鯉よ、鯉
男の家には、古い掛け軸が多く残されていた。どれも駄物といっていいような代物で、一度骨董屋に持っていったが主人は薄い笑いを浮かべるだけであった。銘品を買い叩いて高値で売る商売上手もいるというが、そんな期待の余地すらない気の毒そうな顔つきに、男は金を諦めた。
さりとて捨てる気にもなれない。一応は代々の物好きがちびりちびりと買い蒐めた品である。思い出やら心やらそれに纏わる風景やらをざっくり廃棄するのも気が引ける。所詮二束三文の品であれば、多少乱暴にしても誰も文句を言わないだろう、そう思って男は、子供が玩具で遊ぶように、ざっくばらんな手付きで掛け軸を拡げては気まぐれに手入れのゆきとどいていない床の間に飾り、またしまいこんでは別のを出すという、そんなことを季節ごとにやっていたのである。
(おやこんな軸があったか)
秋の日の虫干しに、家の軸の総浚えをしてのけるほど、男は閑な暮らしをしていた。似たような細長い函と対の中身を取り違えないように、開けて、拡げて、一つ一つ。
そんな中に、その鯉の軸は、あった。
(ほう)
何でも見る目を養うには、ほんものを知らねばならないという。男は、値をつけるさえ躊躇った骨董屋がそうっと教えてくれた基本に倣って、閑を見つけては美術館や寺に足を運んで所謂博物館入りの銘品を見物するのを趣味にしていた。そうしているうちに、専門の用語などはわからずとも、筆の勢いやら顔料の質やら構図の取り方やらから画家の器量それとも画のよしあしを推し量ることができるようになってきた。それと共に、男は、代々が集めて来た軸の質も了解するようになった。なるほど余りよいものではない。顔料に金をかけたわけでない、筆調はどちらかといえばお弟子さんのレベルである。ただ、そこには、誰かの模写やらでお茶を濁そうとはしない、自分の思ったものを描いてやろうという意気込みがあって、それが何とも好もしかった。値とはつまり誰かがそれを欲しがる度合いだ。その点からは価値はないかも知れぬ。だが、ありきたりでない題材をわざわざ時間と材かけて描き、またそれを手間かけて表装するという、そのあたりの無駄にも思える遊び心がつまりこれらの軸の価値なのだ。
(今でいえば、味のある絵手紙のようなものだな)
男は思った。
だがこの鯉の軸は違っていた。まず使われている顔料の質が違う。いつごろのものかはわからないが、実に鮮烈な発色、まるで滴ってくるような、乾きゆく匂いを嗅げるほどの。またその筆使いは、緻密にして大胆、うろこなどは実に丹念に面相で数えられるほどに描いておりながら、その上に枝を広げる紅葉の幹の表現などは、震えが来るほどに闊達である。ただごとではないな、男は思った。ただごとではない。これほどを無名が描くとも思われないが、私のところなぞに一体そんな銘品が蔵されていることがあるのだろうか?
落款はなかった。だがそれは問題ではない。函にはただ「鯉」と記されている。ああ鯉だとも、なるほど鯉だ、男は諦めるように考えた。畢竟この軸の由来の手がかりはなかった。あるのは何人かがたらした絵の具の跡だけ、詞書の一つもないのはどうしてだろうと暫く腕組んで考えていたが、
(何、どうせ金にするつもりなどないのだ、己のこころの拠るものに値を付けてもらうほど落ちぶれてもいない)
と考えて、結局調べる気持ちを更地にしたのだ。
だが男は大層その軸を気に入って、季違いだというのに、喜んで床の間に飾った。正直、いくら資料的価値がありそうだからといって、市井の人々の拙い手のものを飾っているのには飽きていた。よいものを見れば見るほど自宅のものが素朴に思われ、それでも新しい軸など購う金もなく、軸も誰にも愛でられなくば可哀相と、それだけの気持ちで飾っていたのであったから、鯉を、ほんとうに、男は喜んでいたのだ。
昼寝をしていた折のことである。
ぱしゃり、ぽちゃん、と水音がする。
(何だろう、盥でもしまいわすれたか)
と、夢現に音のなりゆきをなぞっていると、何かが自分の顔の横をすっと通り過ぎてゆく気配がした。
(おや)
男は思った。それは確かに何かの鰭それともぬめった体のように思われたのだが、どうしてか目が開けられない。そのうちにまた眠りに落ちてしまい、目が覚めたときにはもう午後の五時。男は寝入りばなの出来事を思い出し、思わず掛け軸を見た。他に思いはやらず、掛け軸だけを見た。真の銘品の中には、いのちを持つものがあると聞いたからである。
鯉は、つまらなそうな顔のまま、眠るまえと少しも変わらぬ位置で軸の中に納まっていた。
男は秘密を覗きたくなった。どうにもこの軸はただの軸ではないように思われた。落款も箱書きもないのは、そこに不思議を孕んでいるからだ。
(或いはこの軸は、空の軸にまぼろしの鯉が入り込んだ、そんなものなのかも知れぬ)
そう思って男は笑んだ。世間を出し抜いたような、そんな自在な気分である。
ある日男は鯉に会うつもりで日がな一日床の間に寝転ぶことにした。大層穏やかな日で、こんな日には鯉も散歩をしたかろうと思われた。昼飯を終えて折りたたんだ座布団を枕に文庫本など読んでいると、水音がした。男は文庫から目を離さぬまま、
「鯉よ」
と呼びかけた。
鯉は、つい、と男の前に来たあと、全くそこいらは気持ちのよい真水であるというような顔で、どこかに泳いでいってしまった。
鯉は一時間ほどで帰ってきた。男は相変わらず文庫から目を離さぬまま、
「鯉よ」
と迎えた。鯉もまた、つい、と男の前に立ち寄った後、何事もなかったかのように、軸に戻っていった。
このような奇品を所蔵している、そう考えただけで、男の心は喜びではちきれそうになった。誰かに自慢するつもりはなかった。それが現実であるという自信がなかったためだ。自分の幻想であるという、客観視したがる心の囁きを、完全には打ち消せなかったためだ。空の軸を見せるという手もあったろうが、そういうこともしたくなかった。何故なら自分にとっての不思議な軸は、ここにあるではないか。それだけで男はただ満足していたのだ。
普通の日、男が勤めに出ねばならぬ日にも、鯉は同じように散歩をしているのだろうか。そうではないらしい。鯉は締め切った窓からは出られない様子。また自分が出て行った窓が閉めてあると、入れずに立ち往生する。網戸でも入りかねている。男が留守にするときは、鯉は家の中ばかりを悠々と泳ぎまわっているらしい。男は鯉のために留守中家の中の扉を全て開けたままにしておいた。それで便宜をはかったつもりだったのだが、鯉もそんな男の心遣いを察しているのか、男が寝たふり知らんぷりをしていなくても、必ず前に立ち寄ってから出かけるようになった。
「鯉よ、鯉」
ある日男はいつものように鯉を見送った。
鯉は、いつまで経っても帰ってこなかった。
空になった軸を、男はずっと飾ったままにしておいた。
いつ鯉が帰ってきても、戻ることができるように。
中学受験を一週間後に控えて、少年は懸命に勉強を続けていた。乗るかそるかのところで、後僅かな確信が欲しかった。そのために少年は、ほんとうに、寝る間を惜しんで勉強していた。新しい知の詰め込みと、睡眠の絶対量の不足とが、少年の正気をあやふやにしていた。
机に伏せて仮眠をとっているとき、少年は水音を聞いた。薄目を開けて見れば、一体どこからどうやって来たものか、一匹の大きな錦鯉が自室を泳いでいる。
(おや、どうしてこんなところに錦鯉が)
少年は焦点の合わない意識で考えた。錦鯉は実に自在に泳いでいる。まったくそこが水の中のようだ。少年は、ほんの僅かな間にせよ、自分がしがらみから解放されたような気持ちで、久しぶりに心底からの笑みを浮かべた。
と、飼い猫がやってきて、錦鯉に飛び掛ると、あっというまに食べてしまった。
少年は、目を丸くして一部始終を見つめていたが、体を起こすと、余り疲れているのだろうと思って、とうとう布団に横になった。
(起きたら骨を片付けよう)
そう思いながら。
目を覚まして。
部屋はいつもと同じ、何もない、畳の間。
(骨は一体どこにいったろう)
少年は、再び問題集に向かいながら、いつまでもいつまでも、そのことを考えていた。
終