湖
日の光に照らされて、水面が輝き、平原は限りなく続き、ところどころに花畑がある。子供たちが平原を駆け回り、聞こえてくるのは心を穏やかにする音ばかり。大きく胸いっぱいに息を吸ってみれば、花に入ってくるのは新鮮な暖かな空気。
天国がもしあるのだとすれば、きっとこんなところなのでしょうね。
「良いところ」
「ここら辺は穴場だから、貴族たちはあまり来ないけど、僕は好きなんだ」
「ええ、本当に美しいところ。穏やかで、良いところ」
しばらく周りを眺めていると、背中の方から「ノアぁ!」という女性の声が聞こえてきた。明るい笑い声も混ざっている。
「姉上だ。ここだよ!お客を連れてきた」
振り向くと日傘をさした、丈の長いワンピースを着た女性と、笑い声をあげる子供たちがこちらにやってきた。婦人だとは言え、とても庶民らしい。
近づき面と向かうと、彼女がとても美しいことが分かった。鼻は高く、目鼻立ちがしっかりとして、ノアとところどころ似ている。近づいてようやっとわかったけれども、お腹が膨れている。
「あらぁ、なんて美人な子なのかしら。初めまして、私はアルヴレ侯爵の妻で、リリアンというの。貴方は」
「フラン伯爵の長女でミーナ・フランです」
「あ!じゃあ、貴方がフラン家の愛娘?女の子は一人なんですってね」
「それは妹の方で。私は、その愛人との間の子と言いますか」
日傘を持ち替えながら、視線をあちこちに向けて、言葉を濁した。
「あら、そうなの?あの人愛人いたのね。あの人真面目だからいないのかと思ってた」
「僕もそう思ってたよ。まさかだね」
「本当に。まさかよ」
明るい声色は変わらず、にこにこ笑っている。この人はノアと一緒だ。
「でも本当に美しいわね貴方。肌はキメが細かいし、睫毛が長くて二重で、鼻筋も通っている。身長が高くてスタイルも良いし。美しい銅像が動いているよう」
「奥様もとてもお綺麗です」
「お口が上手なのね」
ふとスカートを後ろから強く引っ張られた。体幹があまりない私は傾斜で会ったこともあり、後ろに転びそうになり、ノアに抱き留められた。
「大丈夫?」
「…ええ、ありがとう」
なぜだかノアと密着して、私は体が強張った。それになぜだか、前と違って見える。
「こら!お姉さんのスカート引っ張っちゃダメでしょ!ごめんなさいしなさい!」
リリアン婦人に手を引かれてやってきたのは、まだ幼い男の子だった。申し訳なさそうに俯き下唇を突き出している。
「ごめんなさい。ウサギさんいたから」
「ウサギさん」
ああ、そういえば、今着ているワンピースドレスの裾にはウサギの刺繍が施されている。
「ごめんね。このウサギさんは取れないから」
「うん」
「お姉さんと一緒に遊んでもらったら?」
「いいの?」
その子はパーッと顔を輝かせて、私のことを見てきた。
「いいよ」
「じゃあね。じゃあね。船乗ろう!」
「ええ」
手握られて、湖の方まで二人で走っていく。
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湖に来ることは久しぶりだったし、本当は家に居ようかとも思っていたけれども、ミーナを連れて行って喜んでもらえたらと思った。
彼女はとても魅力的な女性だというのに、自分自身を卑下している。それはきっと今まで親に愛情を注がれずに、いつも下に見られていきてきたから。下に見られるようにしているようにしか僕には見えない。
「良い子じゃない。人と触れ合うのに慣れてるようだし」
「まあね」
緑色の芝生の上に座りながら、彼女を見つめるのは幸せだ。
「大好きなのね」
「好きだけど、彼女は多分違うね。人を信頼できない子なんだよ。今までさんざん酷く育てられてきたから」
「じゃあ、こめかみの傷は、それのせい?」
「何それ?」
こめかみに傷なんてあったかな。きれいな銀髪しか僕の目には入っていないから。
「顔が派手でそれ以外に男は目がいかないんでしょうけど、こめかみに切り傷があった。痕が残ってるってことは酷かったんでしょうね」
「全然気づかなかった」
結構会ってるのに、全く気付かない、僕もちゃんと男だと痛感するな。たぶん俺も他の男と一緒で顔と胸しか見てない。
「ノアはあの子が好きなのね」
「彼女は僕のことあまり好きじゃないようだから、大っぴらにできないけど、一目見て惚れたね」
「顔だけ見て惚れたって、最低あんた」
眉を顰める姉もミーナを目で追っている。
「でも美しすぎて怖かったよ。だから初めて見た時は、天使でも見ているのかと思った。きれいな銀髪、睫毛も銀、肌は透き通って。この世の生物なんじゃないのではないかと今でも思ってる。でも美しすぎる故にみんな彼女の外側だけを見て、この子は性格も良いと、良い人生を送ってきたと勘違いしてる。」
「確かに。私が思春期の女子だったら、嫉妬してるところ」
「彼女は容姿で得をしているところもあるけれども、今までの経験の中で女性を怖がってる。たぶん強姦まがいなことをされたこともあるんだろうな。体を触られることを極度に嫌がる」
もしも、彼女が僕だけに心を開いてくれたなら、僕はきっと一心に愛すだろうけれども、他の誰にも見せたくないと思うだろうな。僕と同じような人間の同じやさしさに気づいてしまったら、僕以外の人も信頼できるようになってしまったら、彼女は自由恋愛が出来るから。
そうなれば僕の立場というのは、彼女に信頼や愛情を分かってもらうだけで、手から離れていく。損な役回り。
「僕はかなり性格が悪いのかもしれない」
「性格は悪くないと思うけど、面倒よね。かなり空気読めない発言するし、目立ちたがり屋だから、派手な事ばかり考えるし」
もし彼女に好きな人ができたなら、僕はきっと意地悪なことをするだろうな。どうしたものかな。