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SAKURA  作者: りょくちゃ。
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第二話

カクヨムにも掲載してます。


第2話 - SAKURA - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054884402421/episodes/1177354054884415717

 小学校、中学、高校と年齢を重ねていくに連れて、私は現実の様々なそぞろごとに対して、ある種の反抗心を持つようになった。

 それは良いように言えば反骨心とか、そういう言い方になるのかもしれないが、実際はこれから先に対する大きな不安であり、恐怖だった。


 私がそこから逃げるため――自分を守るためにとった行動は、本の世界に行くことだった。

 たくさんの本を、物語を読んで、更にそこでの経験をもとにして、自分でも物語を綴っていく。そうすることで、私は現実に対して一つのオブセッションを得ることが出来るようになっていった。


 しかし、それでも時として――何かから逃げ出したくなる瞬間というものはある。

 そんな時私は、学校の屋上へと一人逃げていった。そこで、本と向き合う孤独な時間を過ごそうとした。


 そこで出会ったのが、先輩――早坂玲だった。

 先輩は屋上で唯一人、文芸部にも入らず、本にまみれていた。

 長い黒髪と、ほっそりした白い四肢。切れ長の目。

 どの科目においても優秀、教師からも一目置かれる存在。ただし、身体だけは弱くて。いつも体育の授業は欠席。しかし、誰も咎めるものは居ない。彼女は彼女として、完全に独立していたから。

 ――先輩はすべてが、他の人と違っていた。しかし彼女のそれらの武装は、現実から身を守るための手段だった。


 そう――先輩もまた、私と同じように現実の何かから自分を守るために本の世界に来た人間だったのだ。ただし、先輩に関しては、私よりも、何倍もなんでも上手にできて、しっかり物事を考えられていたけれど。

 とにかく先輩も私と同じようなものを抱えていた人間であって、屋上で出会って以来、すぐに親しくなったのだった。


 先輩は私よりもずっと多くの本を知っていて、とりわけフランスやドイツの古典作品などについて詳しかった。

 聞いてみれば、それらの作品には健康な香りがなくて素敵だ、と言った。

 酒に溺れて死んだ男や、同性愛を非難されて自殺した奴など――ろくでもない奴ばかり。しかし、そんな彼らの綴る言葉が、美しくて仕方ないのだ、と。

 なるほど、私は随分とそれに共感した。私が読んでいたのは明治や大正の日本の、現実と格闘することで築かれていった私小説の数々であったが、そこに先輩からの影響で、それら海外古典が加わるようになった。


 先輩は本当に色んな本を知っていた。私と先輩の読書の時間は、どこか二人だけで秘密の花園を抱えているようで、どこか後ろめたくって、でも最高に楽しくて素敵だった。先生に見つかって怒られたことも、楽しい思い出だった。

 私達はお互いのプライベートについての話をあまりしなかった。しかし、現実に対するものとして物語がある、という理解を共有出来ていたということだけで十分だった。


 やがて先輩は私に、実は自分も文章を書いているのだということを教えてくれた。そして、自分の綴っている物語を教えてくれた。それは古風な旧仮名遣いで書かれた物語だった。


 ――驚いた。私が書こうとしていてなかなか書けなかった境地に、あっさりと到達してみせていたからだ。

 それは完全なる非現実の物語だった。あらゆるところで世界が破綻し、そこから様々なめくるめく退廃的な光景が繰り広げられる。描写には先輩が読んできた様々な物語の影響が感じられた。それは言ってしまえば、血生臭くって不条理な童話、というべきものだった。先輩は自分の感じたもの、読んできたものを完全に昇華していた。そこに、現実の生々しいものは一切なかった。


 しかし同時にそこには、強烈な怒りや苦しみが刻印されていた。

先輩は言った。これは自らの現実への怒りの書なのだ、と。なるほど確かにそう思った。先輩がどのような現実を生きていたのか、私は知らない。

 でも、それはたしかに先輩のすべてが詰まっていて、それがあるからこそ先輩は現実に対して何かを構えることが出来ているように思われた。



 ……しかし、今思えばそれは、私の理想像を押し付けているに過ぎなくって、先輩は私と同じくらい、もしくはそれよりも……傷だらけだったのだ。


 季節は12月――屋上から見える夕焼けも、乾いた空気のせいで少し霞んで見えるようになっていた。

 私と先輩は給水塔の裏側に座り、そんな空模様を見ていた。

 気温はぐっと低かったが、私達は一つのマフラーで互いの首を包み、密着していたために、凍えるほどではなかった。私の手に先輩の指が重ねられて、私の肩の傍に先輩の肩がある。鼻の先はいちごのように赤くなって、吐く息は白く、生み出す度に空へと上っていった。


「ね、先輩」


 私はかたわらの彼女に声をかける。

 言葉はなかったが、彼女はマフラーの中で頭を動かして私に視線を投げた。長い睫毛。憂いのこもった瞳。

 ――どこかでひとつ、鳥の鳴き声。冬空を切り裂いた。


「先輩の読ませてくれたやつ……良かったです。すっごく」


「――そう」


 先輩は瞳をそらして、空を見つめた。先輩のあたたかさが私に触れた。


「あれがあれば……先輩、どんなことにだって、勝てますよ」


 私は本心からそう言った。私達の間柄で、嘘やおためごかしはご法度だったから。

 本当に、そう思った――先輩の書いたものには、現実に立ち向かうための何かが込められていると、そう思ったから。

 でも先輩は……ゆっくりと顔を俯けて、言ったのだ。


「そんな立派なものじゃ、ないわ……」


 先輩の目が伏されて、髪の下が影で覆われた。

 私はその顔を覗き込んで、囁くように尋ねる。


「――先輩……?」


 すると先輩は目を見開いて、居眠りから目覚めたように顔を上げた。

 それから私を見て、いつも通りの――染み渡るような笑顔を浮かべて、言った。


「ううん。…………なんでもない。ありがとうね、宮子」


 その表情が、あまりにも綺麗で、かわいくて――でも、いつも通りだったから。

 私はその、あるがままを、受け入れてしまっていた。

 

 

 でも、今にして思えば。

 その裏側に秘められたものを、私は感じ取っておくべきだったのだ。

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