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SAKURA  作者: りょくちゃ。
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第四話

カクヨムにも掲載してます。

第4話 - SAKURA - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054884402421/episodes/1177354054884440306

 ――先輩は保健室に運び込まれて、ベッドに寝かされた。

 先生は私達を見た。それから、私を怒鳴った。

 それは、私にこの事態を止められなかったことを咎めているのではなかった。


 もう二度と、屋上には行くな――そう、告げられた。


「…………」


 ストーブのほのなかにおい。窓の外の荒涼とした藍色の景色。張り付いた結露。

 目が覚めた先輩は、シーツの上で所在なく手を置いていた。そこから動かなかった。額に張り付いていた髪が緊張を失って、鼻の前に動いた。

 私は、先輩の前に座っている。彼女が言葉を放つのを、待っている。


 ――それから、五分以上経過して。


「私とあなたの間に、あの屋上で行われたこと以上の事情は――介在させたくなかった。それが私の、一番守りたかったこと」


 先輩は口を開いた。その手が、ベッドの上で軽く組まれる。その指の動きは、彼女の言葉以上に多くを語っているようだった。


「私はずっと――身体が弱かった。思うように動けない。外で遊んだりも、ろくに出来やしなかった。……そんな私が、家の中でやることを探すのは、当然の成り行きだった。だから、本に出会った」


 私は聞いている。

 聞くことしか出来ない。


「――あのね、宮子。……私は、ある病気にかかっているの。ひどく難しい病気。ここでその症状について語ることは出来るけど……私はそれを言いたくないし、あなたも聞きたくない。そうよね?」


 先輩は薄い笑みを浮かべて私を見た。私は力なく頷くしかできない。

 ――まるで身体の中からすべての力が抜け落ちていくようだった。懸命に保持していた何かが、一瞬で崩れ去るような。それは徒労とでも表現できそうな脱力感、無力感だった。 


「いずれ、どこかで……こんな風に身体が言うことをきかなくなることは、分かっていたの。でも、その事実を直視することは出来なかった」

 先輩は続ける。


「だから私は――迫り来る現実に対して、ひたすらに戦っていくことしかできなかった。身体はどんどん傷だらけになっていくのに、それを見ないようにして。私はひたすらに読んだ。書いた。自分の世界に没頭した。あなたが、そうしていたように。いや、もしかしたら……それ以上に、病的に」


 そこで先輩は言葉を切って俯いた。

 それから――小さく、喉に引っかかるような声が連続して聞こえてくる。今保健室で聞こえているのは、針の音とその声だけだ。

 先輩は、泣いていた。指先は震えて、雫は膝の上のシーツをぽたぽたと濡らす。

 私は先輩に手を伸ばそうとした――しかし、出来なかった。

 こんなに近くにいるのに、まるで届きそうもなかった。


「以前から、ずっと以前から……書き続けてきたものがあるの。そこに、自分のすべてを込めてみようと思った。それが、まるで、まるで書けなくなったのよ。私はそれを書くことで、なんとか生きていけたのに。自分の体のことを考えれば考える程、書けなくなっていった……それでも騙し騙し、続けていたけど…………」


 そこで、声が少しだけ大きくなった。殆ど、泣き叫ぶ、に近かった。私以外、聞く者は誰も居ない。


「もう、間に合わない。間に合いや、しないのよ。現実が、私の世界を飛び越えて、私をそのまま刈り取りに来た――」


 そうして先輩は――言い放った。

 私の頭の中は、爆弾が炸裂したように真っ白に染まった。


「春が来る前に――私は、死ぬのよ」


 そうして先輩は、身体を折り曲げて、膝の上に頭をくっつけて泣き始めた。まるで赤子のように。脇目も振らずに、いかなる恥じらいもかなぐり捨てて――泣いた。泣き続けた。


 ……私には、どうすることも出来なかった。

 知らなかった。それだけのものを先輩が抱えていたということを、ついに私は何一つ知らなかった。――先輩が私などよりもずっと繊細で、ずっと弱くて……ずっと現実に対して戦い続けていたということ。私はただ、甘えていただけだったのだ。

 頭の中で、様々な考えが渦を巻く。考えれば考えるほど、分からなくなっていった。

 何が出来る。私に、何が出来るのだろう――もはや、先輩が自分に何一つ打ち明けなかったことは、どうでも良くなっていた。きっと打ち明けてしまえば、何もかもが崩れ去る……きっと、そう考えたのだろうから。

 先輩は泣き続ける。私は考える。きっと状況を変える力はない。現実はいつだって、何よりも強い。まるで濁流のように、私達をへし折って、押し流してしまう。

 それでも――。


 私は、先輩と出会う前の自分を振り返った。

 何の力も持たず、手に持った物語のいずれも信じることのできなかった――惨めで哀れだった自分を。

 しかし、それは先輩と出会うことで変わった。私は自分のやっていることが間違いでないと信じられるようになった。そこから全てが変わっていった。私はこのどうしようもない現実と、なんとか折り合いがつけられるようになったし……将来のことを考えた時に起こるあの恐怖にも立ち向かうことが出来るようになっていたのだ。

 私はそうやって、先輩に色んな物を貰った。

 ……願わくば、それは――先輩にとっても、同様であってほしかった。

 あの夕焼けの屋上――私達二人が見ているものは、きっと平等だった筈だから。


 ……私が言うべきことは、そう多くない。

 唇を噛んで、拳を握った。それから、シーツをつかむ先輩の手の上に、そっと自分の手を重ねた。


「……先輩」


 私は努めて静かに、泣き続ける先輩に声をかける。

 先輩は声を上げるのを止めた。

 それからしばらく経ってから、顔を上げた。空いているほうの手で、ごしごしと目の涙を拭った。

 濡れた顔のまま、目尻の下がった顔のまま、先輩は私を見た。すがるような目だった。

 私は――静かに言った。


「私……何も出来ることなんてないって思ってました。多分今も、どこかで思ってるんだと思います。この現実には――何も勝てやしないんだって」


「……」


「でも私は……先輩と出会ってから変わったんです。たしかに現実はずっと厳しくて、何度も私達を滅ぼそうと襲い掛かってくる。だけど、私達には、私達が作り上げてきたものがある……世界がある。だから、そんな簡単に、何もかもを諦めちゃいけないんだって。そう思うようになったんです。――全部、全部……先輩のおかげなんです。私みたいな、甘い立場に居る人間が言うのはおかしいんでしょうけど……私はこの先が、三年生になってからが怖くて仕方ない。でも私は、それでもなんとかやっていこうと思って、それで……」


 言葉がもつれた。あれだけ頭の中で考えたのに、何も出てきてくれない。あれだけ沢山の本を読んできたのに、書いてきたのに、先輩に言うべき最適の言葉が、まるで見つかってくれない。

 いつしか私の目にも涙が溜まり始めて、先輩よりもみっともない顔になり始めていた。

 それでも――それでも。

 どれだけ無様な姿に成り果てても、伝えたいことがあった。届いて欲しい願いがあった。全ては、先輩への恩返しだった。

 それがいかなる効果を生むのかなんて、二の次だった。

 私達は確かにあの屋上で、世界を二人占めしていた。その事実だけは、絶対に永遠の筈だから……だから、私は。


「宮子……」


「だから、先輩っ…………」


 私は先輩の肩にすがりつく。涙が服を濡らして、しみこんでいく。

「死ぬなんて…………言わないでくださいよぉ…………っ」


「――……」


 先輩は、そこで黙った。何かを感じ取ってくれたのだろうか。

 その手は私の背中に回されて、優しく撫で始めた。

 先輩の身体は、冷たいのに、芯から暖かかった。


 私は震えて、泣き続けていた。

 先輩は完全に泣き止んで、まるで火が消えたかのように静まっていた。


「ありがとう…………」


 それでも、その声は私に届いていた。


「ありがとう、宮子…………本当に、本当に…………」


 ――その日以降、私達が放課後、屋上に上がることはなくなった。

 春はもうすぐそこまで来ていた。

 何もかもが新しくなる頃、それまでのものは全て、滅び去る運命だった。



 先輩の容態は悪化して、間もなく入院することになっていた。

 その顔はやつれて、ますます青白くなっていた。

 ……私が最後に会ったのは、入院の前日だった。その先どうなるかは、わからないとのことだった。


「――……先輩」


 ひどく憔悴しているものの、先輩の瞳には、少しだけ光が宿っているようだった。それは私にとって救いであったし、先輩にとってもそうであってほしかった。


「私。――……やれるだけ、やってみるわ」


 先輩はそう言った。

 私は、頷くことしか出来なかった。


 既に、3月になっていた。

 私は、この先の進路を大幅に変えようと思っていた。

 友人が、受験をやめて就職することに決めていた。担任の先生が辞めることになっていた。

私は、密かに持っていた作家という夢を諦めようとしていた。


 全ては、変わっていく。

 先輩のその後のことは、考えないようにした。


「宮子の、おかげよ」


 先輩の手が、また重ねられた。

 ……随分と痩せていて、冷たかった。


「そんな……私は」


「随分……大人になったわね、宮子」


「色んなことに、踏ん切りが付くようになっただけです。昔の私なら多分、嫌がってたと思います」


「そう……そうよね」


 私は言った。その言葉だけで十分だった。

 どうやら他の言葉は見当たらなかった。


「――負けないで、くださいね。先輩」


 先輩は――また、いつもの笑顔を浮かべた。

 相変わらず、染み渡るような表情だった。


「えぇ――……一緒に、桜を見ましょう」



 ――結果的に言えば、それが最後のやりとりになった。

 一週間ほどして、先輩の訃報が届いた。

 ……私は、さほど驚かなかった。

 誰も居ない屋上を訪れても、何も思うことはなかった。


 運命というものは変わらないし、現実というものは何一つ変わらない。そんな言葉への、鈍い気付きが心を過ぎっただけだった。先輩が倒れてからずっと思ってきたことが、明確な形を得ただけだった。


 私は本を読むのをやめたし、物語を紡ぐのもやめた。もはやその必要を感じなかった。


 ――気付けば卒業式の予行演習は終わっていて、週明けに本番があった。

 そこには騒がしい現実の日常がある。


 私は相変わらず、春のことを――先輩が居るはずだった未来のことを思えば心を乱されていた。しかしそれは、実態のない何かに脅かされているようなものであって、やがて鎮静化していくように思われた。


 案外、それも悪くないかもしれないな――私はうまく笑えなくなっていたけれど、そう思った。思っていた。


 ……帰宅して、一通の手紙の存在に気付くまでは。


『館川宮子様。生前の姪、玲のことについて、お伝えしたいことがあります。つきましては、どうか私とお会い出来ませんでしょうか――早坂修一』

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