31 特訓
慎也との特訓も、すでに終盤に入っていた。
強烈な一撃で吹っ飛ばされた陽明は、プールの上空八メートルを凄まじい速度で滑っていく。
「……おぉ、らあッ!」
腹筋に力を入れながら雄叫びを上げる。
無理やり上半身を持ち上げて前傾姿勢を取った。識力を足裏に収束させ、宙を深く抉るイメージで急制動。黄蘗色の轍を刻みつつ、何とか場外に飛び出す直前で静止する。
十五メートル離れた位置で浮かんでいた慎也は、右手でラバーソードを持つと半身になって重心を落とした。スピードスケートにも似た構え。その後、スポーツジャージを着た陽明が体勢を立て直すよりも早く急発進で疾り出す。
優男の背中で推進装置から放たれたみたいに一際強烈なアップルグリーンの噴射炎が弾けた。まるで音速戦闘機のアフターバーナー。ジェットエンジンが高温排気を再度燃焼させて推進力を得るように、かつての最強は更に鋭く宙を穿つ。
加速。
飛行中に識力制御のみで速度を上げる宙曲技だ。急発進と並んで初歩的な技とされているが、蒼穹の魔術師が使えばその威力は段違いに跳ね上がる。
追い詰められた陽明は宙域の端ギリギリで腰を落とした。どっしりと宙に根を張って、背骨を何倍にも太くする感覚で識力を滾らせていく。
心柱制衝と呼ばれる防御系の宙曲技。
一歩足りとも動かないという意志を反映するように、陽明の背後で輝きが爆発的に膨れ上がった。展開した識力の反発力をボクシングのリングロープみたいに使って衝撃を受け切る算段だ。
ラバーソードを上段に構えて、猛烈な速度で近づいてくる慎也を見据えた。
そして、矛と盾が正面から激突する。
拮抗は、たった数秒。
鍔迫り合いに持ち込んだ陽明が土俵際で耐え切り、渾身の力でラバーソードを振り抜いたのだ。業火の熱量にすら匹敵する識力を炸裂させ、先刻とは逆に師匠を宙域端まで吹っ飛ばす。
「(……いける!)」
元ジュニア王者は心柱制衝を解除して体を前方へ傾けた。
「(精密な識力制御が要求される高速戦闘じゃ勝ち目はないけど、識力の量や出力が物を言う火力勝負なら俺の方が有利。階位だって一つ上なんだ、正面からぶつかれば押し切れる!)」
現役時代から細かな制御を苦手としていた陽明は、恵まれた識力を生かした荒々しい戦い方を好んでいた。硬い防御で相手の攻撃を弾いたり、逆に高火力の一撃で相手の守りを突破してポイントを狙う。高速戦闘で相手を翻弄する慎也や珀穂とは対極の考え方だ。
陽明が急発進を使って疾り出すのと同時に、バーテンダーみたいな服装の慎也も動いた。水泳選手がコースを折り返すような挙動で鮮やかに宙を蹴ったのだ。
正面から突っ込んでくる師匠を場外へ弾き返す為に、陽明はラバーソードに識力を集中させた。
発動したのは、光破剣と呼ばれる攻撃系の宙曲技。識力の密度を限界まで高めて反発力を強化し、防御を無視して場外まで吹っ飛ばす火力重視の技だ。
白い発泡素材を溶接光にも似た眩い輝きが包み込み、宙に黄色の陽炎を曳いていく。
だが、激突の直前。
慎也が加速を応用して軌道を斜め上方へ曲げた。しかも、方向転換は一度だけではない。まるで無数に設置された鏡で光が乱反射するように何度も軌道を変えていく。一瞬にして陽明の周囲は幾重にも編み込まれた識力の残像に覆われた。
「(光の監獄!? 引退した選手が難易度の高い宙曲技をサラッと使わないでもらえますかねぇっ!)」
咄嗟に神経を研ぎ澄ませて、撒き散らされた識力に意識を集中させる。
「(――上っ!!)」
僅かな識力の揺らぎから攻撃方向を予測してラバーソードを掲げる。
脳天へ振り下ろされた一閃を遮ってみせるが、姿勢維持に意識を回す余裕はなかった。巨人の張り手でも食らったみたいに、陽明の体が水面へと一直線に吸い込まれていく。
光破剣を解除した陽明は、手足を伸ばすと同時に識力を展開する。反発力を使って落下の勢いを削いでいく度、黄色の光芒が火花のように飛散した。
頭上では光破剣へ正面から斬り付けた慎也が、反発力を打ち消し切れずに体勢を崩している。
反撃のチャンスだ。
選択した宙曲技は、転換射出。
水面から二メートルの位置で急制動を掛け、膝を折った姿勢で識力を制御。弓を引くように落下のエネルギーを溜めて、一気に解き放――
「おわぁっ!?」
姿勢が、崩れる。
識力制御が甘かった。盛大に弾け飛んだ陽明の体が、竹トンボみたいに回転しながらプールの表面を跳ねていく。
「今のはハルの判断ミスだったね」
ゆっくり降りてきた師匠が、水面付近で仰向けのまま漂う陽明に声を掛けた。
「転換射出は難易度の高い宙曲技なんだ。無理して苦手な識力制御に賭けるんじゃなく、体勢を整えて機を窺うべきだったね。君は平均よりも遙かに識力に恵まれている。現時点で珀穂君を相手にしても火力勝負なら優位に立てるんだし」
「くそっ!!」
ラバーソードで乱暴に水面を叩き付ける。識力の反発によって、水面が飛沫を上げながらへこんだ。
「今日はここまでにしようか」
「そんな、待ってくださいよ先生!」
識力制御で体を起こすと、切羽詰まった表情で慎也に詰め寄った。
「まだやれますから、俺なら大丈夫です! あと一戦だけお願いします!!」
「駄目だ、今日はもう終わりだよ」
「どうしてですか!? まだ時間なら残ってるでしょ! 試合まであと四日しかないのに……こんな状態じゃ珀穂には勝てない!! 裏象だってまだ使えないままなんですよっ!!」
「ハル、少し落ち着いて」
熱を帯びる陽明とは対照的に、慎也は低い声で言った。
「焦る気持ちは分かる。だからと言って無闇やたらに体を動かせばいいって訳じゃないよ。君、自分の体の状態に気付いているかい?」
「体の、状態……?」
「やっぱりね。明日は僕の都合も悪いし、練習はなしにしよう。先週からずっと体を動かしているんだ、少しは休んだ方がいい」
「いや、でも」
「分かったかい?」
「……分かり、ました」
渋々頷く。
慎也は水面付近を滑ってプールサイドへと移動し、PACEを外して出口へと歩いて行った。茫然とした様子で浮かんでいた陽明は、しばらく経ってからプールサイドへと飛行していく。
「お疲れ様、ハル君」
ペットボトルを持って待っていたのは、九高の夏服を着た豊音だった。
陽明は強張っていた頬を柔らかく綻ばせながら、白いセラミックタイルに裸足で着地する。足裏に広がるひんやりとした感触。豊音からスポーツドリンクを受け取る為に、首筋に手を当ててPACEの電源を切った――直後。
がくんっ!! と。
意志とは関係なく膝が折れた。
「ハ、ハル君!? ちょっと、大丈夫なの!?」
慌てて豊音が駆け寄ってくる。
両目を見開いた陽明はガクガクと痙攣する下半身を見詰めて、
「……情けないな、気を抜いた瞬間にこれか。まだ戦えるって思ってたのに」
「無理しないの。ほら、肩を貸して」
「大丈夫、一人で歩ける」
「いいから、早く」
豊音は有無を言わせぬ口調で言うと、陽明の反応を待たずに左脇へと潜り込む。そのまま腕を自分の肩に回して立ち上がった。
「(……髪、冷たくて気持ちいい)」
心も体も限界なのに、どうやら煩悩だけは正常に作動しているらしい。
左腕は冷却装置が壊れたみたいに発熱していたが、絹よりも滑らかな長髪が疲労と一緒に熱も吸い取ってくれた。朦朧とした頭の中では嬉しさと気恥ずかしさが混ざり合い、見事にマーブル模様を描き出している。
「……俺、焦ってるのかな?」
ぽつり、と。
俯いた口から、言葉が零れ落ちる。
「これでもさ、自分では冷静なつもりなんだ。必要な事を考えて、逃げずに頑張って……でも、結果はこの様。まだ慎也さんには一度も勝ててないし、裏象だってキッカケすら掴めてない。本番までもう少ししかないのに、このままじゃ俺は、お前を……」
「ねぇ、ハル君」
腹を括ったような声。
顔を上げてみると、頬を赤らめた一つ歳上の少女が揺れる瞳でじっと見詰めていた。
「明日、私の家に来ない?」
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