鬼の国と迷いの少女
大正時代のあるところに、香子という少女がいた。
家の中にある持ち物の中で一番の上質な着物を着た香子は、朝早くに自動車で移動していた。
それは、他の家に嫁ぐためだ。
しかし香子は目的地にたどり着けなかった。
事故にあってしまったためだ。
乗っていた車が崖から落ち、香子は崖下にあった森へ落下する。
運転手は即死したが、幸運な事に香子は体を打ち付けるだけで助かった。
しかし、救助の手はしばらく来ない。
運転手は普通なら使わない道を使って、人気のない道路を走っていた。
しかも、香子は知らない事だが、その道は事故直後に通行止めになっていた。
それは、天候の悪化により崖崩れが懸念されたためだ。
運転手の死を確認した香子は、助けを求めて移動するが、すぐに雨が降り始める。
森の中は薄暗く、香子の不安を掻き立てた。
心が沈みそうになるたび、香子は家の物が持たせてくれた、甘いキャラメルと薄荷のキャンディを少しずつ口に含んで、前に進んだ。
甘いもの好きな香子にとってそれは、孤独な状況でも家族の愛情を感じられる確かなものだった。
しかし土砂降りになった天気の中で、香子は倒れてしまった。
そのままであれば、命を落としていたかもしれないが。さらに幸運がもたらされる。
香子は、何者かによって助けられた。
それから数時間後。
目が覚めると、香子は見知らぬ部屋で寝かされていた。
そこは、鬼の国。
香子は鬼の手によって助けられ、鬼が住む国へと連れてこられたのだった。
その事を説明したのは、黒い角をもった一鬼という青年の鬼だ。
一鬼は、人間が鬼の国にやってくるのは久々だから、もてなしたいと言う。
事故の影響で体の痛みを自覚していた香子は、その提案を受けた。
起きた香子が一鬼の案内で向かった先には、たくさんの料理が並べられたテーブル。
何十人分ともある料理を見て、香子は唖然とした。
突然の来客にこの対応は不自然だと指摘すれば、元々は祭りのために用意されたものだと説明される。
香子は祭の見学を許され、鬼の国を見て回った。
鬼の国は不思議なものが多く、香子に知らない文化を見せた。
しかし、通りを行きかう着物姿の鬼たちは、人間とそう変わらない姿で、香子をほっとさせる。
そんな香子に、鬼の国へ残らないかと、一鬼が言った。
鬼の国は、外からの血を欲していたからだ。
鬼の種族は、定期的の他種族の血をとりこまないと、種を残す力が弱くなるという。
だが、香子はこれを断った。
香子は他家に嫁ぐ途中であり、家の者達のために、そうしなければならないからだ。
香家の家は商人の家計だったが、失敗で多額の借金を背負った。
そこを、跡継ぎを残すため妻が必要だという裕福な家が、手を差し伸べたのだ。
だから、香家は家のために逃げるわけにはいかなかった。
急に決まった事で、顔も知らない相手の妻になる予定だが、我慢するつもりだった。
香子の気持ちは固い。
そうと知った一鬼は、香子を現実の世界へ帰した。
無事、元の世界に戻った香子は、自分を探していた者達に助けられ、病院に入院。
数日後に、目的だった家にたどり着いた。
それから香家は、嫁いだの家の妻として生きていく事になる。
実家は支援もあり、すぐに強くたくましく、成長。
商売で数々の成功をおさめた。
香子は嫁いだ当初は優遇され、旦那となった男性に珍しいカフェやレストランに連れて行ってもらったり、洋服などを何着もプレゼントされた。
しかし、香子は子供を作れない体質だった。
一向に跡継ぎが生まれない事にじれた旦那の家族が、香子の体を調べる事にした。
大金をはたいて最新の技術で検査した結果、その事実が判明し、香子は強引に家から追い出されてしまう。
それは、その頃から愛人を作っていた旦那と、家に入り浸る事が多くなった愛人に、さんざん嫌がらせされた後だった。
元の家に戻るのもバツが悪い香子は、途方に暮れる。
そんな香子に声を掛けたのは、人間に姿を変えた一鬼だった。
一鬼は、香子の存在が忘れられず、度々人間の姿になって香子の様子を見ていたのだった。
いびられる香子がしのびなく、何度か相談に乗った事もあった。
甘いものが好きである香子に、カステラやあんみつなどをご馳走してはげました事もあった。
今度は断わる理由もないと思った香子は、一鬼の提案を受けて鬼の国へ。
自分の近況を調べた際、実家の者達が胸を痛めないようにと、適当な理由をでっちあげて手紙を出した後に。
鬼の国へ向かった香子は、多数の鬼たちに囲まれながら暮らす。
閉鎖的な環境ではあったが彼らは、子供が作れない香子でも、彼女をないがしろにはしなかった。
そんな鬼たちの国を気に入り、一鬼のやさしさにほだされた香子は、それからも鬼の国で暮らす事を決めたのだった。
香子が子供を残す事はなく、奇跡は起きなかったが、鬼たちはそんな彼女を追い出そうとはしなかった。
そのため香子は衰退していく鬼の国でも、それからも幸せに暮らしたのだった。