始まりはコーヒー
「俺と付き合わない?」
私よりも後に給湯室に入ってきた彼。
「俺もコーヒーいただいていいですか?」
そう先ほど声をかけてきた時と全く同じ口調のそれに、私の目はパチパチと動かされた。
漂うコーヒーの香り。
給湯室には私と彼以外、誰もいない。
何も言えないまま、
とりあえず手に持っていた紙コップを元の場所に戻す。
「……え?」
やっと声が出たとき彼は私が作ったコーヒーを飲んだ。
コーヒーとは違う、別の苦い香りがした。
速水至。29歳。
黒い髪、左分けで所々にある長い髪が、彼の目にかかる。
のぞく左目尻には小さなほくろがあって、
身にまとうコーヒーの匂いとか、少しだけ苦い香りが特徴的な大人の人……。
「で?
そんな容姿端麗で性格もよくて、
社内で噂にもなるほどの人がみのりに告白してきたと。」
「うん……。」
濡れた髪をふこうと頭にかぶっていたタオルを私は肩にかけ、ベッドに腰かけた。
「お願いします!って返事した?」
「す、するわけないじゃん!
御見それしましたって言ってすぐ仕事戻ったよ!」
勢いよく飛び出した言葉と共に、肩にかけていたタオルが勢いよく床へと落ちる。
「勿体なーい。
とりあえず付き合ってみればいいのに。」
今の口調からするに、彼女は電話の向こうで頬を膨らませているのであろう。
「…私なんかに釣り合わないでしょ。
それにその時しか話したことないし。」
「そうかな~、みのりは考えすぎだよ。
その分これから好きになる可能性だってあるじゃん?
最初から決めつけるのはよくないって~、連絡先だけでも明日聞いてみたら?
話したことないのに、
どうして好きになったのかとか理由も気になってるでしょ?」
「う~ん。
そりゃなんで私にそんなこと言ったのか気になってるけど……。」
渋った声を出して一旦言葉を切ると、私はまた口を開いた。
「でもそういう人気の渦中にある人、
私が苦手に思ってること遥なら知ってるでしょ?」
やれやれまた始まった。
そう言いたげな短いため息が、携帯の向こうから一つ。
「みのりはそういう子だよね、昔なじみの私はよく知ってる…。
だけどね、
多くの人に好かれているみんながみんな、あの人と同じって訳じゃないよ。 」
彼女の低い声が私の胸の中にずしんと響く。
「まぁそれも昔の話だね。」
私はうん。と短く返事する。
「速水さんのこと苦手に思ってるのは分かったから、
対応だけは間違えないようにね。
みのりはいろいろ不器用なんだから。」
「……ありがと、遥。」
床に落ちたタオルを私は優しく拾った。