勝利を得る者
海斗は驚愕した。
祐一が起き上がっている。目に光など宿っておらず、死人のような目だ。
――バカなっ! あり得ない!
背中をいやな汗が伝っていくのが分かる。
しかし、口元の笑みは消えなかった。
「いいぜ。そうこなくっちゃあな。これからがお楽しみってもんだ!」
海斗は『力』を込めて、立ち上がって間もない祐一を壁まで弾き飛ばした。
壁に当たると、祐一の体は霧のように消えてしまった。
さすがの海斗も驚きを隠せなかった。
「何だと?」
「お前――」
背筋が凍りつくような低い声。背後に気配を感じ、振り返ったが、誰もいなかった。
いきなり目の前に足が出現した。あまりにも突然だったので、海斗は避け切れなかった。
「――死ねよ」
頭に蹴りを喰らった。地面で何度かバウンドし、数十メートル吹っ飛ぶ。
「ウソ……だろ?」
血の塊を口から吐き出した。視界が少しぼやけている。
飛び起きて辺りを見渡すが、誰もいない。視覚ではそうだが、何者かの気配は感じる。
この部屋の中に確実に存在するのだ。
背後で物音がした。海斗はそこに意識を向けた。
やはり何も見えないが、足音は聞こえる。海斗は『力』を使い、『見えない敵』を吹っ飛ばした。確かな感触があった。
壁に何かがぶつかったような音がした。その音の中心で祐一が壁から姿を現した。
よしっ! 視覚しかごまかせないのか?
海斗に笑みが戻った。
「おいおい、どーしたよ? これで終わりか?」
その言葉に反応したように祐一は身体を起こした。フラフラと、揺れ動きながら歩いている。
海斗が目を瞬いた。視界の隅が暗くなっている。目を擦っても、それは取れなかった。それどころか、徐々に広がってきている。
「なんだこりゃあ? どうなってんだ!」
やがて海斗の視界は黒一色になった。どこを見ても、何を見ても黒。ただそれだけの世界だった。
祐一はゆっくりとこちらに向かってきている。見えないが、それは分かる。あまりにも強大な、人間離れした力の波動が津波のように海斗に押し寄せた。
――恐怖!
あまり鮮明な記憶がない幼少期を除けば、これが海斗にとって初めての恐怖だったかもしれない。
迫り来る得体の知れない化け物。
海斗の口元には、もう笑っていた痕跡すら見えない。知らず知らずの内に後退りをしていた。その途中で小さな亀裂に躓いて転んだ。
「チキショウ! 化け物め!」
一瞬だったが、祐一の動きが止まった。だが、海斗にはそれは見えない。
「くそっ! 死んでたまるかよ!」
海斗は所構わず『力』をぶつけた。『力』は地面を抉り、クレーターのような跡を残した。しかし、祐一の足音は止まなかった。
ついに祐一は海斗が倒れている前まで来た。足音が止まったのだ。
頬に汗を感じる。
――こんな奴に……俺が……
乾いた銃声がして、海斗の意識は途絶えた。
祐一は正気に戻った。手に持った銃口からは硝煙が立ち上っている。
目の前に転がる死体、眉間に穴が開いている。完全に死んでいるだろう。
「俺は。俺は……俺がっ!」
海斗が最後に言った言葉。それが祐一を正気に戻した。
――化け物め!
祐一は銃を構えていた。真っ直ぐに海斗の頭を狙って。そして、引き金に指を掛け……撃った。
そうだ。俺が殺したんだ。
その感覚が蘇った。
未だに頭の中は真っ白だった。
手から銃が滑り落ちた。
――ガシャンッ
祐一は目を閉じた。瞼の裏にこれまでの出来事が走馬灯のように一気に駆け巡った。
頬を何かが伝った。それを触ってみる。指先が濡れた。
涙だ。
祐一は地面に膝をついた。涙が止まらなかった、止められなかった。
幾つもの水滴が地面を濡らし、黒い染みを作っていく。
――親父……
あの時の光景が蘇った。ゆっくりと、本当にスローモーションを見ているみたいに倒れた源太郎。
「俺は……無力じゃないか!」
祐一は叫んだ。何度も、何度も。ぶつけ所のない悲しみ。それが祐一を覆っ
ていった。
理奈は横に老人を連れて歩いていた。道の至る所に黒く焦げた跡がある。それに加え、道を挟んでいる両脇の住宅の屋根に穴ができていた。
爆発して、燃えた物がここまで飛んできたとか。
理奈は「なんだか目的地に近づくほど焦げた跡が多くなっているような……」と、至極あたりまえのことを考えていた。
老人はニコニコしながら歩いている。そんなに楽しいのだろうか?
「ほれ、着いたぞ」
老人が指を向けた方を見ると、その道の先が黄色い『立ち入り禁止』と書かれたテープに雁字搦めにされている。その先の様子は見えなかった。
その黄色いテープの壁の前には理奈を捕まえようとしたCSPの隊員と同じ格好をした男が立っていた。自分と会ったことはないが、怖かった。
「あの、すいません。ここで何があったんですか?」
理奈は勇気を出してその男に聞いた。
「え? ガス漏れだけだけど……」
幸い、男は理奈のことを知らないみたいだ。
「あの、じゃあ、祐一さんを知っていますか?」
「祐一君?」
男は声を潜めた。
「総官の息子さんの知り合い?」
「はい」
男は頷くと、他の隊員を呼んだ。
「おい、ここの見張りを頼む」
「はっ」
男は手招きしてテープの中に入った。
理奈はそこに入る前に老人に振り返った。
「おじいさん、ありがとうございました」
老人は笑っていた。
「いや、礼を言うのはこっちじゃわい。本当に孫ができたみたいで嬉しかった。ありがとう」
老人はそう言って後ろを向き、帰って行った。
テープを抜けるとその先には祐一の家があった。家を囲んでいた塀は所々に穴が開いていた。男は理奈が入ったところのすぐ横に立っていた。
「で、祐一君がどこにいるかだったね?」
「はい」
男は顔をしかめた。
「すまないが、俺も知らないんだ」
「そう……ですか。じゃあ、ここで何があったんですか?」
男は腕を組んだ。話そうかと迷っているのだ。
「お願いします」
男はため息を吐いた。
「この話は内密に頼むよ」
そして昨晩の、電気少年との戦いのことを話し始めた。
病院の一室で田元たちを襲った少年は眠っていた。することもなく、何かをしようともいう気になれないので眠っていた。
いや、眠ろうとしていた、と、言うべきだろう。実際は眠れずにいた。
それというのも外が騒がしいせいだ。
『赤い光を回転させている白い車』や、その中から出てくる『ベッドに寝かせられたままの黒い服の人』が大勢いるからだ。
おかげで少年は眠れなかった。そこに、再び先生が来た。
「調子はどうだい?」
「よくない!」
自分は怒っているのに先生は笑った。
「ははは、いいみたいだね!」
この先生は頭がおかしいのだろうか?
「よくないっ!」
もう一度言ってやった。
「うんうん。それだけの返事ができるってことは、元気があるってことだ」
先生は一人で頷いた。
「それでね、坊や。君に会いたがっている、理奈っていう女の子がいるんだけど……どうだい?」
この先生と話し相手が代わるのなら誰でもよかった。
「いいよ」
少年がそう言うと先生は部屋から出て行った。そこに入れ替わるように女の子が入ってきた。女の子と言うにはもう遅いだろうか? 少女と言うべきだろう。
「何かな?」
理奈は戸惑っていた。首を揺れ動かすたびに長い髪が揺れた。
「ええと……あなたが昨日の……」
「そうだよ」
「あの、祐一さんの居場所、知りませんか?」
少年は呆気にとられた。
ゆういちって誰?
「ゆういち?」
「知らないんですか?」
「……うん」
「じゃあ、優意さんは?」
あれ? この名前……どこかで……
少年の頭の中に映像が飛び込んできた。
――二年前……
少年は腕に点滴の針を刺されて、ベッドに寝かされていた。その横に白衣を纏った男が二人立っていた。
「被検体A‐3番の様子はどうだ?」
「はい。能力強化剤を打ち込んでも変化なし。うまく適合したかと……今は眠っています」
「うむ。そちらはどうだ?」
「B‐8番はショックで死亡しました」
「やはり、強化剤はAのグループのみにした方がいいな……よし。お前はこのことを報告して来い」
「はっ」
片方の男は敬礼してその場から立ち去った。
「おや? 起きたのかA‐3番。よし、いい子だ。もう一度眠りなさい」
男に言われた通りに少年は目を閉じて眠った。
少年が目を開けるとそこは病室だった。
広い一部屋に四台のベッドがあった。そのうちの一台に女の子が座っていた。少年の隣りのベッドである。
「ねぇ、君、名前は?」
好奇心に充ち溢れた目だった。女の子は少年の顔を覗き込むと明るく笑った。
「名前? ぼく……名前なんて無いよ」
女の子は黙った。首を傾げている。
「……え? 無いの? 名前」
「うん」
すると女の子はニッと笑った。
「じゃあ、あたしが付けてあげる!」
今度は少年が黙ってしまった。
「いや、かな?」
不安そうに女の子が聞いた。
「ううん。いやじゃないよ」
その言葉を聞いた女の子の顔が一気に明るくなった。
「それなら、祐樹! ね? これはどう? お兄ちゃんの字使ってるけど……」
「祐樹かぁ……うん! いいと思う」
少年は初めて笑った。
「お姉ちゃんは?」
「あたし? あたしの名前はねぇ、優意って言うの。よろしくね、祐樹!」
数週間の間、CSP内の病室で優意と祐樹は一時を過ごした。
少年、祐樹は全てを思い出した。
「……お姉ちゃん」
自然と口が動いた。
「行かなくちゃ……」
「あの……どこにですか?」
理奈が訊ねた。祐樹はそれを無視して言った。
「僕の名前は祐樹。お姉ちゃんは?」
「わたしは、理奈って言います」
「ついて来て」
「どこに……行くんですか?」
「優意お姉ちゃんのところだよ」
ベッドから起き上がり、腕に絡みついたチューブを抜き取った。警報器が鳴った。祐樹はそれに手を置いて電撃を放った。警報は止み、誤作動だと思わせられるだろう。
祐樹と理奈は部屋を出た。そして優意と初めて会ったCSP本部に向かう。そこに優意がいる。
祐樹は歩き始めた。場所なら分かっている。あとは前に向かって進むだけだ。
ウォォオオオオオオオオ!
クライマックスまで走り抜ける!




