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くだんの婚約パーティーは予定通りに開催された。主催者は、もちろん伯爵家ファニー・メルヴィルであり、ベルヴィル家の所有する小さな温室で開催された。親しい人以外は呼んでいない本当に些細なパーティーなので、大きなテーブルを置けない温室でも、問題なくパーティーが開けるのだった。
温室には、土魔法で咲かせた色とりどりの花が咲き乱れ、ツタが美しく巻き付いた柱にガラスの窓、午後の日の光が優しく差し込んでいる。
春の陽気にはまだほど遠いが、もう冬も終わるころだ。風の吹きこまない温室は丁度良い暖かさをしていて、春だと勘違いした花たちがその大輪を開いて美しく主張していた。
そのうちのいくつかは摘み取られて、テーブルに切り花の状態で飾られる。パーティーも中盤、ファニー達はメインの料理を囲んでいた。ちなみに開催してから、今に至るまでの間に特筆すべき点はない。
「ですから今年の冬も、わたくしのシアーズ伯爵家では年越しの催しをたくさんしましたのよ? 派手にやらなければ民草も仕事がなくて飢えてしまうでしょうしね?」
ウフフと笑うのは、シアーズ伯爵家のベアトリクスだ、彼女は、ファニーのすぐ隣に座っているカーティスに、勝ち誇ったようにそんなことを言った。
「そうかもしれないが、なんとも品がないというかな。私は年越しというのは厳かに過ごすのが優雅ではないかと思うのだがな」
困ったように言うカーティスは、若干呆れたように彼女の盛大な催しを品がないと言いそれにピクリと反応したベアトリクスは、その勝気な赤毛を靡かせて、口元に手を当ててくすりとほほ笑んだ。
「あら、この婚約の為に力を注ぎすぎて、アシュバートン侯爵家には余力が無いのではなくて?」
「ハハッ、何を言い出すかと思えば、冗談が過ぎるぞ、ベアトリクス。そんなわけがないだろう」
「どうかしら?」
ファニーはもくもくと鶏肉のソテーを口に運びながら、この二人はよくもまぁ似たような話題で何度も盛り上がることが出来るな、と思いながらも彼女たちを見た。
アシュバートン侯爵家はファニーの婚約したカーティスが将来継ぐ家の名前だ。今は、ファニー・メルヴィルだけれど、今年の春に成人を迎えると同時に婚姻の儀式を行い、ファニーはファニー・アシュバートンへと名前を変えることになる。
それはファニーに取って心底不思議なことであった。前世でもびっくり人間扱いされていただけあって、男と良い仲になれたことなどなかったし、そんなファニーの事を女子扱いしてくれる人などいなかった。
しかしながらこの世界では、ファニーは前世の記憶を持ち合わせ、そしてなぜだか、その転生特典だとかそういうありきたりなものなのかわからなかったが、ファニーは女神の加護を持つ聖女という称号を持っていた。
それを証明するためには、体にある聖痕を神殿に届け出る必要があったりと色々面倒なのだが、それは置いておいて、ファニーはとにかく女神の加護がある聖女なのだ。
「それに、仮にそうだとしてもだ、婚約して輿入れするファニーの力によってそんな損失もすぐに補えるはずだろう?……な、ファニー?」
カーティスはそんな風に言いながらファニーに視線を向けた。その視線から彼が言ってほしい事は理解できるけれども、口にはせずにファニーは曖昧に笑顔を見せる。
その反応を見て、勝ち誇ったようにベアトリクスが声をあげて笑って、同じようにしてファニーに話しかけてくるのだった。
「これだからファニーに近づく男は嫌だわ。卑しいったらないもの!ファニーはいいのですわよ?貴方はただ自分の望むままにその加護を使えばいいのだから」
まるでファニーが、自分の聖女の力にしか興味ない男に傷ついているかのようにベアトリクスは決めつけて言って来た。しかしファニーはそのまま何も言わずにもぐもぐと咀嚼を続けた。
しかし、ベアトリクスがこんな風に言うのだって無理はないのだ。ファニーの加護は、愛の女神の加護、これはファニーがどんな形でも愛した者に能力向上が与えられる素晴らしい力なのだ。その愛情を得ようと多くの者がファニーに求婚して、ファニーをものにしようと手を尽くした。
そんな彼らをファニーは、ドッキリやサプライズの餌食にはしても、自分ではまったくどうすることもなかった。
どうしようもなかったというのが本音だ。ファニーは貴族社会で自分の地位をきちんと築けていなかったし、貴族というのは家の利益の為に動くのが当たり前であり、ファニーは自分自身で結婚相手なんて決められなかった。
このカーティスもファニーを手に入れるためにメルヴィル伯爵家に多額の支援を約束して婚約を手に入れたのだった。
だから、ベアトリクスの言葉も一理ある。彼女はファニーの親友であるし、大金を積まれて結婚を約束させられたのだから、多分売り払われたに近い。
しかし、それでも歳周りは近いし、すこし……多少、性格が悪そうに見えても、彼はいいやつだとも思う。もちろん確証はない。
けれどもファニーはそのどちらの気持ちも口に出したり、普通の乙女のように、揺れ動く気持ちと結婚に対する期待なんかを口にするでもなく、「ヴッ」と口元を押さえた。
「っ、ぐっ、っ~」
そうして呻きながら、背後で控えているメイドを振り返りぱたぱたと手をこまねいて合図を送った。そのすきに仕込んであった袋の封を切ってついでに水の魔法道具を使う。
「こ、こちらを!」
メイドのシャーリーは打合せ通りの合図に、キッチンワゴンの端に乗せておいた小さなガラスの金魚鉢を取り出して、ばっとテーブルの上に置いた。
「うっ、かはっ」
大げさにえづく仕草をして、小さな金魚を吐き出したように見えるように金魚鉢に注ぐ、この芸は、大学の新歓でも相当うけたのだ。
渾身の芸にそんなどうでもいい事でマウントを取り合うのをやめて、彼女たちも面白おかしい話をしてくれるに違いないと思い、ぽちゃんと金魚鉢に入った金魚をファニーは神妙な顔で手を添えて皆に見せた。
「ぶはっっ、っ、くっ、ひひひっ、っ、ファニちゃんっ、あははっ」
しかし、肩を揺らして笑いだしたのは、ファニーとは昔馴染みのオズワルドだけで、他の四人はファニーをすごく微妙な顔で見るのだった。
「……そういうところ……これからの社交界で損しますわよ?」
「そ、そうだな。私の為にも治してくれ。ファニー、見てるだけでも不快だ」
今まで口論のように話し合っていた二人はそんな風に言って、少し静かになる。
そんな風に冷めた目線で見なくたっていいのにと思いながらファニーはナプキンで口の周りを拭いて金魚鉢を横に移動させて、唯一笑ったオズワルドに視線を向けた。
「……笑わせられたの、オズだけか~。人間ポンプだよ~? 面白くない?」
「面白いっていうか、びっくりしたよファニちゃん。それにタイミング」
眉を困らせて笑う彼に、ファニーは「ばっちりだったでしょ?」とにっこり笑って言い返した。
それにまたオズワルドはその深緑色の髪をやさしく揺らして「それりゃもう」と返す。流石は、昔馴染みだ。彼は私の事をかなり理解してくれているなぁとファニーは思った。
しかし、そんなオズワルドに、誕生日席にいるファニーから見て反対側の斜め隣に座っていた弟であるセオドアが、双子の姉妹であるプリシラとファニーとそっくりのべっこう色の瞳を歪めて少しきつめにいう。
「オズワルド様、姉様をあまり調子に乗らせないで欲しいです」
「そうです。姉様もそんな気持ち悪い事してないで、カーティス様のお話を真面目に聞いてくださいよ!」
セオドアの発言に追従するようにして、双子の妹のプリシラは窘めるようにして姉に言った。
しかしファニーはそんな発言にもどこ吹く風で、食べ終わったメインディッシュのお皿をメイドに下げてもらっていた。