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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

八尋さんと芦田くん【BL短編集】

焼酎ロックは効きすぎる

作者: 魚勝ソニ

 

 焼酎のお湯割りとか、日本酒の熱燗とか、酒は温かいものが好きだ。

 ゆっくりと飲んでいた、お猪口の中が、空になる。

 左手を伸ばす。

 その先で、すでに徳利が持ち上げられていた。

「どうぞ」

「あぁ……ありがとう」

 芦田が、慣れた仕草で徳利を傾け、盃を満たしていく。

 心底嬉しそうな横顔が、俺には理解できなくて、直視できない。何が、何で、そんなに嬉しいのだろうか。――……本当は、分かっているから、余計に、見ていられない。

「なんだか、すごく慣れてるね。お酒は、苦手なんだろう?」

「はい、飲むのは」

 と、芦田ははきはきと答えた。若々しい元気のある喋り方が、俺は少しだけ羨ましく感じてしまう。俺は、小さい頃からずっと、『もっとはっきり喋りなさい』とか『もう少し覇気を出しなさい』とか、言われ続けてきたから。

「でも、大学とかでも飲み会って何度もあるじゃないですか。その中で飲まないようにしながら、うまく立ち回ろうと思ったら、お酌して回るしかなくって」

「なるほど。生き残るための、知恵ってやつか。すごいなぁ」

「いえ、そんなことは……」

「まぁ、苦手なことなんて、するもんじゃないからね。芦田は、飲むと、すぐ寝てしまうんだったか」

「はい、そうなんです」

「寝酒にはなりそうでいいね。俺は逆に、目が冴えちゃって、全然、眠れなくなるからなぁ」

「で、見ての通り、饒舌になる」

 と、居酒屋の店主が口を挟んだ。彼は、俺の昔馴染みで、小中高とずっと同じ学校にいたやつだ。料理の腕を生かして、小さな居酒屋を始めたから、時折こうして入り浸らせてもらっている。今回は、会社の慰安旅行で、偶然俺の地元に来ることになったから、旅館を抜け出して飲みに来たのだった。

「顔色はまったく変わらないのにね。なかなかに厄介だから、頑張ってね、可愛い後輩くん」

「あ、はい……かわいい、こうはい……?」

「徹が前、ここに来た時――」

「一秋、余計なこと言うな」

 この前のことを言われては困る。睨みつけると、店主の水瀬一秋は両手を上げて、まったく反省していないように肩を竦めた。

 酒を口に含む。適度に温かい。強めのアルコールの中に、ひっそりと隠れる甘みを、舌の先で探り当てる。こういうのが俺は好きだ。ポールモールも、大多数を占める雑味の中に、一瞬だけ香る甘みがあるんだ。

 頬に当たっていた、何か問いたげな目線から、

「――八尋さんて、お酒も好きだったんですね」

 まったく関係のない言葉が流れ出た。

「会社の飲み会だと全然飲まれないから、僕、てっきり、あまりお好きじゃないのかと思ってました」

「……安い店の、まずい酒は、好きじゃないね。やたらと騒ぐのも。――こういうところで、ゆっくり飲むのが、一番良い」

「そうなんですね」

 そう言って笑うのを、俺は、やっぱり直視できない。

 酒が喉に沁みる。何重にも包み隠された、甘美な味を舌の上で転がす。

 空になった盃に、追加の酒は、注がれない。――まるで、少しだけ休みたい、と思っていたのが、伝わっていたかのように。

「君は、他人(ひと)のことをよく見ているね。感心するよ」

「そう、ですかね?」

「うん、気遣い上手だ」

「――僕、この間、同僚に“空気が読めてない”って怒られちゃいまして。あと、先輩の岸本さん、髪の毛切ったの、気付きました? 僕、全然分からなかったんですよね。何が変わったか分かるか、って聞かれて、答えられなくて、凄く呆れられました」

 そう言う彼に、俺は首を傾げる。

「あれ? 君、いつだったか、俺が散髪してきた次の日、すぐにそのこと、言わなかったっけ?」

「言いましたよ。だからなんですよね、“八尋さんのはすぐに分かって、どうして私の方は分からないんだ”って、岸本さんが」

「……」

「どうしてって言われても、答えられないですよね」

 きっと、彼の話には続きがあるのだろう。けれど彼はそれを言わず、図ったように――事実、図ったのだろうけれど――丁度よいタイミングで、徳利を取って、酒を注いだ。

 俺はなみなみと注がれた盃を、半ばまで持ち上げて、

「――俺だけ、特別だから、って?」

 困らせるつもりでわざとそう言った。


 この前、ここに来たのは、四月の初めごろだ。祖母の葬儀のために、地元へ帰ってきて、ついでに寄ったのだった。

 一秋とは、長く親友をやっているから、何かと相談のしやすい相手だった。その上、彼自信も、恋愛沙汰に関しては稀有な経験をしているから、こちらの話がどんなに突飛であろうと大丈夫だ、という自信があった。

 何より、俺自身が、誰かに聞いてほしかった。

 何のアドバイスもいらないから、ただ黙って、相槌を打ってくれる相手が欲しかった。

「――この間さぁ、」

「うん?」

「突然、後輩に告白されちゃって」

「へぇ、珍しい。お前もまだ寂びれてなかったんだな」

「それがさ――いくつ下なんだろう……じゅう、ご? かな? それくらい年下の子でさ」

「可愛いの?」

「うーん……まぁ……そこそこ」

「ふぅん、ならいいじゃんか。――それで、徹は一体、何をそんなに悩んでいるのかな」

 皮肉っぽい切り口が友人の十八番で。

 俺は素直に口を割る。

「……うーん……なんだろうね……久々すぎて、分からない、って言えばいいのかな」

「他人に好かれるのが?」

「うん」

「……ま、俺たち、もういい歳だもんな」

「そうなんだよねぇ……」

 その一言に尽きた。

 歳だから。

 素直に単純に生きたり、感情に従って冒険したり、ストレートに甘い恋愛をしたり、なんてことは、少々厳しい。

 それをするには、複雑な味が付きすぎた。

 虚空に呟く。

「どうしたもんかなぁ……彼、いい奴だしなぁ……」

「そっか……――ん? 待って、お前今何て言った?」

「どうしたもんかなぁ、って」

「その次」

「彼はいい奴――」

「それだ。……“彼”? 彼女じゃなくて?」

「うん。――あれ、言わなかったっけ、俺?」

「言ってねぇよ、今初めて聞いたわ」

 友人の穏やかな口調が崩れた。混乱したり興奮したりすると、彼はいつもこうなる。頭を抱えて「可愛い後輩って男かよ……」と呟き、それから、顔を上げて、

「っていうか、悩みどころはそこじゃないんだな……お前らしいっつーか、何て言うか」

 呆れたようにそう言った。


 俺は昔から、何かの“境”というものに疎くて。

 小さい頃、轢かれた野良猫のために救急車を呼んでしまって、ひどく怒られたことがある。――同じ命だと思っていたのだ。

 男女の区別も特に付けなかったから、友人は少なくなかった。――誰も、長続きはしなかったけれど。

 恋人などはほとんど、居た例がない。――境界が甘すぎると、逆に警戒されるらしい。

 だから――今、迷っている。

 彼との間に、どんな境界線を引こうか、と。


「俺だけ、特別だから、って?」

 澄まし顔を作って、酒を傾ける。アルコールの奥に、隠れた甘み。

 肩が触れるほど狭いカウンター席だ。すぐ隣で、酔ったように顔を真っ赤にした芦田が、次の瞬間、頭を抱えてカウンターに突っ伏した。

 そしてまた次の瞬間には、がばりと起き上がって、

「八尋さんって時々物凄く意地悪じゃありませんかっ?」

「そうかなぁ」

「そうです! ――まったく、もう……っ!」

「あっはっは、ごめんごめん」

 ――その、捨てられた子犬みたいな顔が見たくって、とは、口が裂けても言えない。

 お猪口の中を空にして、そろそろ帰ろうかと思った俺は、立ち上がろうとして、

「……あぁもう、かっこいいなぁ……やっぱ、好きだなぁ、八尋さん……」

 深く俯いた芦田が、音にならない声で呟いたのが、聞こえてしまった。

 それで、不意に、立てなくなった。芦田はまるで焼酎のようだ、と、何の脈絡もなく思った。お湯割りにすると美味しくて、ずっと飲んでいたくなるけれど、飲み過ぎると悲惨なことになる、焼酎のような。

 そして、割った時の美味しさに油断すると、こうなるのだ。

 ――ったく、この歳で焼酎のロックは、効きすぎる……。

「あれ、八尋さん? 大丈夫ですか、顔真っ赤ですけど」

 誰の所為だ、と思いつつ、平静を装う。

「うーん、年甲斐もなく、飲みすぎちゃったかなぁ」

「お水とか、頼みますか?」

「いや、いいよ。大丈夫だから」

「そうですか」

 ほっとしたように微笑む、芦田。

 それから、皿の上に残っていた、小さな炊き込みご飯のおにぎりを、指でつまんで、心底美味しそうに頬張って。

 米粒の付いた指先を、唇でしゃぶる。

「……吸いたいなぁ」

 思わず呟いてしまった瞬間、店主に睨まれた。

「うちは全席禁煙だぞ」

「うん、知ってる」

 平然と答えながら、カウンターに頬杖を突き、隣を見る。

 芦田が、嬉しいような困ったような照れたような、そんな複雑な表情を浮かべていた。――そう、その顔が見たいんだよ、俺は。芦田は、頬を真っ赤に染めて。それから、頭を激しく横に振ったから、きっと、“深読みするな”とか“勘違いするな”とかって、自分に言い聞かせているのだろう。それから、平静を取り戻すためか、またおにぎりを口に運んで。美味しそうに頬を緩ませて。――その顔も好きなんだよ。だから、性懲りもなくラーメン屋に連れて行ってしまう。

 やっぱり、やめられないな。

 やめる気にはなれない。

 傷付けるのも、つらい思いをさせるのも、嫌だけれど、それでも。

 ――焼酎のロックの、強すぎるアルコールの中から、甘みを探り当てるまでは。


                             おしまい

 

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