第六話
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第6話 - SAKURA - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054884402421/episodes/1177354054884461670
――『彼女は、長い入院生活に入った。そのまま体力はどんどん削れていって、身体もみるみるうちにやせ細っていった。』
それは――先輩の状況そのものだった。しかし。次の場面から、違いが現れはじめた。
『しかし、彼女はまだ生きることを諦めていなかった。彼女は必死にこの先も生きていく方法を探し出そうとし始めた。それはまるで見つからなかった。どれだけ探しても、まるで……。』
「えっ――……?」
強い、違和感。心臓が再び跳ねた。私は思わず、叔父の方を見た。
……すると彼は、静かに言った。
「それはね、館川さん…………あの子が、入院を始めてから……突然書き始めた部分なんだよ」
「――……」
――何故だろう。
私はあの時のことをはっきりと覚えている。あの日、全ては運命のままに流れていくのだということを、私と先輩ははっきりと悟った。「一緒に桜を見ましょう」と先輩は言った。しかしそれは、叶うはずのないことだとお互いに思っていたはずだった。だから先輩は、そのまま入院していったはずで――。
そこに、奇跡だってなんだって、あるはずは、なかったのに。
それなのに。
『「先輩」
入院中の私のところに来たその子は、小さく可愛らしい声で、まるで内緒のいたずらごとを教えるかのように、言った。
「私はね、魔法が使えるんです。世界中の悲しみを癒やすことの出来る魔法が」
そしてその子は――……身体に光をまとって、まるで妖精のような姿になったのだ。』
それなのに――それまでの物語は、あまりにも現実に近かったはずなのに。
『さあ、先輩――……行きましょう。あなたも、魔法が使えます。私と一緒に、世界中に笑顔の物語を届けに行きましょう。ほら――……まだまだ、絶望するには早いですよ』
物語は――あるはずもない奇跡と希望を、高らかに唄い始めたのだ。
「どうして――なんで……? こんなの……こんなの、先輩が書くはずが……」
そこからふいに、物語の調子が激変していった。現実をありのままに映し出した物語は終わりを告げて、私をモデルにしたらしき少女は魔法を使うようになり、先輩もまた同様のことが出来るようになっていた。そこから、少女曰く――世界中の人々に笑顔を届ける旅が始まったのだ。
あまりにも唐突に――物語は荒唐無稽になった。
しかし。その文体は、中身は、やはり先輩のものだった。他の誰も、そんな話を紡ぐことはできなかった。
ページを繰る度に、繰る度に、冒険譚は続いていった。
二人はその魔法を使って、多くの物語を生み出した。それは世界中の紛争やテロの現場に届けられ、実に幼稚な描写で――人々を抱腹絶倒させ、満足の笑みを浮かべさせた。二人は世界を渡っていった。度は続いた――どこまでも、どこまでも。
絶望など、なかった。
希望が、そこにあった。
……何故。
何故、先輩は唐突にそんな物語を描くようになったのだろう。わからない。困惑の中で、物語を追い続けた。
先輩は、絶望していた筈なのに。どうしてそんなことが出来たのだろう。
私は何度も叔父に聞いてみた。しかし彼は――腹ただしいほどに、何も答えてくれなかった。
冒険物語は続いた。幾千の夜をこえて、世界をいくつも渡り歩いて。二人の少女は、物語という武器で地球全てにはびこる悲しみと怒りに立ち向かっていった。文章はどこまでも荒くなっていき、表現はどこまでも常識をはみ出していった。
先輩の中にあるイマジネーションが、文章という枠組みを超えて、大いに暴れているようだった。私は闘病のさなか、命を削りながらその空想譚を綴っていく先輩を想像した。
――まさか、先輩は。
その時私の頭の中にひらめいたのは、どうして先輩がこのようなものを書いていたのか、ということだった。しかしそれは……何度も私の中で消えかかった。私の心のある部分が、その答えを必死に押さえ込んでいた。
だから私は、その閃きを表に出すことが出来なかった。苦しかった。どこまでも苦しかった。しかし、ページを繰る手は止まらなかった。一体先輩は、一日に何ページ書いたのだろうか。それさえわからないほどに、濃密だった。
物語は続いていった。
少女二人の冒険は、いよいよ佳境に入っていった。
そうして、ひとつの会話がかわされていた。
『「先輩。ここまで、長い旅を続けてきました。それでも、先輩の病気は……まだ治っていません」
彼女はそう言った。
「だからあなたは、私と一緒にある場所に行かなきゃならないんです。実はですね、その場所には先輩の病気を完全に治してくれる力が込められているんですよ。今から、その場所に向かいましょう」
私は頷いた。
そうして彼女の手を取って、共に夜の空を駆けた――。』
……そこまでだった。
そこで、物語は途切れていた。
最後のページには、次の言葉が刻まれていた。
『最後の私が見る、白い館の大きい窓、その夕焼けの中で見えるもの。彼女と私は手を取って、その光景を見つめる。私の全ては救われる』。
……そこで、終わりだった。
「……それが最後だ。それだけ書いて、あの子は……亡くなった」
「これは……」
殆ど、怒鳴るような調子で私は尋ねた。
「これは何なんですかッ!! 先輩は一体どうして、こんな無茶苦茶な物語を書いたんですか!! こんなの……まるで今までの先輩と違う……現実はここにはない、こんなの、こんなのまやかしです……一体、一体何のためにっ……」
私の目に、また涙が浮かびそうになった。叔父に食い下がって、我に返った。そのままずるずると、座り込む。
――外にはすっかり夕焼けが広がっていて、海は光の粒を表面いっぱいに広げている。光の帯はその瞬きの様相を瞬間ごとに変えて、部屋全体に差し込んでくる。座り込む私の左半分に、長い長い影がさす。――部屋の中は、腹立たしいほどに温かかった。
「少し……出かけようか」
思わず、聞き返す。
「えっ……?」
叔父は、そっと返答した。
「――あの子の、最後の言葉。私には多分、場所が分かるよ。今から、その場所に行こう。まだ日が暮れるまでは、時間がある」
その笑顔は――本当に、先輩に似ていた。
叔父の車に乗せられて、私たちは夕焼けの道を移動した。頭の中にはまだあの物語の狂騒の残滓があって、それは私を大いに混乱させていた。
「……先輩」
そっと、声に出してみる。
答えは返って来ない。
「あなたは最後に……何を見たんですか」
しばらくして。
「――到着だ」
車は停車した。
「えっ……」
そこは、病院だった。
――私はその場所で、全てを理解したのだった。
次回、最終回です。