表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

少女A(3作目)

作者: 森 go太

 彼。

 近衛くんには、いつ別れを切り出しましょうか。


 「尾上さん、ここの数式わかる?」

 「はい」

 「本当?教えてくれないかな」


 近衛くんの告白をお受けして以来、私は彼と一緒にいても、ずっとそんな事ばかり考えてしまいます。


 一度告白を了承したにも関わらず、なんて無責任なのだとーーそんな芯まで醜い自分に、つくづく腹が立ちます。


 「はぁ…」

 と、思わず大きなため息をついてしまいました。すると、数式を声に出して確認していた近衛くんが声をつぐみ、表情がみるみる強張っていくのがわかります。ああ、やってしまった、と彼に少し同情しつつも…

 全く焦りはありませんでした。


 「ごめんなさい。少し具合が悪いみたい」

 私はそう適当に理由をつけ、教科書とノートを片付けて、席を立ちます。

 これで、彼は私のことを嫌いになったでしょうか。

 それならば、ちょうど良いのですが。


 「尾上さん」

 教室を出ようとした時。

 彼の手が、私の腕をそっと掴みました。


 「ダメだよ。ぐ、ぐ、具合悪いのに1人で帰っちゃ。送っていくよ」

 彼はそう言うと、私の腕から直ぐに手を離し、席に戻ります。そして教科書とノートをカバンに無造作に詰め込みーーまた小走りで、立ち止まっている私の方へと向かってきました。


 「大丈夫?家まで歩けそう?」

 彼が心から心配するように汗を数筋垂らしながら言うので、私は元々彼を騙している事もあって、流石に申し訳なく思いーー


 「大丈夫です」

 と、彼から少し目を逸らしてしまいました。



〜〜〜〜〜〜



 「尾上さん、家までどれくらいかな」

 「あと10分くらいです」

 彼は自転車通学なのですが、私に合わせて、自転車を押しながら車道側を歩いてくれています。こうして、普通に気遣いができる子ーーというのが、彼とお付き合いしての印象の一つでした。


 「そっか。ぐ、ぐ、体調が悪化したら言ってね」

 彼は口を隠すように手を当てて、そう優しく言いました。


 もう一つの印象。


 彼は少しだけ吃音がありました。


 彼は主に『濁点から始まる言葉』が言い辛いようで…今も「具合悪い」が発言できず、咄嗟に「体調が悪化」という文言に言い換えたのでしょう。


 吃音が出ている時の彼は、傍目でも分かるくらいに顔をしかめ、不安そうな顔をします。だから彼は吃音が出ると、咄嗟に右手で口元を隠す。そして言い切る事ができなければ、別の言葉に置き換える。


 その一連の対処が滑らかに癖づいている事からーー


 彼は吃音と付き合って、かなり長いのだろうという事が察せられました。


 「尾上さん、ど、ど、どうしたの」

 私がそう考え込みながら彼の顔をあまりにじっと眺めるので、彼は赤面してしまって、また口元に右手をやり、私から目を逸らしてしまいました。


 彼は、どこまでも平凡な中学生。

 しかし、『何か』が足りないーー


 私と同じですね。


 「着きました」

 マンションの前で立ち止まり、そう彼に声をかけます。


 「あ、ここか。良かった、ちゃんと着けて」

 彼はそう言って屈託なく笑いました。こんなボロボロのマンションを見ると、人によっては他意が顔に出てもおかしくないと思われますが…彼はそんな様子など微塵も見せず、ただ私を無事に送り届けられた事に安堵しているようでした。


 彼は私と違って、性格が歪んでいない。

 ただただ自分の『足りない』部分と、共存しようとしているーー。


 私なんかよりも、数倍偉い。


 「ありがとうございました」

 私は彼に、お礼を言いました。

 彼は少し気恥ずかしそうな顔で、「うん」とだけ言いました。


 「じゃ、また明日ー」

 彼は持ってくれていた私のカバンを渡すと、自転車のペダルを勢いよく漕いで去っていきます。そんな彼の後ろ姿を見ているとーー


 少しだけ、元気が貰えたような気がしました。


 彼を見送ると、私はマンションの3階に上がり、部屋の鍵を開けます。


 今日はなんだかーー


 ただいま、と言いたい気分でした。


 「ただいま」

 数年ぶりにその言葉を口にしました。

 誰もいない真っ暗な部屋に、(こがらし)のようにその言葉が反響します。


 今はもう、11月末。

 秋ももうすぐ、終わります。


 靴を脱ぎ、部屋の中へと足を踏み入れます。

 その部屋の風景自体は、いつもと何ら変わりありません。



 机の上にぽつんと置かれている封筒と、二つ折りの紙以外は。


 私はまず封筒を手に取りました。

 そして中をそっと拝見するとーー

 そこには5枚の1万円札のみが、無機質に封入されていました。


 そして次に、私は横の白い紙を手に取りました。

 そして二つ折りを開くとーー

 そこには一言、こう書かれていました。



 ごめんなさい



 私はただ無表情で、その六文字をじっと眺めます。


 冬の訪れを感じさせるような寒気が、

 肌をちくちくと刺していました。




 おわり

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ