40 深雪に翳る日輪
陽明は弾き飛ばされた勢いを利用して一旦距離を取った。
前傾姿勢になって足裏から黄蘗色の光芒を飛び散らせる。太陽の剣から漏れ出した炎の残滓が赤々と宙に曳かれていった。
「(やっぱり、強い……っ!!)」
じわり、じわり、と真綿で首を締められているような気分。
決して防戦一方という訳ではないが、拮抗状態を維持するだけでも神経が磨り減っていく。珀穂からは際どい一撃を受ける事も多く、その度に崖から突き落とされるにも似た恐怖に襲われた。
自力の差。
一年間のブランクによって開いた実力差が、遅効性の毒みたいに効いてきたのだ。
「(残り時間は、あと二分……!)」
電光掲示板に目をやり、唇を噛む。
速度や技術では勝てないのだから、正面から火力勝負を挑むしかない。その為には白雪ノ舞の氷結に抗いつつ、致命傷を受けるリスクを恐れずに近距離へ踏み込む必要があった。
緋い西洋剣を握り締めた陽明が、急発進で疾り出す。
しかし、黒い少年は迎撃する素振りすら見せず、こちらに背中を向けて飛行し始めた。出方を窺っているのか、何か策があるのか、敢えて速度は落としているようだ。
罠の可能性が脳裏を過ぎったが、陽明は加速を使って距離を詰める。五メートル以内に近づいたタイミングを見計らい、両手で西洋剣を上段に持ち上げた。
「――灼き照らせ、太陽の剣!!」
そう叫んだ直後、緋色の刀身から噴出した膨大な識力が炎と化す。
剣尖に引っ張られ、渦を巻いて舞い上がる猛火の奔流。太陽のように輝く炎の柱を、空間ごと引き裂く勢いで振り下ろした。狭い洞窟内で発生した爆炎が酸素を求めて奔るように、紅蓮の波濤が一直線に珀穂へ迫っていく。
火焔の顎。
太陽の騎士が原作で使った技の再現。
裏象『太陽の剣』の能力を応用した一撃だ。剣筋に生み出した炎を緋い刀身に溜め、瞬間的に火力を強化して放つ。防御を無視して場外まで吹っ飛ばす破壊力や広大な攻撃範囲は脅威の一言に尽きるだろう。
だが、当たらなければ意味がない。
珀穂の体が物理法則を無視して真横へ滑る。水平滑と呼ばれる宙曲技だ。識力制御のみで炎の奔流から逃れた黒い少年が、大技後の反動で固まる陽明へ斬り掛かる。
「(そりゃ簡単には当たってくれないよな!)」
ごっそりと識力が削れた虚脱感に苛まれながらも、陽明は緋色の刀身で氷刀を受け止めた。盛大に飛び散った黄色の光芒が一瞬にして凍り付く。
この至近距離ではいくら識力の密度を高めても完全には氷結に抵抗できない。乱暴に西洋剣を押し付けて鍔迫り合いを解除。そのまま何度か斬り合い、隙を見て距離を取った。
「(火焔の顎は、あと一回が限界か……?)」
規格外の威力を誇る火焔の顎だが、発動に際して要求される識力の量は急発進や光破剣といった宙曲技とは比べ物にならないほど甚大だ。裏象の解放状態を試合最後まで維持する事を考えると、もう無駄撃ちはできなかった。
だが、珀穂にだって余裕がある訳ではない。
試合の序盤から裏象を解放し続けているのだ。火焔の顎のような大技を使っていないとは言え、識力には限界が見えていると考えるべきだろう。大量の識力を消費する無形は使いたくないはずだし、盤面に出せる手札はかなり絞られてきた。
「(まずは、一点)」
太陽の剣に炎を灯して、表面に付着した氷を溶かしていく。
「(同点にして延長戦に持ち込めば、こっちにだって勝機はある!)」
両腕に力を入れて、果敢に距離を詰めてきた珀穂の氷刀を受け止めた。咄嗟に右半身に纏っていた識力を炸裂させて、ぐりんっ!! とその場で回転する。
発動した宙曲技は風車。空を円く切り裂く緋色が焔を帯びた。予想外の反撃に対応が遅れる珀穂へ、赫灼に彩られた一閃を叩き込む。
爆炎。
空間を震撼させる衝撃が炸裂した。
インパクトの瞬間に太陽の剣から大量の炎を放ったのだ。七メートル以上も離れた水面すら波立たせる一撃によって、黒い少年は錐揉み状になって吹っ飛んでいく。
「(残り、一分半……!!)」
陽明は急発進を発動して宙を蹴った。
辛うじて上体を起こした珀穂だが、勢いを殺し切れずに体は後方へ流れていた。ブレーキの為に両足から火花みたいに迸る識力。仮に場外に出る前に止まれたとしても、陽明の追撃に対応するだけの余裕は残っていない。
ここだ。
最後の一撃を叩き込むには絶好のタイミング。
「――灼き照らせ、太陽の剣!!」
下段に構えた太陽の剣に全神経を集中させた瞬間、尋常ではない量の火焔が緋色の刀身を呑み込む。背後で吹き荒れるのは、プールの水を一瞬で蒸発させそうな焦熱。識力制御で急制動を掛けた陽明は、慣性そのまま赫焉と炎が滴る西洋剣を振り上げた。
紅蓮の業火が一直線に大気を奔り、宙域端で静止したばかりの珀穂へ牙を剥いた。宙曲技で躱す時間はなく、どんな防御でも衝撃を凌げない。間違いなく決着の一撃だった。
だが。
氷天の魔術師は、微塵も焦燥の素振りを見せない。
レンズの奥にある瞳が鋭い光を帯びた。裏象から迸ったのは、針よりも尖ったレモンイエローの識力。氷刀を逆手に持ち直すと、鋭利な切っ先を地面に突き刺すみたいに振り下ろす。
「――凍て結わえ、白雪ノ舞」
凍風が。
不可視の刃となって空を切り裂く。
思わず顔を伏せた途端、強烈な冷気が総身を走り抜けた。瞬きをする間に氷点下の雪山に移動したという有り得ない錯覚が脳に差し込まれる。皮膚が裂けそうな痛みを覚えつつも、恐る恐る瞼を開いてみた。
凍っていく。
景色が純白の深雪に覆われていく。
直撃するはずだった炎の奔流も、飛び散った焔の残滓も、途轍もない熱量を湛えていた太陽の剣すらも。
気が付けば。
辺りは浮遊する無数の氷塊に埋め尽くされていた。
「……嘘、だろ?」
まるで、氷瀑。
凍った炎は空に架かる橋みたいで、毎秒数トンもの水が流れ落ちる滝が全て凍り付いた絶景を喚起させた。今にも色を取り戻しそうな躍動感のせいで、時が静止したような感覚に陥る。
「『絶対零度』――悪魔を殺す為に編み出した僕の切り札だよ」
歓声すらも凍て付き、雪降る深夜を彷彿とさせる静寂に低い声が響き渡った。
「宙域内の識力を問答無用で氷結させる。一定時間の能力底上げと、距離による減衰をなくす事によってね。ここから先は、裏象も、その能力も、宙曲技さえも満足に使わせない。僕が空を支配する」
ピシィッ!! と、何かが軋む音。
周囲に浮遊していた氷塊に亀裂が走り、細かい破片となって砕け散ったのだ。
ビルの窓ガラスが一斉に割れたような光景の中、珀穂は半身になって重心を落とす。スピードスケートにも似た構え。右手で握り直した氷刀からは白い冷気が揺曳していた。
「(なんだ、この技は……? 先月の大会じゃ、使ってなかったのに)」
ふと、生命力が蒸発するような虚脱感に苛まれて視線を下に向ける。
霜の降りた緋色の刀身に走る一条の亀裂。識力に限界が来たのだと理解した瞬間、甲高い破砕音と共に太陽の剣が黄色の光芒となって飛散した。
陽明は白い吐息を漏らしながら、呆然と固まってしまう。
裏象の維持すらままならない満身創痍。
対して、珀穂は絶対零度によって裏象の能力を底上げしている。
効果が絶大である為、技の使用には何らかの制限や条件があるのかもしれない。だが試合終盤のこのタイミングで発動したという事は、珀穂がそれらの欠点を補えると判断したからだろう。とてもじゃないが、裏を掻けるとは思えなかった。
「(……勝ち筋が、消えた)」
目の前が真っ暗になるような絶望感。
世界から音が遠のいて、識力だけではなく心までもが凍り付いていく。
残り時間が一分を切った。
十メートル以上離れていた珀穂が猛然と距離を詰めてくる。急発進すら使わなかったのは識力不足の影響か。
振り下ろされた氷刀をラバーソードで防ぐも、宙で踏ん張れずに弾き飛ばされてしまった。
「(識力が、制御できない……っ!!)」
絶対零度の効果で識力を生み出しても凍り付いてしまい、通常飛行や姿勢制御といったエバジェリーの基本動作にすら影響が出ていた。
陽明は初心者みたいに宙で手足をばたつかせ、何とか体勢を整える。
「(俺は、負けるのか……?)」
心に、翳が落ちる。
「(豊音を失って、また空を見上げるだけの地獄に戻るのか?)」
嫌だ。
それだけは、嫌だ。
この想いだけは、絶対に失くしたくない。
今までは簡単に捨てられたのに、熱い感情で心が焦げ付きそうになっている。
だから、なのだろうか?
――だったら質問に答えてもらおうか、使徒。
『彼』の声が聞こえたのは。
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