EP2 情報
──落ちているのに、浮いている。カスミの意識は、強制的に一本の線路へ載せられたように引きずられていく。耳元で、機械が起動する音に似た低い唸りがした。
そして。
生臭い。
鼻腔にまとわりつくのは、油、鉄錆、腐った果物の甘さ、排水溝の酸っぱさ。肺が痛い。喉が乾いている。今度はちゃんと、身体がある。
カスミは目を開けた。
天井は、錆びたトタン板。隙間から白い光が斜めに差し、埃が舞っている。遠くで怒鳴り声。金属を叩く音。銃声に似た乾いた破裂音が、日常のように混ざる。
カスミは自分の手を見た。
小さい。汚れている。爪の間に黒い垢。皮膚は薄く、血管が透ける。腕の筋肉がない。力が入らない。
声を出そうとして、出てきた音に凍りついた。
「……あ」
高く、幼い。
カスミは咄嗟に周囲を見回した。薄暗い小屋の隅に、同じように痩せた子どもが二人、毛布にくるまって眠っている。壁には、廃材で作った棚。棚の上に空薬莢と、壊れたドローンの羽根。
外から聞こえるのは、拡声器の機械声だった。
《スラム区画L-9。夜間外出禁止。治安ドローン、巡回開始》
カスミは、背筋が冷えるのを感じた。
ここはサイバーパンク・アンゲルスこと〝CPA〟。原作通りなら、スラム区画L-9は序盤の〝死に場所〟だ。主人公格のキャラが初めてギアに触れ、初めて人を殺し、初めて仲間を失う、あの区画。
──だがカスミには、原作知識がある。
「……まず、最初にやることは一つだ」
幼い喉で呟く。声は震えていた。だが、震えの中に決意が混じる。
最強ギア。《リフレクト》。
既存の物理法則で動くものをすべて反射する。銃弾も、刃も、衝撃も、爆風も——─〝物理で来る死〟を押し返せる。
スラムで10年生き残るには、あれが要る。パクス・マギアに辿り着くためにも、まずは死なないための道具が必要だった。
カスミは原作の一場面を思い出した。
──「輸送車炎上」。アーク=セラフ社の回収部隊が、旧戦争遺物を積んだ輸送コンテナを護送中に、スラム境界の高架下で事故を起こす回。
原作では、そこに偶然居合わせた情報屋が〝中身〟の名前だけを掴み、後半の騒動の種になる。だが現物は登場しない。あの世界の強者たちが欲しがり続け、誰も手に入れられないまま終盤に流れていく。
——つまり、現物はそこにあるはずだ。
ただし、普通に近づけば死ぬ。回収部隊は軍用義体のプロで、治安ドローンもついている。幼女の身体では、走って逃げることも難しい。
カスミは、布切れのような上着を掴み、外へ出た。
スラムの路地は、夜の油で濡れていた。ネオンは壊れかけ、光が断続的に点滅している。配管の隙間から湯気が噴き、どこかで焼いた合成肉の焦げた匂いがした。頭上の空は、ビル群の骨格に切り取られ、細い帯のように見える。
ここで最初に必要なのは武器ではない。
情報だ。
カスミは足を止め、路地の角に腰を下ろしている男に近づいた。顔に光る刺青、片腕は安物の義手。スラムのジャンク屋だ。原作でも「手口」を知っていれば利用できるタイプの人間。
「……ねぇ、おじさん」
カスミが声をかけると、男は怪訝そうにカスミを見た。幼女が夜に一人で歩くのは、この街では異常ではない。異常ではないことが異常なのだ。
「なんだ、ガキ。施しはねェぞ?」
「施しはいらない。買い取り。これ」
カスミは懐から、昼間に拾っておいた小さな金属片を出した。ドローンの破片だ。スラムでは通貨になる。価値は小さいが、会話の切っ掛けにはなる。
男の視線が金属片に落ちる。
「……それで?」
カスミは小声で言った。
「明後日の深夜。境界高架の下。アーク=セラフの輸送が通る。検問の時間、変わるよね」
男の眉がぴくりと動いた。スラムの外の情報を幼女が知っていることが、警戒を誘う。
「どこで聞いた」
「聞いたんじゃない。見た」




