第五話:マネキン・ランウェイ
「……バイト? 俺が? なんで店主の俺が、よその店で頭下げなきゃいけねえんだよ」
阿久津は、朝からミミに突きつけられた「収支予定表」を前に、絶叫に近い声を上げた。
部屋はミミの手によって「最適化」され、かつてのジャンクの山は効率的な「サーバーラック」と「防衛ユニット」へと姿を変えていた。だが、その代償は大きかった。
『評価:管理者、算術能力に致命的な欠陥あり。先月の電気代、およびプロッタのインク消耗、さらには「千代丸」のバイクをハックした際の損害賠償予備費……。あなたの現在の銀行残高では、あと四十八時間でこの「脳(私)」の維持が不可能になるわ』
ミミは一対七スケールの体で、阿久津のコーヒーカップの縁を平均台のように歩きながら、冷徹に告げた。
「損害賠償って……勝手にやったのはお前だろ!」
『実行犯(周辺機器)はあなたよ。……さあ、管理者。秋葉原のメイン通りにあるアパレルショップ「エデン」へ行きなさい。あそこの店長は、私の演算によれば「極度の人手不足で判断力が低下している」わ。時給の交渉は私が済ませておいたから』
「……俺、三十路手前でアパレル店員とか無理だぞ」
『安心しなさい。働くのは、あなたじゃないわ』
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秋葉原の大通り。派手な照明が踊るセレクトショップ「エデン」の入り口で、阿久津は震える手でお札を広げていた。
「い、いらっしゃいませー……(小声)」
店長は死んだ魚のような目で阿久津を歓迎したが、彼が連れてきた「助っ人」を見て、さらに表情を失った。阿久津が抱えていたのは、店の倉庫に眠っていた古い「全身マネキン」だったからだ。
『管理者、早くしなさい。……お札、接続』
阿久津は店長の制止を無視して、マネキンの項に筆ペンで書かれたお札をペタりと貼り付けた。
――紙の重さが消え、樹脂の塊が「駆動」を開始する。
「ギ、ギギ……」と、不自然な関節音が響いた直後、マネキンの動きが「最適化」された。
本来曲がるはずのない関節が、ミミのハックによって滑らかに回転し始める。肩に乗った一対七スケールのミミが、目に見えない糸で操るマリオネットのように、マネキンを「最新のモデル」へと書き換えていく。
「……な、なんだ? そのマネキン、生きてるのか?」
店長が腰を抜かす中、マネキンはミミの制御下で、店頭の最新ファッションを音速で着こなし、そのままランウェイを歩くような洗練された動作で呼び込みを始めた。
『管理者、ボーッとしない。あなたはマネキンの「土台」が倒れないように見守るバックアップ用デバイスよ。……客が来たわ。笑顔を作りなさい』
阿久津の仕事は、ミミが操るマネキンが「あまりに人間離れした動き」をして周囲にバレないよう、適当な理由をつけてフォローするだけの、情けない「外付けメンテナンス要員」だった。
マネキンの動きは完璧だった。
客が服を手に取れば、ミミの演算に基づいた「最も購買意欲をそそる角度」でポーズを決め、お札を介したスピーカーから、阿久津の声(ボイスチェンジャー済み)で完璧な接客を繰り出す。
「お、おいミミ、これ……バレないか? マネキンが接客してるってバレたら、即通報だぞ」
『評価:管理者の心配は無用。今の人間は、目の前の「綺麗なガワ」しか見ていないわ。……あら、アンチウイルスのお出ましね』
通りの向こうから、私服姿で周囲を警戒する千代丸の姿が見えた。彼女は前回のハック以降、阿久津の動向を血眼で追っている。
「ゲッ、千代丸さんだ! 隠れろ、ミミ!」
『逃げないわよ。……管理者、マネキンを彼女の前に配置しなさい。彼女のファッションセンスを「強制アップデート」してあげる』
「やめろ! 警察のプライドをこれ以上折るんじゃねえ!」
阿久津の絶叫も虚しく、ミミに操られたマネキンは、千代丸の進路を塞ぐようにして華麗なターンを決めた。
「な……!? なんだ、この不気味なマネキンは! 阿久津、貴様また何かやって……!」
千代丸が模造刀に手をかけようとした瞬間、マネキンが彼女の手を優しく、しかし物理的に抗えない力で取った。
「……待て、この動き……私の“意思決定プロセス”が、先読みされている……?」
千代丸がその異常な精度に気づき、戦慄した0.5秒後。マネキンは店頭の「フリフリのピンクのワンピース」を、無慈悲に彼女の身体へと宛てがった。
『あら、旧世代の戦士。……その「男装」というプロトコル、脆弱性が多すぎるわ。まずはこの「愛され系パッチ」を当てて、システムを再起動しなさい』
お札を介したミミの声が、マネキンのスピーカーから響く。
「な、何を……!? 離せ! 私は任務中だ! 嫌だ、そんなピンク色は……あ、あああああ!」
千代丸の抵抗も虚しく、マネキンは「お札」の制限の力で彼女の動きを一時的に固定。阿久津が泣きながら試着室のカーテンを引く。
数分後。
秋葉原の大通りに、全身ピンクのフリルに身を包み、膝をガクガクと震わせながら、「理論上、これは偽装工作の一環であるはずだ……」とブツブツ呟く、魂の抜けた千代丸が放流された。
「……ミミ。俺、これマジでいつか消されると思うんだけど」
『安心しなさい。その時は、あなたの「存在」を私のバックアップデータとして圧縮保存してあげるわ』
阿久津は、マネキンの売上金(時給)を握りしめ、自分という「1/1の人間」が、いよいよ「1/7の脳」のただの運搬台車に成り下がったことを確信した。
現代陰陽師・阿久津拓海。
彼のバイト代は、全額ミミの「ハイレゾ化」のための追加パーツ代へと吸い込まれていった。




