遺書
部屋には、一か所出口があった。僕はそれに背中を向けていた。
目の前には、傷ついて息絶え絶えの少女が横たわっている。何もせずとも、死んでいくのは明白だ。
僕は、彼女に銃を向けていた。手が、震えている。
『どうした、なぜ殺さない』
耳につけた通信機から、上司の声が響く。優しく、諭す声だ。
『ターゲットはもう死ぬ寸前だ。お前が殺さなくても、いずれ誰かが殺すだろうし、その前に死ぬかもしれない。だから、お前の手柄にしろ。お前の手柄に』
この部屋にたどり着いたとき、彼女はもうこの状態だった。いつ死んでもおかしくない、そんな状態だ。
鼓動が早くなり、息が浅くなる。手が震え、けれど、トリガーには指がかかっている。
「……ねえ」
ゆっくりと、顔を持ち上げて彼女は僕を見た。その瞳からは光が失せ始めている。
もうじき、死ぬだろう。
「私を……あなたが殺して」
さっと、血の熱が奪われていくようだ。その瞳は優しく、そして笑みを浮かべていた。
「ねえ、殺して、私を」
『どうした、殺せ』
息が詰まる。
指に命令する。引け。引け。引け。
だが、心は、感情は感じている。
――もし殺せば、僕は僕でなくなるだろう。
引き金に、指を掛ける。
「ぃ……や、だ……」
絞り出した声は、擦れ消えそうなほどに、小さい。
「殺して」
『殺せ』
リフレインする。
『殺せば、お前は自信を手に入れる。そして、その先でお前は進んでゆくことができる、その自信のおかげでな』
だけど、殺せばもはや僕は僕でなくなるだろう。きっと、感情の一片からすべて、まるでオセロのように白から黒へと変わるように、変わっていくだろう。
「ころ、して……」
彼女の声は弱々しくなり、目の光もどんどん消えていく。
「私が生きている間に……」
『殺せ』
「殺して」
『殺せ』
「殺して」
「いやだ……」
『殺せ』
「殺して」
『殺せ』
『殺して』
「殺せ」
『殺して』
そして、僕は、
――モット、タクサンノコトヲカンジテイタカッタヨ。
銃声は、軽い音だった。
彼女の額に赤い穴が開いて、硝煙のにおいが部屋に充満した。
「あ」
崩れ落ちていく彼女の体。
暗転する視界。
崩れていく音。
膝をついて、何とか耐えた。
肩で息をする。鼓動が早く、でも、何か新しくなった感じだ。
「ぅるぅぅぅ」
そこで、気づいた。自分の声がおかしいことに。
体中がおかしい。こそばゆい、むずかゆい感触が全身を走る。
手袋を取り自分の手を見た。
それは、獣の手だった。短く生えた毛と、手のひらの肉球。
彼女の瞳に映る僕の姿はもはや――
もはや、ただの獣だった。