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SAKURA  作者: りょくちゃ。
8/8

最終話

カクヨムにも掲載してます。


最終話 - SAKURA - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054884402421/episodes/1177354054884468230

 休日の明けた月曜日に、卒業式が行われた。


 既に体育館は在校生で埋め尽くされていて、皆一様に来年度の話や、卒業生の話でもちきりだった。大量のパイプ椅子と、その上でうごめく、浮ついた生徒たち。関係のない人間がその場所に来たとしても、すぐに雰囲気に呑まれてしまうだろう。

 体育館の中央を貫くようにして赤いマットが敷かれていて、それはステージの手前、在校生と向かい合う形で並べられている椅子の群れに続いている。その更に前方、一番上には、自信たっぷりの字体で、卒業式開催の旨が書かれている。

 教師たちは緊張して、生徒たちは楽しんでいた。


「――……皆は良いよねー、気楽でさ」


 私のすぐ隣で、友人が言った。

 私達は卒業式の実行委員に選ばれた生贄だったので、諸々の裏方として体育館の各所に忍び込んでおかねばならなかった。

 特に私たちは大きな体育館入口の真上に、壁を這うようにして取り付けられている渡り廊下に配置されていた。

 私達の手にあるのは、大きなダンボール箱。そこに詰まっているのは、桃色の紙切れの山。


「これ、今撒いたらどうなるんだろうねえ」


 友人が言った。私は笑って、


「間違いなく、大顰蹙だよ。やめときなよ」


 と言った。

 それは紙吹雪。入場した卒業生の頭上から舞わせれば、それはまるで――。


「あのさあ、宮子」


 ……友人が、言った。


「何?」


「あんた――なんか今日、すっごい良い顔するよね。前まで暗かったのに」


 ……そんなこと、気づかなかった。


 ――笑顔。

 その言葉が私の中で反芻されて、一つの像を作り出していく。


「そう?」


「うん……なんか、良いことあったの?」


 私は、私がそんな風に振る舞える理由を知っている。

 しかしそれは、あまりにも当たり前のように、誰もが抱く思い。そして経験。そこから導き出されるもの。


 ――私は手を、紙吹雪に触れた。


 それから、友人に笑顔を向けた。いつになく自然に。


「別に……何も、変わらないよ。ほんとうに、何も」


 友人は何かを言いかけようとした。

 そこで、ざわめきを断ち切るように、校内のアナウンスが流れる。建物全体が静寂で満たされて、照明が落とされる。


『――卒業生、入場!』


 私と友人は、ダンボール箱を構えた。

 間もなく、大きな扉が開き、光がまっすぐに差し込み始める。



 叔父さんに連れられて、私は病院に向かった。


「ここは、あの子が最後の時間を過ごした場所だ」


「あの……ここに一体何があるんですか……? 私には、とても……」


「ついてきなさい」


 私は憮然として従った。


 私達は病院の自動ドアを抜けて、中に入った。

 夕方の、人の少ない時間帯である。受付付近は空いていた。


「こっちだ」


 叔父さんは迷うことなく進んだ。


 ――先輩は、絶望の中にあったあの人は、何故最期の時間になって、再び物語を綴り始めたのだろう。もはや現実は彼女を、一行も書くことが出来ないほどに追い詰めていたというのに。

 なのに何故、最期の瞬間に、書くことが出来たのだろう。

 そして何故――あんな内容を書いたのだろう。あんな、夢物語を。

 先輩は最期に――何を見たのだろう。


 私は歯を食いしばった。

 間もなく受付を過ぎて、眩しい光が直接当たるようになった。

 空間の開けたところに、大きなロビーがあった。

 その左側には、壁の全面を覆うようなガラスがある。そこから橙の光線が幾らでも入り込んでいる。

 

 鼓動を続ける心臓は、疑問の答えを探していた。

 ――先輩。

 私の人生をまるで変えてしまったあの人。あなたの読んでいる物語が、あなたの言葉が、あなたの笑顔が……全てを変えていった。もう後には戻れない。私は希望を持つということを知ってしまったのだ。

 ああ――しかし、あなたはもう居ない。それはあまりにも酷ではないか。

 だって私にとってのあなたはもう、解くことのできない、呪いのようなものなのだから。

 ――私はあなたの名前を呼び続ける。

 きっとこの先も、ずっと――だから……。



 ――昨日の、あの夕焼けの時間。

 かつて、永遠に続けばいいと願ったあの時間。

 私と先輩の全てはそこで終わって、私の全てが始まったのだ。

 

 ……扉が開いた。

 音楽が流れて、最初の一人の頭が私達から見えた――。



「――ここだよ」


 それを見た時。私は言葉を失った。


「あぁ……――あぁ、そんな……」



「さぁ宮子、始めるわよ。……――宮子?」


「……――っ」


 私の目には涙が浮かぶ。卒業生が見え始める。

 その時、目の前に広がっていた光景が、鮮やかに脳裏で蘇った。



 それは――桜だった。

 満開の桜が、窓から見える中庭に植えられていた。


 夕焼けに染まる中、桃色の花びらが舞い続けている。その色彩が、橙の光線とともに、いくつも輝いて、灰色の床を染めていく。椅子に座っている人々はその光景に魅入られて動けない。

 そして私は――。


 先輩が最後の言葉に込めたことの意味を、ようやく理解した。


『最後の私が見る、白い館の大きい窓、その夕焼けの中で見えるもの。彼女と私は手を取って、その光景を見つめる。私の全ては救われる』。


 ――先輩が書こうとした光景。

 それは、少女二人が満開の桜を見つめる、そんな場面だったのだ。その桜を通じて、少女の病は完治して、世界は希望で照らされる。もはや楽園は二人だけのものではなく、世界中全てに広がっている――……先輩が書きたかったのは、それだった。


 私は目を背けようとしたが、不可能だった。口を手で覆って、そのままヨロヨロと後退した。涙がどこまでも溢れて、止まらなかった。不思議なことに、他の誰も私のありさまを咎めなかった。私にはその桜だけが見えていた。

 そして、先輩がこの桜を見つめている――その姿を。


 ガラス越し。決して届かない場所にある、その桜。


「先輩は……」


 震える声で、誰に言うでもなく、私は絞り出した。

 それで精一杯だった。


「――……生きようと、していたんだ…………」


 ……私は、それに気付くことができなかった。身体中が震えて、内部に熱がこもった。私の頭の中で、全ての夕焼けの日々が高速で再生されていく。

 そうだ。あの日、あの人は言ったのだ。

 『一緒に桜を見ましょう』と。


 それは確かに、物語の中で、叶えられようとしていたのだ。

 先輩は、それに間に合わなかったのだ。


「先輩……先輩は……――」


 私の傍らには叔父さんが居て、言った。


「あの子は最後の力を振り絞って、君をここに導いた。きっとあの子は――君のお陰で、最後まで物語を書き続けることができたんだと思う。あの子はもう居ないが……絶望の中で死んだんじゃないと、思いたい。そして、もしそうなら……それは。君が、あの子を救っていたということだよ」


 叔父さんは私の肩に手を置いた。

 その身体は震えていた。唾を飲む音が間近に聞こえる。

 ――彼は、長い沈黙の後。


「あの子の傍にいてくれて…………ありがとう」


 嗚咽の混じる声で、言った。


 私の涙は止まらなかった。いくら止めようと思っても無駄だった。

 まるで、時間が永遠に流れ続けるかのように。


 私の目の前に桜がある。それは空色と藍色の間の僅かな時間の中で、自らの存在を叫び続けるかの如く、その花弁を踊らせ続けている――。



 卒業生が列をなして入場してくる。私はダンボール箱の中身を掴んで、宙に放った。

 紙片で作られた桜の花びらは、ひらひらと揺れ動き、下へと舞い降りていく。

 時間が緩慢になる――在校生たちの拍手が聞こえる。卒業生が出迎えられる。誰もが皆、未来に向かって進んでいく。今ようやくその一歩を踏み出したばかりだった。

 花びらは、私達の手によって、卒業生たちに降り注ぎ続けた。

 隣で友人が笑っていた。紙吹雪を舞わせるのが、なんだか楽しくて仕方がない様子だった。私も、笑おうとした――思い切り、笑おうとした。

 だけど……無理だった。結局、そのかわりに涙が浮かび始める。

 しかし今度はもう、悲しみの涙ではなかった。

 悲しみはそこにあったが、今はもっと、大きな何かのために泣いていたような気がした。

 

 満開の拍手の中で、桜色の花吹雪が舞い続ける。

 卒業生たちは胸を張って歩き続ける。

 私は、その中に含まれるはずだった人を、知っている。

 その人はもう居ない。しかし、かつては居た。

 そして今、私の中に、消えることない祝福として存在し続ける。


 私は花びらを広げた。広げ続けた。


「先輩――見えますか。届いていますか。私は居ます――ここに居ます」


 綴られてきた物語がようやくひとつの道になって、今、私の目の前を、まっすぐに照らし出そうとしていた。



 一枚の花びらが、夕焼けの桜をガラス越しに見つめる少女に届いた。

 隙間から入り込んだのだろうか。彼女のやせ衰えた手は、それをそっと掴んだ。


「――あぁ」


 小さく吐息する。

 彼女は桜の園の中に、何かを見ていた。

 その何かは、彼女以外の誰にも分からない。


「生きたいなあ――私は、もっともっと、生きたいなあ」


 ……自然と彼女は微笑んでいた。何に向けられた言葉でもなかった。


 間もなく、後方で彼女を呼ぶ声がした。

 

 彼女はその笑顔のまま振り返って、声のする方に向かっていった。


 桜は、そこにあった。



 四月になって、私は三年生になった。

 入学式を終えると、やはり校門の周辺はたくさんの桜で彩られている。今年は桜が早くに訪れて、長く居座っているらしい。こんなことは滅多にないそうだ。


「またね」


「じゃあ――また明日」


 友人に別れを告げて、私は帰路につこうとする。

 鞄の中には本と、私の書いた作品。それほど多くは必要なかった。胸にしまうことのできる、大切な物語さえあればいい。そう考えていたからだ。


 校門を出ると、私は振り返る。

 校舎の上方にある場所を見る――あそこに訪れることは、もうないだろう。


「よし――」


 私は背を向けて、道をゆく。

 その時風が吹いて、桜の木が激しく揺らめいた。

 まるで雨のように桜の花びらが舞った。

 私は目を閉じて髪の毛を押さえ込んで、それに耐え忍びながら進んだ。


 ……その途中、私は立ち止まった。

 足元に、地面に落ちたばかりの花びらがあった。

 私は少しだけ笑って、そっと手に取った。

これで完結です。

ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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