16 少女は魔王様の城に行く
金曜の夜に鈴の家でご馳走になった私の胃袋は至福の時を味わった後に、痙攣するほどの胃痛を味わう羽目になった。朝はうなされていたようで鈴に体を揺すられて目覚まして酷く心配させてしまうほどで『悩みがあるなら力になるよ』と言ってくれた。
鈴の友情を疑うわけじゃないけど男が絡むと躊躇ってしまう。何しろあの生徒会長様のファンクラブ会員――地下組織の一員。下手な事は言えない。
「食べ過ぎて消化不良みたい」と誤魔化したが、しっかりセレブな朝食を完食し呆れられたのは言うまでもなく「それだけ食欲があるなら大丈夫。でも何かあるんなら言ってね」と言ってくれる。鈴の優しにほろりとしてしまうが、やっぱり言えない。生徒会長に目を付けられて付き纏われてるなんて悩みと言うより自慢にとられても困る。なにしろ鈴は生徒会長の虚像しか知らないから怖いのだ。
美形は厄介だ。
それだけで周囲を味方につけて私の方が悪くなる方向に展開していく気がするのはラノベの読み過ぎだと思うが、気を付けるに越した事はない。
だけど鈴を騙しているような後ろめたさがあり、課題を理由に昼前には家に戻る。実際に課題が沢山あり四苦八苦で片付けるが、分からない所はお兄ちゃんが帰って来るのを待って聞く事にした。
お兄ちゃんが帰って来たのは7時過ぎで今日もバイトだった。お母さんに聞けば夜明け近くに帰って来てからシャワーをして仮眠をして昼にはコンビニのバイトだったらしい。鈴のお兄ちゃんは週末も友達や彼女とキャンパスライフをエンジョイしているのに、勉強とアルバイトに勤しむ勤労学生の鑑のようで尊敬しているが、私もこうなるのかと思うと未来が暗くなる。
夕食後、疲れているのに私の勉強を見てくれる地味な顔を見ながら聞いてみる。
「お兄ちゃんはこんな生活嫌にならないの? 他の友達は遊んだりしてるんでしょ」
「そうだな… だけど俺みたいな奴は結構いるぞ。俺なんかまだ親に授業料や生活費も出してくれるが、中には奨学金で大学に行っている奴もいる。だが奨学金と銘打ってるが実際は低利子の学費ローンで卒業したら利子を加えて返済していかなきゃならないんだ。一方で親のすねをかじって遊びほうけている学生がいるのもいて格差を感じ羨ましいのは本音だが、所詮は無い物ねだりだ。今の現状を打破して自分の未来を切り開いていった方が有意義だろう」
「分かるけど… 私は友達とショッピングしたり、食べ歩きもしたい」
「瑠璃は女の子だしな。 俺は三年まではしっかりバイトして金を貯めておかないと四年になれば就活や卒論で忙しくってアルバイトが出来なくる。だが卒業して就職すれば少しは家も楽になるし瑠璃が苦労しないよう援助してやるよ。だから高校は確り頑張れ」と言って頭をワシワシと撫でられてジ~~~ンとしてしまう。
「お兄ちゃん、地味で全然もてないけどお兄ちゃんは世界一のお兄ちゃんだよ」と目を潤ませて力説すると「アリガトウ」と儚げに笑みをこぼした。
やっぱりお兄ちゃんは頼りになって人生の師匠だと尊敬するのだった。
そして日曜日には朝から美紅の家に自転車で向かう。学校とは反対方向で山手の方の高級住宅街でこの地域では日本のプチ・ビバリーヒルズと言われていた。そして美紅が書いてくれた地図を頼りに着いた場所は、うっそうとした樹に囲まれた庭にある洋館だった。
「なんでこうも格差を感じる友達ばかりなんだろう」と大きな門の前で呟いてしまった。
昨晩のお兄ちゃんの言葉が無かったらいじけそう。
気を取り直して門のインターホンを鳴らす。
すると『はい。どちら様でしょう』インターホンからアニメの声優張りの美声。メーテルの声優さんに似ていた。お母さんかな?
「あ、 美紅さんの友人で白鳥と言います」少しかしこまって言う。
『お嬢様からうかがっております。門を開けますので玄関で少々お待ちください』
お嬢様!? すげーーーー! お手伝いさん! リアルメイドさん! と庶民な私は興奮してしまった。
そして大きな鉄柵の門がギィ~~~~~ィイと不気味な音を立てて自動で開く。
メンテナンスが行き届いていないようなので油をささないといけないと美紅に教えてあげよう。
恐らく我が家が一戸分はいるほどのスロープを歩き玄関の前に立つ。二枚の重厚な彫刻が施された木製の扉で家のテーブルより高そう。きっと樫の木とか高いんだろうなーっと考えていると扉が開けられる。
「どうぞお入りください。お嬢様がお待ちです」と美しい声に誘われて現れたメイドさんを見て絶句。
声が詐欺だ! と思わず心の中で叫ぶ。。
何故ならリアルメイドさんを期待していたのに、出て来てくれたのは普通のエプロンをした普通の中年のおばさん。 私の名前のギャップ並だと近親感がわく。
「どうかなさいましたか」
お手伝いさんが立ち尽くす私に不審そうに声を掛けるので「何でもないです。お邪魔します」と出されたスリッパに履き替えて中に入る。玄関は広いホールになり正面にお洒落な螺旋階段になっていて美紅が丁度下りて来る。
「いらっしゃい瑠璃。2階に行きましょう」
「お早う美紅。来たよ~」
現れた美紅は清楚なお嬢様風で白いブラウスに紺のカーディガンを羽織り青の短めのフレアースカート。対する私は昨日と変わらないラフな服装だ。私は普通だから美紅と比べちゃいけないと言い聞かせる。
案内された美紅の部屋もお嬢様仕様かと思えば、おじ様の書斎といった感じで、重厚な年代を感じる机に壁一面の本棚に高そうな風景が飾られているだけで女の子の部屋には見えなかった。
「なんか由緒正し書斎な部屋だね」と正直な感想を言う。
「日本語が変よ。それより中学の数学の教科書は持ってきたの」と早速勉強らしい。
「はい。先生。宜しくお願いします」
「私が教えれば中学生レベルの数学は余裕で理解できるようになるから任せなさい」流石大賢者様。頼もしい言葉。
早速、立派な机に教科書を出して言われた椅子に座る。
「まずはこの問題を教科書を見ていいから解いてみて」とプリントを渡されるので、問題を解いていく。数と式の問題がびっしりとあり、簡単なものは直ぐに解けるけど、分数が混じってくるとチンプンカンプンで解けなくなる。それを見ていた美紅は「もしかして分数が分からないの」と引きつるように言葉を漏らす。
「チョッと苦手かな」と控えめに答えると「小学生から見直すしかないようね」と大賢者様は速攻で英断を下すのだった。それから昼まで小学生の算数を分数から教えてもらい合格を貰うとノックと共にお手伝いさんの美声がドア越しから掛けられる。
「お昼の用意が出来ましたので食堂までお出で下さい」
やっぱしメーテル~~~~~~~~~!
「ありがとう。直ぐに行きます」
そう言えばお昼を考えてなかった…のは嘘でちゃっかり期待していた。こんなお屋敷の昼食だからフォークにナイフだろうかと期待が膨らむ。
「それじゃあ、お昼にしましょう」
「勉強まで教えて貰ってお昼まで御馳走になるなんてありがとう~美紅」悪びれもなく感謝する。
「いいのよ。未来の相方だもの」とお嬢様の気品あふれる笑みを見せられ、自分の将来の寝首を抑えられつつある恐怖を覚えてしまう。美紅に勉強をこのまま教えてもらうのは危険な気がするが背に腹は代えられない。お兄ちゃんの期待を裏切らない為にも高校を卒業したかった。
それに美紅はハバードに留学予定で4年は日本にいないし、その間に美紅も芸人なんて忘れ違う道に進むかもしれない。そもそもお嬢様で才色兼備の美紅に芸人なんて似合わないと誰もが思うだろう。
絶対に家族が反対しそうだ。
「そう言えば今日は家族の人はいるの」
「両親は海外で今はお婆様と暮らしているの」
こんな大きな家に二人とは寂しそう。
「へー海外で何をしてる人なの」
「日本官僚や政治家の接待及びビザの発行よ」
「へ……」よく分からないけど突っ込んで聞くのは止めておく。私には関係ない世界だよと流す。
食堂のに案内されると着物を着た厳格そうなお婆ちゃんが既に席に着いていた。
「お婆様、友人の白鳥瑠璃さんです」美紅が紹介してくれる。
「いらっしゃい白鳥さん。美紅がお友達をお呼びするなんて初めてで、ゆっくりしていって下さいね」と上品な微笑みを浮かべる。笑うと目尻の皴がより一気に優しそうに見えてくる。
しかし私が初めてなんて美紅ってボッチだったのか……と疑問。
「ありがとうございます。美紅には勉強を教えて貰って助かってます」とぺこりと頭を下げる。
「こんな普通のお友達が出来るなんて安心したわ。 これまでは」と言い掛けるが「お婆様」と美紅が遮ってしまう。
「あら……年よりは話が長くなって駄目ね。お腹が空いたでしょう遠慮せず沢山食べて」と言うとタイミングよくお手伝いさんがワゴンに乗せた料理を運んで来てくれた。白いクロスの掛けられたテーブルにはコーンスープにサラダとデミグラスソースたっぷり掛かったトロトロ卵のオムライスが美味しそうに湯気を立てている。一昨日から食生活が充実していて幸せを噛みしめる私。辛い事が多かったせいか、それだけでも報われたような気がするから不思議なものだ。
幸福のメーターが結構お手軽になったのを否めない。
「それでは頂ましょう」と美紅のお婆ちゃんの合図で食べ始める。
とてもハイソな雰囲気なので上品に食べようと心掛ける。
「頂ま~す」とスプーンを取り早速オムライスを一口上品に口に運んだ途端に濃厚なソースと半熟トロトロの卵にチキンライスの絶妙なハーモニーに悶絶してしまい「超美味し~~~~! 何これ!! マジっすかーー!」と素で絶賛してしまう。
はっきり言って悪いが鈴の小母さんの家庭料理とは比べ物にならない。
まさにプロの味!!
「まぁ~喜んで貰えて嬉しいわ」とニコニコするお婆ちゃんの言葉にハッとする。
「ごめんなさい あんまり美味しいくて」庶民丸出しで不味かったと恥ずかしくなり詫びる。
「いいのよ。ご自分の家にいるように楽しんで食べて……光がいた頃も会話の飛び交う明るい食卓だったから」と懐かしそうにする。
「光?」
「美紅の亡くなった兄なの」と寂しげに言うと「食事中に止めてお婆様」とまたしても美紅が止める。
「そうね。初めてのお嬢さんにこんな話をするなんて……年を取ると駄目ね」
美紅のお兄ちゃんがいて亡くなっていたなんて知らなかった。
しかしこの暗いムードを払しょくするためにも美紅のおばあちゃんに「そんなことないです。うちのおばあちゃんに比べて綺麗だし上品で素敵です」と褒める――事実そうだ。
私のお婆ちゃんが田舎のばあちゃんなら美紅のお婆ちゃんは貴族の大奥様ほどの格差。
「まぁ、褒めてくれてありがとう。 白鳥さんにもお婆様がいらっしゃるの」
「はい。田舎でおじいちゃんと田んぼと畑で頑張てます」
「お元気なのね」
「凄い元気で、今年の田植えが終わった翌日にはアイドル歌手のコンサートに行ったって電話がありました」
「バイタリティ溢れている方で羨ましい。私は家に篭りがちだから見習って偶には出かけようかしら」
「それがいいです。まだまだ人生はこれからで楽しまないと勿体ないが家のばあちゃんの口癖です」
それから田植えを手伝った子供の頃の話などをして楽しく昼食を食べる。食事中は会話はNGのもっとかしこまった家かと思ったけど案外気さくなので調子に乗ってしまった。そして、その所為か3時のお茶の誘いまで受けて気に入られたようだ。
部屋に戻り再び勉強になるが、「お婆様のあんな楽しそうな顔は久しぶりに見た。瑠璃ってやっぱり凄い」と珍しく私を褒める。
「そうかな 普通に話してただけだよ」
「私には出来ない。本当はお婆様を笑わせてあげたいけど、私には人を笑わせる才能が0だから」激しく同意したくて頷きそうになってしまったが何とか堪える。
「それだけ才能に恵まれてるんだから、一つぐらい無くたっていいじゃない」と慰める。私からすればお嬢様で才色兼備の羨ましい存在なのだが。
「人よりずば抜けて頭が良くったって周囲の人に幸せだって感じさせられない。でも兄さんも馬鹿だったけど面白い事を言って皆に好かれる人気者でお笑い芸人になるのが夢だった」
その「も」って私かと引っ掛かる。それに私は決してお笑い芸人は目指していないぞ! と突っ込みたかったが「……名前の通り明るい人だったんだ」シリアスな雰囲気なので、ここは流そう。
お兄さんは病気か事故で死んだのかな?
そこまで踏み込んで聞けない。
「そう。だから私は兄さんの代りに芸人になって、沢山の人に少しでも笑ってもらい楽しい時間を味わって欲しいの。兄さんの夢だったから――」
「お兄ちゃんが大好きだったんだね」じーんと感動してしまう。
「だから瑠璃に協力してもらうためにもせめて大学は出て」と結局は私を相方にするのを諦めていない様子。
しかし東大からランクが引き下げられた。どうやら私の学力を理解してくれたようだ。
「私も大学は行きたいから勉強は頑張るよ」勉強を強調してみる。美紅がいくら亡き兄の意思を引き継ぎたくても私は第三者で関係ない。
しかし美紅は「二人で世界を目指しましょ」と無視するように、ひしっと手を取るが「いや……それは、ちょっと…考えたいかな」とやんわりと断ろうとすると
「大学合格は私が無償でサポートするけど」と大賢者様でなく魔王様な美紅の顔で誘惑する。
相方になるなら無償じゃないと思いつつ脳内で計算してしまう。
普通の頭の私には自力で勉強は限界があり塾には通えないし、お兄ちゃんに教えてもらうには学業やアルバイトがあり気が引ける。家計の負担を考えると国立大しか狙えず、浪人なんてもっての外だ……お笑い芸人…大学出身者は結構いるみたいだけど潰しが利くだろうか? そうだ、別段就職して趣味でやる分には問題ないよね? 芸人は下積みが長くってアルバイトをしながら少ない営業ステージをこなしているイメージ。
そして相方を選択するしかなかった。
「うっう… 宜しくお願いします」と苦渋の決断をする。
「これで契約成立ね」とにやりと差し出す右手を震える私の右手で握りお互いの意思を確認するのだった。
そして魔王様に身売りを決意し、私は村娘Bから魔王様の腹心Aに格上げされたようだ。決して手下Aじゃないよねと憂えた。
「ところで魔王様、一つご相談が」
「何かしらルシファー」すかさず魔王に反応して返してくれる美紅。ルシファーって堕天使だったはず。つまり私は堕とされただね…笑い的センスとしてはやっぱり低く、それより黒いモノを感じてしまう。芸人としてどうなんだろう。売れなさそうな気がして趣味で終わりそうで安心する。
そんな黒い美紅にあの事を相談するにはうってつけだ。
「実はイチゴの件なんですが、桜花高校だけでなく近隣高校の女子高生達にも反感を買いそうなんです~~~どうかいいお知恵をお貸しください」と泣きつき、それから鈴から聞いたファンクラブと、会長に因縁をつけられた経緯の詳細を話すのだった。
――そして
「なんだか思い込みが激しい厄介な男のようね。手っ取り早い方法は、生徒会長に何かしらの罪を捏造して退学に追い込めば瑠璃は安泰よ」と恐ろしい真っ黒な発想に相談する相手を間違えたと後悔する。
「魔王様、どうか穏便な方法でご検討を」をと願い出る。
「でも事情を知っている生徒会役員に口裏を合わせてもらっても、結局瑠璃がイチゴだって漏れるのは時間の問題よ。その生徒会長が瑠璃がイチゴだって呼びかけたらお終いじゃない。それとも瑠璃が学校辞める?」
「絶対に嫌」高校中退なんて負け犬人生は送りたくない。
泣きつく私に「仕方ないわね。従兄に相談してみる」と乗り気のしない感じで言った。
「従兄?」
「桜花の副会長は私の従兄なの。生徒会長に話を付けてもらうようお願いしてみるから」
副会長ってメガネを掛けた腹黒イケメンを思い出し納得する。
「宜しくお願いします~~~~」と思わず拝むが魔王が一人増えた気がするのは気のせいだよね。ハル先輩に月曜日に会えるから副会長の事も聞いてみよう。
「それじゃあ問題は解決しそうだし、午後の勉強を始めましょ」とプリントを差し出す。
「はい」と素直にプリントに向かうが、私って絶対ルシファーじゃなくって使い魔ぽいよなっと思いながら問題を解くのだった。
結局、6時までみっちりと数学を教えてもらうが中学生レベルをまだ半分もクリアーしていない私は当分週末に美紅に教えて貰える事になった。
「来週も遠慮なく来てね瑠璃ちゃん」と玄関に見送りにきてくれた美紅のお婆ちゃん。お茶の時間に更に打ち解けて名前を呼んでくれた。出してもらったブルーベリータルトも絶品だった。
「はい! ありがとうございました」
「外は薄暗いけど本当に自転車で大丈夫? 車で送っていてもいいのよ」
「大丈夫です。学校より近いですし慣れてるんで」
「そう…でも女の子だし」と心配してくれる。
「それじゃ美紅、ばいばい~~」とペダルに足をやり一気に踏み出す。「気を付けて瑠璃」と背後から手を振ってくれる美紅に私も手を振って別れるのだった。
明日は学校だが取り敢えず会長様が私に近付いてこないのを願う。