プロローグ
6月の下旬、空はまだ明るく時刻が夜の7時を過ぎたとは思えない。
夕方の4時と言われても疑問に思わないだろう。
ここはロンドン地下鉄アールズコート駅の地上出口、僕は歩道の縁石に腰かけて街行く人々を眺め続け2時間が経っていた。
日本から14時間のフライトでヒースロー空港に着き、なんとなくホテルが多そうな駅と選んだロンドン郊外の街。
いきなり中心部に行くほどの勇気も目的もなく手ごろな場所と思っていたが、予想外に人通りが多いことに臆してしまった。
僕はなんでここに座っているのだろうか、立ち上がり動き回ればいいものを。
英語も話せず地図も無い。親切な誰かが話しかけてくれるのを待っているように自分から動けなかった。
思えば何故僕は遠くロンドンに来てしまったのだろう。
飛行機に乗るのが初めてなうえ、当然だが海外も初。
無事に着いただけで自分を褒めているだけならばここで目的は達成されている。
でも帰国便を1か月後のイタリアのローマしてしまった。
だから腰を上げなければ日本に帰ることさえもできない。
今更ながら後悔している。
自分の未熟さと小ささにがっかりしている。
ゴールデンウイークが終わってすぐ無職となった。
仕事はデパートで婦人服売り場を担当していた。
地方資本の老舗デパートに大卒で入社して6年。呉服担当の主任になって2年。
バブルが崩壊して少子化世代が多くなり日本人の平均年齢が48歳となった現在で呉服の需要は下がる一方。
頼みの綱の振袖も、母親がバブル世代なので「ママ振り」という母親が成人式に着たものを娘に着せるというのが主流になっていた。
成人人口が当時の半数になったうえ折から不景気で販売数が伸びる要素などないのに売上予算は昔のままになっている。
絵に描いた餅のような売上目標をいくら目指そうが、現場では無気力感が漂っていた。
それでも娘のサイズに合わせる仕立て直しや現代風の小物を揃えることで売り上げを立てることで、自分は無能ではないと会社にアピールしてきた。
かき入れ時のゴールデンウイーク、各売り場は忙しく賑わっていたが呉服売り場だけが閑散としていた。
来店客が来ないなら外商に行けと上司は叱咤するが、連休中に自宅に居るなど期待できない。
実際だいぶ前から営業をかけていて、狙っているお客の予定は把握している。
ほとんどが行楽に行っていると答えているが真意はどうだか。
差しさわりのない断り文句としては便利なはずだ。
前年に売り場の移動を願い出ていたが今年度も同じなまま。
デパートの社員というのは入社時に配属されたまま専門職となって行くのが通例だ。
最終的にはバイヤーか統括部長となり、それ以上となると役員どまりだろう。
全国展開の大きな組織のデパートであれば転勤や海外赴任などで仕事内容が変わる可能性があるが、地方の老舗には期待できない。
社長は創業血族から選ばれている同族企業。取引先も似たようなところばかり。
なぜ僕が呉服売り場に配属されたのだろうか。
そして自分の限界を感じ、転職の可能性がある35歳までに人生を変えようと思い退職を決断した。
でもそれは表向きの理由。
誰かに退職理由を訊かれた際の定型文として答えているだけだ。
事実は1年ほど前から自律神経を悪くしていたことにより身も心もボロボロで耐えられなかったからだ。
直前に3年付き合った彼女に振られたことが発症のきっかけだったかと思う。
夜は何度も目が覚め心臓の鼓動が気になり眠ることが怖くなっていた。
更にアレルギー体質になったようで、湿疹が出て足の裏と手のひらはいつも汗でびっしょり濡れていた。
足は臭くなり靴下と中敷きを日に何度も交換したりしたが効果なし。
手は皮がふやけて剥けるが、剥けたところも更にふやけて剥けるを繰り返し真っ赤な掌となり痛く、呉服を畳むことも苦痛になっていた。酷い見た目と治療のため常に白の綿手袋をはめていた。
気管支喘息のような症状も出てきた。
心臓の鼓動で目が覚めることもあったが、息苦しさでも寝られず体を起こしておとなしく夜が明けるのを待つか、用もなく外出をして車を運転するか近所を歩くことで誤魔化してた。
万が一の時に部屋で一人でいるより、外で倒れたほうが通報してくれるだろうということもあった。
もちろん軽い喘息や不安神経症で死ぬことはないと頭では理解している。
それでも不安感のほうが勝ってしまう。
そんな体で1年を過ごして折り合いをつけてきたが限界だった。
せめて最後のご奉公としてゴールデンウイークはしっかり働こうと決めて退職した。
ああこれで夏のボーナスは貰えないなと思ったが、基本給の1.5倍程度しか支給されないだろう。
税金も引かれるから実質20万ほど。
入社時からの昇給は1万円で止まった。各種手当がついて手取り25万円。
売上予算を達成すると2パーセントのインセンティブが3か月後に支給される。
それでもせいぜい5万円ほどにしかならない。
同期入社は男女合計20名がいたが、僕が退職した時点で残っているのは2名だけだった。
そう思えば頑張って残ってきたほうかもしれない。
先輩社員や上司は僕くらいの年齢から持病を抱えているようだった。
昔は早くに家庭を持っていたので簡単には辞めれなかったみたいで。
ほとんどが肝臓か糖尿を患っている。薬で太ったり運転免許を失効しているのも珍しくないみたいだ。
そんな先輩方を見て自分もこのままだと死んでしまうと悟ってしまったのも不安感を強めたのかもしれない。
辞めたことを後悔していないが再就職しなければ生きていけない。
すぐにハローワークに行き登録した。
失業保険は自己都合退職なので3か月後に支給開始、毎月求職活動報告をしなければならない等と知った。
幸い蓄えは100万円以上ある。
だけど相変わらず体調は良くはない。部屋に一日引きこもり風呂にも入らずテレビゲームかネットばかり。深夜アニメはリアルタイムで。
そのうち疲れて気絶するかのようならないと眠れない体質になってしまった。
怠惰な生活が2週間ほど続き手持ちのゲームソフトをやり切って無気力な時間が多くなっていた。
生きる気力が湧かずこのまま死んでもいいとまで思うようになった。
そして何故その時そう思ったかは未だに不思議だが、いきなり海外旅行に行こうと閃いた。
そして旅先で死んでも本望だとさえ考え、死に場所を求めるかのような旅を計画した。
どうせ行くなら何ヵ国も周りたいのでヨーロッパがいいだろう。
とりあえず最初にパスポートを申請するために引きこもり生活から抜け出せた。
2週間後受け取りってすぐにネットで格安の航空券を予約した。
成田を早朝発で韓国乗り継ぎのロンドン行き。残り2席だったのは運がよかったのだろうか。
格安航空券は30日以内の日程のなかで有効なので、帰国便を欧州の端にあるイタリアのローマにした。
つまり陸路で欧州を横断する。基本は外国人旅行者用の鉄道割引チケットにした。
1日単位で乗り放題で、日本でいう青春18切符のようなものだ。
異なるのは特急も寝台も乗れるということ。ただし予約が必要。
ロンドンからローマまでなら30日もあれば辿り着けるだろう。
ハローワークの月例報告が済んで30日の猶予期間中を利用した。
航空券は予約したが成田空港までの交通手段をどうしようか。
朝9時の便に間に合うようにスケジュールを組まなくてはいけないが、前日都内宿泊などの贅沢はできない。
調べてみると成田空港行への深夜バスが全国主要都市から出ている。
しかし僕が住んでいる地方からは無い。だから主要都市までの都市間バスを予約した。
成田までの全行程の所要時間は乗り継ぎの時間を含めれば15時間となった。
学生時代に青春18切符の経験はあったが社会人になってからの旅はドライブでの一泊が多く、長期間の一人旅は今回が人生初。
大きめのバックパックを買い必要とされる小物を揃えたりすると航空券と現地で使う現金20万円など合計すると50万を超えた。
念のためクレジットカードを持っていくが、全財産の半分を費やしてしまった。
旅行中に死んでしまえばなんのことはないが、無事に帰国したとすれば生活に困るギリギリの状態になっているだろう。良くて半年で限界になる。
もし無事ならば僕にはまだ運が付いていると信じ、その後もどうにかなるだろうと根拠のない希望をこじつけてみた。
主要都市発の空港行のバスには20人ほどが乗っている。ほとんがビジネスマンのようで、しなびた旅行者は僕一人だけだった。
初体験の深夜バス、生活のリズムが狂ったままだからか未知なることへの不安なのか、ほとんど寝付くこともなく時間が過ぎていった。
高速道路を下りてからは船橋などで降車する人もいて、まだ薄暗い空港に降りたのは10名ほどだった。
時刻は6時になったばかり。空港内は閑散として、ほとんど人が見つからない。
飛行機に乗るのが初めてなので空港を訪れるのも初めてなので、どうすればいいか勝手がわからない。
売店なども開いていない。待合椅子があるエリアのテレビは消えている。
仕方ないので荷物を背負いながらターミナルを歩き回った。
搭乗手続きをするカウンターを確認し、トイレに寄りながら時間を潰す。
ようやく時刻が7時になり搭乗便のチェックイン放送が流れた。
早速向かったら既に行列ができていた。
先客の様子を観察して受付の流れを確認した。
自分の番が来てチケットを渡す。
係員の女性は機内荷物を受け取りチケットの確認をした。
すると僕に「帰国便がローマになっていますがよろしいいのですか?」と確認してきた。
「ええそうです」と答えたら不思議そうな顔をしていた。
たぶんほとんどが同じ空港か、ローマまでも空路なのかもしれない。
荷物を預けて身軽になったので出国ゲートへ向かう。
身体検査は無事通過し搭乗ゲート近くで待つことにした。
現金は持っているが全て1万円札なので、ここで使っても小銭と千円札になってしまうので止めておいた。周囲の乗客は免罪店など大量の煙草と酒を買っている。
日本に帰国するまで持ち歩くのか、現地へのお土産なのかわからないが海外初心者の僕にはどうでもいいことだ。それでも店内を冷やかして時間を潰した。
搭乗時間になったので乗り込む。ゲートはフェリーに乗るとの同じようだが窓にはこれから乗る飛行機が見える。ああ飛行機になるんだと緊張した。
正直に言うと数日前から行くのが怖くて眠れなかった。
眠れないのはいつものことだが、それまでは昔の記憶とかが多いが未来のことで不安になるのは初めてだった。
受験や部活の大会でさえそこまで不安や緊張はしてこなかった。
チケットを買ったことで行けなければならないと何度も決心することを毎晩繰り返していた。
地元を出発してからは漠然とした不安に包まれていたが、スケジュール通りに自動で動いていることで誤魔化していた。
しかしいざ飛行機を目の前にして再び不安感が湧いて来た。
機内に入ってみると閉鎖された空間で乗客がそれぞれ慣れたように動いていた。
自分の席を見つけ座り、両隣の見知らぬ乗客に囲まれると運命共同体のような不思議な安心感が生まれた。一人じゃないということだろうか。
そこからは遊園地のアトラクションのような感覚で機内で過ごすことができた。
機内食は2回出てきたし期待以上に美味しく揺れも無く本当に飛んでいるのだろうか。
ずっとこのまま機内で暮らしていけるくらいだ。
そして後1時間で到着というアナウンスが流れて、僕は再び不安になった。