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図書室の小さな魔法

作者: しおり 雫

十月の夕日が図書室の大きな窓を柔らかく染めている。

放課後の校舎は静寂に包まれ、廊下を歩く生徒の足音も遠のいた頃、

私は一人、古い本の棚の前に座り込んでいた。


私の名前は桜井美咲。

県立桜ヶ丘高校の二年A組に通う、どこにでもいる普通の女子高生だ。

身長158センチ、髪をいつもポニーテールにまとめて、度の弱い眼鏡をかけている。

成績は中の上、運動は苦手、趣味は読書。

クラスでは「本ばかり読んでる静かな子」として認識されている、典型的な目立たない生徒の一人だった。


(また今日もここに逃げ込んじゃった...)


友達がいないわけじゃない。

同じクラスの由香里や愛美とはそれなりに話すし、一緒にお弁当を食べることもある。

でも、みんなでワイワイ盛り上がってる時に、なぜか私だけ一歩引いてしまう。

話題についていけなかったり、適切なタイミングで話に入れなかったりして、結局黙って聞いてるだけになることが多い。


中学生の頃からこうだった。積極的になりたいと思っても、なかなか前に出られない。

そんな自分が情けなくて、最近は放課後になると図書室に逃げ込むことが習慣になっていた。


桜ヶ丘高校の図書室は、築四十年以上の古い校舎の三階にある。

創立時から何度も増築を繰り返してきたせいで、迷路のような複雑な構造をしている。

入り口近くには最新のベストセラーや雑誌が並ぶライトなエリアがあり、

奥に進むにつれて古い文学全集や専門書が並ぶマニアックで静かなエリアになっている。


私のお気に入りの場所は、その一番奥の古い本の棚の前だった。

木製の古い書架には、昭和の時代から集められた文学全集や随筆集がぎっしりと並んでいる。

ここは普段、ほとんど人が来ない。

背表紙も色褪せて、見た目も地味な本ばかりだから、今の高校生には魅力的に映らないのだろう。


でも私は、この古い本たちが好きだった。

時代は違っても、人の心の奥にある普遍的な感情が描かれていて、読んでいると不思議と心が落ち着く。


今日も、いつものように床にぺたんと座り込んで、棚から一冊の本を取り出した。

『心の扉』という古い童話集で、金文字の題名が夕日に照らされてきらめいている。


ページをめくった瞬間、また例の現象が起こった。


文字が、ほんのりと光って見えるのだ。


この不思議な現象に初めて気づいたのは、一か月ほど前のことだった。

最初は目の疲れか錯覚だと思ったけれど、何度確認しても同じことが起こる。

そして、この現象は古い本の棚にある特定の本だけで起きるのだった。


光る文字を追って読み進めると、物語の内容が頭の中に鮮明に浮かんでくる。

今読んでいるのは、森で道に迷った少年の話だった。

不安になっている少年の前に杖をついた老人が現れて、こう言うのだった。


「君が探しているものは、君が思っているほど遠くにはない。

ただ、君がまだ、それに気づいていないだけなんだよ」


その時、図書室のドアが開く音がした。


「あの、すみません...」


振り返ると、同じクラスの田中翔くんが困ったような顔で立っていた。

田中くんは身長180センチを超える長身で、バスケ部のエース。

いつもクラスの中心にいる人気者で、明るくて誰とでも仲良くなれる性格をしている。

そんな彼がなぜか今日は、普段の明るさが影を潜めて、どこか疲れたような表情を浮かべていた。


「田中くん?図書委員じゃないけど、何か探し物?」


私は慌てて立ち上がった。

田中くんと二人きりで話すなんて、同じクラスになってから初めてのことだった。


「うん...実は、昔読んだ本を探してるんだ」

田中くんは少し迷うように言葉を選んだ。

「でも題名を忘れちゃって、内容しか覚えてないんだよね」


私の心臓が少し早鐘を打った。まさか、とは思うけれど...。


「どんな内容なの?」


「小学生の時に読んだ童話でさ、男の子が森で道に迷って、おじいさんに出会う話なんだ」

田中くんの目が、私の持っている本に向けられた。


「そのおじいさんが『君が探しているものは、君が思っているほど遠くにはない』って言うんだ」


私は驚愕した。たった今読んだばかりの文章と、一字一句同じだった。


「もしかして...これかな?」


震える手で本を差し出すと、田中くんの顔がぱっと明るくなった。


「これだ!まさにこれだよ!」


彼は本を受け取って、まるで失くした宝物を見つけたかのように大切そうに抱きしめた。


「ずっと探してたんだ。

小学五年の時に読んで、すげー印象に残ってたんだけど、題名をど忘れしちゃって…」


「すごい偶然だね。」


私は動揺を隠そうとしたけれど、心の中では大混乱だった。

これは本当に偶然なんだろうか?


「桜井、読んでたんだ?邪魔しちゃった?」


「ううん、大丈夫。私もたまたま手に取っただけだから。」


「ありがとな」

田中くんは本を胸に抱いて、珍しく弱々しい笑顔を見せた。

「実は俺、最近ちょっと悩んでることがあってさ...

この本に何かヒントがあるかもって思ったんだ」


私は意外だった。いつも自信満々に見える田中くんが、そんなことを言うなんて。


「悩んでること?」


「進路のことなんだ」田中くんは窓の外を見つめながら話し始めた。


「周りはみんな、俺が何でもうまくやってるって思ってるけど、正直全然そんなことなくて。

将来何したいかも、何になりたいかも、さっぱりわからないんだ…。」


田中くんの声には、普段のクラスでの陽気さとは全く違う、深刻な悩みが込められていた。


「でもさ、みんなの前じゃ弱音吐けないじゃん?

期待されちゃってるし、相談できる相手もいないし..

.一人になると、めちゃくちゃ不安になるんだ」


私は胸が痛くなった。

人気者の田中くんにも、こんな孤独があったなんて。


「桜井って、いつも一人で本読んでるけどさ、なんか落ち着いてて、自分をちゃんと持ってるよな。」


「え?」


「俺、いつも人に囲まれてるけど、たまに一人の時間が欲しくなることもあるんだ。

桜井みたいに、自分と向き合える時間を大切にできるのって、すげーことだと思う。

むしろ羨ましいよ。」


私は驚いた。

私がコンプレックスに感じていた「一人でいること」を、田中くんは羨ましがっている。


「そんな風に言ってもらえて...ありがとう」


私は素直にお礼を言った。田中くんの言葉で、少し自分に自信が持てた気がした。


「この本読んで、何か見つかるといいな」田中くんは本をそっと開いた。


「ガキの頃は、ただ面白い話だと思ってたけど、今読み返したら違う感想を持つかもしれない」


「きっと何か見つかるよ」


田中くんは微笑んで、本を大切そうに抱えて図書室を出て行った。


一人になった私は、古い本の棚を見つめた。

光る文字の現象と、田中くんが探していた本の内容が一致するなんて...。


(これって、本当に偶然なのかな?)


立ち上がって棚を眺めていると、今度は別の本が目に留まった。

『友情という名の花』という薄い小説で、表紙には繊細なタッチで描かれた花の絵がある。


ページをめくると、またあの光る文字が現れた。

物語は、転校生の女の子が新しい環境で友達を作ろうと奮闘する話だった。


その時、図書室の奥から小さなすすり泣きが聞こえてきた。


窓際の席に、隣のクラスの山田真由さんが一人で座っていた。

山田さんは私と同じタイプの大人しい子で、いつも控えめで、一人でいることが多い。

でも今日は明らかに泣いていた。


私は躊躇した。知り合いとはいえ、そんなに親しくない。

でも、手の中の本の文字がいつもより強く光っているように見えた。


意を決して、私は山田さんに近づいた。


「山田さん、大丈夫?」


山田さんはびっくりして顔を上げた。

目が赤く腫れている。


「桜井さん...ごめんなさい、こんなとこで泣いちゃって。」


「謝らなくていいよ。よかったら話聞くよ?」


私は山田さんの隣に座った。


「実は...親友と大喧嘩しちゃって」山田さんはぽつりぽつりと話し始めた。

「中学からの友達なんだけど、昨日、グループワークのことで意見が合わなくて...」


山田さんの話によると、現代社会の課題発表で、彼女と親友の中島さんが同じグループになったのだという。

でも、研究の進め方や発表方法について二人の考えが対立し、感情的になってしまったらしい。


「些細なことだったんです。

でも、お互い意地になっちゃって...最後に彼女が『もう一人でやる』って言って、それっきり」


山田さんの涙がまた溢れる。


「謝りたいんです。でも、どうやって話しかけたらいいかわからなくて...」


私は山田さんの気持ちがよくわかった。一度こじれた関係を修復するのは、とても勇気がいることだ。


「きっと、中島さんも同じこと考えてると思うよ」

私は手の中の本を差し出した。「これ、似たような話なんだ。読んでみる?」


山田さんは本を受け取って、表紙を見つめた。


「『友情という名の花』...」


「主人公の子も友達関係で悩むんだけど、最後は素直な気持ちを伝えることで、もっと深い友情を築くんだ」


山田さんは本を胸に抱いた。


「読んでみます。ありがとう、桜井さん」


「私、よくここにいるから、また何かあったらいつでも話して」


翌日の昼休み、私が図書室でお弁当を食べていると、山田さんが友達と手を繋いでやってきた。


「桜井さん!」


山田さんの顔は昨日とは別人のように明るかった。

隣にいるのは中島さんだ。


「仲直りできました!」


二人は嬉しそうに抱き合った。


「あの本のおかげです」山田さんは興奮気味に話した。

「主人公の子が勇気を出すシーンを読んで、私も頑張ろうって思えて...それで今朝、愛美に謝ったんです」


「私も謝りたかったの」中島さんも付け加えた。

「昨日の夜、ずっと真由のこと考えてて...でも、どう声をかけたらいいかわからなくて」


私は二人の笑顔を見て、心が温かくなった。本が二人の架け橋になったんだ。


「桜井さん、ありがとうございました」中島さんが深くお辞儀をした。

「私にも何かおすすめの本、ありませんか?もっと素直になれるような...」


私は微笑んで本棚に向かった。『心を開く扉』という随筆集を手に取る。

きっと中島さんにぴったりだと思った。


その後も、図書室を訪れる生徒たちが少しずつ増えていった。

山田さんと中島さんが友達に私のことを話してくれたらしく、本の相談をしに来る人が現れるようになった。


そして十一月の終わり頃、私は一人の一年生と出会った。


放課後、いつものように図書室にいると、見慣れない一年生の女の子がそっと入ってきた。

佐藤花音さんという名札がついている。彼女の目は腫れていて、明らかに泣いていた。


私は躊躇なく彼女に近づいた。

この一か月で、私は確実に変わっていた。


「大丈夫?」


佐藤さんは振り返った。

幼い顔立ちだが、その目には深い悲しみが宿っている。


「すみません...静かにしなきゃいけないのに」


「そんなことないよ。私、桜井。二年生」


「佐藤です...佐藤花音」


佐藤さんは震え声で話し始めた。


「実は...四か月前に、お母さんが亡くなって...」


私は息を呑んだ。

まだ十五歳の子が、こんな重い現実を背負っているなんて。


「今日、家庭科で『お母さんの味』をテーマにした実習があったんです」

佐藤さんの涙が止まらない。


「みんな楽しそうにお母さんの話をしてるのに、私だけ...」


佐藤さんの話を聞いていると、私の悩みがとても小さく感じられた。

でも同時に、誰もが何かしらの痛みを抱えているんだということも実感した。


「悲しい時は、悲しんでいいんだと思う」

私は優しく声をかけた。


「お母さんを亡くされたばかりなら、なおさら」


その時、私は棚から一冊の本を取り出していた。

『季節と共に歩む日々』という小説で、母親を亡くした少女の成長を描いた物語だった。


「これ、似たような状況の子の話なんだ。読んでみる?」


佐藤さんは本を受け取って、表紙を撫でた。


「ありがとうございます、先輩」


それから二週間、佐藤さんは毎日図書室に通ってきた。

最初は一人だったが、だんだん他の一年生とも話すようになって、少しずつ笑顔が戻ってきた。


そんなある日、田中くんが嬉しそうな顔でやってきた。


「桜井、相談があるんだ」


「何?」


「今度の文化祭で、クラスが図書館カフェをやることになったんだけど、手伝ってもらえないか?」


「え?私が?」


「桜井のおすすめ本コーナーを作りたいんだ。

最近、桜井が紹介してくれた本の評判がすげーいいから」


私は驚いた。いつの間にか、そんなに多くの人に影響を与えていたなんて。


「でも、人前で話すの苦手だし...」


「大丈夫だよ」田中くんは優しく微笑んだ。

「桜井は、一対一で話す時はすげー自然だし、相手も安心するよ。

それに、俺も一緒にいるから、」


私は田中くんの真摯な眼差しに、少しドキッとした。

いつの間にか、彼のことを意識するようになっていた自分がいる。


「わかった。やってみる」


文化祭当日、2-A組の教室は温かい照明とコーヒーの香りで満たされていた。

私の席には手作りの看板があり、「おすすめ本コーナー」と書かれている。


最初は緊張していたが、本の話をしているうちに自然と会話が弾むようになった。

田中くんが隣でサポートしてくれるのも心強い。


「この本、めちゃくちゃよかったです!」


振り返ると、佐藤さんが『季節と共に歩む日々』を手に立っていた。

表情は見違えるほど明るい。


「佐藤さん、本当に元気になったね」


「はい。先輩のおかげです」

佐藤さんは本を胸に抱いた。


「実は今日、お母さんのレシピを家庭科部の展示で紹介してるんです。

悲しい思い出じゃなくて、大切な思い出として」


私は佐藤さんの成長に胸が熱くなった。


その後、山田さんと中島さんもやってきた。

二人は手を繋いでいる。


「桜井先輩、今度新しい友達も紹介したいです」

山田さんは嬉しそうに話した。


「友達の輪がどんどん広がってて、毎日楽しくて」


午後になって、田中くんが興奮した様子でやってきた。


「桜井、すげーことになってる!」


「何が?」


「桜井のおすすめ本、図書室からほとんどなくなったんだ」


田中くんは嬉しそうに報告した。


「先生やクラスのみんなもおどろいてたよ。」



私は自分でも信じられなかった。


「それともう一つ、報告がある」

田中くんは少し照れながら話し始めた。

「俺、進路決めたんだ」


「本当?」


「教育学部に進んで、司書教諭の資格を取りたい」


私は驚いた。


「桜井を見てて思ったんだ。

本を通じて人をつなげるって、すげー素敵な仕事だなって」

田中くんは真剣な目で続けた。


「俺も将来、桜井みたいに本で人を支えられるような先生になりたい」


「でも、私なんて特別なことは...」


「いや、桜井はすげーよ」

田中くんは首を振った。


「困ってる人に気づいて、その人にぴったりの本を見つけて、心に寄り添う。

それって、誰にでもできることじゃないよ。」


私は田中くんの言葉に胸がドキドキした。

彼の真摯な眼差しに、私も何か特別な感情を抱いているのかもしれない。


夕方、片付けが終わってクラスのみんなが集まってきた。


「桜井さん、今日はありがとう」

クラス委員長の由香里が代表して話した。

「大成功だったよ!」


「桜井って、本のことになると目が輝くよね!」

愛美も笑いながら言った。

「私にもおすすめ教えてよ!」


みんなが温かく声をかけてくれる。

私は高校に入って初めて、こんなにみんなに囲まれて話をしたけれど、不思議と緊張しなかった。


「桜井さん、来年図書委員やってみない?」

担任の先生も提案してくれた。


私は笑顔で頷いた。


「はい、やってみたいです!」


その夜、家で今日のことを振り返った。

文化祭の成功、みんなの笑顔、田中くんの進路決定、佐藤さんの成長...。


あの光る文字の現象は、結局何だったんだろう。

でも、それでもいいと思う。


大切なのは現象の正体じゃない。

人の心に寄り添うこと、相手を思いやることだ。


翌週、私は図書委員の田村先輩に呼ばれた。


「桜井さん、最近図書室が賑やかね」


「はい。たくさんの人が本を借りに来てくれて」


「実は、この古い本棚には昔から言い伝えがあるの」

田村先輩は棚を撫でながら話した。

「ここの本を読んだ人が、みんな何かしら良いことがあるって」


「言い伝え...」


「私も一年生の時、ここで本と出会って変わったの」

田村先輩の目が遠くを見つめた。


「『小さな勇気』という随筆集だった。

それまで内気だった私が、図書委員として頑張れるようになった」


「先輩も同じような経験を...」


「でも今ならわかるの。本に魔法があるんじゃない。

きっと、本を読む人の心と、本を渡す人の優しさが合わさった時に生まれる魔法なの」


先輩の言葉が心に響いた。


みんなの気持ちに寄り添って、その人にぴったりの本を選んであげる。

それが本当の魔法は、いつもここにある。

人を思いやる心の中に。そして、本を愛する人々の間に。


私はそんなことを考えながら、今日も満足して図書室を後にした。

明日もまた、新しい出会いと発見が待っているに違いない。


私は手の中の本を見つめた。

光る文字なんて、私の想像だったのかもしれない。

でも、それで構わない。


「来年、図書委員長やってみない?」

田村先輩が提案した。


「私にできるでしょうか?」


「もちろんよ。安心して任せられるわ。」


私は頷いた。


「はい、ぜひやらせていただきます!」


十二月に入り、雪がちらつく季節になった。

文化祭以降、図書室はさらに賑やかになっている。

田中くんも時々顔を出して、一緒に本の整理を手伝ってくれる。


「桜井」


「何?」


「今度、二人で本屋に行かないか?新しい本を見にいきたくてさ。」


私は少し照れながら答えた。


「うん、私も一緒に行きたい!」


田中くんとの距離も、少しずつ縮まっているような気がする。


そして一月、私たちは三年生になった。

田村先輩は卒業し、私が図書委員長を務めることになった。

佐藤さんも二年生になって、立派な図書委員として私を手伝ってくれている。


田中くんは無事に国立大学の教育学部に合格した。

春からは大学生だが、時々図書室を訪れてくれる約束をしている。


「桜井から学んだことを、将来の生徒たちに伝えたい。」


彼のその言葉が、私の胸を温かくした。


山田さんと中島さんは生徒会で活動し、友達の輪をさらに広げている。

二人の絆は、あの喧嘩を経てより深くなったらしい。


四月、新学期が始まった。図書室には新しい一年生がやってきた。


「あの、すみません...」


振り返ると、不安そうな男の子が立っていた。


「はい、何でしょう?」


私は優しく微笑んだ。

二年前の自分とは大きく変わったと思う。


「僕、人と話すのが苦手で...何か参考になる本はありませんか?」


私は懐かしい気持ちになった。

かつての私と同じ悩みを持つ子だ。


「もちろんです。一緒に探してみましょう。」


佐藤さんも一緒について来てくれた。三人で古い本の棚を見る。


手に取った本のページをめくると、文字が優しく光って見えた。

今度は、内気な少年が友達を作る物語だった。


「これなんかどうでしょう?」


男の子は本を受け取って、大切そうに抱いた。


「ありがとうございます」


「私たち、いつもここにいますから、何かあったらいつでも声をかけて」


佐藤さんが温かく付け加えた。


男の子は安心したような表情で帰って行った。


「先輩、また新しい物語が始まりますね」


佐藤さんが微笑んだ。


「そうですね」


私も微笑み返した。本の魔法は続いていく。

人から人へ、心から心へ、優しさという名の魔法が受け継がれていく。


夕方、田中くんから大学生活の近況を報告するメールが届いた。


『図書情報学の授業、すげー面白い!

桜井のこと、教授に話したら興味持ってくれた。

今度、二人で会いに行こうか?』


私はメールに返事を打った。


『ぜひ会ってみたいです。

田中くんの大学生活、応援してます』


図書室の窓から差し込む夕日が、古い本たちを優しく照らしていた。

私は本の棚を見回しながら、この二年間を振り返る。


人見知りだった私が、こんなにたくさんの人とつながりを持てるようになった。

みんな、それぞれの道を歩んでいる。


光る文字の謎は、結局わからないままだった。

でも、それでいい。大切なのは現象の正体じゃない。

人を思いやる心、困っている人に手を差し伸べる勇気、本を通じて心を通わせることの素晴らしさだ。

この本たちと出会ってから、新しい自分に成長できたと思う。


私は図書委員長として、一人でも多くの生徒に本の魅力を伝えていこうと心に決めた。

この図書室で、これからもたくさんの小さな奇跡や物語が生まれることを願いながら。


END

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