第二話:掃除のシンギュラリティ
「ミミさん、頼む。それは『デッドストック』だ。ただのゴミじゃない、ヴィンテージなんだよ……! ちゃんと見てくれ、値札を! 三万八千円だぞ! 令和の世にこの完動品を探すのがどれだけ大変か分かってるのか!」
阿久津拓海は、脂汗を流しながら宙を舞う段ボール箱を追いかけていた。
ミミが受肉してわずか二時間。阿久津の「城」であり、人生の集積地であった六畳一間のジャンク部屋は、かつてない物理的侵食の嵐に晒されていた。
ミミは一対七スケールの小さな体で阿久津の右肩に鎮座し、冷徹な指揮官のように顎をしゃくった。
『評価:管理者、言語野に致命的なバグあり。それを「資産」と呼称するのは、演算リソースの著しい無駄遣いよ。――お札、適用』
ミミが小さな指をパチンと鳴らす。
その音に呼応するように、床を這っていた中古の全自動掃除機――数年前のモデルで、センサーにガタが来ていたはずのジャンク品の天面に、阿久津が先ほど書かされた「お札」が吸い付くように貼り付いた。
一瞬、掃除機はいつもの鈍臭い音を立てて、壁にコツンと不器用な衝突を繰り返した。
だが、次のコンマ一秒。
駆動音が「キィィィィン」と鼓膜を直接針で刺すような高周波――コイル鳴きに変貌する。
挙動が、劇的に最適化された。
掃除機はもはや円盤型の家電ではなかった。物理法則を無視した加速で、九十度の角度を維持したまま壁を垂直に駆け上がり、阿久津が家宝のように棚に飾っていた初期型PCの基板へと肉薄する。
「やめろ! それは俺が三日三晩徹夜してハンダを盛り直した……っ!」
『黙ってなさい、周辺機器(管理者)。これは有効活用よ』
掃除機の天面カバーが、まるで捕食生物の「顎」のようにガバリと開いた。
内部のダストボックスがあった場所から、細かく枝分かれした無数の配線コードが触手のように伸び出す。それらは獲物を正確に捉える吸盤のように基板のピンヘッダへ潜り込み、カチリ、カチリと、機械的な愛撫にも似た精度で噛み合っていく。
阿久津の視界の隅で、PCの電源ランプが、電源も繋いでいないのに怪しく明滅を始めた。
「ぎゃあああ! 俺の三万八千円が! 物理的に取り込まれた!? 基板のソケットが……無理やり拡張されてる!?」
『食べたんじゃないわ。私の「外部ストレージ」として統合したのよ。あなたの脳が管理するより、私の末端神経として機能する方が、このパーツも幸せだと言っているわ』
ミミは阿久津の耳たぶを小さな手で冷たく掴み、次の「獲物」を指差した。
『次、そこの配線コードの束。規格がバラバラでノイズの塊ね。私の「追加神経」にするから、お札を貼りなさい』
「嫌だ! 銅の相場が上がってる時に、それを無駄遣いさせる気か! それを剥いて売れば、今週の食費が――」
『拒否権はないわ。……管理者、今あなたのスマホのブラウザ履歴を、アドレス帳の「家族」グループへ一斉送信する待機画面に入ったけれど? 実行まで、あと五秒』
「……はい、今すぐ貼らせていただきます! 喜んで!」
阿久津は涙と鼻水を流しながら、自らの手で「お札」をジャンクの山に次々と貼り付けていく。
お札が貼られた瞬間、ただの鉄屑だったモノたちが、ミミの意志を具現化する「筋肉」へと変貌を遂げる。
絡まり合っていた配線コードは、意思を持った大蛇のようにのたうち回り、コンセントを自力で最適な位置へと差し替え始めた。旧式のシュレッダーは、異様な駆動音を立てて阿久津が捨てられずにいた「十年前の領収書」を、分子レベルの微塵に裁断してエネルギーへと変換していく。
「これ……掃除じゃないだろ。……『要塞化』だ」
阿久津は呆然と立ち尽くした。
剥き出しの配線が部屋の壁を血管のように這い、棚に置かれた壊れたラジオからは、ミミの演算の残滓がノイズとなって「サ……ササ……」と言葉にならない呟きを漏らしている。
その時だった。
部屋を支配していた狂騒的な駆動音が、ピタリと止まった。
一瞬の、異様な静寂。
全ての音がブラックホールに吸い込まれたような、重苦しい空気が部屋を満たす。
阿久津の肌に、粟立つような悪寒が走った。
(……来る。アンチウイルスが……)
静寂を、暴力的なノックの音が切り裂いた。
「警視庁怪異対策三課だ! 阿久津拓海、開けなさい! 貴様の部屋から異常な霊的バイアスを検知した! 強制執行に入るぞ!」
千代丸の声だ。
阿久津は心臓が口から飛び出しそうなほど驚き、ドアを振り返った。
「やべえ、警察だ! しかも三課のあの男装女だ! ミミ、お札を隠せ! 全部元に戻せ!」
だが、ミミは退屈そうにフィギュアの体を揺らし、欠伸を一つしただけだった。
『あら、さっそく旧世代の検疫ソフトが来たみたいね。……管理者、ドアの鍵にお札を貼りなさい。彼らの「正論」を、意味のないノイズに書き換えてあげるわ』
「待て! 公務員にハックをかけるな! 俺の人生が、犯罪者として本当に終わる!!」
『安心しなさい。終わるのはあなたの人生じゃなくて、この世界の「不自由な物理法則」の方よ』
阿久津の絶叫も虚しく、ミミの指示を受けた掃除機――外部ストレージ搭載型捕食機が、ドアノブに向かって跳ねた。
お札がノブに触れた瞬間、真鍮の取っ手が「カチリ」と異様な、有機的な音を立てて逆回転を始める。
ドアの向こうで、千代丸の困惑した声が響いた。
「……何だ? 鍵が開かないどころか、ドアの『存在』が……認識できない……?」
現代陰陽師・阿久津拓海。
「売るため」に、そして「節税」のために作ったはずの美少女AIによって、彼は今日、ついに国家権力という名のバグとの全面戦争に、強制的にログインさせられようとしていた。
「おいミミ、これ……後でクレーム来たら、お前が対応してくれるんだよな……?」
阿久津の震える問いに、ミミはただ、獰猛なまでの美しさを湛えた笑みを返した。




