二章四話氷の牢獄
人形は主の声を聞き目を覚ます。
自分は今、液体の満たされたガラス状のケースの中に丸まるように漂っている。
辺りを暗闇で何も見えはしない。
再び目を閉じ体中の状態を確認したところ特に異常はなく、以前の戦闘で負った傷も完全に完治している。
それを確認した直後、再び主の声が人形の耳に入ってきた。
「傷は治ったようだな。では任務の続きだ。今度はしくじるな」
人形の答えは決まっている。
「イエス。マスター」
「そこ!!今ゴミをゴミ箱にいれずに放り捨てたでしょ」
目ざとく放り捨てた瞬間を見ていた綾香が急ぎ足で放り捨てた本人の元へ向かう。
その様子を剣二は目で追いながら歩いて彼女の後を追いかける。
現在、時間は放課後、今日は剣二と綾香が見回りの当番だ。
休憩時間や昼休みも同じように見回っていたので大方の事は教えてもらっている。
剣二が綾香のところに追いついた頃には綾香に叱られていた生徒は綾香に頭を下げて急ぎ足でその場から離れようとしているところだった。
「やっと来た」
去っていく生徒を横目で見つつ綾香がこちらへ振り返る。
「もう、こういう時は早足で動かないと相手に逃げられるわよ」
「まあ、そうなんだろうけど……」
理屈ではわかるがゴミを放り捨てただけの相手にそこまでしようとは思えない。
この辺はまだ一般生徒の時だった感覚を引きずってしまっている。
直さないとなと剣二は心の中で呟く。
と、綾香から外した視線が何かを捉えた。
迷わず剣二は持っていた剣を投擲する。
次の瞬間剣が何かとぶつかった。
剣とぶつかったそれは床に落ちてこちらへ転がってくる。
それは球体のアーティファクトだった。恐らく剣二と同じ意思操作型のタイプだろう。
「すみません……げ!?」
そこへ恐らく持ち主であろう男子生徒が謝りながらこちらへとやってきた。そしてこちらの正体に気づくと驚いた声を上げやってしまったという表情へと変わっていった……
「全く……狭い廊下でアーティファクトを使うなんて……」
綾香が怒った表情でそう呟く。
「まあ、さすがにあれはフォローできないな」
あの後綾香に捕まった男子学生は風紀委員の本部に連行され綾香からの叱りを受け解放された。
表情からは本気で反省していたようなので恐らく次からは本当に気をつけるだろう。
「あ、そうだ。お礼がまだだったね。助けてくれてありがと」
助けられた礼をしていない事に気がついた綾香が剣二に礼を言う。
「気にするな」
何でもないという表情で剣二は答える。
二人は現在グラウンドにいる。剣二は素振りを綾香はそれを見学している状態だ。
達也は今日はいない。家の都合で早く帰らないといけないという理由でそれを告げに来てそうそう帰っていった。
だから今日は素振りをやっている。
素振りといってもただ縦に振るだけではない。横や斜めや突き等達也から教わったいろいろな振り方で剣を振っている。
「だいぶ、よくなってきたね」
その様子を見て綾香が感想を漏らす。
「最初の頃は確かに酷かったからな」
その時の事を思い出したのか苦笑を浮かべて剣二は答える。
「ところで前から気になってたんだが綾香は練習とか訓練とかそういうのはしないのか?」
ふと、以前から気になっていた事を思い出しせっかくなので聞いてみる事にした。
「私のアーティファクトは人のいるところじゃ、ね……」
「なるほど」
彼女のアーティファクトは砲撃。それもかなり射程がある。人のいる場所では危なくて練習などできないだろう。
「だから、個人練習は家でしてるから別に心配しなくてもいいよ」
こちらを気遣うように彼女はそう言ってくる。
「なら、見学せずに帰って練習したほうがいいんじゃないか?」
相手の事を思って言った言葉だったが彼女には別の意味に取ったようだ。
「それって遠まわしに邪魔だからさっさと帰ってって意味?」
笑顔ではあるがどこか怒った感じの綾香がそう尋ねてきた。
「いや、ただ見学したせいで成績が悪くなったりしたらなんていうか悪いと思うし……」
せっかく全学年で第4位の実力を収めているのだ。できればこのまま維持して欲しいと剣二は思う。
「大丈夫。練習は毎日、決めた時間だけしているし、剣二の見学に来てからもペースは落としてないから心配しないで」
剣二の言葉に少しキョトンとした顔をした綾香だったが、やがて柔らかな表情に変わるとそう言って問題ないことをアピールした。
「そうか。ならいいけど……」
彼女がそう言う以上剣二はもはや何も言えない。
とりあえずこのままでいいかと剣二は内心そう思いながら練習に没頭するのだった。
素振りをしばらく続けていた剣二だったが少し疲れを取るために休息する事にした。
綾香は今飲み物を買いに席を外している。
剣二は階段に座って息を整えている最中だった。
そんな時人の気配を感じた。
奇妙だったのはその気配が突然現れた事だ。
自然と気配のする方へ視線を向ける。
そこには……少女がいた。
一瞬、剣二はそれが人なのか疑ってしまった。
どこか冷たそうな手足、動くとは思えない小さな口に綺麗な顔立ち……
そして生気を感じ無い無機質な瞳……それらによって剣二は少女に対して人形を連想してしまう。
人形のような少女という事で奏を思い出す剣二だったが目の前の少女は美しさよりも、その生気の無い気配が人形を連想させる要因を作っており、それゆえに剣二は警戒した。
「誰だ?」
「主の命によりあなたを殺しに来ました」
剣二の問いに人形は答えを返す。
正直、答えが帰ってくるとは思ってなかったので剣二もこれには驚いた。
「何故、俺を殺す?」
「……」
今度は答えを返さない。
相手が動くと判断した剣二は瞬時に己の選択肢を考える。
以前の戦いから真正面から戦うのは不利なのはわかっている。
故に選択肢は時間を稼いで総一の仲間が来るのを待つか、以前のように逃げるかだ。
しかし、相手はそのいずれの選択肢も封じてきた。
気づいた時には遅かった。
「な!?」
突如、剣二と少女の周囲から氷の壁が生まれる。
壁は上へと伸びていきある程度上まで伸びるとと今度を横へと伸びて天井を作った。
剣二が動こうとした時にはもはや人が通れるほどの穴もなく、その穴もやがて閉じて消えてしまう。
こうして氷の牢獄は完成した。
「今度は逃がさない……」
相手はこちらへを見据えそう呟く。
先程の力とこの台詞。間違いなく以前襲撃してきた人物だ。
それを確認しつつ、剣二は己の判断の遅さを叱咤した。
これで逃げることはできない。助けが来たとしてもこの氷の壁を突破するのにどの程度の時間が掛かるだろうか。
こうなると助かる方法は一つ。相手を倒すことだけだ。
剣二は覚悟を決め相手を見据える。
少女は右手に氷の刃を纏わせる。
そして……
両者はほぼ同時に駈け出した。
しかしその直後、剣二は方向転換。その瞬間、氷が剣二が直進すれば来るであろうポイントに出現した。
剣二の方向転換はこれを読んでの事である。
他の剣は既に意思を飛ばして動かしている。とはいえ適当に動かしても氷に捕まるだけだ。
迂闊な操作はできない。
故に現在は剣二の周囲に待機させている。
氷を避けた剣二は再び少女の元へ近づいていく。
先に攻撃を仕掛けたのは少女。氷を伸ばして剣二に斬りかかる。
これを横に回避した剣二はそこから一気に間合いを詰め反撃する。
躱した少女に畳み掛けるように剣が一本少女に向けて飛翔していくる。
少女はその剣に視線を向けて氷に捕らえようとする。
そこへ剣二が蹴りを繰り出す。
剣の方に意識を向けていた少女は氷の剣で防ぐが意識を剣二に戻したせいで氷は発動せず剣はそのまま少女に迫る。
少女は頭を下げて何とかそれを避ける。と今度は別方向から違う剣が少女に向かって飛翔してくる。
今度こそ氷に捕らえようとする少女に剣二は持っていた剣を投じる。
視界の外の攻撃だったがそれを少女は後ろへ倒れるようにして避ける。
後ろへと倒れた少女は背後に両手をつけ後転の要領で回ると足が地に着くと同時に背後へとさらに下がる。
それを追いながら剣二は近くに残していた剣の一本を手に取る。
その直後、相手の攻撃を予感し足を止める。
予感通りに目の前に氷が目の前に出現するが足を止めていた剣二はその範囲から逃れている。
その氷を回りこみ再び少女に迫る。
氷で捕らえる事を諦めたのか、少女は手に氷の苦無のような物を生み出し投擲する。
出来る限り苦無を避けそれでも当たりそうな物は持っている剣や付近の剣で防いだり弾いたりする。
そして間合いに入った瞬間、剣二は振るための構えに入る。
相手は間合いから逃れようとするが既に他の剣が彼女の周囲を囲んでおり逃れられない。
瞬時に相手は回避を諦め防御することを選んだようだ。両手を交差させその部分に氷を纏わせ盾にするつもりのようだ。
だが、剣二は構わず全力で攻撃を放つ。
手首、腕、肩、背中、腰……
達也の指導通り、体のあらゆる部分を同時に使い剣を振る。
速度と力ののった剣が氷の盾とぶつかる。
そのまま剣は氷の盾を切り裂き少女の腕に切り傷を作った。
これには少女も驚いたようだ。目を見開きその様を凝視していた。
しかし、すぐに我を取り戻すと急いで腕を凍らし傷口を塞ぐ。そして傷を塞いだ氷を伸ばして両手に氷の刃を生み出すとこちらに反撃の斬撃を放つ。
それを剣二は周囲の剣で受け流す。そして受け流し、相手が態勢を崩したところへ一閃をみまう。
再び氷の盾で防御を試みるが剣二の剣はその氷の盾ごと相手を斬り裂く。
「ぐっ」
攻撃が効いたのか相手の口から声が漏れる。
そのまま一気に止めをさすべく剣二はさらに踏み込もうとする。
「……全リミッター解除……全出力完全開放……」
不意に少女の呟くような声が耳に入ってきた。
と、同時に感じる微かな悪寒……
攻撃を中断し後ろへと飛んだのはもはや本能だった。
突如、少女の周囲に氷が生まれ少女を覆う。そのまま氷は少女を中心にその範囲を広げていく。
氷から逃れるために剣二は退避するが気がつけば氷の壁まで下がっていた。
氷は分厚く簡単に壊せない。
そして氷が目前まで迫ってきた。