いられなくなった部屋
「いいか。サキが帰って来るまで絶対ここを出るんじゃないよ」
カヲルが念を押すとコーシは不貞腐れながらも頷いた。
「カヲルさん。あの…」
カヲルはセーラを引き寄せると耳元で囁いた。
「次コーシに泣かされたら、ちゃんとあたしに言いな」
セーラの目元に軽く触れるとカヲルは少し笑って見せた。
昨日の涙の跡に、どうやら気が付いていたらしい。
カヲルが去ると、コーシは怪訝そうに聞いてきた。
「さっきカヲルなんつったんだ?」
セーラは朝食の片付けをしながら笑って答える。
「コーシに泣かされたら言いなさい、だって。ふふっ…カヲルさんってなんだかコーシのお姉さんみたいね」
コーシは複雑な顔をした。
「みたいっつーか、完全それだな。あの厄介三人トリオめ…」
サキもM-Aもカヲルも、コーシがどれだけ背伸びしてもいつもその上をいく。
それを面白くないと思い始めたのはいつからだろうか。
セーラは片付けが終わると、ソファで煙草をふかしてるコーシの隣にちょこんと腰掛けた。
「コーシ、吸いすぎだよ?」
「あぁ?こんなもんだろーが。サキだってM-Aだってもっと酷いぜ?」
「そっか…。でもだめ」
素早く残りの煙草を手に取ると、セーラは自分の後ろに隠した。
「あ、お前っ」
反射的に手を伸ばすと体と体が触れ合う。
セーラはすかさずコーシの首に絡みつくと無邪気に笑った。
「コーシ、好き」
「あのなぁ…」
コーシはげんなりしてセーラを引き離す。
「お前の好き、はインプットされたからだろ?そんなの偽物だ。解除してからも好きだって言えるなら考える余地もあるけどなっ」
突き放すために適当に言っただけだったが、セーラは真面目に考え込んでしまった。
「うーん…四ヶ月たったら自然に解除されると思うんだけどな。その前に私はきっとコーシの前からいなくなるし…。困ったなぁ」
「いなくなる?」
「うん」
ひょいと煙草を取り上げられたので、セーラはすかさずマッチを後ろに隠した。
「なんだよ。結局愛情の押し売りかよ。しかもトンズラするって悪どくねえか?」
セーラを横倒しにしたがそれでもマッチを離さないので、コーシは思い切りくすぐってやった。
「そ、それはー捉え方しだいだよー!!」
耐えきれずに笑い転げるセーラからマッチが落ちた。
コーシはそれを拾うとすかさず煙草に火を付ける。
セーラは肩で息をするとソファに転がったままコーシを見上げた。
「もー、ひどいなぁ」
「なんだよ」
セーラは起き上がるとコーシの部屋を指差した。
「ねぇ、昨日のプログラミング見せて!
コーシってチップに全部タイトル入れてるでしょ?しかも名前も全部入ってるし」
「お前そんなもんに興味あんの?あ、もしかして最初に俺の名前知ってたのって…」
「うん、それ見たから」
コーシはがっくりと肩を落とした。
「なんだそれだけかよっ。俺めちゃくちゃ不信感持ったんだぞ?」
「そうなの?」
セーラは大きな目をぱちくりさせるとコーシを覗き込んだ。
「今は?」
「あ?」
「今は、どう思ってる?」
コーシは言葉につまり目をそらした。
「今は…、厄介なもんにつきまとわれてるってとこかな」
ぶっきらぼうに言うとさっさと立ち上がって部屋に入る。
「そっかー。愛情のパターンって沢山情報が入ってるけど、なかなか難しいもんだなぁ」
セーラが後を追いながら難しい顔をする。
「アイにセオリーがあるなら全人類幸せなはずだろーがっ」
セーラはびっくりして目をぱちぱちさせた。
「…ほんとだ…」
あまりにも素直に衝撃を受けているので、コーシは思わず小さくふいた。
「お前…、ばかだな」
セーラの頭をコツンと小突くとパソコンの電源に手を伸ばす。
スイッチを入れようとした時、玄関がものすごい勢いで開いた。
「コーシ!!セーラ!!おるか!?」
飛び込んで来たのはM-Aだった。
二人は顔を見合わすと、急いで玄関に走った。
「なんだよM-A。サキか?」
「呑気にしてる場合かアホンダラ!!すぐに荷物纏めてここを出ろ!!」
コーシはM-Aを鋭く見上げる。
「何があった?」
「何かあるのはこれからや!!お前がセーラを運び込んだことが必要以上に街に流れてる!!すでにお前らを探してる奴らがうろついとるぞ!この場所がバイヤーの耳に入ったら見つかるのも時間の問題やぞ!!」
「バイヤー?」
耳慣れぬ言葉にコーシが眉を潜める。
「なんでもええからここを出ろゆうとんねん!!お前がお嬢ちゃんを守れ!!セーラ、お前かてあのコワイ人んとこ戻りたないやろ!?」
セーラは真っ青になって震え出した。
コーシはとりあえず一刻も早くここを離れたほうがいいことだけは理解した。
「分かった。どこで落ち合えばいい?」
M-Aは一枚の紙を渡しながら急いでまくしたてた。
「サキのセカンドホームならいけるはずや。ええか?ゲートを出て地上から行くんや。絶対後つけられんな!あのゴーグルは生きてるか?」
コーシは頷くと紙をむしり取った。
「俺はもう少し街の様子見てから後で合流する。できるだけ急ぐんやで」
言うだけ言うと、M-Aは風のように走り去った。
「コーシ…」
がたがた震えるセーラの様子は尋常じゃない。
「セーラ、しっかりしろ。今は必要最低限の荷物でいいから選別してこれに入れろっ」
鞄を寄越すがセーラはまともに動けない。
「セーラ!!」
肩を掴むとセーラの足から力が抜けた。
「コーシ…やだ。やだよ。私あの人のものになりたくない。私は…私は…」
コーシはセーラを抱きかかえると怒鳴りつけるように言った。
「セーラ!!しっかりしろ!!お前は今は、俺のものなんだろ!?」
セーラはコーシの香りにしがみついた。
深呼吸すると少し落ち着く。
「うん…。が、頑張る」
まだ青い顔をしてはいるがセーラは気丈に足に力を込めた。
「五分でここを出よう。できるか?」
「うん…」
手を離すとセーラはもう一度深呼吸して動き始めた。
コーシはそれを見届けるとさっさと自分も用意を始める。
「…なに言ってんだおれ…」
一人になると自分の叫んだ言葉に戸惑った。コーシは首を大きく振ると余計な雑念を追い払い、荷物をまとめることに集中した。