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SAKURA  作者: りょくちゃ。
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第五話

カクヨムにも掲載してます。


第5話 - SAKURA - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054884402421/episodes/1177354054884455802

 そこは、海沿いの小さな一軒家だった。

 小高い丘の上にぽつんと立っていて、西側のバルコニーからはきらきらときらめく海原が見られるようになっていた。

 玄関の階段を二段登ってチャイムを鳴らす。そこからしばらくして、白い大きな扉がゆっくりと開く。


「……ああ、どうも」


 出てきたのは、セーターとニット帽の、白い口髭を生やした穏やかそうな男だった。

 彼は家の中に案内してくれた。木造の、ログハウス風の室内。感じの良い調度品がならんで、暖炉には火が燃えている。そこには夕陽が差し込んでいて、大きな窓の向こうでは、海がきらきらときらめいていた。

 私は、彼に言われるままにチェアに腰掛けて、向かい合った。

 彼は言った。


「ここは海と夕日の他に何も見えないだろう。季節が変わっても見えるものが変わらないこの景色を、あの子は愛していたよ……まるで世界の果てみたいだ、ってね」


 彼は――先輩の叔父は、そう言って肩をすくめてウインクした。その仕草には、どこかあの人と通じるような部分があった。


「君のことは、あの子から何度も聞いていた。……知っていたかね?」


「……いえ」


  彼は、私を呼んだ理由をまだ言わなかった。それから私を書斎に案内してくれた。


 そこには沢山の本がきれいに並べられていた。まるで本の林だった。その光景を見れば、私の心も何かを感じずにいられない。――それは、胸がチクリと痛む、ということだが。


「あの子は私の家に来ると、必ずここに入り浸っていてね。それはもう必死の有様だった。ものすごい量の本を、ジャンル問わず、とにかく読みまくっていたよ。一度そうなれば、私もなかなか止められなかった。おやつで釣るしかなかった」


 彼はそう言って笑った。私の目の前にその光景を想像した。それは未だに、ハッキリと想像出来た。――要はそれだけ、先輩のことがまだ忘れられないということだった。


「あの子の本好きは、私によって形成されたのかもしれないね。そして……読むようになった次の行動といえば、これだ」


 彼は私に、ぼろぼろのノートを見せてくれた。そこには先輩の名前と、何らかのタイトルがつけられていた。

 それは物語だった――間違いなく、先輩によって書かれた物語だった。

 しかし、あまりにも稚拙だった。これが本当に先輩の書いたものか――私は大きく驚いた。彼は教えてくれた。


「はじめは、それだけ下手だった。しかし、挫けずに何度も私に感想を乞うたよ。そうなればもう、みるみるうちに上手になっていった」


 その様子も――ありありと、想像できた。

 あまりにも、ありありと。それがつらかった。私は静かに膝を下ろして、ページをめくっていった。――彼は、声をかけるのをやめた。

 ……先輩の綴る物語は、日付が現在に近づくにつれて、どんどん上達していった次第に非現実の輝きを帯び、語っているものが迫真性を増していった。私は読んだ、読んでいった。

 しかし――その度に辛くなっていった。日付が新しくなる度に、私の身体の中で何かが悲鳴を上げた。それを押しとどめるのに必死だった。

 やがて私は、もう何も読めなくなった。彼に詫びを入れて、ノートを返却した。

 そして、下を俯きながら、静かに彼に聞いた。

 ……何故、私を呼んだのか、と。

 彼を責める意図はなかった。

 しかし、眠りつつあったものが再び呼び覚まされたのは事実だった。そのままでいれば、私はこの先の現実に折り合いをつけてやっていけていたかもしれないのに。もう、忘れられなくなってしまった。あの人のことが。

 ……運命に抗えぬまま死んでしまった、あの人のことが。


 だから、聞かずには居られなかった。

 これ以上私に、何を見せようというのか、と。


 彼はそこで、静かに笑みを浮かべた。

 先輩にそっくりな表情だった。


「……君に、これを見せたくて、呼んだんだ」


 そうして彼は、まだ新しく見える一冊のノートを私に渡した。それは先程までのものよりもいくらか上等のものだった。金の刺繍が施された糸綴じのノート。

 私はそこに何が書かれているのかを、彼に問うた。

 すると彼は言った。


「それは……あの子が君に見せるために……書き続けていた物語だよ」


 私は驚いた。――……そういえば、何かを言っていた。自分はずっと書き続けているものがある、と。

 そして――あの日、書けなくなった、と言ったのも。それについてのことだったのだ。


 私はハッとしてページを捲る。


 すると、最初のページにタイトルがあった。

 そこにはこうあった。

『私の人生の物語』と――。


 ……そこに描かれていたのは、一人の少女の人生、その全てだった。

 要約すると、次のような内容だった。



 幼少期、『彼女』はまっさらな人間だった。無垢そのものだった。


 身の回り全てのものに興味を持って、その全てを吸収していった。無限の優しさと強さを秘めていて、両親も、誰も彼も、彼女のことを天使のようだと褒め称えた。彼女はそうして全てのものを吸収していった。その、無垢さそのままに。その頃の彼女はまだ、温室の中に居るようになった。


 しかし、やがて成長していって、彼女は少しずつ、自分の中にあるズレのようなものに気付き始めていた。

 それは、彼女のあどけない『何故』という言葉で説明されるようになった。彼女は日常生活の中に噴出する色々なものに『何故』を唱えるようになった。

 何故、鳥は空をとぶのか。何故、花は咲くと枯れるのか。何故、生き物が死ぬと悲しいのか――両親や周囲の人々はその度に彼女に、そのすべてを説明した。それは大変な苦労であるようだったが、その何故が解きほぐされていく度に、彼女は一段と、また一段と聡明になっていったのだ。

 周囲にとってそれは喜ばしいことだった。その時は。そのまま彼女は可憐で純粋な一人の少女へと成長していくはずだった。


 ――しかし、そこで転機が訪れる。ある時彼女は両親が口論している場面を発見した。実は元々、両親は彼女が世界を見つめる裏で何度も衝突を繰り返していたのだ。二人の間にある愛は、とうに冷めていた。

 それを子供に見せつけるまいという自制心は働いていた。けれど、その日、彼女は見てしまった。父親が、母親に暴力を働いている場面を。怒声と泣き声が交差する、その場面を。――彼女の中に、どれだけの衝撃があったのかはわからない。雷が落ちたような感覚を彼女は覚えた。そして彼女は部屋に入っていって、ただただ尋ねた。いささか、もつれ気味に。


「ねえ、どうしてパパは、ママを殴っているの」「ねえ、どうしてママは泣いているの」。


 しかしその時――二人は真実を教えてくれなかった。母はなんでもないという言葉を繰り返した。そして父は、ただこう言った。


「いいか。お前は何も見ていない――お前は疑問を抱くな。お前が見ているものは、現実なんかじゃない――ただ、目を瞑って耳をふさいでいろ。分かったな」


 間もなく両親は、離婚した。父は去って、母は残った。そして母は、酒浸りの毎日を送るようになった。


 彼女はそれからというもの、ますます『何故』ということを数多く思うようになった。


 世界のすべてが、何故、だらけであるように思えた。なんにも疑いを持たずに生きていけた時代は、とうに終わっていた。彼女は両親が離婚したことで学校でいじめを受けるようになった。怖い大人が沢山家に来るのを目撃するようになった。

 何故皆は私をいじめるのだろう。何故この人達はお母さんを盛んにどやしつけるのだろう。何故、何故、なぜ――。


 彼女は疲弊した。そしていつからか、逃避先を見つけだそうとするようになった。それはあっさりと見つかった。彼女が好きだった叔父の家に、それはあった。


 沢山の本。そして、物語の数々。そこには空想の世界があって、もう一つの現実があった。突拍子もない、奇想天外な物語もあれば、現実に起こりそうな事柄を描いた物語もあった。

 しかしながら、いずれにしても、それらはもう一つの現実には違いなく、実際の現実よりもずっと秩序があって、調和が感じられた――そんな世界が広がっていた。まるでそれは、彼女が幼少期に感じていた世界――愛と平和に溢れた素晴らしい世界であるようだった。


 彼女を取り巻く環境はそれからも厳しいものが続いていたが、彼女は本の世界にますますのめり込むようになった。『何故』ではどうしようもない何かに出会った時、彼女は本の中へと飛び込んだ。そうして、現実に対して立ち向かうための、何かしらの距離を保つための心の基盤を作り出すことが出来るようになっていった。


 ――やがて彼女は、自ら物語を綴るようになった。それは、多くの人々に見せることを前提にしていない、ごくプライベートな内容だった。しかしそこにあるのは、彼女が理想とした世界の描写だった。

 そこには優しさも厳しさもあったが、夢と希望があった。秩序があった。彼女はそれらの世界を作り出すことに、全てを注いでいくようになった。


 ――年月を経て、彼女は美しく成長していった。それは彼女の努力によってもたらされたものだった。全ては本を読むこと、書くことと同様に、現実に負けないための彼女なりの工夫だった。彼女はますます、自分の世界を強固にすることに激しくこだわるようになっていった。

 だが、月日が経過して歳を重ねるごとに、現実の厳しさは可視化されていって、彼女はそれに苦しめられるようになっていった。

 いくら自分の周囲を安らぎで覆っても、世の中にはどうしようもないことがあまりにも多すぎた。テレビのニュースを点ければ、自分の哲学では思いもよらないようなことが幾らでも映っていた。自分では、何も出来ない――しかし彼女は、踏ん張った。心が折れそうになるギリギリのところで、いつも戦っていた。


 ――彼女には仲間ができた。それは年下の後輩だったが、同じように、ここにはない何かを求めて、本の世界にのめり込んでいった少女だった。二人が共感を覚えるのにはそう長い時間は要さなかった。

 後輩は彼女に希望と気力をくれたし、彼女は後輩に様々な示唆を与えた。そうして、二人の世界を作り出して、大切なものを守っていこうと……そんな風に、この先の道を見出そうと考えていた。


 しかし、その矢先に――『彼女』に、とある病巣が見つかった。それはどうしようもないほどの難病であり、現代の医療技術では決して治すことが出来ないものだった。

 彼女は目の前が真っ暗になり、足元に大きな穴が空くような気持ちになった。

 それまでなんとか支えていた自分というものが、一気に崩れ去ろうとしていた。

 ――その病気のことは、後輩には言わなかった。

 そのまま、日々を過ごしていった。


 それからも彼女は、読書と執筆を続けた。それはもはや現実に立ち向かうことではなく、現実からの逃避のごとく行われていった。本にのめり込んで、執筆に熱を上げる度に――そこに一抹の喜びを感じる度に、彼女はその裏で苦しんで、絶望した。そこには自分では絶対に変えることのできない、大きな運命の波があった。

 それを自覚すると、彼女は更に自分の行動に熱を入れていった。……月日は、まるで臨界点に向かうかのように、延々と加速し続けた。


 彼女は、自分を支えてくれる後輩に対して、ギリギリまで何も言わなかった。言いたくなかった。彼女には自分のようになってほしくなかった。

 しかし――何も知らないまま、騙し続けているというのは……現実に対抗する力をじわじわとなくしていくことではないのか。彼女は葛藤し続けた。後輩には、幼少期の自分と同じような目にあってほしくなかったのだ。


 自分を騙して、折れそうになる心をぎりぎりまで支えて、彼女は彼女の世界に入り込み続けた。しかし、それは日に日に困難になっていった。少しずつ、彼女の中の希望は失われていった。そしてとうとう――彼女は、倒れてしまったのだった。


 ……そうしていよいよ、逆らうことの出来ない運命が、目の前に迫っていたのである。彼女はこれまでの全てを振り返って、そのすべてを公開した。

 無駄だった。――何もかもが、無駄だった。

 そう思うと、涙さえ出なかった。

 ……彼女は、そのまま全ての現実に対して無気力となり、ただ死を待つだけの抜け殻となるのだった。


 

 ……そんな内容で、断筆されていた。


 ……私は読み終えて、呆然とした。登場人物の名は仮の名前だったが、それが私と先輩のことを示しているのは明白だった。

 それまでの先輩の物語は、古めかしい空想の要素が十分に取り入れられていたものだが、そこにあったのは、現実そのものだった。それは自伝的小説、などという言葉で片付けられるものではない。彼女が感じてきた全てがそこにあった。


 言葉が出なかった。出るはずもなかった。ただ、私の心は深く深く沈んでいくだけだった。それは彼女の最後の記録だったのだから。

 ああ――あの人は、結局、全てを諦めたまま死んでしまったのだ。現実に対して、何も出来ないまま。


 運命が、全てを飲み込んでしまったのだ。


「ああ――あなたはやっぱり、勝てなかったんですね」


 私はただ、そう言った。

「……先輩」


 私はその場で、崩れ落ちそうになった。

 ――しかし。

 しかし、叔父さんは。


「……たしかに、一度、そこで内容は途切れている。そこで、一度あの子は断筆した。それ以上、書けないと思ってね。――でもね」


 しっかりと、一音一音を明確に言った。


「あの子はそのノートを……最後の病室に、持ち込んだんだよ」


 ――私の心臓は強く跳ねた。

 ……持ち込んだ? 

 あれだけ憔悴しているのは明白だったのに。ノートを持ち込んだ? 一度筆を折ったのに……。


「その先のページをめくってみなさい。そうすれば……きっと、全てがわかるようになる。あの子のすべてが」


 ……私は導かれるままに、ページを捲った。

 彼女の最後の言葉が刻まれた部分から、次のページ。

 白紙だった。

 それをめくった。

 すると、そこには――。


 新たな物語が、刻まれていた。

 字は今までよりもずっと荒く、線を何度もはみ出していた。作文を覚えたばかりの子供が、衝動のままに書きなぐったような筆跡だった。


「これは……」


 私は、そこからの物語を読み始めた。

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