秘密
食事を終えた祐一と理奈の間に、重苦しい空気が流れていた。もう使った皿も洗い終わって、祐一も風呂に入り、後は寝るだけなのだ。……そう、寝るだけ。
「え~と、俺が床で寝るよ。理奈はベッドで寝てくれ」
祐一はシーツを引っ張り、それを床に広げると、その上に寝転がった。
「でも……助けられてるのは、私ですし……」
「いや、いいんだ。こう見えて俺、『善良な一市民』なんだぜ」
意味の分からない言い訳をして、誤魔化そうとした。が、あまり効果は無かったようだ。
それはだめですっ、と言わんばかりに首を振って抗議してきた。
「そんな、でも、いえ、それは……」
瞳を涙で一杯にして、祐一を見つめてきた。
いい武器持ってんなぁ。目で攻撃してくるなんて、男女不平等だ。
「いいって、気にすんなよ。な?」
言い終わると同時に部屋の電気を消し、シーツに包まった。
「おやすみ」
「おやすみなさい……」
渋々納得したような声で理奈が返した。
ふふっ。これで俺は床だ! もう変更は無し!
心の中で勝利に酔い痴れた祐一は早速眠りにつこうと、腕を組んで自分の頭をその上に乗せた。
いい夢が見られますように……
祐一の意識はもう夢の中に入ってしまった。
結局、本部に戻ったのは数人のCSP隊員と山勢、田元、優意、そして総官こと源太郎だけだった。
全員合わせても十数人しかいない。後の隊員は電気少年によって病院送りにされていた。
ロビーは大理石のタイルでが敷き詰められ、受付までの両側に対になっている太い柱がある。受付の席には、いかにもそれらしい『受付のお姉さん』みたいな人が腰掛けていた。
「お帰りなさいませ。源太郎様」
源太郎は足を止めた。
「何か、あったのか?」
「いえ、何も。……どうしてですか?」
「いや……今日は色々と忙しかったからな……何か用があるのかと思っただ
けだ」
「? はあ……」
『受付のお姉さん』は納得のいかないような返事をした。
源太郎はそれを無視して再び歩き始めた。
「ねえ――」
優意を源太郎が遮った。険しい目で周りを伺っている。他の隊員もそうだった。首は動かさず、仕草の一部にしか見えないように。
ロビーを左に抜け、エレベーターのスイッチを押した。その瞬間に源太郎も含め、各々全員が持っていた武器を手にした。
それぞれ無言で頷き合い、エレベーターの到着を待った。
エレベーターが到着するなり、開いたドアに向かって一斉に銃を向けた。
源太郎は無言のまま手で合図を送り、半分はエレベーターに乗り、もう半分は乗らずに残った。
「お父さん。大丈夫かな?」
心配そうに優意が顔を見つめた。源太郎はそれに答えるように笑った。だが、目は笑ってなどいない。殺気立った獣のような目だ。
エレベーターは順調に下がっていった。
B1…B2…B3。次だ。最下層、地下四階『CSP本部』。
エレベーターが下降を止め、少しばかり重みが掛かった。
ドアが開くと同時に隊員が銃を構えた。いつもなら、光り輝く電灯に、清潔な白張りのタイルが出迎えてくれる……はずだった。
だが、そこにあったのは闇。暗い闇が隊員たちを出迎えた。視界は悪く、数メートル先でさえ見えない。物音一つせず、深々と闇が続くだけだった。
「クリア!」
小声だったが、全員に聞こえる程度の大きさの声で隊員の誰かが言った。
前にいた隊員が足を一歩、エレベーターから踏み出そうとした時だった。
「待て!」
源太郎だ。隊員たちは足を止め、源太郎の顔を見た。
「どうして、分かったんだ?」
どこからか声がした。
コツ、コツ、と、靴の足音。
二メートル先に、痩せた男の顔が出てきた。関谷だ。源太郎は驚きもせずに答えた。
「な~に簡単さ。戦いの最中もその後もお前の顔なんて見てねぇし、ヘリはどこかに消えちまった。こりゃ、もうお前がヘリに乗って逃げたとしか考えられねぇだろ?」
「そんなことじゃない。なぜ、俺たちがいるのが分かったんだと聞いている」
関谷が合図を送ると廊下の照明が付いた。すると隊員たちに動揺が走った。
なぜなら、ほんの五、六メートル前方に綺麗に列を整え、射撃体勢に入っている敵がいたからだ。それも隊員の三倍程いるだろう。
「それも簡単だ。まず、受付の嬢ちゃんだ。あいつは俺に『源太郎様』って言いやがった。それは緊急時の呼び方だったはずだ。だからよ、俺が『何かあったのか?』と聞いても、『何も無かった』ってのはおかしいだろ? 二つ目に、このドアだ。開いたのはいいが、一定時間以上経っても閉まらなかった。だから分かったのさ。……それに、気配だ。ま、俺が気付いた要因はまだまだあるがな」
それを聞いた関谷は納得したように頷いた。
「そうか……」
関谷は敵の元に戻ろうとした。
「待て、関谷……いや、『ゴッドハンター』と呼ぼうか?」
源太郎の発した言葉に、関谷は動きを止めた。
「そこまで知っているのなら、もはや話す必要は無いな」
そうして関谷は歩いて敵の後ろに姿を消した。
「殺せ、ただし源太郎だけは捕えろ」
聞こえてきた関谷の言葉には何の感情も無く、冷ややかな口調だけだった。
アれ……? ぼクは……?
少年は目を開けた。よく見慣れた天井、漂ってくる数々の薬品のにおい。病院だ。どうやらベッドの上に寝かされているらしい。
体中に包帯が巻かれている。腕には点滴が刺されており、その先には心拍数を測る機械等よく分からない物が置いてあった。
ぼクは……ぼくは……
少年の頭の中に一時的に忘れていた記憶が甦った。
ぼくはお姉ちゃんに……
「先生、この子、目を覚ましましたよ!」
看護婦が少年を見て叫んだ。
「ようし、ボウヤ。この指何本か分かるかい?」
少年の視界が掠れた。先生の手が揺れるたびに指の数が増えていく。
「三十……あれ? 三本だ……」
それを聞いた先生は笑った。
「残念、四本だよ」
先生の隣に座っている看護婦はそのやり取りを、レポートか何かにまとめていた。
「暴れだすことも無く、喋り方も正常。心拍数も異常なし。視界はぼやけているようだが、もう大丈夫だろう。洗脳は解けてるみたいだ」
先生と看護婦の二人は「安静にしててね」と優しそうに言って部屋から出て行った。
『あんせい』ってどういうこと?
少年はその言葉の意味を聞こうとしたが、先生たちはもう、声の届かないところに行ってしまった。
祐一は何も無い白い地面に立った自分を見ていた。
――夢。
そう……これは夢だ。
そんなことは解っている。
解ってはいるが、起きて現実に戻れそうにない。
一人、誰かが地面に立っている自分の近くに現れた。それは、まるで幻影のように揺らめいた。しばらくすると『誰か』は揺れなくなり、そこに存在しているかのように堂々と立っている。あれは……
――親父!
見ている祐一は叫んだが声は届かず、ただの虚しさが残るだけだった。
これは夢の中の自分が何とかしなければならない。
源太郎の隣にぐにゃぐにゃと幻影のようなものが現れた。
優意だ。想像はしていたが、その通りになると驚いてしまう。
その現れた二人に向かって夢の中の自分は走り出した。自分は必死で手を伸ばしたが、二人に触ろうとする前に二人が消えた。もう周りには誰もいない。
急に祐一の周りが闇に包まれた。
――孤独。
――自分が『能力者』が故に孤独。
――妹と父親が『CSP』が故に孤独。
これまではその気持ちを誤魔化すために、孤独から逃れるために人助けをしてきた。
少しでも『人間』らしく、人として接してきた。能力などは滅多に使わなかった。使うのが恐ろしかった。使っているところを見られるのが怖かった。
……この国にいる『能力者』は俺以外にいない。いや、いなかった。
今は、もう一人だけ存在する。理奈だ。
共通した気持ちを分かち合える唯一の光、希望といってもいい。理奈は初めて会った『能力者』だ。
祐一は闇の中に見えるただ一つの光に手を伸ばした。
理奈は俺に生きる希望をくれた。いや、理奈自身が希望だ。
だから――
理奈だけは護るさ。たとえ俺が死ぬことになろうとも……
呻き声のような苦しそうな声で理奈は目を覚ました。閉じられたカーテンの間から日の光が差し込んでいた。
光が少し傾いているのを見ると、朝らしい。
隣を見ると祐一が必死に何かを掴もうと眠ったまま右手を伸ばしている。
理奈はその手をそっと優しく両手で掴んだ。すると祐一は安心したようで、寝息が穏やかになった。
それを見た理奈は安心して微笑みを浮かべた。
理奈は祐一の右隣に手を握ったまま潜り込んだ。自分も同じくシーツで体を包み目を閉じた。
祐一は目覚めた。右手にやわらかい感触を感じる。
なんだ――?
右を向いて目を丸くした。
なぜなら、自分の右手を握っている理奈が目の前にいたからだ。それも、かなり近くに。
頭を少し動かしでもしたら当たってしまいそうだ。
「なっ、なんでっ! はぁ? ええっ!」
ゴンッ――
勢い良くシーツから跳び出したので壁に頭を打ち付けてしまった。
「っで! 痛っ!」
叫び声と頭を打った音で理奈が目を覚ました。目を眠そうに擦りながら、のそのそと起き上がった。その横を肩に掛かったシーツがシュルルと音を立てて滑り落ちた。
「おはようございます」
「あ、うん。おはよう」
じゃなくて! なぜ? どうして?
「どうして俺の隣に?」
ようやくその事を思い出したのか、理奈の眠そうだった目が見開き頬が一気に紅潮した。
「……あ、あの……それは、祐一さんが、苦しそうに、してたから……」
祐一は納得(してはいけないが無理やり)した。
「そうか、優しいんだな」
――俺みたいな最低な化け物にも……
祐一はその言葉を呑み込んだ。そんなことを言えば理奈に悪いと思ったし、言えなかった。
理奈にさえも未だに言えない事があるのだ。
「さ、飯にしよう」
祐一はわざと明るく、笑顔で言った。今ので誤魔化せただろうか?
「はい。そうしましょう」
これまでに見たことのない眩しい笑顔だった。
どうやら誤魔化せたようだが、まだ安心はできなかった。
ふぅ、ここまで来たか。と一言。




