【02】私が守る
「ピッチ、本当にどうかしたの?」
あらためて、私に語りかける黒髪の美少女は、挿絵で見た悪役令嬢――アズに間違いなかった。
という事はだ――。やはりここは、ライトノベル『白き聖女と黒き魔女』の世界だ。
クソッ! あの作者の女神――セーラの奴、転生させるにしても、取り巻きモブ三人衆の一人とか、ほんと底意地が悪いわ。
しかも光の球をドーンで転生って……。人の事、脳筋女とか言っておきながら、自分の方がよっぽ脳筋女神じゃないのよ!
それに転生するならするで、もっとこうトラックに轢かれるとか……。まったく転生のお作法も知らないのかしら。プンスカ!
あー、落ち着け私。
どうやら異世界転生したのは確定の様だ。
だけど、普通この場合、転生するなら悪役令嬢のアズに、じゃないの?
――じゃあアズを守ってあげればいいじゃない、あなたがね!
「――――!」
私は転生の間際、女神セーラが言っていた事を思い出す。
なるほど、これは――「なんで誰もアズを守ってやらなかったんだ⁉︎」と、ストーリーにイチャモンをつけた私に対する意趣返しに違いない。
これって作品の内容を批判したレスに、全力で反論してくる作者と一緒じゃないのよ……。
しかもそれに女神特権使ってくるとか……。まあ女神のくせに、人間界でラノベ書いて布教してくる様なやつだから、なんでもアリなんだろうな……。
「ピッチ――?」
何も答えない私に、アズがさらに歩み寄ってきた。
おっと、これはまずい。さすがに返事ぐらいしなくては――。
と、私が顔を上げると、
――コツン。
おでこに当たる心地よい感触。
――こ、これは!
私ことピッチより、少し背の低いアズが背伸びをして、自分のおでこを私のおでこに、ひっ付けているじゃないか!
「熱は――、ないみたいね」
アズはおでこを付けたままの、超至近距離でそう言ってくる。
うわ、美少女って、ピントがぼやけても美少女って分かるのね。
それに、なんかすごくいい匂いがする……。
ああ、これって天国ですか? 転生ボーナスですか?
突然の行幸に陶酔しかける私だったが、
「あ、ああ、大丈夫だよ……、アズ……様」
なんとか理性を取り戻して、しどろもどろになりながら、それだけは答えた。
「そう。ならいいけど、気を付けてね」
アズは小首をかしげながら、さらに私を心配してくれる。
もー何よ。アズちゃん、超いい子じゃないのよ。悪魔どころかマジ天使!
フッ、やはり私の目に狂いはなかったわ――。
私は心でガッツポーズしながら、アズが『悪』などではない事を確信する。
「もー、ピッチ。アズ様に心配かけないでよ」
「あ、アズ様のおでこ……。いいなあ……」
私が思いを巡らせていると、取り巻きモブのリーゼとヴィヴィーが、両脇からツッコミを入れてくる。
リーゼは原作通りツンツンキャラだし、おっとりとした口調のヴィヴィーも同様である。
それならと、
「あ、ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事しててさ」
「ピッチが考え事? これは雪が降るわね」
「や、槍かも……」
私の当たり障りのない返しへの、リーゼとヴィヴィーのコメントがこれだ。
いや、ちょっと辛辣すぎないかい? ピッチってそこまで脳筋設定でしたっけ?
とはいえ、取り巻きモブ三人衆のリーゼは攻撃魔法、ヴィヴィーは回復魔法の使い手という設定に対して、私が転生したピッチは物理攻撃――すなわち拳で戦うタイプだ。
しかも私たちモブ三人衆は、主人公聖女やイケメン勇者たちに、まずボコられる噛ませ犬キャラだから、細かい設定までは推しはかる事はできないのだが……。
にしても、雪はともかく槍って何よ⁉︎ ちょっと後でヴィヴィーのやつ、シメてやらなきゃ――。
と思っていると、
――ザクッ!
突然、目の前の地面に突き刺さった槍に、私だけでなくリーゼもヴィヴィーも仰天した。
えっ、なに、ほんとに私のせいで槍が降ってきちゃった⁉︎
呆然とする私の耳に、
「ずいぶんなご挨拶ね――。ディルレイン殿下!」
静かに、だが切り裂く様なアズの声が飛び込んでくる。
私もアズの声の先に視線を移すと、美しい金髪の青年がこちらを見ていた。
――こ、こいつは⁉︎
なんと主人公聖女を取り巻く、イケメン勇者三人衆の筆頭、聖槍の使い手で王家の嫡男であるディルレインが、こちらに歩いてくるではないか。
「ご機嫌よう――。悪魔の姫君」
ディルレインは笑顔ながら、アズの前に立つとそう言ってくる。
そうだ――思い出した。これはアズの初登場のシーンだ。
ディルレインは、生まれながらにして悪魔と契約しているアズに対して、その討伐を目論んで、挑発を仕掛けてくる――。
それに対して大人の対応で受け流そうとするアズが、度重なる挑発についに立ち向かおうとした瞬間――、主人公聖女が二人の間に割って入って、事を収める。
というのが、ストーリーの流れだったはずだ。
それにしてもディルレインのやつ、ほんとイケメンだか王子だか知らないが、カンにさわるわー!
アズも堪え性のある子だが、さすがに槍を放ってくるこの蛮行には、怒り心頭の様子だ。
いや待て――。原作では、さすがに槍までは放ってこなかったぞ⁉︎
「お引き取りを――。ディルレイン殿下」
「なんだい、つれないなー。僕は君の悪魔の力と、お手合わせ願いたいんだが?」
穏便に事態を収束させようとするアズに、さらにディルレインは挑発を重ねてくる。
さすがにアズも頭にきている様子だ。
その証拠に、手袋をつけた左手を、右手で必死に押さえている。
まだこの時点では、作中で明かされていないが――、アズの能力は『即死魔法』だ。
その秘密は、生まれながらに左手の薬指に付けられた、呪いの指輪のせいだ。
悪魔にその潜在能力を見初められたアズは、母親の胎内にいる時点でエンゲージ――すなわち悪魔と婚姻したのだ。
もしアズが左手を解放して、ディルレインにその力を向ければ――。
まだ即死除けの加護を受けていないディルレインは、一瞬で死ぬ。
「さあ、悪魔の力とやらを僕に見せてごらんよ――黒き魔女」
「――――!」
その瞬間、あれほど冷静だったアズの顔付きが変わった。
黒き魔女――。それは作品タイトルにもなっているアズの忌み名だし、彼女にとって最悪のNGワードだ。
だけど、おかしい。確かにディルレインは、アズを挑発したが、この呼び名を言うのは物語のかなり終盤になってきてからだ。それにさっき槍を放ってきた事といい……。
――まさか⁉︎
あの女神め、私を窮地に陥れるために、設定をいきなりハードモードにしてきたのか⁉︎
とにかくまずい! いくらイケメン勇者三人衆の最強といっても、今の時点ではアズの敵じゃない。
それに主人公聖女、もう来てもいい頃なのに、なに道草食ってやがってんのよ!
「許しません――」
怒りに身を震わせながら、アズが左手の手袋を取ろうとする。
ダメだ。このままじゃ――、アズが悪になる!
それなら私の取る道は、一つしかない。
「ふっざけんなよ!」
次の瞬間、私は叫んでいた。
その姿に、この騒動を見守る、学院の生徒一同が目を丸くしている。もちろんアズも例外ではなかった。
「ピッ……チ?」
「アズ、下がってて! こいつは――私がブチのめす!」
私はアズの左手を押さえると、前に進み出る。
「ほう。君が相手をしてくれるのかい? この聖槍レストールの継承者である僕に――」
ディルレインが地に突き立った槍を引き抜くと、それを私に向けてきた。
それだけで、ものすごい圧が私に向かってくる。
だが、もう引く訳にはいかない。
誰のためでもない――アズのために!
「そのイケメン面、炎上させてやるよ!」
私が両拳を合わせると、そこに炎のグローブが構築される。
作中のピッチの属性は、五大属性で火、五行属性でも火という『デュアルフレイマー』だ。
炎を纏い、物理攻撃で戦うその戦闘スタイルは、空手の有段者である私にとっても、ちょうどいい。
それに、相手も多少の防御はできるはず――。なら、ここはガチでいかせてもらう!
「うおりゃーーーっ!」
気合いと共に、私は踏み込む。
空手の試合でも、リーチ差がある場合は、相手の懐に飛び込んで、その間合いを潰す――。
私なりのセオリーだが、槍が相手ならこれで間違っていないはずだ。
ディルレインは、私の特攻にまだ受け身を取れていない。
これは――獲った!
と思った瞬間、ディルレインの姿が、私の視界から消えた。
「えっ⁉︎」
同時に私が繰り出した拳も空を切り、体が前のめりによろける。
その背中に、
――ドゴッ!
激しい衝撃を受けた私は、息ができなくなる。
「――カハッ!」
かすれた呼吸音が、頭に響き渡る。
突っ伏した私の視界に、不敵に微笑むディルレインの姿が見えた。
どうやら私は、槍で背中を殴打されたらしい。
つまり私の先制攻撃――奇襲は見事に失敗したという事だ。
「フフッ、残念だったね」
ディルレインが槍を片手に、私をあざ笑う。
分かっていた――。相手は私より、はるかに格上だという事は。
だけど――、引けない戦いってモンがあるんだよ!
「きえええーいっ!」
なんとか呼吸が戻った私は、今度は上段蹴りを仕掛ける。
防具も付けてない相手の側頭部を、しかも炎を纏った脚で狙うなど、前世であれば破門ものの蛮行だが、ディルレインには手段なんて選んでいられない。
――当たれーっ!
火事場のバカ力なのか、これまでにない完璧な軌道の蹴りが、ディルレイン目がけて飛んでいく。
――パシッ。
私は自分の目を疑った。
私の脚が――、炎を纏った渾身の一撃が、片手で止められていたのだ。
「フッ」
小さく鼻で笑うディルレインの声を聞いた次の瞬間、私は横っ面に激しい衝撃を受けながら、真横に吹っ飛んでいた。
目にも留まらぬ槍の一振り――。
ヘッドギアを付けた公式戦でも、これほどの衝撃を受けた事はない。
これは――、死んでしまうかもしれない。
本能が命の危機を訴えかけてくる。
「ピッチ!」
腹ばいに倒れた私の耳に、アズの悲鳴が聞こえてくる。
「フン、これでも手加減したんだがね。君の従者が突然、殴りかかってきたんだ――。これは正当防衛だよね?」
「あなたという人は――!」
涼しげに語るディルレインに、アズが憤っている。
ダメだ――。このままじゃ。
消えかかる命の炎を燃やして、私は再び立ち上がる。
「ピッチ⁉︎」
「ほう、まだ立てるのかい、君は」
アズもディルレインも驚いている。
正直、当の本人の私が一番驚いているんだ。
全身に力が入らない。目もかすんで、視界だってままならない。
それでも私が立てたのは――、私が倒れれば、アズが出てくるからだ。
「ピッチ、無理だよ!」
「もう、やめて!」
「うっさい!」
私を心配するリーゼとヴィヴィーを、一喝する。
ごめん。それでも私は戦わなけりゃならないんだ。
私には――理由があるんだよ。
「ディルレイン――」
その思いを私は、戦うべき相手にぶつける。
「お前は、アズを侮辱した! 絶対に許さない! アズは――私が守る!」
「ピッチ!」
私の声に共鳴する様に、アズが叫んだ――。
その姿に目をやると、手袋に覆われた左手が鈍い光を放っていた。
次の瞬間、私の視界が真っ暗になった。
――やばい、転生したばっかなのに、また即死亡か⁉︎
私は最悪の展開を思ったが、どうやらそうではなかった。
なぜなら、辺り一面が夜の様な暗闇になっていながら、周囲の景色が何も変わっていなかったからだ。
だが、アズやディルレインだけでなく、リーゼやヴィヴィー、それに状況を見守っていた生徒たちも、みんないなくなっている。
「ど、どういう事なの……?」
動揺する私の目の前に、突然、一人の女が出現する。
それは、ずっと前からそこにいた様でもあり、とにかく不思議な存在だった。
おまけに暗闇の中でもはっきり分かるほど、その姿は黒みを帯びており、私は声をかける事さえできない。
「力が――欲しいかい?」
そんな私に、黒い女は突然そう言ってくる。
「ほ、欲しい!」
私は条件反射で答えてしまう。
すると女は、私がそう答えると分かっていたかの様に、不敵に微笑むと、衝撃の提案をしてくる――。
「じゃあエンゲージ……、結婚しよう」