地上へ
薄暗い路地にヒールの音が響き渡る。
女はいつもなら綺麗に整えている赤髪を振り乱し、走り続けた。
呼吸に限界を感じると柱の影に張り付いて座り込む。
「…まいた?」
荒い息を抑えると、走って来た道を覗き込んだ。
「俺をまけると思うかカナン」
「えっ…M-A!!どうして…!!」
予想とは反対側から自分を探している男が現れた。
女はへたり込むとがくがくと震え出す。
M-Aは冷たく女を見下ろしゆっくりと近付いた。
「お前やな。コーシのことを付け回しては変な噂ばらまいとるんは」
「だって…!!コーシが悪いんじゃない!!しかもあんな得体の知れない女を…よりによってサキの家にあげるなんて!!」
女は震えながらもキッとM-Aを睨みつけた。
「どうしてサキもあんたも!!あたしには興味すら無かったのに、あの女は特別扱いなの!?」
M-Aは面倒くさそうに頭をかくと更に一歩、女に近付いた。
「あー、お前とコーシはとっくに別れたって聞いたで?」
「あたしは認めてないわ!!大体遊びはお互い様じゃない!!せっかくサキに近くなったのに勝手に別れるなんて!!」
女は醜悪な顔で叫んでいる。
M-Aは冷たく光る漆黒の瞳を物騒に細めた。
「だからってコーシがシェルターの外から女を調達してるだとか、その女は人とは思えない整った顔形だからどこかで買ってきたとか、最悪な噂流したんかい。
コーシの力作にワームをばら撒いたり嫌がらせさせてたんもお前がやらせたんやてなぁ!!」
「!!」
M-Aは苦いため息を着くと青ざめる女との距離を一気に詰めた。
「ふざけが過ぎたな。俺もサキも、元々お前みたいな性悪女に興味はないんや。
お前はサキに近付く為にコーシにちょっかいかけたんやろ?コーシかて分かっとる。
遊ばれてほっとかれたからって逆恨みすんなや」
至近距離で凄まれると、女はヒステリックに泣き出した。
「なっ…なによっ…!!許さないから!!あの女!!全部あいつのせいで…」
「アホ抜かせ!!お嬢ちゃんは全く関係ないやろが!お前のせいで事態がややこしなったんや。これはサキに報告する。裁きは後日や」
女は今度こそ泣き崩れるとその場に突っ伏して動かなくなった。
M-Aはやれやれと肩を落とすと女を放置してその場を去った。
「あながち間違った噂でもないからややこしなったっちゅーの」
一人ごちると、煙草に火を付ける。
「とんだところで足をすくわれたな。タイミングも悪過ぎや。あー、サキ早く帰ってこーへんかな。全部押し付けたんのに…」
煙と一緒にため息を吐き出すと、M-Aはのそりと動き出した。
ーーー
「コーシ速い速ーい!!」
「おいっ!!落ちるぞ!?ちゃんとつかまっとけ!」
コーシ愛用のレトロなバイクは軽快な音を立てて走っている。
後ろに乗るセーラはすっかりはしゃいでいた。
「元気でたかよ!!」
「うん!!」
風を受けるとセーラの心はウキウキ弾んだ。
コーシはM-Aに手渡された紙を確認すると一気にエンジンをふかす。
「今からゲートアウトする。外に出たら空気ごと汚染物に囲まれるぜ。しっかりひっついてろっ!」
「うん!!」
促されるがままにセーラはコーシの広い背中にぴったりくっついた。
コーシは大きなゴーグルをかけると電源を入れる。
これはサキが改造した、サーモグラフィのように汚染物が視えるゴーグルだ。
「出だしはかなり揺れるぜ。振り落とされるなよ」
「うん!!」
しがみ付く手にしっかり力がこもったのを確認すると、一気に速度を上げる。
風のようにゲートを抜けると本物の太陽が真っ先に目に入った。
コーシは迷わず車体を反転させるとゲートの裏側へ潜り込んだ。
急ブレーキをかけたかと思うと急にエンジンを切る。
「…コーシ?」
暴れ馬のように振り回され必死でしがみついていたセーラは、突然バイクが止まりきょとんとした。
「黙ってろ」
セーラの頭を低く押さえつけるとコーシはゴーグルを頭にずらしゲートを見据えた。
やがて予想通り数台のバイクがそこから躍り出た。
ウロウロとなにやら探しているようだが、一度ゲート前に集まると散り散りに走り去った。
「アレで尾行してるつもりかよ。サキとのオニゴッコの方がいつも命がけだったつの」
不敵に笑むと煙草を一つ取り出す。
セーラは不安そうにコーシの服を引いた。
「コーシ、早く行かなくていいの?」
「今動いたら逆に見つかる。どうせ地上なんて長くうろつけないからな。奴らの半分くらいが戻って来てから行こう」
コーシにとってはなんでもない事だが、セーラは尚も不安そうにしがみついている。
「コーシ…」
薄水色の瞳が見上げる。
コーシは煙草を加えたままセーラの前髪をさらりと流した。
「大丈夫だから。俺だって伊達に普段からサバイバルトリオに挟まれちゃいないぜ。あいつら本当に昔から無茶ばっかしやがる」
にやりと笑うと煙草をもみ消す。
セーラは興味を惹かれて身を乗り出した。
「ねぇ、待ってる間コーシたちの話聞かせて?」
「あぁ?んなもん何がおもしれーんだよっ」
「聞きたいよ。コーシのこと、もっと知りたい。声、もっと聞いていたい」
コーシはあまりにもストレートな言葉に押し黙った。
体の関係でストレートに口説かれることはあっても、こんな稚拙な要求はされたことがない。
コーシが長いため息を吐いて突っ伏してしまったので、セーラはまた不安そうな顔になった。
「…んな顔すんなって。分かった。待ってる間だけなっ」
その言葉にぱっと輝く笑顔に変わると、コーシは小さくふいた。
「単純なヤツ」
コンとセーラの頭を一つ小突いてから、しがみついている手をそっと引き離す。
代わりにその手を繋いだまま、コーシは誰にもしたことがない自分の昔話をかいつまんで話ていた。