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けたたましい悲鳴がこだましていた。耳をつんざくようなその声は、まさしくこの温室の惨状にふさわしく、現場にいる者たちの恐怖を助長させることとなっている。
飛び散った血しぶきは、真っ白なテーブルクロスを真っ赤に染め上げていた。
椅子に座ったまま息絶えた彼女の瞳孔は開ききっていて、誰がどう見ても、死んでいるようであった。ある者は息をのみ、状況を正確に把握しようとあたりを見回し、ある者は半信半疑にその姿を食い入るように見つめた。
死んでいるように見えるのに、それにすら疑いをかけるだなんてそもそも不謹慎な気もするが、そう思うだけの理由がこの死んでいるらしい令嬢にはあったのだ。
口から血を流し、だらしなく椅子の背もたれに体を預けて、がくりと俯いた彼女の名はファニー。メルヴィル伯爵家の長女であり、この婚約パーティーで主役の一人だ。
彼女は昔から変わったところが多分にある少女であり、ある時は、箱の中身を当てる”透視”という魔法を使い、すべてを見通せると言ってみたり、グラスの中に入ったコインをテーブルのうえに瞬間移動させたりして、変な決め台詞を言うような不思議な子だった。
しかし、そんなくだらない魔法を本当に信じている人間は少ない。大体は真面目に取り合われずに流されたし、彼女が何か種を仕掛けているところは時たま使用人に発見されていたからだ。
だから、変わったことをする知恵の遅れた子という位置付けではあったけれども、同時に彼女の魔法の中にも種も仕掛けも本当にわからないようなものはいくつか存在していた。
例えば、数字の書かれたカードを束ねて相手が引いた数を必ずあてるという、心を読む魔法は今まで誰もその技術を見破った人はいない。だからまた彼女の不思議なおふざけではないか、そう咄嗟に考えたのは、ファニーの兄妹である双子だった。
また姉がおかしなことをしているのかもしれない、咄嗟に一番近い身内である双子はそう思ったが、流れ落ちる血液、ピクリとも動かない指先を見て本当に彼女の死を察する。
さっきまであんなに元気に「人間ポンプだよ~」なんて馬鹿みたいに金魚を吐き出していたのに、これはどういうことなのだろう。
その場に居た全員の彼女の生前最後の記憶がそれだった。侯爵子息であるカーティスとの婚約を祝うパーティーの場で芸を披露するのは構わないが、貴族らしからぬ、品のない行いであり、ファニーと長年の付き合いのオズワルド意外は、ドン引きだった。しかしファニーの吐き出した金魚はメイドのシャーリーが用意した小さなガラスの鉢の中で悠々と泳いでいる。
それを見て、婚約者のカーティスは頭を抱えてため息をついたけれど、こんな彼女でも、婚約を破棄されることは無い。というか破棄されたとしたら、またありとあらゆる男から求婚され中級程度のメルヴィル伯爵家はまたてんやわんやの日々を送るだろう。
しかし、そんな心配も無用だ。だってどうみても彼女は死んでしまっている。体中から力が抜けて、ぐったりとしていて血をはいていた。数分間まったく動かなければ、疑っていた人間も理解し始め、辺りはじっとりと恐怖と緊張に支配される。
どんなに殺伐とした貴族社会で生きていたとしても、まだまだうら若い婚約パーティーの参加者たちは、目の前で人が死ぬところなんて見たこともない。
こんな風に急に死んで明日をともに迎えられなくなることがあるのだと、目の前のファニーの死体を見て思い知った。そして、恐ろしくてこの場から今すぐに立ち去って逃げ出してしまいたいけれど、誰も動きださないこの状況では自分だけ逃げだすことは出来ずに、全員が恐怖におののきながら席を立てずにいた。
そんな沈黙の時間が続き、ガガッとイスを引いて、ある一人が立ち上がる。
ファニーから一番遠い誕生日席の対面側に座っていたオズワルドが立ち上がってカツカツと歩き出す。それからまったく恐れる様子もなく死体となったファニーへと近づいた。
彼女の投げ出された片手をとり、丁寧に持ち上げて脈を測る。こんな状況でもとても冷静な行動に、一瞬驚いてから、参加者たちは納得する。彼は、公爵家の出身の跡取り息子だ。しかしその地位に至るまでに相当な爵位継承権争いが繰り広げられていたらしい。
その熾烈な争いを生き抜いているからこそ、旧知の仲であるファニーが急に毒を受けて死んだような状況でも、冷静な判断が出来るのだと理解した。
オズワルドは、それから呼吸と瞳を確認して、テーブルに座ったままのこちら側を見据えて口を開く。
「……死んでる」
辺りはしんと静まり返る。この温室にいる全員が、後はこの男の指示に従えばいいだろうと、安直に考えた。
こんな状況に自分から動くことが出来なかった少年少女たちは、そうして状況を収めようと動いた公爵子息に、流石は貴族の中でも上位に立つ技量を持った者だと尊敬するような気持ちになった。
ファニーと好き好んで一緒にいるような変わった一面もあるが、それはここにいる全員と同じ理由だろう。彼女に媚びを売ることによって、その聖女としての力、女神の加護の恩恵が欲しかったのだろう。
しかしそれももう、こうなってしまえば得られない。聖女ファニーが死んでしまったからには誰もその恩恵を受けられない。
残念ではあるが、彼女はどうせ偽りの愛情を向けられていただけで本気で、変わり者の伯爵令嬢を愛していた人間なんかいもしない。この毒殺事件だって適当に捜査されて、あやふやに終わるのだろう。それでいい、聖女なんて面倒な存在がいるだけでメルヴィルの家は、とても苦労したのだ。
「ああ、可哀想にファニちゃん、こんな無残に殺されてしまって……苦しかったろうね」
オズワルドはやや演技がかったような声でそういい、死体の頭をゆるりと撫でた。それを見てテーブルについている全員が死体によくそんなことが出来るとぞっとした。
「ファニちゃんが死んでしまったこと、僕は無念でならないよ。でもいつまでもこうして死体を囲んでいるのは流石に常識を欠く、この場を片付けさせて後はメルヴィル伯爵夫妻に任せる……」
そこまで言ってオズワルドは口を閉ざす。いつも通り胡散臭いその笑顔を消さずにテーブルについている全員に向かって続けた。
「のが一番かもしれないが……今からこのパーティーの参加者は全員ここから出てはいけないよ」
にっこり笑って、彼は、その瞳を鋭くさせて、参加者全員を睨みつけるようにして言った。
「犯人はこの中にいる。見つかるまでは僕がこの場所から誰一人として離れるのを許さない」
あらぬ方向に進んだ彼の言動に、テーブルについている全員がお互いを探りあった。公爵の地位を継ぐ彼には、この場にいる誰も逆らうことが出来ない。それでも誰か、そんな理不尽を聞くわけないと言え!と願いながら、あるものは冷めたチャイを口に含んで疑われないように何と言うかを考えた。
またある者は、上手くやれるかを少し不安に思いながらも、この犯人捜しの第一声を待った。
鉢の中の金魚がパシャンと跳ねる。水音とともに、聖女殺しの汚名の押し付け合いが幕を開いた。