39 表象の裏側
観客席の興奮は最高潮に達している。
歓声が渦となって舞い上がる中、御波は五十メートルプールの上空で繰り広げられる凄絶な剣戟を特設ステージの横で見上げていた。
緋い剣筋に火焰が奔る。
ファンタジー映画のCGにしか見えない一撃を、黒いユニフォームを着た少年が氷刀を使って受け流した。激しくスパークする黄色の光芒。皮膚を焦す熱風が鬱陶しいのか、息の上がった顔は不機嫌そうに顰められている。
不意に、氷天の魔術師の体が宙を真横に滑った。明かに物理法則を無視した挙動。何かしらの宙曲技を使って炎の猛攻から抜け出し、返す刀で白い裏象を振り下ろす。
陽明が緋い西洋剣で受け止めた途端、氷刀の冷気がその勢いを増した。早送り映像みたいに周囲の識力を凍らせたが、すぐに刀身から溢れ出した炎が溶かしていく。舌打ちをした黒い少年が忌々しそうな表情で距離を取った。
「すごい……これが、第五階位同士による戦い」
御波は呆然と空を見上げて呟いた。少年マンガで戦闘を見物している一般人はこんな気分なのかもしれない。
「あの剣が、陽明の裏象ですか?」
「そう、銘は太陽の剣」
隣に立っている豊音が、真剣な表情で答える。
「『太陽の騎士と湖の王女』って絵本で、主人公の騎士が使っていた聖剣だよ。刀身の緋いデザインも、剣筋から炎が溢れ出す能力も、原作と全く同じだね」
「どうして、そんな事に……?」
「裏象のデザインや能力は、使用者の死の欲動に由来して自然と決まるから。言い換えれば、ハル君は裏象として発現させる程にあの絵本から影響を受けたって事なんだけど」
太陽の剣から莫大な炎が放たれると、美人な先輩は直射日光を遮るように右手を掲げた。識力を持つ豊音は熱や冷気を感じ取ってしまうのだろう。御波には分からない感覚だ。
「憧れた存在と、現実の自分における埋めようのない差。幼い頃に心に刻まれた挫折や諦め。そう言う『他人に抱かれたい表象の裏側』が死の欲動を生み出す根源になる。裏象は死の欲動の象徴化。つまり、自分が絶望するに至った原因を世界に投影する力なの」
だからこそ、裏の象と呼ばれているのだろう。
ギリシア神話において死を司り、死の欲動を神格化したとされる存在の名と共に。
「ハル君の場合、それが『太陽の騎士』だったんだ。自分の弱さを認識するきっかけになった存在だから」
「何だか、裏象って嫌な力ですね。目を逸らしたかったり、認めたくなかったりする部分を見せつけられてるみたいで」
氷天の魔術師も何かしらの挫折や諦めを根源として、『白雪ノ舞』という裏象を発現させたのだろう。
自分の弱さと常に向き合う事を強要されるのならば、いくら強力な武器だとしても好んで使いたいとは思えなかった。発動する度に自己嫌悪に陥りそうだ。
「その点については私も同感かな。棘の付いた柄を握って剣を振るのと同じだから。でも、ハル君は違うの。多分、珀穂君もね」
「……それは、どうして?」
「前にハル君が言ってたんだ。人には必ず弱さが存在する。どれだけ目を逸らしたくても、まずは受け入れなくちゃ話が始まらない。だって、それは紛れもなく自分の一部なんだから。そう言った次の日、ハル君は使えなかった裏象を取り戻したの」
豊音は両目を細めて告げる。
まるで遙か遠くへ行ってしまった誰かへ想いを馳せるように。
「もしかしたら、自分の弱さと正面から向き合って、心の底から死の欲動を認める事が、第五階位に進化する条件なのかもしれないね」
それぞれの裏象を携えて、二人の第五階位は激突を繰り返す。炎と氷の乱舞が白熱した空を鮮やかに彩っていた。
だが、試合は大詰めを迎えつつある。
すでに残り時間は三分を切っていた。現状は陽明が一点のビハインド。最悪でも同点にして延長戦に持ち込まなければ敗北が決定してしまう。
「しっかりしなさいよ、陽明……っ!」
拳を握って、歯痒さを吐き出す。
エバジェリーの素人である御波に具体的な戦況は分からない。だが、肌感覚としては陽明が押されている気がした。宙曲技で攻め続ける氷天の魔術師に対して、有効打を与える回数が少ないように見えるのだ。
「ハル君は、大丈夫だよ」
それでも、豊音の顔には一切の曇りがなかった。
揺るぎのない眼差しで、太陽の騎士を見詰めている。
「だって、私の為に勝つって約束してくれたから」
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