お出かけ
思い出していないはずだったのに、母親の夢を見た。昔見ていた母が私に笑いかけて、手を握って家まで帰るというもの。
そんなこと一度もしたことないのに。なんで今更思い出しているのよ。
そして引きずられるようにして、浮かび上がってくる。期待を胸にこの屋敷に来た日のこと。義母はガラスでできた灰皿を持って、私に投げつけてきた。
化粧台の鏡に映る私の姿。右のこめかみのあたりの髪を持ち上げてみると、傷跡が残り、そこだけ髪が生えていない。普通にしていれば、見えないところ。
「朝食は食べますか?」
「ええ、食べるわ。でもパンとジャムと、牛乳だけでいい」
椅子に座り、飾られている騎士の絵画を眺めながら、あのノアのことを思い出した。あれから一週間彼はここにやってきていない。
きっと忙しいのよ。第二騎士団団長をやっていて、調べてみたら侯爵ということが分かったし。私みたいに暇な人間なんて、早々いる物じゃないし。
「ミーナ様、お客様です」
「どなた?着替えもしていないのだけれども」
「えーっと」
メイドは名前も告げずに、私を玄関まで案内した。そこに立っていたのはノアであった。
「仕事が忙しくて中々来れなかったんだ」
「わざわざ、いらっしゃらなくてもよろしいのに。まだ着替えもしていない」
「君はどんな姿でも、綺麗だから良いんじゃないかね。これから僕の姉夫婦とピクニック行くんだけど、一緒に行かない?」
なぜ見ず知らずの、この人の姉夫婦とピクニックしなければいけないのよ。行くわけないでしょうに。
「どうぞ、楽しんできてくださいませ。私は邪魔者でしょうし」
「ええー、行こうよ。僕せっかく君誘いに、朝早起きしたのに」
「嫌です」
玄関から離れ、リビングダイニングの食卓の椅子に座ると、目の前にノアがやってきて、椅子に座った。
「帰ってください。私は行きませんから」
「朝食、それだけで足りるの?肉料理とか、魚料理とか食べないの?」
「そんな脂っこい物、食べられないんです」
「だから、そんな細いんだよ」
パンを一千切りして、それにイチゴのジャムを塗り、食べる。それを何度も繰り返して、パンに口の水分を取られてしまったとき、牛乳を飲む。
「一緒に行こうよ。ウチの姉上も、その夫も優しくて誠実な人だし。あと、子供好き?犬とか」
子供と、犬、好きかどうか聞かれてみると、今まで触れ合ったことが無いから、分からない。
「あ、ワンピースドレスと、帽子持ってきてくれない?日差しも強いかもしれないから、日傘も」
「勝手にウチのメイドにそのようなこと言わないでください」
なぜかウチのメイドはそれら一式をリビングダイニングまで持ってきた。公爵の子息にそんなこと言われてしまえば、確かに無理とは言わざる終えない。
「来てくれないと、僕悲しいなぁ。僕は子供の扱いが苦手なんだよ。別に頑固にここに居なくてもいいんじゃない?気分転換って思ってさ」
絶対的に子供相手は上手だろうに。でも今日だっていつもと同じ時間が過ぎていくなら、気分転換ぐらい付き添っても、別に良いのかしら。女性に罵られることには慣れているし、少し外に出てみることぐらい。
「ミーナ様、こちらのドレスでよろしかったでしょうか」
「ええ」
「来てくれるの?嬉しいな」
「準備してきますから、少しお待ちください」
部屋に戻り、薄い水色と紺色の落ち着いたワンピースドレスを着て、胸にはブローチを、刺繍の入った手袋をして、耳にスズランのピアスをつけた。ハンカチと少しのお金をカバンの中に入れて、肩にかけ、日傘を手に取った。頭には白色のつばの長い帽子。
「本当に君は、なんでも似合うね。美人でスタイルも良くて。絵画から飛び出てきたようだ。エリザベータが嫉妬するのもうなずけるよ」
「エリザベータも綺麗なはずなのよ」
ノアは私の手を取り馬車までエスコートしてくれようとしたけれども、断った。馬車の中に乗り込み、いつもとは違う雰囲気に動悸がしている。馬車が動き出し、背もたれに体を預ける。
「君だって、自分の魅力が分かっているから、男の接待してるんだろう」
「ちょっとはね。でも女は愛されなければいけないのよ。そういう意味では、私は女として生きている意味がないのではないのかしらと思うわ」
「自分は愛されていないと思っている?」
シンプルで、分かりやすくて、簡単な問題。誰だって親か、恋人か、祖父母か、兄弟に愛されている。抱かれ皆「イエス」それか「分からない」で答える。でも私の両親は私のことを愛しているそぶりも見せなかったし、兄弟は私を嫌がっているし、恋人はいないし。
「愛されていない」
「なぜそう思うの?」
私の心を抉るような、そんな発言。私の中にもぐりこんでこようという発言。
「私だって子供じゃないの。誰かに理解してほしいなんて思ってない。いや、貴方には理解できないと思う」
「どうせ誰も理解してくれないって思いこむのも、それなりに子供だと思うけど」
「…子供の概念なんて人それぞれよ」
ペラペラと話してしまいそうになる自分が怖い。この人になら、何でも話して言いように思っている自分が怖い。
しばらく馬車の中で過ごし、湖が見えてきたところで、私達は降りた。
広い草原の中に大きな湖が広がっている。こんな広い場所に来るのはほとんど初めてで、周りを見渡した。