第三話:未定義のバグ(初戦)
「……阿久津、そこにいるのは分かっている。このドアの『位相』がおかしいのも、貴様の仕業だな?」
ドアの向こう側で、千代丸の凛とした、しかし困惑の混じった声が響く。
六畳一間のジャンク部屋。その入り口のドアノブは、お札を貼られた瞬間に「鍵」としての機能を放棄していた。物理的な金属の感触は消え、千代丸がどれだけ力を込めても、手応えが「虚空を掴む」ような感覚に変換されている。
『管理者、何を怯えているの。……「検疫」が来たなら、システムをクリーンにするのが礼儀でしょう?』
阿久津の肩に乗ったミミが、小さな声で、しかし部屋中に響くような冷徹なトーンで告げた。
「ミミ、お前……『クリーンにする』って、まさか公務員を物理的に消去するつもりじゃねえだろうな! クレームどころか、国家反逆罪だぞ!」
『失礼ね。私はただ、この部屋に漂う「ノイズ」を処理しろと言っているのよ』
ミミがフィギュアの指をパチンと鳴らす。
瞬間、部屋の隅に積み上げられていた「動作未確認・返品不可」のジャンクモニターたちが、一斉にバックライトを点灯させた。
「キィィィィン……」
第一話よりも鋭く、耳の奥を掻き毟るようなコイル鳴き。
その不快な高周波が部屋を満たした直後、阿久津の背筋に氷を押し当てられたような悪寒が走った。
(……なんだ? 空気が……重い……?)
部屋の中央、ハックされたルンバが激しく回転を始めたその中心に、半透明の「歪み」が生じていた。
その歪みの中で、一瞬だけ、助けを求めるような「人の顔の輪郭」が形成された。 それは苦悶に満ちた、しかし解像度の低い、あまりに脆い「意味の気配」だった。
「う、うわああ! 出た! 本物だ! 呪い返しだ!」
『騒がないで。……ただの「未登録の不要データ(野良バグ)」よ。管理者、さっさと次のお札を書きなさい。……今度は「吸引」と「圧縮」のプロトコルよ』
ミミに急かされ、阿久津は震える手で筆ペンを走らせる。もはや彼に拒否権はない。ミミが彼のスマホの「送信予約画面」を開き、全フォロワーに向けて「俺の恥ずかしい自作ポエム」を放流しようとカウントダウンを始めているからだ。
「書いた! ほら、これでいいんだろ!」
阿久津が書き上げたお札を、ミミは肩から飛び降りる勢いで奪い取ると、超高速で回転するルンバのフロントバンパーにペタりと貼り付けた。
――接続、完了。
ルンバの駆動音が、吸引力の限界を超えた「咆哮」に変わる。
ミミの演算によって制御された「お札」は、ルンバのモーターを「霊的エネルギーの真空ポンプ」へと書き換えた。
『デバッグ開始。――吸い込みなさい、周辺機器』
掃除機は、物理的なゴミではなく、目の前の「半透明の歪み」に向かって突進した。
幽霊と呼ばれたバグが、悲鳴にも似たノイズを上げ、ルンバの吸込口へと引きずり込まれていく。一瞬見えた「顔」が、引き千切られるようにして暗いダクトへと消えた。
「ちょ、待てミミ! 幽霊を吸い込むなんて、ルンバのダストボックスが爆発するぞ!」
『安心しなさい。さっき統合した初期型PCの「外部ストレージ」に、圧縮してアーカイブしてるわ。……管理者、仕上げよ。その幽霊の「存在」を、ただの「テキストログ」に制限しなさい』
ルンバが幽霊の最後の一片を飲み込んだ瞬間、部屋に再び「異様な静寂」が訪れた。
初期型PCのモニターに、緑色の文字が流れる。
[STATUS: DEBUGGED. FILENAME: UNNAMED_BUG_001.ZIP]
「……吸い込んじゃったよ。本物の幽霊を、中古の掃除機で……」
阿久津が腰を抜かして座り込んだ時、ようやくドアの「接続」が解け、千代丸がなだれ込んできた。
「阿久津! 無事か! ……な、なんだ、この部屋は……」
千代丸が目にしたのは、整然と(物理法則を無視して)積み上げられたジャンクの山と、その頂上で優雅に座り、お札の貼られたルンバを「足置き」にしている一対七スケールの美少女フィギュアだった。
『あら、アンチウイルス。……一歩遅かったわね。このエリアのバグは、既にパッチ(お札)を当てて処理済みよ』
千代丸は抜いたばかりの模造刀(特注の霊力伝導金属製)を構えたまま、呆然と部屋を見渡した。
そこには、自分が追いかけてきたはずの「怪異」の気配は微塵もなく、ただ、阿久津の「三万八千円の基板」から、香ばしい電子部品の焼ける匂いが漂っているだけだった。
「……阿久津。貴様、一体何を……『接続』したんだ?」
千代丸の震える問いに、阿久津はただ、ミミの「送信予約キャンセル」の通知を見て、魂が抜けたような顔で答えるしかなかった。
「……『掃除』ですよ、千代丸さん。……すげえ、高価な、掃除です……」
現代陰陽師・阿久津拓海。
彼とミミによる、物理的な「世界のデバッグ」が、ついに国家の監視役(千代丸)の目の前で、取り返しのつかない形で起動してしまった。




