばゆい光を纏いながら、こちらに飛んでくるのは――、なんと私をぬっコロして転生させた元凶、女神セーラだった。
「ヤッバ、意外と早く見つかっちゃったな。聖女の足止め工作をしてるから、しばらく大丈夫だと思っていたのに」
アクアと呼ばれた悪魔が、半笑いでそう言った。
それにしても、ストーリー的には駆けつけてくるはずだった主人公聖女が、いまだに来なかったのは、セーラのやつが足止めしていやがったとは……。
「セーラ、お前、セコいマネすんなよ!」
「プゲラッ。セーラ、人間にセコいって言われてやんのー」
私の怒りに、アクアが便乗して爆笑する。
「うるさい、うるさい、うるさい! どうしてアクアはそうやって、いつも『お姉ちゃん』の邪魔をするのー!」
――お、お姉ちゃん⁉︎
わめき散らすセーラの聞き捨てならない発言に、私は愕然とする。
セーラとアクアが姉妹――。つまりこれは姉妹ゲンカなのか?
「さあ、時間がない。ピッチ、早く契約しよう」
困惑する私に、アクアが決断を迫ってくる。
いやいや、私、姉妹ゲンカの片棒担いで、女神と悪魔の代理戦争に参戦とか嫌なんですけどー!
全身で拒絶姿勢を示す私に、
「アズを――、救いたくないのかい?」
アクアの言葉は、まさに悪魔の囁きだった。
そうだ、私の目的はアズを守る事だ。
このままでは私は倒れ、アズはディルレインに即死魔法を使ってしまう――。
「どうすれば、いいの⁉︎」
覚悟を決めた私に、
「いいかい、アズの事を想うんだ。アズはアタシという存在と契約している。その契約に君を加えて『二重契約』の形にする。つまり君たちは、アタシという仲人を通して一つになる。それが――エンゲージさ!」
アクアが契約の手順を説明してくる。
そして私は自分の心と向き合う――。
アズ――、アズ――、アズ――。そうよ、あの物語を読んでから、私の心はいつもアズでいっぱいだった。
アズ、あなたを救う――。誰でもない、私の手で!
「さあ今、アクアの名のもとに、誓いの儀を執り行わん――」
アクアが詠唱を始める。
「ピッチよ――。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも――、アズを愛し、アズを敬い、アズを慰め、アズを助け、その命ある限り――、いや、永遠にアズを守る事を誓うか――⁉︎」
「誓います!」
私は即答する。
「よかろう! ピッチ――、我の契約者アズとの婚姻を認めよう! ――エンゲージ!」
――ガラーン! ゴローン!
アクアの宣言と同時に、鐘の音が聞こえてきた。
同時に私の体に、周囲を覆い尽くす闇が入り込んでくる。
そして、力がみなぎるのと同時に、意識が遠のいていく――。
「な、なんて事を……!」
「ウフフフフッ」
私が最後に聞いたのは、セーラとアクアのそんな声だった。
「――――⁉︎」
私が意識を取り戻すと、景色が学院に戻っている。
辺りを覆いつくしていた闇も消えているし、リーゼやヴィヴィーたち、生徒の姿も――それにアズだけでなく、ディルレインの姿も元通りだ。
「絶対に許さない。アズは私が守る……って。アハハッ、いいねえ。君は女だてらに、その魔女のナイトか何かのつもりかい?」
意識が途切れる前に、アズを侮辱した事に憤った私の発言を、ディルレインが茶化してくる。
時間は確かに繋がっている――。私は槍で殴られた衝撃で、何か幻覚でも見ていたのだろうか?
さっきまでの闇の世界が信じられなくなった私が、ふと目を下ろすと、
「――――⁉︎」
視線の先に映る左手に――。その薬指に指輪がはめられている事に驚愕する。
――こ、これは⁉︎
物語の挿絵で、アズが悪魔契約の証としてはめられていた指輪と、まったく同じものだ。
黒い――。鈍く輝きながら、それは本当に闇の様に真っ黒だった。
――これが契約の証? アズとエンゲージした結婚指輪なの?
そう考えれば、すべての辻褄が合う。
それなら私が、アクアという悪魔と契約したのも幻覚なんかじゃなくて、本当の事――。
――力が欲しいかい?
アクアはそう言っていた。
エンゲージは、そのための代償だったはずだ。
――それなら!
「ディルレイン、私はお前を倒す!」
私はもう一度、デュアルフレイマーの力で、炎のグローブを構築する。
「な、なんだと⁉︎」
ディルレインが動揺の声を上げる。
同時に私自身も驚いていた。
なぜなら炎の勢いが、さっきまでと段違いのものになっていたからだ。
火力だけじゃない。炎の色もそれまでの赤黄色のものから、赤黒いものに変貌していた。
それに私の赤い髪からも、火花が散っているのが分かる。
これが契約の――、悪魔の力なの?
だが、すぐにそんな事はどうでもよくなった。
ディルレインを倒せるなら――、アズを守れるならそれでいいんだ!
「うおおおおーっ!」
また拳を振りかぶって、私は特攻する。
私には、これしかない。だがスピードが以前とは、段違いだった。
「うおっ⁉︎」
ディルレインが、私の拳を槍で受け止める。
さっきまでは軽々と身を翻していたのに、その姿は明らかに余裕がなくなっていた。
「きえええーいっ」
今度は上段蹴りを放つ。
これもさっきは片手で止められたが、ディルレインはそれをかわすのに、無様に尻もちをついていた。
しかも炎を纏った私の脚がかすっていたらしく、美しい金の髪が少し焼け焦げていた。
「貴様、もう許さんぞ! 僕を本気で怒らせたな!」
ディルレインは立ち上がると、体勢を立て直し、槍を私に向けて構え直す。
明らかな殺気がみなぎっている――。間違いなく私を突き殺す気だ。
だけど、さっきのセリフって、あれ死亡フラグなんだけど……。
もう私には、そんな事を考える余裕さえあった。
「究極奥義――、サウザンドアロー!」
ディルレインが、叫びながら槍を繰り出してくる。
おやおや、初回でいきなり究極奥義ですか。それに槍なのにアローって、ちょっとネーミングセンスなさすぎじゃないですか?
槍の連続突きをかわしながら、私はそんな事を考えていた。
「なぜだ⁉︎ なぜ当たらない⁉︎」
ディルレインが、狼狽えている。
いや、そう言われても、ほんとに今の私には、槍がスローモーションに見えるんですよ……。
なるほど、アクアと契約した力は、本物の様だ。
それはそうとして、さて、どうしたものか――。
引き続き、槍の連続突きをかわしながら、私は考える。
ここでディルレインを殺すのは簡単そうだが、殺してしまっては、それはそれでアズに迷惑をかけてしまうに違いない。
うーん。それなら――、適切な『手打ち』といこうじゃないか。
「クソーッ、悪魔の手先め!」
――すまん。それはもう否定できない。
ディルレインの非難を受け止めらながら、私はつま先で、その足を払っていた。
――ズデン!
予想以上のオーバーアクションで、ディルレインが空中を回転すると、腹ばいにすっ転んだ。
おや、ほんとこの力すごいな。こりゃうまく調整しないと、本当に死んでしまうな――。
私は思案しながら、すでに地面に突っ伏し、『死に体』となったディルレインの体を両脚でまたぐ。
「な、なにを……?」
ディルレインが恐怖におののいている。
彼だけでなく、見守る一同も何が起こるのかと、息を呑んでいるのが分かる。
いやいや、これはケジメですよ。
だって、まだ試合は終わっていない――。
ディレインは私に、『技あり』を食らわせ続けたが、まだ『一本』には至っていない。
それにまだ相手は無傷ですよ――。ならこれは『死体蹴り』じゃないからね!
「この一撃は――、アズを侮辱したお返しだーっ!」
――ドゴッ!
鈍い音と共に、私の真下に打ち落とした正拳突きが、ディルレインの背中をヒットする。
だいぶ加減はした。一応、こいつ最強だし、ヒーラーいれば大丈夫でしょ?
様子をうかがうと、ディルレインは白目をむいて気絶している。
よし呼吸はしている。後の事は――知らん。
「おおおおっ!」
周囲から喚声が上がる。少なくとも歓声ではない事は、なんとなく分かる。
いざとなったら、アズを連れて全力で逃げるか――。
そんな事を考えながら、その場を離れようとすると、
「うっ――!」
突然襲ってきた全身の疲労感に、片膝をついてしまう。
これはディルレインの槍によるものではない。アクアからもらった力に、体がついてきていない反動だ。
なまじ格闘技をやっていただけに、その辺の事はよく分かる。
うーん、もっと体鍛えなくちゃなー。
なんて思っていると、
「ピッチ――」
という声と共に、体がフワリと持ち上げられる。
「えっ⁉︎」
動揺する私の顔のそばに、アズの顔があった。
なんと私はアズに、お姫様抱っこをされていたのだ。
「こんな傷だらけになって……。ごめんなさい、私のために」
アズはそう言いながら、私に頬ずりしてくる。
あー、柔らかーい。それにほんとに、いい匂い……。
って、待て待て待て! なんでこうなってるんだ⁉︎
「ピッチ、私を守るって言ってくれて、ありがとう。それに――、あなたの気持ちにずっと気付いてあげられなくて、ごめんなさい」
アズが熱い目で、私を見てくる。
そして私の左手にはめられた指輪に気付くと、
「それは……、私とお揃い!」
驚くと同時に、何かを決意した顔付きになる。
その時のアズは、まるで王子様の様だった。
「ピッチ――、結婚しましょう」
はい――?
いやいやいや、確かにアズとはエンゲージしたけど、それってアクアを通した、悪魔で――じゃない、あくまで『契約』って意味ででしょ?
いったいどういう事だ……。訳が分からないぞ。
「け、結婚って、アズ様は大司教家の御令嬢。ピッチは私たちと同じ、みなしご上がりの従者ですよ」
「そ、そうです……。み、身分が釣り合いません……」
リーゼとヴィヴィーが、いいツッコミを入れてきた。
そうだよ。気持ちは嬉しいけど、ちょっと冷静になろうよアズ。
それに原作だと、あなた、ちゃんと理知的な判断ができるキャラだったじゃないの。
「身分の差? そんなの関係ないわ!」
「「「――――⁉︎」」」
アズの言葉に、三人揃って絶句する。
「大丈夫よ、ピッチ。私は次女だから、説得すれば、お父様もきっと許してくれる――。だから何も心配しないで――、丈夫な赤ちゃんを産んでね」
そう言って、アズは頬を赤く染める。
いやいやいや、どうしたー! アズちゃん、こんな頭イタイ子でしたっけー⁉︎
私が呆然としていると、
「ちょっと待ったーっ!」
という声が、飛び込んでくる。
私がお姫様抱っこされたまま、そちらに目を移すと、白一色の衣装に美しい銀髪を束ねた美少女が、肩で息をしながら仁王立ちしていた。
「ファティア……」
アズがその名を口にする。
やっとお出ましか――。そうだよ、こいつが『白き聖女と黒き魔女』の主人公――聖女ことファティアなんだよ!
いくら女神セーラの足止め工作があったとはいえ、お前が大遅刻したせいで、こちとら一戦交えただけでなく、なんかすごい展開になっちゃってるんだよ!
さあ、主人公らしく、この場をまとめてもらおうじゃないのさ――。
私が、やっと登場した収拾役にホッとしていると、ファティアは今度は何やら、怒りにワナワナと肩を震わせている。
何か嫌な予感がする――。何かこう、バトルとは別物のとんでもないものだ。
「アズ――! 私という者がありながら、その女と結婚するなんて……。絶対に許さないんだからね!」
はい――?
ファティアの言葉に、また私は耳を疑った。
いやいやいや、これって今度は修羅場展開ですか⁉︎
お読みいただき、ありがとうございます。
なるべくコンスタントに更新を目指しておりますので、面白いと思っていただけたら、ブクマしてお待ちいただけると嬉しいです。
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