13 マニューバ
「わ、わわわあっ!?」
短い悲鳴。
慌てて目を向けてみると、水面付近でゆっくり飛行していた女子小学生がぐるぐると勢いよく宙で回っていた。姿勢制御時に識力を誤って強く放出してしまったのだろうか。体の重心を軸に宙で縦回転し続ける光景は、重力に支配された地上では非常に違和感を覚えてしまう。
「と、豊音先輩! 助けなくても大丈夫なんですか!?」
「問題ないよ、あれくらいなら」
全く動じない指導員の少女とは裏腹に、御波はハラハラとした面持ちで見守る。
空気抵抗で次第に弱まっていく回転力。
次の瞬間、女子小学生の頭上から後光輪の輝きが薄れた。重力の中和段階を下げたのだ。地球上では当たり前の物理法則に捕捉され、三メートルの高さからプールの水面へと落下する。
盛大に水飛沫が飛び散った。
しかし、女子小学生がプールに沈む事はなかった。まるで尻餅でも付くみたいに揺れる水面に座っているのだ。識力の反発する性質。かなり派手に水を浴びたにも関わらず、ジャージやショートカットの髪の毛には一切濡れた様子がない。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
女子小学生は楽しそうに笑いながら練習へと戻っていく。他の選手も驚いた様子がない為、これくらいのアクシデントは何も珍しくないのかもしれない。
「これが識力による飛行理論だよ。どう、上手く伝わってる?」
「はい! すっごくビックリしました!」
「でも、面白いのはまだまだこれから。エバジェリーでは識力制御による空中挙動の他にも、反発する性質を利用した魔法みたいな超常現象を駆使して戦うの。それが宙曲技。現代エバジェリーにおいて最も重要視される技術だよ」
「それって、これの事ですよね?」
御波はスマホを操作すると、動画サイトの検索画面を表示させた。
関連動画の一覧には『世界最強の米国空軍もビックリ!? 生身でドッグファイトを繰り広げるエバジェリーを徹底解説!!』や『空で戦う剣道! 人間離れしたエバジェリーの宙曲技を紹介!!』と題された動画が、赤や青といった文字が躍るサムネイルと共に紹介されている。
「そうそう。宙曲技はエバジェリーの花形だから、その手の動画はいっぱい上がってるよ」
豊音が画面をスクロールすると、関連動画の中に『夜空の悪魔』の優勝者インタビューを抜粋した動画が現れた。先日、陽明に教えてもらって視聴した物だ。他の動画に比べてサムネイルが簡素なのに再生回数が異常に多く、どこか禍々しい雰囲気を禁じ得ない。
「宙曲技が使えるのは第三階位からなの。水面付近で練習している第一階位や第二階位の子達じゃそこまで精密な識力制御ができないからね。ちなみに大会に出場できるのも第三階位からなんだ」
「報告会で配布されてた冊子に選手一覧が載ってましたね」
「その通り。あ、御波ちゃん見てみて。もうすぐ宙曲技の練習が始まるよ」
視線を向けてみる。
プールの上空十メートルでは二人の選手が横一列に並んで浮いていた。完全に静止した後、合図と共に宙を蹴って猛烈な速度を叩き出す。地面も何もない場所でのロケットダッシュは、明らかに教科書に載っている物理学を否定した動きだ。
「あれは急発進。足裏に識力を圧縮させて、走り出すと同時に炸裂させる宙曲技だよ」
「すごい……! 生で見ると、あんなに速いんですね!」
御波は食い入るように急発進の練習を見詰めた。
少しして陽明の番が回ってくる。一緒の組になった大学生の男と何やら話していたが、不意に鋭い笑みを口許に刻み込んだ。ここからでは詳しい内容までは聞き取れないが、どうやら陽明が勝負を挑まれて承諾したらしい。
「陽明、大丈夫なの? 相手は歳上だし、練習だって一年振りなのに……」
不安げな御波とは対照的に、調律師の少女は余裕そうな表情のままだった。にこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
陽明と大学生の男が一列に並ぶ。喉の乾くような緊張感が空を支配した。
そして、合図が鳴った直後。
ばんっ!! と。
大気を叩く破裂音と共に、陽明の姿が掻き消えた。
「は?」
本当に消えた訳ではない。だが、そう表現したくなる程の超速度だった。
黄蘗色の残像を刻む姿はまさしく雷光。轍にも見える識力の燐光が、衝撃の凄まじさを物語るようにバヂバヂと弾けていた。勝負を挑んだ大学生も目を点にして固まっている。
「(格が違う、初めて生でエバジェリーを見た素人でも感じるほど圧倒的に……!)」
これが、かつての二年連続ジュニア王者。
遠城陽明の実力。
「ハル君、やっぱり去年に比べて衰えてる」
「あ、あれで劣化してるんですか? 全然ブランクとかないように見えますけど」
「大き過ぎる力に肉体と感覚が追い付いてない感じかな。昔と変わらず識力制御は甘いし、筋力が落ちてるから飛行姿勢だって保ててない。特に背筋と腹筋が壊滅的。ふふっ、これは躾け甲斐がありそう」
豊音は好物を目の前にした子どもみたいな無邪気さで言った。だがその瞳には、不気味なほど鋭い輝きが宿っている。喩えるなら、将来有望な競走馬を見つけた調教師のような笑みだ。
「すっごく、楽しみ」
ぞくっ、と。
艶のある声を聞いた瞬間、御波の背筋を悪寒が走り抜ける。
「あの、豊音先輩……つかぬ事をお聞きしますが」
「なに?」
「先輩って、実はSだったりしますか?」
「んー、否定はしないかな」
恍惚とした表情になった豊音は、洋服でも選ぶみたいに楽しげに言った。
「ハル君ってね、すごく従順なの。どれだけ苦しいお願いをしても絶対に応えてくれるし、文句を言いながらも最後は私の所に帰ってきてくれる。その姿が可愛くて仕方ないんだ……もっと意地悪をしたいって思うくらいに」
「そ、そうですか」
雲行きが怪しくなった元ジュニア王者へ、心の中で頑張れと祈っておいた。
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