超能力者
夕日に照らされた千間条警察署、その最上階の部屋。つまり、署長室で深く頭を下げていたのは源太郎……ではなく、署長と殴られた西岡、応援を要請した富士宮だった。
「本当に申し訳ありません! あなたのような、CSPの総司令官の顔も覚えられないこの馬鹿共をどうか許してやってください!」
なぜこうなったのかは、遡ること数時間前……
源太郎はパトカーの中で手錠をはめられていた。
警察署に着くと、身元確認が行われた。しかし、防弾服の中に身元を証明する物を全て置いてきたのだから持っているはずがない。
「なら、誰か証人を呼んでもらおうか」
鼻にティッシュを詰め込んだ西岡が、前歯のない口で笑う。源太郎を恨んでいるのか、目は笑っていない。憎しみの目だ。
「証人か……」
源太郎は大きくため息をした。携帯電話を取り出し、ある人物に電話をした。
「おう、誠か? 悪いけどよ、ちょっと千間条警察署まで来てくれ。……ああ、そう。すまんな。すぐに済む」
「誰を呼んだんだ?」
不思議そうな顔で聞く西岡に笑って教えてやった。
「なぁに、お前らのよく知ってる奴さ」
数分後、『証人』が入ってきた。
西岡は顔を青くして口をパクパクしているが、言葉になっていない。
「久しぶりだな、源ちゃん。元気か?」
「見ての通り、ピンピンしてらぁ!」
源太郎は笑って振り返った。そこに立って行ったのは本堂誠、民主改善党リーダー、現首相である。彼は茶髪に子供っぽい茶目っ気あふれる顔つきだった。
「悪ぃな、こんなトコまで来させて。こいつらがなかなか信じないから、お前を呼んだのさ」
仮にも現首相である。そんな人にタメ口なのだから、源太郎が言ったことが真実なのは一目瞭然である。
「そんなことで呼んでもらっちゃ困るじゃないか。でも、息抜きにはちょうどよかったかな」
そんな二人の会話を聞いていた西岡の顔がさらに青くなっていく。そこに署長も血相を変えてすっ飛んできた。
「首相がお見えになっとるだとぉ!」
署長は目を丸くした。なぜなら、ドアを開けたその目の前に誠(首相)の姿があったのだから。
「しっ、失礼しました!」
その場で土下座をする署長。それに倣って、西岡も土下座をした。
「いや、疑いが晴れたんならそれでいい。じゃ、帰ろうかな。あ、誠、俺が護衛していってやろうか?」
「いや、いい。悪いが、もう行かなくてはならんのだ。外に後藤君を待たせているからな」
「そうか。それじゃあ、俺も戻るかな」
そんな二人のやり取りを黙って聞いていた署長がゆっくりと顔を上げた。
「あのぉ、源太郎様。何かお詫びでもさせてもらえないと、わたくし、署長としては面目丸潰れでして……」
このときに断ったのだがしつこく言いくるめられてしまった。
そして現在。
「本当に申し訳ございませんっ!」
もう何度この台詞を聞いただろうか。「許す」と言っているのに、何度も何度も。よく飽きないものだ。
「だからもういいと……」
「本当に申し訳ございませんっ!」
これの繰り返しである。よくよく考えてみれば、田元か山勢、関谷に来てもらえばよかったのだ。誠を呼んだことでこうなったのだから。
署長達はピクリとも動かず深く礼をしている。
ひょっとしてこのまま部屋を抜けてもいいんじゃないか?
源太郎は試しに動いてみたが、署長たちの反応はない。
しめた! 目ぇ瞑ってやがる!
思い立つが早いが部屋から出て階段に向かう、エレベーターよりもその方が速い。
階段を一気に駆け抜けていると、通りかかった警官にぶつかりそうになった。
「あっ! あなたは! 源太郎さんですか?」
「いや、人違いだ!」
後ろも振り返らずに否定して走り去った。今は二階、あと少し!
一階に着くなり、大きな出口に向かって全力疾走した。自然と口元が緩む。
「ぬははははは! ざまあ見やがれってんだ!」
まるで脱獄囚のような台詞を走りながら吐き捨てた。
「ぬわがっ!」
不可視の硬い何かに顔をぶつけたが、それに構わずに足を前に出す。途端にガラスの割れる音がして源太郎は再び走り始めることができた。
「馬鹿野郎! 自動ドアなら人様が通る前に開きやがれ! 反応が遅えんだよ! このノロマめっ!」
返事を返すわけもないガラスに罵詈雑言を並べ、源太郎は警察署から逃げ帰った。
祐一と理奈は走っていた。単に右に曲がっては左に、右に曲がっては左に。
当てはあるのか?
実は、祐一本人ですら考えていなかった。ため息を吐いて後ろを振り返った。
「あのさ、どこか行きたいトコある?」
理奈の顔が一瞬冷たくなった。
「考えてなかったんですか?」
少し呆れたような、ため息混じりの声だった。
「う、うん。実は……」
「じゃあ、私たちが行こうとしているのは……」
「見当もついてない」
理奈の祐一を見る目がさらに冷ややかになった。
「いや、でもなっ! 追われてる理由とかは大体の見当がついてるんだぜ!」
弁解しようとして言ったつもりだったが、理奈には逆効果だったらしく、顔
を俯かせてしまった。
「大丈夫だって。たぶん悪い理由じゃないと思うよ。落ち着いたら、そこで話
すよ」
元気付けようと明るく話した。あまり効果は得られなかったが……
「……」
「……」
長い沈黙。
「あの……」
理奈だった。
「ん? 何?」
「手、離してください」
「あ、嫌だった? ごめん」
祐一は慌てて手を離した。
「いえ、もう一人で走れますから……」
元気がない。もうどこかで休まなければ……。最悪、野宿だが、理奈は女の子だ。それは避けたい。
う~ん。誰か家を貸してくれそうな人は……
「あっ! そうだ! でもなあ……」
自信があるのか無いのか、祐一は迷った。
「行けばいいじゃないですか」
後を押すように理奈が言った。
「本当に? 後悔するなよ」
理奈にはその意味が分からなかった。
祐一達はアパートの階段を一段一段重い足取りで歩いている。正確には、重い足取りで歩いているのは祐一だけだった。なぜ階段なのか、それは単にエレベーターの故障が原因である。
理奈は何度も「誰のところに行くのか?」と尋ねたのだが、祐一は「行けば分かるさ」の一点張りだった。さらに「どうしてそんなに暗い顔をしているのか?」と尋ねると「聞かないでくれ」という言葉しか返ってこなかった。
三階、ようやく着いた。これまでの長い道のり、良心に従った人助けがこんなことになろうとは。ああ、でもこれで終わりじゃないんだよな。
再び歩み始めた。
「え~と、三〇九号室は……あ、ここだ」
部屋の呼び鈴を鳴らした。「はぁ~い」と可愛らしい女の子の声だ。声の通りだといいのだけれど……
「どちらさんですかぁ?」
「優意、俺だ。中に入れてくれるか?」
「え~、でもぉ。いくらお兄ちゃんでもなぁ」
「『お兄ちゃん』? 祐一さん、妹さんいたんですか!」
と理奈。
「わっ! バカッ!」
「お兄ちゃん! 誰かいるの?」
疑わしくなった妹の声。
「猫じゃないかな? ほら、最近の猫って喋りそうじゃん! 変な鳴き声するみたいだしさ!」
いくらなんでも無理があるのでは?
理奈は心の中でツッコミをいれた。
突然、扉が開いた。そこから顔を覗かせた黒髪ショートヘアーの女の子。つり目でイタズラっぽい笑みを浮かべている。
「あれ~? 猫じゃなかったねお兄ちゃん!」
意地悪そうに笑う妹、優意を見て泣きたくなった。
堪えろ祐一! 俺はそんなに弱くない。無理な言い訳がばれたぐらいでっ!
「あのさ、一晩、部屋借りたいんだけどいいかな?」
先手必勝、返事をする前に部屋に上がり込む。
廊下の突き当たりにドアが二つ。左に曲がるともう一つドアがあった。
よし、三人分確保! やったぜ! 俺は一番奥の部屋で一眠りするかな。
ドアノブをまわして中に入ろうとするが、扉は開かなかった。鍵穴はない。とすると何かがドアを塞いでいるのだろう。
僅かに開いた隙間から中を覗き込んだ。
「何だこれ!」
そこにはありとあらゆる武器弾薬が積み重なっており、壁には日本刀や剣が何本も掛けられている。とてもではないが女子中学生の部屋とは言えない。
「あ~、ちょっと待ってね」
優意はトテトテと違う部屋に入っていき、棒を取り出してきた。それを隙間から突っ込み、邪魔な武器等をどけていった。
ようやく入ると、武器が部屋を埋め尽くしていた。寝る場所どころか、足を踏み入れる場所すらない。
「あのさ~、ここはもう使えないって分かったよね? だからさぁ……」
優意は悪魔のような笑みを見せた。
「あたしは、自分の部屋を一人で使うとしてぇ、お兄ちゃんと彼女さんは、残りの部屋を使ってね~」
理奈は祐一が話していた『後悔』の意味が今ようやく分かった。
部屋の中は静寂で埋め尽くされていた。まるで計算されていたかのように部屋に誘導され、「じゃ、あたしはお風呂入ってくるから~」と優意はそれだけを言い残して行ってしまった。
祐一は頭を掻いた。
何か、話はないか? そういや、何を話そうとしてたんだっけ?
「俺が言い掛けたことなんだけど、何だったか、覚えてない?」
理奈は、顔を上げて言った。
「私が追われている理由です」
「ああ! そうだった! ごめんごめん」
すると、祐一は立ち上がって理奈に右掌を見せた。
「これがなんだか解るか?」
「手です。右手」
「そう、手だ」
そう言うと、手を握って、再び開いた。その掌の上にはコインが一枚あった。
「手品ですか?」
首を傾げて聞いてくる理奈に祐一は首を振って答えた。
「惜しいけど違う。じゃあ、これはどうかな?」
祐一は持っていたコインをテーブルの端に置いて、理奈にそれを見ているように言った。理奈が目を離さずにそのコインを見ていると、フッとコインが消えてしまった。
理奈が目を丸くしていると、祐一は笑った。掌にはさっきのコインを持っている。
「これが君の追われている理由だと思う」
訳が分からない。そんな訴えかける目で祐一を見ていると、祐一は真剣な顔つきになった。
「いいか、ショックを受けるかもしれない。けど、よく聞けよ」
理奈は無言で頷いた。
「俺はな、サイキッカーなんだ。いわゆる『超能力者』ってやつ。で、君も多分それだと思う。能力は『テレポート』かな? それだと、CSPに追われたときに『逃げたい』って強く念じたからここに飛んできた。ってうまく説明できるんだけど……どうかな? 信じる?」
理奈は呆気に取られたような顔をしていたが、祐一は話を続けた。
「CSPってのは、その『能力者』を秘密裏に保護してるんだよ。この日本列島から少し離れたところに『CSP特別監視島』なんて名付けて、そこに移住してもらっているのさ、『能力者』に。ま、移住してもらわないと困ることもあるけどな」
「困ること?」
「昔、親父から聞いたことなんだけど……『ゴッドハンター』って知ってる?」
理奈は首を振った。
知らなくて当たり前なのだが……
「そいつらは『能力者』を捕まえて洗脳し、自分達の兵士として使ってんのさ。だから、CSPはそいつらより先に『能力者』を保護しなきゃならない。でも、それは『能力者』にとっては辛いことなんだよ。家族ともう二度と会えなくなるかもしれないからな。もしも、『家族と一緒に残りたい』って奴がいるとするだろ? そいつは……殺される」
理奈の顔からみるみる血の気が引いてゆく。色白の顔がさらに白くなっていくのが手に取るように分かる。
「もう『ゴッドハンター』は三人の『能力者』を捕まえているらしい。……で、君はどうしたい?」
「……どうって?」
声が震えている。こんな話をしたのだから当然かもしれない。
「選択肢は二つある。一つは『CSPの保護を受ける』。もう一つは『このまま逃亡生活を続ける』。でも、これは下手したら殺されてしまう可能性がある」
「……あの、もしもですけど、逃げるなら、護ってくれますか?」
涙目でこちらを見つめてくる理奈に真剣な顔は止めて、慢心の笑みで答えた。
「もちろん!」
目の前の女の子は困っている。それを手助けするのが俺、すなわち古井祐一なのだから。
いろいろ……いろいろ動きはじめます。




